第2話

 吸血鬼が済む場所は、世界の果ての淵と呼ばれる深い谷底である。その名にふさわしく、世界で最も深く、光の届かぬ場所だ。ここは魔力が澱み、ほとんどの生き物が生息出来ない地の底の底。吸血鬼はこのに3000年もの長きの間暮らしてきたが、その間この場所で見た例外的な生き物は自分と先程の竜、そしてもう一人だけだ。


 吸血鬼は自分の住処である石造りの家の戸を3度叩いた。すぐに扉が開いて、中からその「もう一人」が顔を覗かせる。腰まで伸びる夜空を連想させる黒髪に、同色の瞳。どこか憂いを帯びた雰囲気のある女だ。彼女は吸血鬼の顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。


「お帰りなさい、その様子だと上手くいったのね、それじゃあご飯にする?お風呂にする?それとも、そ・く・し?」


 物騒な問いかけが終わると同時に、絶大な魔力を纏わせた銀製の無数の刃が吸血鬼の周囲360度を完全に囲み、その肉体を無惨なまでに切り裂いた。吸血鬼を始め、肉体を占める魔力の割合が大きい存在に無上の効果を発揮する銀。竜を殺した吸血鬼も、これには対抗する術が無い、かに思われた。


「いい加減にしろ、この刃物バカ」


 刃は吸血鬼の肉体を確かに細切れにしたが、不死身の吸血鬼がその程度で死ぬはずもない。ましてや3000年を生きたモノが、如何に質量があるとはいえただの銀の刃に屈するはずもない。即座に肉体を修復し、攻撃してきた女に手刀を喰らわせた。女は気にもせず言い返す。


「うるさいわね人形狂い……また殺せなかった」


 この女の名はリドル。ある時この世界の果ての淵にやってきて、吸血鬼と共に暮らすことになった。色々と思うとことがあって、吸血鬼に協力しながら毎日吸血鬼を殺そうとしている。


「で、竜殺しは達成出来たってことで良いのよね、アーク?」


「ああ、興味深いものも持って帰れた」


「興味深いもの?何かしら」


「後で見せる。喉が渇いた、体を貸せ」


 吸血鬼――――――アークの返答に、リドルは肩を竦めた。


「さっきの質問に照らし合わせるならご飯ってわけね、わかったわ」


 リドルは黒いロングスカートを翻して寝室に向かった。アークの食事には、食卓よりそちらの方が都合が良い。


 寝室は暗い。そもそもここは日の光が入らない場所だ、光源が無ければ全てが明らかならざる空間になる。リドルは寝台に座り、長い黒髪を前に流した。首筋が良く見えるようにだ。アークは彼女の背中に回り、そっと抱きしめた。黒髪を一房取り、手櫛で解す。


「早くして、この変態」


「相変わらず風情が無いな、雰囲気を大事にしようと思わないのか?」


「女々しいことを言わないで……あなたがどっちなのか私はしらないけど」


「ご想像にお任せする。では、手早く済ませよう」


 アークは口を開き、その牙をリドルの首に突き立てた。人とは異なる、獲物の肉を生きたまま裂いて開く、鋭い牙だ。


「ぐっ、うっ……!」


 いくら鋭いとは言っても、生き物の器官だ、刃物のように鋭い痛みではなく、ジクジクとした鈍い痛みがリドルの脳に伝えられ、苦悶の声を上げる。

 そこからさらにアークは血を吸い出していく。吸血鬼が吸血鬼たる由縁、しなかったからと言って死ぬわけではないが、吸血鬼は血に飢える。その点において、それは人や動物の性欲にも似ている。

 容赦なくリドルの血液は失われていく。ただでさえ白い肌が、痛みと失血のショックで青白くなっていく。


「は……ぁっ……!」


 息が荒くなる。視界がフラッシュして、世界が輪郭だけになっていく。気絶しそうになる寸前で、吸血鬼の牙が引き抜かれた。


「……最悪。いつも思うけど、もうちょっと優しく出来ないの?」


「無理な相談だ、それに、お前ならすぐに治るだろう?」


「それとこれとは別よ、痛いものは痛いの。切ったり起こしたりが自由自在なアナタと一緒にしないで」


 アークの言うとおり、リドルの首に空いた吸血痕は既に消え、血が失われてとうとう黒くなりつつあった肌も元の色に戻っている。吸血鬼は人の血しか吸えない。ならばこのリドルという女は何なのだろうか。治癒の魔術を使ったわけでも無いのに、傷がひとりでに治っている。それも急速に、だ。それは人として自然ではない。

 その話をするのも、そう遠くはないだろう。


「それで?興味深いものっていうのはなんなの?」


「ああ、その話か、これだ」


 アークは自分の影に収納していた竜の卵を取り出してリドルに見せた。アークが両手で抱えて、ようやくバランスを保てるサイズだ。


「竜の卵?また、変なモノを持ってきたのね、どうするの?」


「育てる。竜の死体は無論回収したが、生きた研究対象がいるならそれに越したことはない。仮に噛みつかれたとしても、生まれたばかりの竜に何ができよう」


「研究、『真なる不老不死』ねぇ。まぁ反対はしないわ、今の意見に口を挟む余地は無いし」


 吸血鬼は不死身にして不老不死だ。しかしそれにはいくつか条件がある。人を作り出した神と、吸血鬼を作り出した神は仲が良かったらしい。そもそも、吸血鬼を作った神は元は光の神だったという。だがあるとき、泉で沐浴していた美女を劣情から覗き、片目が潰れた。間抜けな話だが、その時からこの世には夜が出来、その神は夜を司る神としても奉られるようになった。そうして、夜の支配者として作り出したのが吸血鬼である。だがそれは強すぎる生命だった。人の神が作ったモノを脅かす程、無条件に強靱だった。だから二柱は話し合い、吸血鬼に制限を設けた。まず、日の下では人間と同じか、それ以下に能力が減退させること、流水を渡らせないこと、招かれなければ、人の家に入れないこと、そして何より、人がいなければ無限の飢えに苦しむこと。これらによって吸血鬼は人を滅ぼせず、日の下では人に媚びへつらうしかない。アークはこれらの制限を消し去り、完全なる不死者として生きようと言うのだ。


「だがまあ、今日は疲れた。このまま寝る。何かあれば起こせ」


 アークは布団にくるまり、すぐに寝息を立て始めた。悪戯にリドルがナイフを生成し首に突き立てたが、寸前でアークの人形に阻まれた。


「安眠ヲ守レト命令サレタンデナ、協力シテヤリタインダガ、ゴ覧ノ通リ不自由ナ体デネ」


 人形は糸に繋がれた自分の体を見せた。リドルはナイフを収め、自分も寝台に沈んだ。明日はどうやって殺してやろうと計画を練りながら。

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