第35話

 その後約束通りリドルに甘い物を奢ったり、町の中を適当に散策するなどしながら、夜を待った。夜空には昨夜より少し痩せた月が輝き、大地を静かに照らしている。それは慈悲の輝きだが、アークはそれを鬱陶しげに見上げている。その肩を、リドルがポンと叩いた。


「ちょっとは私のことを大事に思ってくれてるのかなと思ったらすぐそうやって神様にお熱になるんだから、まったくもう」


 嫉妬からの言葉ではなく、からかいなのだろう、リドルは微笑している。それに前者なら間違い無く刃物が飛んできている。


「悪い、どうしてもな。お前を蔑ろにしたつもりはなかったんだが」


 未だ世界の枠に囚われている自分への苛立ちを隠せないアークだったが、その白銀の髪は月光を受け大河の如く流れ、その紅の瞳は夜の闇の中で血のようにアークの顔に落ちている。その姿を美しいと言えば、アークは機嫌を損ねるだろうが。


「いいわ、いつものことだもの。さ、行きましょ。信用されて仕事を任されてるんだから、ちゃんとやらなきゃいけないでしょ」


「言われずともわかっているよ」


 いつもの余裕綽々な表情でそう返し、2人は夜の町を歩み出した。



***



 普段なら酒場の喧噪や、恋人達の密やかな睦言が聞こえてくるはずの町は、今夜に限って静まりかえっていた。自警団は確かに信頼されているのだろうし、辻斬りは確かな脅威として認識されているのだろう。特別な用事が無ければ家の中にいろという指示は徹底されていた。


「静かだな」


 無駄話をしている場合では無いが、歪とも言える町の状況を見て、アークは思わずそう漏らした。隣で歩くリドルが頷いた気配を感じて、再び沈黙を守る。細かい物音や、傍らに居る互いの呼吸音が、矢鱈と気になる。世界にはもう自分達だけしかいないのではないかと錯覚してしまいそうだった。そうなったら良いのにとリドルは思わないではなかったが、きっとアークはそんなことを望みはしないだろう。リドルはアークと共にいられれば幸せだが、アークはそうではない。それは少しだけ悲しいが、それで良いのだと思ってしまうのは、惚れた弱みであろうか。


 かなりの時間が経った。一通り町の見回りを終え、自警団の詰所に戻る。そこだけは人の気配が色濃かった。

 同僚と話していたコディが2人に気付き小走りで近づいてくる。人好きのする笑みが、疲れのせいかすこしくたびれていた。


「こんばんは、お疲れ様です。どうやら今夜は大丈夫そうですね」


「ああ、お疲れ様。大丈夫そうなら君はそろそろ寝た方が良い。町の人の平穏を守る君が倒れては本末転倒だろう」


「へっ!?は、はい、ありがとうございます……?」


 優しい声音で気遣いの言葉をかけるアークに、コディは顔を赤らめながら俯いて答えた。その意味がわからず、アークは首を傾げ、彼の顔を上目遣いで覗き込む。


「どうした?熱があるならそれこそ寝た方が良い。そこまで頑張った君を悪く言う者はいないだろう」


 近づかれて、コディは更に身を縮めた。彼の背をさすってやろうかと手を伸ばしたところで、リドルがアークの服の襟を掴み、勢いよく引いた。首が絞まり、呼吸が止まる。


「ゲホッ、何をするんだリドル、日付は変わったが今私を殺そうとするのは勘弁してくれないか」


 アークの言い分にリドルは頭を抱えて溜め息を吐いた。いつもとは立場が逆である。


「アナタは自分の容姿がどれだけ良いか一度確認してみるべきだわ……」


「それは今関係あることか?」


 更に溜め息を吐くリドル、顔の赤みが取れないコディ、首を傾げるアーク。間抜けな掛け合いに、詰所の雰囲気が一時、和やかなものになった。

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