第3話

 ここは世界の果ての淵、一切を寄せ付けぬ魔境、深淵。だが何事にも例外は存在する。6000年を生きる古竜、3000年を生きる吸血鬼、特異な体を持つ女。そしてここに、新たな例外が足を踏み入れた。

 その例外は人だ。最も数が多く、しかし最も肉体が脆弱な種族。人の神と吸血鬼の神との間に交わされた誓約により、結果大地を埋め尽くした者達だ。そしてそんな種族の中の例外が彼だった。

 人と吸血鬼、あるいは竜とのバランスが著しく崩れた時、または崩す可能性のある存在が現れた時、人の神は意図的に人に不具合を起こすことを許されている。吸血鬼を、竜を、同じ人を凌ぐ力を持つ人を、自らの意志で作り出す。これは最も弱い種族を司るが故に持つことの出来た特権だ。そうして作られた存在を『英雄』と呼ぶ。

 彼はこの世界の果ての淵に、世界の均衡を崩しかねない強大な魔の者がいると神から告げられてやってきた。長い旅だった。幾多もの出会いと、別れがあった。そして彼はここにいる。彼の名はサイグ。これまでの功績だけでも、十二分に崇め奉られるだけの実力がある、正真正銘の英雄だ。

 そんな彼でもこの場所の探索には骨が折れた。多少の光の魔術を使おうと晴れない視界、吸うだけで肺が機能不全を起こす空気。如何に強靱な肉体を持とうと、それらが与えるストレスは確実にサイグの肉体と精神を蝕んでいく。どれだけ歩いたかわからなくなってきた頃、サイグの視界に、明らかに人工物と思われるものが写った。

 石造りの家だ。幻覚ではない。いくら疲労しているからといってそんなものを見るほど彼は弱くはないし、この谷は魔力が澱んでこそいるが、そんな搦め手めいた方法で侵入者を害しはしない。実際、壁や扉に触ってみてもそれは消えなかった。

 ここが、魔の者の拠点だろうか?サイグは慎重に扉を開けた。開けた先には、瞳。サイグは持ち前の反射神経で飛び退き、腰の愛剣を抜いた。


「あら、そんなに警戒しないで。アナタを殺すつもりなんてないわ。ええ、本当よ。アナタが私に害を与えなければね」


 出てきたのは黒衣の女だった。その言葉、仕草の端々から気品が溢れる。サイグは彼女がさぞ高名な貴族の娘か何かだろうと目算する。


「これは失礼。何分こんな場所ですので、出てくるのは化け物か死体かとばかり思っておりました。それがこんなに美しい方に出くわすとは、これも神のお導きでしょうか」


「あら、お上手ね、1000年前なら、うっかり惚れてたかもしれないわ」


「1000年……?」


 彼女の言葉にサイグは再び警戒する。その言葉が本当だとするなら、彼女は人外の者だ。どう見ても、サイグと同じ人間としか思えないというのに。


「もう、殺すつもりは無いって言ったでしょう?ここまで大変だったわね、人形ばっかりで、大したものは出せないけど、この家は安全よ」


 クスクスと笑う女に、サイグは緊張を解き、女に促されるまま家の中に入った。丁度家主が自室から出てくるところに出くわす。家主は男とも女ともつかないが、美しい見た目をしていた。極上の糸を束ねたかのような白銀の髪、世界一価値の高い紅玉を溶かし入れたかのような瞳……だがその家主はサイグを見るとあからさまに嫌そうな顔をした。


「今日の手はそいつか。全く、英雄を連れてくるとはどういう了見なのだか」


 ククッ、と喉を鳴らしながら笑うその口の中、犬歯が、異様に長いことに、若き英雄は気が付いた。


「吸血鬼!ならば貴様がこの地に隠れ世界を滅ぼさんとする魔王か!」


「何を言っている、この駄英雄め。私はしがない人形師だ、世界を滅ぼすなぞ、とてもとても。それでも戦いたいというのなら止めはしないが、場所を移してほしいな、流石にこの家を壊されるのは困る」


「良いだろう、して、どこで戦う?どのような場所でも、正面から正々堂々と受けて立とう」


「リドル、頼めるか」


「はいはい、いつもの場所ね」


 リドルと呼ばれた黒衣の女が応じ、手を空中でピアノでも弾くかのように動かす。すると家の床に魔方陣が現れ、広がっていった。やがて英雄の視界から、人形の家は消え去った。

 次に目を開けて飛び込んできたのは、白くだだっ広い四角い部屋だった。何の装飾も内装も無いが、床や壁は兎に角丈夫な素材で作られていることが一目でわかる。周囲を見渡すサイグに、銀髪の家主がこの場所に関する説明を始める。


「ここは新しく作った人形を試運転するための場所だ、さて、始めようか、若き英雄よ」


 その言葉と共に、吸血鬼は人形の糸を手繰り始めた。

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