第25話

 その日の夜まで、各々緊張に包まれながらも何事もなく過ごした。夜になってからはリビングにひとまとまりになり、それが現れるのを待った。

 誰もが何かの手違いで粛正者が来ないのではないかと思い始めた夜更け、しかしそんな都合の良い理想を打ち消すように、ノックの音が鳴った。

 全員が顔を見合わせる。誰が出るか話し合うべきだったかと後悔しかけていると、何の迷いもなくセーラが立ち上がった。彼女のその行為にはその場にいた誰もが驚愕したが、無論一番狼狽えたのはカールである。


「セーラ?何を立ち上がっているんだい、君はもう寝てても良いんだ、ほら、わかったらもうお眠り、ボクより先に寝たって怒らないとも、いつもそうだろう?」


 この世の終わりを見たかのような顔でまくし立てるカールに、セーラはしかしにこやかに少女らしくない大人びた笑みを向ける。その年齢と雰囲気のちぐはぐさに、カールは場違いにも見とれてしまった。


「ご主人様、お客様の応対はセーラの仕事でございます。それに、今回のお客様は物騒ですけど、人間に危害を加えるつもりは無いのでしょう?しかも私は子供です。仮にも教会に認められた方が、そんな人間に問答無用で暴力を振るうとは思えません」


「バカなことを言わないでくれ!万が一のことがあったらどうする!セーラにもしものことがあったらボクはとても生きていけない! 」


「もしものことがあったら、きっとご主人様が助けてくれるんでしょう?」


 その言葉はただただ純粋な信頼だけが込められている。真っ直ぐ自分を見つめる2つの瞳に射貫かれて、カールは二の句が告げなくなった。


「……わかったよ、セーラには敵わない。そうだ、この指輪を持っておきなさい。ボクのとっておきだ。一度だけなら、どんなことからも君を守ってくれる」


 そう言ってカールは自分のポケットから1つの指輪を取り出す。嵌められている金色の宝石は、この世のものとは思えない美しさをしている。カールはそれをセーラの左手の薬指に恭しく通す。その瞬間、もう一度ノックの音が聞こえてきた。


「お客様をお待たせしているようですから、行って参ります」


「……ああ」


 セーラは振り向かず、玄関の方へ歩いていった。


「敢えて口を出さないでおいたが、セーラの言うとおりだと私は思うよ、リドルやサイグは人間だが、事前に知らされていない者がいれば警戒されるだろう。私とカールは論外だ。ゼロはほとんど人間のようなものだが、どちらにしろリドル達と同じ理由で却下だ。消去法的に彼女にファーストコンタクトを取ってもらうしかなかった」


「理屈は、わかるけどね」


 カールの言葉にアークは何も返答しなかった。カールとセーラの互いへの気持ちはアークには計り知れないものではあったが、損得で語れるものではないということはわかる。2人の吸血鬼と2人の人間、1体の人形がいるというのに、リビングはしばし沈黙に包まれた。



***



 セーラは玄関に繋がる廊下を歩いていた。通り慣れたそこが、いつもの倍は長く感じる。カールに言ったように、まず自分が襲われることは無いと理解している。だが、この先にいるのは自分の主人すら滅ぼそうとする粛正者なる人物である。自分と主人の生活を脅かすそれこそが怪物ではないのかと疑うが、それもまた、粛正者から見れば異端なのだろう……。



 思考を巡らせている内に、玄関の戸の前まで来ていた。つい先程主人から貰い受けた指輪に触れる。まだ彼女の温もりが残っているようだった。少しだけ精神が安定する。ドアノブに触れ、扉の向こうに声を掛けた。


「こんばんは、どちらさまでしょうか」


 幾度となく繰り返した言葉はありがたいことになめらかに口から流れ出てくれた。さりげない微笑みにも、どこにもぎこちないところは無い。

 目の前には女が立っていた。厳めしい肩書きから、自然と男と思い込んでいたせいでセーラは一瞬戸惑う。女はセーラに目線を合わせ、柔らかく微笑んだ。

 死者の骨を思わせる、白く艶の無い髪、虚ろで、光の入る余地を与えない、紫色の瞳。どこまでも不吉な取り合わせなのに、その微笑みはセーラを安心感で包み込み、恐怖と不安で強張っていた四肢を弛緩させた。


「こんばんは、美しいお嬢さん。僕はシンキと言います。異端粛正者、と言えばわかりますか?」


「話は、聞いています」


 弛緩しきって麻痺しかけた声帯に鞭打って、なんとかそれだけを絞り出した。




***



 セーラが出て行って数分、憔悴しきって帰ってきた彼女を見て、カールは慌てに慌て、アークに宥められてようやく落ち着きを取り戻した。


「それで、どうだった。何かされたのか、セーラ」


 アークのその問いに、セーラは首を横に振った。


「いいえ、直接的な危害は、何も。ただ……」


「ただ?」


「シンキと名乗った女性は、兎に角他人に安心感を与える人でした。安心しきって、弛緩しきって、逆に息が詰まって呼吸が止まりそうになる、そんな人物です。危険な雰囲気はしていません。武器すら身につけていません。それなのにどこまでも不吉で、不吉なのに警戒出来ない……すみません、具体的なことが何も言えず」


「いや、構わない。ただの少女に、異端粛正者などという怪物のことを詳細に語らせようとは思っていない。それで、そいつは何か言っていたか?」


「はい、町を北から出てしばらくしたところにある丘の上で待っていると。何人で来ようと構わない、とも」


「こちらが増援を呼んでいることは知られていたか。まあ、それで不意を突こうとしたわけでもない。それはどちらでも良いことだ。ありがとうセーラ、無理をさせてしまったな、カールが言ったように、ゆっくり休むといい」


「はい、失礼します」


 頭を下げて、セーラは自室へと戻っていった。


「さて、どうやらかなり厄介な相手のようだが……どうする」


「どうするも何も、当たって砕けろ以外ある?」


「いや砕けちゃダメでしょリドル嬢」


「ま、お相手も正面戦闘をする気満々のようだからな、小細工を弄する暇も無いだろう」


 満場一致で正面突破ということになりそうだった。唯一、サイグの肩の上で眠っているジルトだけが不参加だったが。

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