episode 第二回【有限戦争】

いつもみたいに呼んでよ

 2020.06.22

「赤星と何かあったのか」

 翌朝、注文したフレンチトーストを前に「いただきます」と手を合わせ、大口を開けて頬張った北斗に湊斗は神妙な面持ちで問い掛けながら、みそ汁の椀を手に取った。日によって具が違うようで、その日は定番の豆腐とネギが入っている。

 ほとんどの生徒が寮の1階に門を構える食堂で朝食・夕食を取る事が定番となっている。外出も自由のため、中にはコンビニやファーストフードといったもので済ませる者も多いが、食堂だと無料な上にメニューも豊富、何といっても美味しい事からそのお手軽さに双子はほぼ三食をそこで取っていた。

「いや、別に何も……」

「俺の目は誤魔化されないぞ、北斗。部屋に戻って来た時から様子が違った」

 やはり物心ついた時からずっと一緒に居た片割れに些細な嘘は通用しないかと考え、北斗は首筋に手を当てた。じんわりと温かい温度が手の平に伝わる。


『人を殺す時は脳天撃ち抜くのが一番手っ取り早い。力のない子供でも標準さえ合わせれば、一発でクリア出来る』

『対象が死んですぐ、一番に切り落とすのは首。

 切断した後は身元がバレないよう、顔を重い石で潰す。

 何回も何回も、許しが出るまで』

『それから、体をかっ捌いて……内臓を……』


 少しでも力を込めれば皮膚に刃がめり込む近距離に殺意を向けられた。

 赤星が人殺し、その言葉に確証はない。だが、あの時の彼はまるでそれを肯定するような発言をした。

「北斗?」

「うーん……相談したいのはやまやまだけど、俺自身よく分かってないんだ。確証のない事ベラベラ喋って混乱させるのも悪いし……」

 項垂れながら答えた北斗に湊斗はクスリと笑った。

「そうか。ならこれ以上は深く聞いたりしない。……だが、1人じゃ抱えきれないと思ったらすぐに相談しろ」

「それは勿論! 兄貴が居れば百人力だし」

 それは言い過ぎだと謙遜した湊斗に、北斗が「兄貴はもっと自分に自信持った方がいいって」とフォークに突き刺さったままのフレンチトーストを口に押し込めば、背後から「北斗、いいもん食ってるじゃん」と声が掛かった。

「あっ、比与森。有馬さんと飛影さんもおはよう」

 朝の挨拶を返した後、比与森はお盆を手にしたまま「隣座っていいか」と問い掛けた。断る理由もないため頷けば、【オチコボレ】女子三人組は北斗達の居るテーブル席に座った。

「比与森……お前それ全部食べるのか?」

「えっ、これくらい普通だろ? むしろ少ないくらいだし」

 湊斗は驚きのあまり言葉を失っていた。比与森のお盆には、きつねうどんの大盛りとおにぎりが6個並べられている。北斗にとっては見慣れた光景だ。部活の練習帰りに小腹が空いたからとハンバーガー屋に入った時、4個ものビッグバーガーとポテトLサイズがお盆の上にひしめき合う姿は定番と言ってもいい。その細身な体に食べた分の栄養がどう流れて行っているのか、永遠の謎だ。

「杏奈は朝から食べ過ぎ」

「俺的に有馬さんはもっと食べた方がいいと思うけど……」

 比与森のお盆の上を怪訝けげんそうな顔で見つめる有馬の手元には、小さめのサラダとサンドウィッチ、コーンポタージュがちょこんと置かれているだけ。北斗の発言に有馬は「先輩、セクハラです」とくしゃっと顔をしかめた。機嫌の悪い猫のような顔をしている。「何で!?」と北斗が慌てて訴えれば、有馬はコーンスープを底からかき混ぜながら開口した。

「パ……お父さんと同じような事言わないで下さい。大体、先輩だってフレンチトーストだけじゃないですか」

「有馬さん、お父さんの事パパって呼んでるんだ……」

 驚きのあまり思わず口に出してしまった北斗に、有馬はムッと顔を歪め、ふいっとそっぽを向いてしまった。機嫌を損ねてしまったのだろうかと危惧した北斗に、比与森は「拗ねてるだけだから心配すんな」とフォローしてくれた。

「まぁ、俺も朝からガッツリ食う派ではないけど……飛影さんくらいがちょうどいいんじゃない?」

 北斗の言葉に全員の視線が飛影に集中する。飛影のお盆には普通サイズのかけうどんに鮭おにぎりが1個、麦茶が注がれたグラスが置かれていた。比与森を見ていたら同じくうどんとおにぎりが食べたくなったらしく、彼女は「真似しちゃいました」と笑っていた。比与森は「絶対すぐ腹減る」有馬は「食べきれない」とそれぞれコメントしていた。

「おはようございます、何の話してるんですか?」

 そう言いながらお盆を片手に湊斗の隣に座った貞原へ、一同の顔が歪んだ。比与森と見比べた後に湊斗は「貞原の方が酷いな」と顔を顰めている。

「うっそ、朝からラーメン!?」

「北斗先輩、朝ラーって言葉知らないんですか? 俺の中じゃ常識ですよ」

 貞原の幼馴染の飛影は「こいつ、朝から牛丼食べますからね」と嫌そうな顔で大盛りのとんこつラーメンをすする彼を見つめていた。あり得ないと首を振った北斗の隣で比与森だけが「あたしもラーメンと悩んだんだよなぁ」と言いながらおにぎりを咀嚼そしゃくしていた。お前もか、と北斗・湊斗の口から示し合わせたようなツッコミが飛び出た。

「……朝からうっせぇ、お前等」

「あっ、黒宮おはよう! どうだった? よく眠れた?」

 北斗の問い掛けに黒宮は「お陰様で」と言いながら彼の左隣に座った。その顔はかなり血色がいい上、彼の目の下に色濃く刻まれた隈はかなり薄くなっている。不眠症の黒宮のためにと、北斗は色んな曲を弾き語りしたメドレーを録音した音源データを黒宮に送った。それを就寝前に必ず聞くようにしているようで、黒宮曰く目が覚めたら毎回朝になっているようだ。

 いい兆候だなと考えながら、眠そうな顔でお茶漬けを口にする黒宮を見る。お茶漬けと小さめのおにぎりが1個、かなり少なめに見えるが、向かいに座る貞原の量を見ればそれが基準値に見えてしまうのだから不思議だ。

「KING、いつの間に黒宮先輩と仲良くなったんですか?」

「いやぁ、俺達小さな命を助けた仲だからさ」

 調子乗るなとすかさず野次を飛ばした黒宮に、北斗は「間違った事言ってないじゃん」と異を唱えた。

「あのワンちゃんと猫ちゃんからすれば、俺達はヒーローそのものじゃん?」

「へー……。得意げに言ってるところ悪ぃけど、口にめっちゃクリームついてんぞ」

 嘘、マジでと慌てて口を拭い始めた北斗に、湊斗達がクスクスと笑い出した。そんなに沢山ついていたのだろうかと北斗が口の端を幾度となく指で拭ってみるも、何もついてない。朝食を食べ進めていた比与森達が必死に笑いを堪えている様子に、北斗は黒宮にキッと目を吊り上げながら不満をぶつけた。

「黒宮! 嘘言ったろ!」

「いや……まさかそんな簡単に騙されるとは……」

 肩を揺らし、やがてツボに入ったのか腹を抱えて笑う黒宮に北斗は「わーらーうーな!」と言いながらその両頬を引っ張った。「北斗、早く食べないと時間なくなるぞ」と湊斗に忠告され、渋々手を離しすっかりへそを曲げながらフレンチトーストを食べ進めた北斗は、全員の顔触れを見て首をひねった。

「そういや戸塚くんと芥答院くんは?」

「嗚呼、戸塚は朝食べない派だから……」

 そう言い掛けた湊斗は、自分達の座るテーブル席に歩み寄って来た戸塚に目を瞬かせた。おはようと眠たげに欠伸をし、飛影の向かいに座った戸塚の手には紙パックの牛乳が握られている。

「戸塚くん、朝ご飯は?」

「んー……朝はギリギリまで寝てたいから、これだけでいいかなって」

 ストローを突き刺し、牛乳をたった数秒で飲み干した後、空の容器を投げ捨てた戸塚はすぐさま机に突っ伏し、すやすやと眠り始めてしまった。相変わらずマイペースだなと考えていれば、北斗の視界に空になった器を下げに行く芥答院の姿が映った。

「芥答院くん」

 おはようと言う時間も残さず、芥答院は厨房に「ごちそうさまでした」と器を返した後、見向きもせずに食堂を出て行ってしまった。相変わらず素っ気ない。つい最近黒宮と打ち解けたからこそ、一切変わらない芥答院の塩対応が胸に刺さる。それとすれ違いで食堂に姿を現した人物に、北斗は「あっ」と声を漏らした。

「いらねぇって言ってんだろ。お節介も大概にしろ、筋肉ゴリラ」

「はいはい、いいからいいから。朝ごはん食わねぇと力出ないぞ、赤星」

 花条にガッチリと腕を掴まれ、強制的に食堂を訪れた赤星は面倒臭そうにメニュー表を眺めていた。「おばちゃん、注文いい?」と花条が声を掛ければ、すぐ近くに立っていた女性が「あいよ、何にするんだい」とメモを片手に問い掛けた。

 ウェーブがかったピンク色の髪を高い位置で結いまとめ、三角巾を頭に巻いた女性のエプロンには猫の刺繍が入っている。その目鼻立ちを眺めながら、北斗はやっぱり似てるなぁと考えた。女性のエプロンには“早乙女雪枝”と名札が付けられている。早乙女凛花、そして改革前に北斗の担任を務めていた五十嵐の母親にあたる女性だ。面倒見のいい姉御肌な性格から、生徒達にとっては第二の母のような存在になりつつある。

「俺、和食セットで。赤星は……」

「……炒飯とコンソメスープ」

 朝から炒飯と驚きを隠せずにいる花条を他所に、雪枝は「座って待ってな」と告げた後、食堂の他の従業員達に注文の内容を伝達していた。

「あー、もしかして家でしょっちゅう出てたのか? 中華料理屋だもんな」

「……お前に話した覚えねぇんだけど」

 青沼から聞きましたーと笑う花条に赤星は「あいつ」と険しい顔をして、空席を探しているのかキョロキョロと辺りを見回した。その瞬間、北斗と目が合ってすぐ石化したように固まってしまった赤星を他所に、花条は「ほっちゃんじゃん」と手を上げながら歩み寄って来た。

「おはよっす。【オチコボレ】は仲いいなぁ、全員で飯食ってんの?」

「まぁ、ほぼ全員かな」

 花条の後に続いて赤星も北斗の元に歩み寄って来た。ふと昨日の事を思い出し、背筋がピンと伸びる。

「あ、赤星くん。お……はよ」

 北斗の緊張が伝わったのか、少し余所余所しい挨拶になってしまった。上手く笑う事が出来ない。不格好な北斗の表情に赤星はゆっくりと目を細めた後、挨拶を返す事なく「ねみぃから座ってる」と花条に告げ、少し離れたテーブル席に向かってしまった。

「うーん……やっぱ駄目か」

「たっく、赤星は……。ほっちゃん、そんじゃな」

 赤星の元へ向かって行く花条を見送り、北斗は残り一口分にまで減ったフレンチトーストを口内に押し込み、小さく息を吐いた。その頃にはほぼ全員が朝食を平らげてしまったようで、そろそろ片付けるかと一斉に立ち上がっていた。

「北斗、どうしたんだ?」

 湊斗の問い掛けに北斗は「あ、いや」と何でもないというように胸の前で両手を振ったが、やがて赤星・花条の方を一瞥した後、ポツリと呟いた。

「……家が中華料理屋な事すら知らなかったなぁって」

 黒宮の身の上話を聞いた時と同じ感覚だ。自分は相手の事を何も知らない。何も知らないのに、分かったような気になっていた自分は酷く滑稽だ。

「……青沼くんなら、全部知ってるのかな」

 赤星が唯一友達だと公言している【ウキコボレ】KING・青沼龍悟。彼ならば昨日の赤星の行動について分かるのではと微かな希望を抱き、北斗はおぼんを手に椅子から立ち上がった。



「それで、赤星の事で相談って何だ?」

 訓練の休憩時間中、体育館の中庭に青沼を呼び出した北斗はわざわざごめんと頭を下げた。罰則を受けている身である以上、訓練が行われている体育館に堂々と足を踏み入れ、青沼と雑談を交わすなんて大胆な行動は出来ない。

 今日は【ユウトウセイ】・【ウキコボレ】・【セイトカイ】が体育館、残る三色は校庭で訓練を受けているようだ。赤星が居ないなら好都合だと、北斗は「本人には絶対言わないで欲しいんだけど」と前置きをした後、昨日あった出来事について詳細に説明した。北斗からの話を聞いた後、青沼は「知ってはいるけど……」と言いにくそうに苦笑を浮かべた。

「多分、赤星はこんな形で知って欲しくないと思うんだ。北斗には尚更」

「何で?」

「友達になりたいって思ってるから」

 青沼はキッパリと断言した。甘ったれの弟だの、黒瀧弟だの、しまいにはポチだのと一向に名前で呼んでもらえない現状を思い出し、北斗は難色を示した。

 本当にそうだったのなら嬉しいが、にわかには信じがたい。そんな北斗の顔を見て、青沼は「赤星は変なところで分かりにくいんだ」と笑った。

「きっと時期が来たら、赤星の方から話してくれるって」

「そうかなぁ。……ちなみに赤星の心理予報士さん、その時期っていつ頃?」

 分かりませんと白旗を上げるように青沼はおどけて笑った。笑うとくしゃっとなる顔はどこか幼く、子供のようだった。「青沼」と名前を呼ぶ青龍寺の声に彼は「ごめん、そろそろ行かないと」と申し訳なさそうに立ち上がった。

「貴重な休憩時間貰っちゃってごめんね。ありがとう、青沼くん」

「いや、全然。北斗と話すの好きだから、いい気晴らしになった。それじゃ!」

 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとキッパリ断言出来る青沼の竹を割ったような性格は美点そのものだ。

 時期が来たら自分から話してくれる・その言葉に軽くなった心を抱えながら、北斗は寮に戻るため歩き出した。



「あっ、落ちこぼれのわんちゃんだ」

 校門を出て、そのまま寮に戻ろうとしたところで会った人物に北斗の顔が歪んだ。しかめっ面を浮かべる北斗に、赦鶯シャオウは酷いなぁと胡散臭い笑みを零した。相変わらず何を考えているか分からない彼の言葉に耳を貸さないよう、無視を決め込んで歩き出した北斗を彼の何気ない一言が引き止めた。

「虞淵の事、嗅ぎ回ってるの?」

「……藺くんには関係ないよ」

 冷たいねと赦鶯はヘラヘラ笑った。決して本心を探らせない立ち振る舞いは京羽によく似ていたが、彼の言葉にはいつもひねくれた悪意のようなものが漂っていた。

「虞淵と俺は元々同じ所に居た。

 光の差さない地下奥深く、ぎゅうぎゅう詰めに檻の中に押し込められて、奴隷のような扱いを受けた。排水口みたいな場所だったよ」

 耳を貸してはいけない、知ってはいけない。分かっているのに足が動き出そうとしなかった。

「俺達を“買った“のは酷い大人達だった。借金をチャラにする代わりに売られたり、誘拐して来た子供を使って奴等は金儲けを企んだ。

 女は娼婦、男はスリや窃盗・麻薬の運び屋と犯罪紛いの事ばかりをさせられた。実力があると判断されれば、殺人の幇助ほうじょまでやらされる。使えないと判断されれば、殺されて臓器売買に使われて終わりだ。

 脳天を撃ち抜いて、首を切り落とし、原型がなくなる程に顔を潰す。その後は体を掻っ捌く」

 ……どこかで聞いたフレーズだった。

「内臓をズルズル引きずり出して、それぞれ指示された袋に切り分けて入れる。

 その後は大人が遺体の手足を切断してバラバラにした後、ドラム缶に投げ捨て火葬する。

 ……後は顔を潰した首だけを現場に置く、それが奴等のやり口だった。

 見せしめになるだろ? 次はお前の番だぞって」

 込み上げて来たものを押さえるだけで精一杯だった。頭の中でその様子を想像してしまい、たちまち気分が悪くなった。口を覆い、その場にうずくまってしまった北斗に赦鶯はケタケタと笑いながら歩み寄った。

「虞淵は11年前、あの場所から逃げ出そうとした。

 ……でも無理だった。まだ3歳の弟を連れていたし、彼は二発も銃で撃たれていた。耳の聞こえない女二人を逃がす事には成功したけど、結果捕まっちゃってね。でもその腕を気に入られて、人殺しの仕事を与えられたんだ。でも赤星はどんなにボコられても、絶対にそれをやろうとしなかった。

 だから汚い大人達は条件を出したんだ。大人全員を殺す事が出来れば弟もろとも解放する。出来なければ弟を自分の手で殺し、大人しく命令に従えって」

 真っ青な北斗の顔に赦鶯は意地悪く笑った。

 ……どうして笑えるのだろう。彼はまるで周りの不幸が嬉しくて仕方ないと言いたげな顔をしていた。

「虞淵は当然、男達に挑んだけど……6歳の子供があれだけの数に勝てる訳なかった。

 選択肢なんてなかったよ」

「待って……おかしいよ。それじゃあ、俺の聞いた話と矛盾する。

 ……赤星くん、弟は別の家に引き取られたって……」

 北斗の言葉に赦鶯は目を丸くした後「そんな訳ないだろ」と腹を抱えて笑った。

「虞淵が泣いてる顔、俺はあの時初めて見た! 

 自分で銃弾が撃てなくて、自分じゃ弟の体を捌けなくて、全部大人に強制的にやらされてたけど間違いなくあいつは弟を自分の手で殺した。暘谷ヨウコクは満足に食事も与えられなかったせいで体はガリガリで、物心も付いちゃいなかった。弟の体が燃えて灰になってもずっと虞淵は泣いてた。

 それを見てたら可笑しくって」

 思わず手が伸びた。立ち上がって赦鶯の胸倉を掴み取れば、彼は「まだ話の途中なんだけど」と不機嫌そうに呟いた。

「これ以上聞く必要ない。リンくんの言ってる事は全部、でたらめだ!」

「……とか言って信じてくれないんだけど。

 虞淵、何か間違ってるところあった?」

 パッと背後を振り返ってすぐ、肝が冷えた。そこにはジャージのポケットに両手を突っ込み、眉間に皺を寄せる赤星の姿があった。

「……お前、最低だな」

 誰に対してそれを言ったのか分からなかった。赦鶯か、北斗か。もしくは二人に対して言ったのかもしれない。

「赤星くん……違うよね、今の話」

 赤星がギリッと下唇を噛み締めた。北斗の手を乱雑に振り解き、赦鶯は「世間知らずの馬鹿に現実叩き付けてやりなよ」と囁きながら、その場から立ち去ってしまった。

「赤星く……」

「嘘吐いて悪かった」

 北斗に背を向け、素っ気なく紡がれた言葉。それが更なる絶望に北斗を突き落とした。

 それは肯定したも同然だった。赦鶯が言った事全てを。

「……俺は弟を殺した。それ以降、何人も殺した。今の親父に助けられるまでずっと。

 ……昨日みてぇな目に遭いたくなかったら、金輪際俺に関わんなよ」

 赤星は息を吸った。別れを切り出すように、そして北斗を突き放すように。

「じゃあな、甘ったれの弟くん」

 初めて彼から声を掛けた時、呼んだ名前だった。黒瀧弟とかポチだなんて呼ばなかった。いつもは呼ばれる度に「犬じゃない」だの「北斗だから」と否定し続けていたが、今なら思う。ポチと呼ばれる方がマシだった。

「赤星くん! 俺は……」

 言いたい事は沢山あったのに、言葉が喉でつっかえて上手く吐き出せない。

 歩き去っていく背中を見送る事しか出来ず、北斗はその場に蹲った。

 あの日路地裏で見つけた子犬の事を思い出す。ずぶ濡れになったポメラニアン。それはまさしく今の北斗にぴったりだった。

「いつもみたいに、呼んでよ」

 捨てられた子犬のように、もう二度とその場から動き出せない。



「それで? 何があったんですか?」

 生徒玄関で盛大に泣きじゃくる北斗と鉢合わせた有馬は、彼の隣に座りながらまるでカウンセラーのように落ち着いた声色で質問を投げ掛けた。

「……言えない」

「言えない、じゃない。言わなきゃ怒りますよ」

 有馬の圧に押し負け、北斗は「分かった分かった、言うから」と言いながら涙を拭い、スンと鼻を啜りながら開口した。昨日の事、そして先程赦鶯から聞いた事。それらの経緯を嗚咽混じりに答えた北斗に、有馬は「先輩馬鹿ですか」と溜め息まじりに呟いた。

「えっ、やっぱ俺が間違ってる?」

「そうですね。湊斗先輩と喧嘩した時の逆です。あの時は押すべきではなく、引くべきだった。

 そして今回は、引くべきではなく押すべきだった」

「押すべき……食らい付けば良かったって事?」

 その通りだと有馬は頷いた。イマイチ加減が分からないと項垂れる北斗に「先輩は見る限り器用なタイプではありませんもんね」と頷いた後、頭を抱える北斗に大丈夫ですかと問い掛けた。その質問の意図が分からず、北斗は首を傾げる。

「慶さんが亡くなった事。その直後の湊斗先輩との喧嘩。それから、今回の赤星先輩の件です。

 ……私は先輩の精神面を心配してます」

 有馬の目を見る。いつも凛とした顔の彼女が眉を八の字型に下げ、心配そうに北斗を見上げている。こちらの様子を窺う猫のようだ。

 呆気に取られた後、北斗の手が有馬の頭に伸びた。

「ちょっ……いきなりなんですか」

 やっぱり赤星のように上手くはいかないなぁと肩を落とし、北斗は不慣れながらもぐしゃぐしゃと頭を掻き乱した。ボサボサになった有馬の頭をケタケタと笑いながら、北斗はその場に立ち上がり、うーんと大きく伸びをした。

「もう大丈夫! 有馬さんのお陰で元気出て来た!」

「それなら、いいですけど……」

 すかさずポケットから櫛を取り出し、乱れた髪を整え出した有馬に北斗は「寮まで競争」と走り出した。「先輩に勝てる訳ないじゃないですか」と言いながら遅れて駆け出した有馬を一瞥した後、北斗はゆっくりとスピードを上げた。

 心に付いた小さな亀裂に気が付かれないよう、北斗の足は一着で寮にゴールするまで決して止まる事はなかった。

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