第26話

 指定された場所に、一行は迷い無くやってきた。そのまま放っておけば、或いはシンキは待ちくたびれていなくなるかもしれなかったが、それは問題を先送りにするだけである。相手の実力の程は不明だが、災いの芽は早めに摘んでおくべきだ。

 丘の上には、何の緊張感も無く1人の女が立っていた。虚ろな瞳は夜空に向けられ、立ったまま死に、白骨化した人間がいるのかと錯覚させる。

 女はアーク達を見て、薄く笑った。その造形は、吸血鬼や人形などより、余程非人間的だった。


「こんばんは、良い夜ですね」


 世間話をするようにシンキは話しかけてくる。粛正者という立場を忘れさせられそうになる緩んだ空気に、逆に気分が悪くなる。


「ああ、良い夜だ。風情を理解出来る人間は歓迎したいところだが、生憎、お互い立場がそれを許してくれない。だろう?」


 アークの返答に対し、シンキは笑みを深めた。その笑みは、ただただ違和感だけがまとわりついている。それを見て、アーク達はそれぞれその直感を言語化出来たかどうかは別にして、全く同じ感想を抱いた。



――――――この女は、この場にいてはいけない。

――――――否だ。それではまだ足りない。



――――――この女は、いつどこにいるのも間違っている。

――――――それもまた否。それでも、まだ足りない。



――――――この女は、この世界に生まれたのが間違いだった。

――――――その通り。何故、こんな生命が、この世に存在している?



「アーク、駄目だ。あの女は生かしておけない。何故かはわからないが、そんな気がする」


「私も同感よ、殺さないと。アイツが生き延びて、呼吸している一分一秒に我慢が出来ない」


 本来なら温厚なサイグが、自分の中の衝動に戸惑いながら言葉を紡ぐ。

 恋愛感情から来る殺意ではなく、ただ純粋な殺意だけで、リドルが剣を握る。


 英雄2人が過剰に反応を示す。それもそのはずだ。目の前にいる女は特大の、世界に生まれ落ちる前に処理されて然るべき、『世界のシミ』である。


「落ち着け。お前達の言いたいことは理解できるがな……本当に、何故貴様のような女が、未だに生を謳歌出来ているんだ?」


 シンキの顔から表情が無くなる。次の瞬間、アークの耳元で声が聞こえた。


「小さい頃、大好きだった男の子が、目の前で死にました」


 童話の冒頭を朗読するような語り口。アークがまだ人間だった頃、母親が枕元で寝物語を呼んでくれた記憶が、一瞬だけフラッシュバックする。しかし、隣に立つシンキの存在を確認して、アークは飛び退いた。気にせず、シンキは話を続ける。


「心臓の筋肉が動かなくなったせいで死んでしまったのだそうです。でも、心臓だけでなく、体中の筋肉が弛緩していたと、大人達は言っていました」


 女の身の上話も、この状況では場違いに過ぎる。しかし、誰も動くことが出来ないでいた。目の前に倒さなければいけない敵がいるのに、何故か、気を緩めてしまう。これ以上気を抜いてしまえば、膝から崩れ落ちてしまいそうなほどに。


「僕を慰めようとしてくれたお父さんも、お母さんも、間もなく同じように亡くなりました。周囲で立て続けに人が死にましたから、僕は忌み子扱いされて、誰も引き取らず、独りぼっちになりました」


 異色の過去。異常な経験。酷く不吉な、女の昔話。耳を塞ぎたいのに、それさえも出来ない程、筋肉が弛緩している。カールなどは既に、地面に倒れ伏していた。


「そんな時、教会の神父様が僕を引き取ってくれました。僕は熱心に神様への信仰を磨きました。生きる場所をくれた神父様と神様に、感謝しなければならないと思いました」


 無事に立っているのはシンキの術中に嵌るまいとギリギリまで気を張るアークと、人形故に弛緩する部位など無いゼロだけだった。しかしそのゼロもアークも、黙して女の話を聞いている。聞くしか出来ない。


「そういえば、僕は赤ん坊の頃酷い病気に罹って死にかけたそうです。お医者様も匙を投げ、お父さんとお母さんは僕を教会に連れて行って、必死で祈ったとか。自分達の命を犠牲にしたって僕に生きて欲しい、と。そして奇跡が起こったのか、僕の生命力が並外れていたのか、僕は今でもこうして、健康そのものです。やがて、偉い人から粛正者にならないかと言われて、こんなところまで来ています」


 呼吸すら忘れそうだった。攻撃を受けたわけでもないのに、今にも死んでしまいそうだ。それでもまだゼロは立っている。人形には呼吸も必要が無かった。ゼロはシンキの話を聞いて頷き、話しだす。


「成程、貴様が死にかけた時両親が言った、自分達の命を犠牲にしても貴様に生きて欲しい、という願い。それが原因なのだろう。その願いは神と貴様との契約となった。呪いと言い換えても良い悪趣味なモノだがな。貴様を死なせない代わりに神は貴様の両親の命を奪った。貴様が好いた男はただの被害者だろうがな」


「……興味、ありません」


 シンキが話の腰を折ろうとする。だが容赦無くゼロは言葉を続ける。


「まあ聞け。その契約の内容はこうだ。お前を両親の命と引き替えに生かす代わりに、世界のシミを消す尖兵にする。細かいところは違うかもしれないが、おおむねこうだろう。お前と共にいるだけで生物は緊張を失う。お前と語らうだけで、呼吸を忘れる程に感覚を麻痺させられる。吸血鬼も竜も例外は無いだろう。ならばお前という世界のシミを以て、人外たるその他の世界のシミを消そうというわけだ。本質は英雄と変わらん。人間を生き残らせようとする人の神の醜悪なまでの執念の賜物だよ」


「僕の神を侮辱するのか」


「ただ、事実を述べている――――――ッ!? 」


 良い切る前に、シンキの拳がゼロの頭部を捉えた。生卵を勢い良く潰したかのような音がして、ゼロの体が吹き飛び、落ちて、動かなくなった。

 だが、ゼロの稼いだ時間は無駄ではない。最後まで意識を保っていたアークの爪が、シンキに迫っていた。

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