第6話
十分な休息を取った、と体が判断し、アークは目を開ける。吸血鬼に肉体的な疲労など無いに等しい(疲労したところで即座に再生能力により回復する)が、精神はそうもいかない。常に余裕のあるように見えるアークでも、竜殺しの英雄と戦って心穏やかではいられなかったのだ。
体を起こすと、星を敷き詰め河にしたかのような神秘的な銀髪がベッドの表面を撫でる。隣ではリドルがまだ寝息を立てていた。この世界の果ての淵は朝も夜も深海のように暗いため時間の感覚が麻痺し、それのせいかは不明だがアークはここでほぼ3000年を過ごしてしまった。吸血鬼は総じて時間に疎いが、アークほどの疎さを持つ者もそうはいないだろう。
何時間寝たか、などとほとんど意識することはないが、サイグに掃除を頼んでいたことを思い出し、アークはリビングに向かった。果たしてそこには、家中を輝かんばかりに清掃しきった堕英雄が、悠々と仕事終わりのコーヒーを飲んでいる所だった。そのコーヒーは大量の砂糖とミルクで甘くされており、それを見たアークは牙を見せながら薄く笑う。
「折角良い豆なのだから、素材の味を味わってほしいものなのだがな」
アークの声は男なら恋に溺れ、女なら聞いただけで体を火照らせるような美声だが、サイグは不機嫌そうに返事をする。
「一々嫌味な奴だな、顔と声が良いだけの男め。どうせ女の一人も口説けずにこんなところに引きこもっているのだろう」
「女ならリドルを口説き、男ならつい最近お前を口説いてここに招いているのだがな?自分のことを棚に上げるのは感心しないぞ」
「俺はお前に口説かれてなんかい、な、い!!事実の誤認だこの男女!!」
「はっ、事実の誤認という言葉、そっくりそのまま返してやるぞ駄英雄!」
「~っ!お前、なんだか変な言い分け方をしているのがなんとなくわかるぞ!!」
「さて何のことだか。しかし掃除の腕は一流だな、そこは素直に褒めておこう」
「な、なんだ急にこそばゆい……」
「で、見張りを頼んでいた卵はどうだ?」
良いながら、アークは卵を置いていたはずの部屋の隅に目線を移す、が、期待した楕円の物体は視界に入ってこない。
「どこにやった駄英雄、返答次第ではこの場で始末してやる」
「落ち着け男女、ここだ、こいつだ」
サイグはコーヒーを飲んでいた左手とは別の手をアークの前に差し伸べる。そこには羽根の生えた蜥蜴……否、竜の赤子が乗っていた。滅多に動揺しないアークが、珍しく目を見開く。
「もう生まれたのか、しかし、卵の大きさとは裏腹に小さいのだな」
竜の大きさは、精々文庫本二冊と同程度。手に持てるサイズである。鱗は黒く、瞳は緑柱石を思わせる翠。時折出す鳴き声は、これがいずれ強大な存在になるとは思えない程か細く、甲高い。およそ爬虫類の子供と大差無い。背中に生えている羽だけが、竜であるということを控えめに主張していた。
「さっきから騒がしいわね、何かあったの?あら、それが竜の卵から生まれたわけ?」
起きてきたリドルが竜を視認する。寝ぼけ眼が一瞬でハッキリと開かれた。
「不思議な光景だったぞ、卵の殻が割れるのではなく、卵そのものがこの竜に変化する風だった」
「何、それは見たかったな、何故起こしてくれなかったんだ」
学校に遅刻しそうな学生のようなことを言うアークを見て、サイグはほくそ笑んだ。
「高貴な吸血鬼様を起こすのは忍びないと思いましてね?」
「この駄英雄が……!」
青筋を浮かべるアークを見て、竜の赤子は首を傾げるだけだった。
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