ただのエゴです

 2019.08.5

 ジリジリとうるさい蝉の声が響き渡る中、8畳ほどの広さがある部室に一台しかない扇風機がせっせと生ぬるい風を送る。文化祭ライブまであと二ヶ月と書かれたホワイトボードを眺め、北斗はギターのチューニングを行いながら口を開いた。開いた口の中は砂漠地帯のように渇ききっていて、唇にはサイダーの甘ったるい味が残り、べたついていた。

「響、あのさ」

 ペロッと舌先で唇を舐めた後、北斗は猫のように丸まった響の背に向けて声を投げ掛けた。振り向く事はない。ただ「んー」と気だるそうな返事を零し、新曲の譜面を見ながらギターをいじっている響に北斗は「ずっと聞こうと思ってたんだけど」と前置きをした後、身を乗り出しながら質問を投げた。

「響って比与森のどこが好きなの?」

「ばっ、おま……っ!」

 野生動物にも勝る反射神経で北斗の口を塞ぎ、キョロキョロと辺りを見回した響は部室の入り口を確認し、ホッと息を吐いた。顔が真っ赤な理由は何も暑さだけではないだろう。

「こんの……バカ北斗! 本人に聞かれたらどうすんだよ!」

「痛って! いいじゃん、当分戻らないんだから」

 外と変わらない気温だからと、暑さに耐えかねた比与森・畑山の2人は揃って近くのコンビニまで全員分の飲み物やアイスを買いに行ってくれていた。さっき部室を出たばかりだから、しばらくは戻らないだろう。

 響に小突かれた頭を擦り、不満を訴えた北斗はどこが好きなのかとひたすら質問責めにした。最初はガン無視を続けていた響だったが、北斗があまりにしつこいため、結果折れる形で面倒臭そうに開口した。

「男友達みてぇに気軽に話せるところ。けど、喋り方の割にぬいぐるみと甘いものが好きとか、ちゃんと女っぽくて……」

 耐え切れず笑ってしまった北斗に響はくしゃっと顔に皺を寄せて、だから言いたくなかったのだと愚痴った。どうやら彼の機嫌を損ねてしまったようだ。北斗は慌てて両手を擦り合わせ、響に頭を下げた。

「笑ってごめん。馬鹿にした訳じゃなくて、嬉しかったんだ」

「嬉しかった? 何がだよ」

 響はゆっくりと目を開き、やがて首を横に倒した。

「俺、響も比与森も慶もバンド仲間として、友達として大好きだから」

「……よくもまぁ、恥ずかしげもなくそんな事言えるな」

 ぶっきらぼうに呟いてそっぽを向いた響に北斗の口角が吊り上がった。1年と半年以上の付き合いになれば、彼の発言や行動が照れ隠しである事も簡単に見破られるようになって来た。

 ぬるくなったサイダーを口に含む。シュワッと炭酸が広がり、爽やかな甘さと共に口内を刺激する。いつか自分にも響のように、恋という得体のしれない感情について理解出来る日が来るのだろうか。そんな事を考えながら3分の1程度残ったサイダーを一気に飲み干した。

「よーし、じゃあ約束! 響が比与森を泣かせるような事したら、俺と慶がボコボコにするから!」

「人聞き悪ぃな。泣かせねぇっての」

 本当かよと肘を突きながら笑い合い、話題が次第に他のものへと逸れ始めた時。外では思い出したように鳴り始めた蝉達の声が一つ、また一つと重なり、不協和音と化していた。



「銀塔先輩、どうしますかあれ」

 北斗達の居る場所から僅かに離れたポイントに散開していた【フウキイイン】のメンバー・鋼島からの質問に、銀塔は目を凝らす。突如現れた雷の異端者・響との戦闘を繰り広げている北斗に、ふわりは息を呑みながら不安げに眉を下げていた。

「社会勉強だろ」

「異端者との戦闘がですか?」

 そう言って首を捻った神風に銀塔は手に握った大鎌を回転させ、不敵な笑みを零した。

「自分の考えがどれだけ愚かか、思い知らせるにはいい機会じゃねぇか」



 視界を遮る鬱陶しい雨粒と雷光を諸共せず、北斗は響の間合いに入った。握っていた銃をパーカーのポケットに突っ込み、空いた右手で拳を作る。勢いよく響の左頬を殴り付けると、鈍い音と共に硬い感触が北斗の拳に残った。

「……何で避けなかった」

 赤く腫れた頬を擦りながら顔を顰める響にそう問い掛けると、彼はニィッと口角を吊り上げた後、ケタケタと不快な笑い声を上げた。

「だってよ、先に手ぇ出したら……正当防衛が適用しねぇじゃねぇか」

 響が北斗の右手に触れようとした瞬間、バチンと静電気が走った。少しぶつかっただけでも右手が取れるのではと錯覚する強大な痛み。

「痛って……!」

 咄嗟に右手を引っ込め、奥歯を噛み締める。左手で押さえながら恐る恐る右手を開いてみる。幸い外傷はない。だがまるで火傷のような痛みがジリジリと北斗の右手を刺激していた。痙攣を起こす右手を太腿に叩き付け、ただの武者震いだと言い聞かせながら悶絶し、叫び声を押し殺した。

「お前、やっぱり馬鹿だな」

 北斗が右手を抑え悶絶している間を狙い、響の足が北斗の腹部にめり込んだ瞬間、再び強い電流が走る感覚に襲われ、北斗が尻餅を付いた。響はそんな彼をニィッと口角を上げながら見下ろし、北斗の前髪をむんずと掴み取り、まるでぬいぐるみを叩き付けるように地へ押し付けた。

「北斗!」

 咄嗟に助けに入ろうとした湊斗・黒宮へ響が手の平を向けると、進路を塞ぐように雷がすぐ目の前に落ちた。ビリビリと足の裏が痺れるような感覚と眩い閃光に包まれ、身動きが取れない。体に叩きつける雨はまるで弾丸のようにその威力を増していた。

「邪魔すんじゃねぇよ愚図共」

 グッと下唇を噛み締め、その場に硬着した面々を見て、響は意地の悪い笑顔を浮かべ……北斗の頭を勢いよく踏み付けた。アスファルトに顎が当たり、血が滲む。鼻が曲がりそうな程の強い衝撃と響の足に押さえつけられているせいか、脳が金槌で殴られているような激痛を訴えた。頭に直接電気を流されているような、そんな痛みだ。

「約束、何だったっけ? 杏を泣かせたらお前と慶で俺をボコボコにする……だったか?」

 響は北斗の頭から足を離し、爪先で北斗の顎を持ち上げるように動かした。呼吸を整えながらも反抗的な目を向け続ける北斗に、響は目を細め、拳を勢いよくその顔面に振り下ろした。

「慶は居ねぇ! お前一人で……何の才能も、取り柄もない愚図なお前如きが、俺をどうやって止めるってんだよ!」

 北斗の元に向かおうとした湊斗の肩を掴み、一歩踏み出す背があった。

「杏の仇も討てないまま、這いつくばって地面とキスしてる方がお前にお似合いだ」

 一回、二回とゴミを蹴りつけるように転がされ、北斗の顔が歪んだ。

「杏の時は良かったなぁ。今日みたいな雨の日で、最初は抵抗してたあいつも次第に殴る蹴るを繰り返していれば大人しくなって……最終的には俺達の玩具だ」

「……ふざけんなよ、このクソ野郎!」

 怒りに拳を震わせ、響を殴りつけた人物を見るや否や北斗はハッと息を呑んだ。

「……誰だよお前」

「北斗の友達で、お前の敵だ」

 響を殴り付けた黒宮に、北斗は目をぱちくりと瞬かせた。響に睨みを利かせながら北斗を助け起こした黒宮に「ウッザ」と苛立った声が掛けられた。

「正義のヒーローごっこか? いつの時代の話してんだよ。今、令和だぜ? そんなもん流行んねぇっての」

「へぇ、そうか。なら言葉を返すが、今時お前みたいに性根の腐ったクズの方が流行らねぇぞ」

 響の首に大鎌の刃先が掛かった。先程まで繰り広げていた【有限戦争】で何度も切り付けられたものと同じだ。その時と違うのは、これが紛れもなく本物である事。

「銀塔……先輩」

「【フウキイイン】と行動するのを条件に上げちまったからな。……狂犬、それから【オチコボレ】も行けるか」

 響の周囲はすっかり【フウキイイン】・【オチコボレ】と防衛軍によって包囲されていた。

「逃げよう……なんて考えるんじゃねぇぞ。更に増援が来てる」

 銀塔の言う通り、防衛軍による増援がこちらに向かって来ていた。その中に見慣れた顔を発見し、北斗はあっと声を上げ。対する響は厄介な奴が増えたと言わんばかりに顔を歪めた、その瞬間だった。

 その人物が何の躊躇もなく向けた銃口から弾が放たれ、響の左腕を撃ち抜いた。次に右腕、腹、左足と的確に響を攻撃する彼の手には抱えきれない程の怒りと憎悪が渦巻いていた。

 生壁色の髪につり目がちな赤色の目。いつ見てもスッキリと整えられた髪には清潔感が滲み出ていて、一切の乱れもなく身に付けられた防衛軍の軍服はまるで彼のために作られたのではと錯覚する位に調和していた。

孝成たかなりさん……」

 比与森孝成。比与森の7歳離れた兄で現在は24歳。本当に比与森と血が繋がっているのかと疑ってしまう程、その性格は正反対だ。比与森が北斗寄りだとすれば、孝成は湊斗寄り。冷静沈着かつしっかり者な性格で、世話焼きな一面もある事から比与森とは馬が合わない事が大半で「昨日うちの兄貴がさ」と彼女から愚痴を聞かされる事も多かった。

「北斗くん、よく耐えてくれた。酷い怪我だ、一旦下がって」

「いえ、まだ戦えます。

 ……響を一発ぶん殴るって……約束したんです」

 北斗の返答に孝成は「そうか」と力強く頷き、軍帽を被り直した。その目は非難するように響を凝視している。

「雷聞き付けて襲来か、シスコン兄貴」

「好きでそうなった訳じゃない。お前がそうさせただけだ」

 きっかけとなった文化祭ライブ後の事。そしてあの日の暴力事件。身内ですら異性を恐れ、部屋を出ることはおろか普通の生活を送れるようになるまで半年も掛かった妹。その人生を滅茶苦茶にした張本人が目の前に居るとなれば、凶器を向けない理由はない。

 響は仇だ。比与森の肉体を傷付け、精神を壊した犯罪者だ。どれだけの罪状を彼に塗りたくり、罰で償わせたって過去は消えない。

 車と同じだ。強くアクセルを踏み込んで、ブレーキを掛けるタイミングが遅ければそれは周囲を傷つける暴走した鉄の塊に成り下がる。失ったものはどれだけ代償を重ねたって戻っては来ない。

 だからこそ、響の反応は北斗・孝成だけでなく周囲に苛立ちと不快感を募らせた。彼は反省の色も謝罪の言葉もなくヘラヘラと笑い、己の罪をなかった事にして清算させようとしている。あまりに自己中心的な考えだ。己の欲望が満たされればそれでいい。『一度人を殺してみたかった』『誰でも良かった』なんて動機をニュースキャスターに淡々と読み上げられる犯罪者並に滑稽だ。

「貞操奪ったくらいでグチグチうるせぇ奴等だな。経験が早かっただけの話だろ」

 何故自分の事をそこまで棚に上げられるのだろう。どうして自分をそこまで正当化出来るのか、北斗は不思議で仕方なかった。否、此処に彼の気持ちを理解出来る者は居なかっただろう。居たとしたらそいつも犯罪予備軍だ。

「響……!」

「来いよ雑魚共! 全員まとめて感電死させてやる」

 北斗が一歩を踏み出し、走り出す。【オチコボレ】・【フウキイイン】のメンバー達がそれに続き、孝成が銃弾を、銀塔が響の首に突き付けていた大鎌を動かそうとした時。近くの木からガサガサと音がして、何かが飛び出して来た。

 それが人だと分かった瞬間、全員が急ブレーキを掛けて一様に同じ素っ頓狂な顔をひけらかした。それは響も同じだったが、自分を庇うように震えた体で立つ少女を見つめた後、彼は血相を変えた。

「何してんだ馬鹿! お前は引っ込んでろ役立たず!」

「だ、駄目! だって、ひーちゃん酷い怪我だもの」

 ひーちゃん……響の事だろうか。面食らった周囲の事など歯牙にも掛けず、彼女は「その女々しい呼び方やめろ」「馴れ馴れしく触んな!」と必死に抵抗する響ににじり寄った。バランスを崩すように倒れた彼女の手が道連れにするように響の腕を掴んだ事で、尻餅をついた彼は訝しげな顔をしていた。

「いいから大人しくして。私には……これ位しか出来ないから」

 少女の手が響の腕にかざされた瞬間、その傷口が見る見る内に塞がり始めた。少女にまじまじと目を向ける。肩ほどで短く切り揃えられたチョコレート色の髪はふんわりとわたあめのように盛り上がっており、緑色の瞳はくりくりと小動物のように大きい。ワンピースから覗く肌には痛々しい暴行の痣が残っており、両足の裏は酷い火傷を負わされ、手首には赤くなった鎖の跡が見えた。彼女を見た瞬間、ハッと息を呑んだ湊斗の手から銃が滑り、水溜まりにボチャンと大きな音を立てて落下した。

「……香深かふか

 北斗そして香深と呼ばれた少女が湊斗の方を振り向くのは、ほぼ同時だった。不思議そうに首を捻る北斗とは対照的に、少女ははち切れんばかりに目を見開き狼狽した様子を見せた。

「み、なとくん」

「んだよ羽瑠はる。そこのダサ男くんと知り合いか?」

 中学の同級生だと香深は答えた。香深羽瑠。その名前を聞いて北斗はようやくあっと声を上げた。中学2年生の頃、2人はクラスメイトで同じ保健委員を担当していた。

「馬鹿北斗もダサ兄貴も、お前等のお仲間も全員まとめて壊してやるよ! 杏みてぇにな!」

 ぶわっと顔に熱が集まった。香深の能力によって塞がった体を見せびらかすように両腕を回した響へ、北斗は感情に任せて握り締めた拳を振りかぶった。



「有馬こるり、比与森杏奈の状態はどうだ」

 校舎1階渡り廊下前、比与森の介抱を行っていた有馬は近付いて来た理事長の足音に顔を上げた。すっかり落ち着いたのか、規則的な寝息を立てている比与森の両耳には北斗のイヤホンが嵌められていて、手には彼のスマートフォンが握られていた。

「理事長、杏奈をお願いできますか?」

「構わないが……何処へ行く気だ」

 比与森を理事長に預け立ち上がった有馬は「北斗先輩を止めに行きます」と答えた。灰島の眉間にくしゃっと皺が寄る。

「“助けに行く”ではなく、“止めに行く”……か。異端者擁護派だと疑われても弁明しきれない発言だな」

「そう思われても構いません。此処で止めなければまた……同じ事の繰り返しですから」

 そう言って理事長の制止を振り切るように走り出した有馬へ、灰島は目を瞬かせた。

「有馬こるり……お前は」

 言い掛けた言葉に蓋をするように灰島は口元を手で覆い、小さく息を吐いた。俯いた彼女がどんな顔をしているのか、それは誰にも分からなかった。



 玄関を飛び出し、目的地へ走り出した。そう遠くない目と鼻の先。変わらない雨粒が体に叩き付け、肌を濡らした。湿った前髪を邪魔だと掻き分け、防衛軍や【フウキイイン】の隙間を潜り抜けるように歩を進め、輪の中心が見えた瞬間有馬は声を張り上げた。

「先輩、駄目です! 銃を下ろしてください!」

 顔を何発も殴られたのか、痛々しい顔を歪めながら横たわる響の馬乗りになって銃を突きつける北斗の姿がそこにはあった。確実に仕留められる。それが分かっているからこそ、防衛軍や【フウキイイン】・【オチコボレ】のメンバーも手を出さなかった。

 ……有馬が来るまでは。

「慶さんとの約束、忘れたんですか!? 託されたでしょう、最期に!」

 北斗の手が震えた。狙いが定まらない手を何度も膝に叩き付けて、北斗は悔しげに「クソ……クソッ!」と叫んだ。


『北斗、響を……異端者を憎むな。あいつらと共存出来る道を作って欲しい。お前にしか……頼めないんだ』


 異端者と防衛軍、間違っているのはどちらか。その問題に白黒つけられないままくすぶっていた自分に畑山は正解をくれた。彼の考え方が正しいと思ったからこそ、あの時彼の仇となる異端者も撃てなかった。意見の食い違いから兄と喧嘩にまで至った。

 あの時も今もそうだ。約束が北斗を縛る。憎くて、殺してやりたくて仕方がないのに畑山との約束が北斗を縛る。

 例え法で罰されないとしても、北斗を人殺しにさせる手段を潰す。それが苦しくて仕方がない。

 すっかり戦意を消失させた北斗を押し退けるように飛び起きた響の目は、彼ではなく有馬に向いた。彼女の空色の瞳と金糸雀色の髪を見てすぐ、響の足が有馬に近付いた。

「やっと見つけたぜ。うちの底なし野郎が探してんの、お前か」

 底なし野郎。誰を指しているのか、その意味もよく分からないが響の性格を考えるに貶しているのは間違いないだろう。確実なのは異端者側の誰かが有馬を狙っている事。どうして、何故かという考えがぐるぐると回る前に痛む体を押さえながら、北斗が響を止めようと走り出した瞬間。

 響の魔の手がもう数センチで有馬に届く、というところでけたたましい着信音が鳴り響いた。聞き覚えのあるそのメロディーは響のスマートフォンのものだ。爆音で鳴り響くそれに渋面を浮かべ、周囲に威嚇をするように電流を発する手の平を見せ付けながら、響は耳元にスマートフォンを押し当てた。

「何の用。……お前、俺達の管轄じゃねぇだろ」

 電話口から途切れ途切れに相手の声が聞こえて来ていた。どうやら女性のようだ。異端者研究員なのだろうか、響を煽るようなやけに高いテンションで指示を出している。

「ハッ、あんだけの仕事抱えてちゃ、底なし野郎でもお眠の時間か。

 ……分かった、戻るよ。羽瑠を助けるって任務は完了した」

 響の言う底なし野郎とはどうやらかなり多忙な人のようだ。電話口の相手はまだ何かをベラベラと話していたが、響は一方的に電話を切ってしまった。

「んじゃ、クズ共。俺等帰るわ」

 まるで友達と別れるようなノリでそう告げ、香深をひょいっと軽々しく抱えた響に孝成を始めとした防衛軍の構成員が放った銃弾が迫ったが、それはあるものに弾かれた。

「無駄だって。こいつが来た以上、お前等には手も足も出ねぇの」

 レインボーブリッジ襲撃の際と同じように、大量の白い鴉が上空から降り注ぎ、彼等の姿を隠し攻撃を防ぐ壁となってバサバサと羽音を立てた。一瞬湊斗と目が合ってすぐ、気まずそうに目を逸らしてしまった香深を最後に異端者達の姿はすっかり消えて見えなくなってしまった。

「良かった……」

 有馬がホッと息を吐いたのも束の間。苛立ったように歩み寄って来た人物の手がむんずと有馬の髪を掴み上げた。

「おい1年。……どういうつもりだ」

 吐き出そうとした異論も、まるで虫けらを見るような目で見下す銀塔を前にすれば怖気づいて引っ込んだ。2メートルという長身も相まってか、その迫力は相当だ。

「あの時撃たせてさえいれば、異端者を1人……いや、2人まとめて排除出来た。

 ……黒瀧弟を止めたのは何故だ」

 銀塔の言う通り、響をあの場で撃ち殺していれば、非戦闘能力かつ足が不自由の状態だった香深も殺傷出来ただろう。排除という言葉が気に食わなかったのか、有馬はムッと口を尖らせながら「お言葉ですが」と反論した。

「私は北斗先輩のやり方に賛同しています。異端者を差別するのではなく、共存する手段を探す。……慶さんとの約束を」

「約束なんざ下らねぇ!」

 銀塔の張り上げた声に、有馬は肩を飛び上がらせた。彼の怒号と呼ぶに相応しいその声量に周囲は静まり返った。

「結果それに縛られて、仇討てねぇで余計にくすぶってんのは誰だよ! とっくにもう限界来てんだよ、そのやり方はお前には合わねぇ。大人しく現実見ろ。テメェも黒瀧弟も、【オチコボレ】全員!」

 有馬の背後で項垂れたまま、ピクリとも動かない北斗を見遣り叱責した銀塔に有馬が奥歯を噛み締めていると、彼の手を制するように真横から手が伸びた。比与森の兄で防衛軍構成員の孝成だ。

「相手は女だ。俺の妹の友人でもある。

 ……気持ちは痛い程分かるが、その位にしてもらえると助かる」

 ゆっくりと手を下ろし、お手本のように綺麗なお辞儀をした銀塔は失礼しましたと一言謝罪を述べた後、【フウキイイン】のメンバーを連れ、学園へと歩き出してしまった。掴まれた髪を整える有馬を大丈夫かと案じた後、孝成は彼女が頷いたのを見るとホッとしたように肩の荷を下ろしていた。

「気に病む事はない。あいつに死ではなく、生きて罰を受けさせたいと思ってくれたんだろう? その選択は正しい」

 そう言い残し、防衛軍の構成員達へ「撤収だ」と指示を出した孝成の背を見つめた後、有馬はやんわりと首を振った。

「私のはそんな立派な理由じゃなくて……ただのエゴです」

 北斗に向き合い、有馬は俯いたままの彼の顔を持ち上げた。顔は土気色、目はくすんだガラス玉のようで、心がすっかり疲弊しているのは目に見えて分かった。北斗先輩、北斗先輩と数回に分けて名前を呼びながら体を揺する。その間に【オチコボレ】のメンバーも周囲に集まって来ていた。

「先輩、大丈夫ですか。歩けますか?」

 弱々しくその首が縦に振られたかと思いきや、それはぐらりと前に倒れた。

「……大丈夫じゃない」

 有馬の肩にこつんと額を当てたまま、北斗の手が縋り付くように有馬の腕を掴んだ。ガタガタと未だに震えるその手を見て、有馬の腕が北斗の背中に伸びた。

「……頭ん中ぐるぐるで。……もう、疲れた」

 北斗、大丈夫かと周囲から声が聞こえた。取り敢えず学園に戻って、俺背負いますよと段々声が聞こえなくなって。

「大丈夫です。……これで今度こそ、上手く行く筈だから。

 絶対に、貴方を死なせたりしない」

 それでも有馬の声だけは最後にハッキリと聞こえていた。

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