第5話

 放課後、部活前、屋上。


「先輩いい加減にして下さいよ。飛ばし過ぎです」


 俺は先輩がここに居ると確信して立ち寄っていた。

 よっぽど午後一の授業をサボって説教しに行ってやる、と思っていたが沢口との予期せぬ遭遇でそんなやる気はほとんど殺がれてしまった。


「自棄になってじゃんじゃか紙飛行機飛ばしてたんですか?」

「半分は」

「半分?」

「もう半分は君が屋上まで来るかなって思って」

「はああッ?」


 俺は声を荒らげてしまってから慌てて口を噤む。

 今は放課後とは言え、声を聞き付け誰か来たらまずい。


「唯一秘密を知ってるし、相談できる相手って君しかいないから」

「用事があるなら普通に呼びに来ればいいじゃないですか」

「お友達が心配するかと思って」

「え……気を遣ったんですか?」

「一応は」


 先輩は良い人だ。

 どうして彼女の女友達はいつまでも根に持って悪い噂を流し続けているのか。

 まあ痴情というのは時にどうしようもなく厄介だって言うし、当人同士の問題だろうから全くの部外者の俺が首を突っ込む事じゃないだろう。

 そうは言っても相談されれば俺なりの意見はするし、その件で何か頼み事をされても別に苦でもない。


「でね、私今日で飛行機飛ばすのやめようと思う」

「唐突ですけどそれは良かったです。もしかしてそれもあっての飛ばし納めですか?」


 結局今日だけでも五つ六つある回収した紙飛行機を思い出し息を吐いた。

 けれどそれはつまり、別れを受け入れるという意味だろうか。

 それとも話し合うんだろうか。


「……大丈夫、なんですか?」


 先輩はそれについては何も答えずに、ただ無理やり微笑んでみせた。

 自然と眉根が寄る。

 自分と被った。

 向こうから距離を置かれる気持ちはよくわかる。

 それゆえ……か、それなのに……か、どちらともわからないまま、俺は先輩の宣言を受け入れた。


 本当に言葉通り、その日から紙飛行機は飛ばなくなった。





 別れたんだろうか。


 その疑問は最近俺の思考の多くを占めている。

 かと言って先輩に訊くのも忍びない。

 ともあれ、俺は静かな日常を取り戻し、今も教室で友人と談笑に興じている。


「――円田君、国語の教科書貸してほしいんだけど」


 顔を上げれば教室の後方入口に沢口が立っていた。

 ……っくりした。


「そっちのクラス今日国語あったよね、持ってない?」

「え、いや持ってるけど……ちょっと待って」


 俺の戸惑いを感じたのか友人たちも顔を見合わせている。


「はい、所々線とか落書きとかあるけど」

「気にしないよ。ありがとう、じゃ終わったらまた来るね」

「おう」


 狐に抓まれた気分だった。

 返しに来た時も普通で、俺は益々困惑する。


 返された教科書を手に自分の机に戻りながら、その間に何かが挟まれているのに気付いた俺はそのページを広げてギョッとする。


 ――紙飛行機があった。


 とにもかくにも、慌てて教室を出て行った沢口を追いかけた。


「沢口、待って沢口」

「何?」

「これの事で、ちょっといいか?」


 教科書から抜き取った紙飛行機を示して見せると、彼女も俺のこの反応を待っていたのか神妙に頷いた。

 休み時間は短いが、どうにか急ぎ場所を移して二人きりになる。


「えーと、時間もないし単刀直入に訊くけど、沢口が何でこれを?」

「どうしてだと思う?」


 まるで試すような反問に、一瞬虚を突かれた。

 俺の知る沢口はこんな意地悪い質問をしなかったと思えば、何となくイラつくものがあった。

 俺と彼女の関係は確実にかつてとは異なると実感する。


「……訊いてるのはこっちなんだけど」


 俺がやや気分を害したと気付いたのか、沢口は一度視線を外した。反省したのか不服に思ったのかはわからない。


「拾ったの、中庭で。円田君、この前も同じような紙飛行機を拾ってたでしょ、だからこれもそうかと思って」

「ああ、うん、実は。届けてくれてありがとう」

「高梨先輩って人のでしょ、それ」

「えっ何で知って……」

「屋上から飛ばしてるのを何度か見たの。うちのクラスからだと手摺り近くにいれば屋上の人って見えるから」


 沢口のクラスは確か一番端だ。コの字校舎の底辺部分に教室がある。

 角度的に見える位置にいたってことか。

 ああもう先輩、バレてるじゃないか!

 この調子なら沢口以外にも姿を見られているはずだ。

 俺のチェック漏れの紙飛行機がそれを知る誰かの手に拾われ中を読まれでもしたら大変だ。


「円田君がどうしてそんなに必死に拾うの? あの先輩のなのに。それとも……あの先輩のだから?」

「それは、まあ、ゴミのポイ捨てはいけないだろって思って」

「うそ。円田君は高梨先輩の何なの? 好きなの? でもあの人恋人がいるでしょ?」

「……」

「二股、ううんそれ以上かもしれないよ。だから…」

「――諦めろって? 沢口との事みたいに?」


 機先を制するように言った俺は、とても意地の悪い顔をしているはずだ。

 噴き出した怒りとか憤慨とか、やるせなさとか歯痒さが一気にごちゃ混ぜになった。

 怒鳴り声にならなかったのは幸いだった。


「……冗談じゃない」


 高梨先輩とは別に何でもないのに、沢口に言われて急に執着しているように見せかけたくなった。


「大きなお世話だよ。諦めるかどうかは俺の自由だ」

「でも」

「先輩は悪い人じゃないよ。変な噂を鵜呑みにしてよく知りもしない相手を貶して楽しい? 俺は不愉快だ」

「円田君…」

「今だから言うけど、俺は沢口のどんな噂も信じないようにしてた。裏切るわけないって思ってたから何も訊かなかった。でも本当はどっかで怖かったよ。ごめんな、俺は出来た人間じゃないし完全には沢口を信じ切れなかった。だからまあ、罰が当たって結局はこうなったけど」


 沢口が大きく両目を見開いてこっちを見ている。

 何をそんなに驚く事があるんだ?


「沢口?」

「ねえ、本当は、私の噂を気にしてたの?」

「ああ、すごくな」


 少しだけ、沢口が頬を赤くした。


「私……バカじゃんね……」

「は? いきなり何……」

「もっと図々しく掴んでれば良かった。離すんじゃなかった」


 その双眸に浮かんでいた涙に、俺は呆けたようになった。

 えっと何で泣いて……!?

 状況に気を取られてすぐには考え至らなかったが、今の言葉は俺の事だろう。


 じゃあ沢口はあの頃も俺をちゃんと……?


 その時不意にチャイムが鳴って、一瞬ドクリと高鳴った鼓動は音への驚きによるものかそれとも……。


「じ、授業行かないとな」

「……そうだね」


 滲んだ涙を手で拭う沢口はくるりと背を向け先に急ぎ足で去って行く。

 その背中に一歩足が動きかけたけれど、ぐっと力を入れて堪えた。


「何なんだよ、今更」


 今更……?

 ああ違う、今更だからなんだ。

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