あいつらと共存出来る道を作って欲しい
「先輩、橋を降りた先に軍医が居ます。そこまで何とか……」
「うん。有馬さん、慶を背負って行くから手貸してくれる?」
勿論ですと頷き、有馬は慣れた手つきで彼を北斗の背におぶさるよう、介助をしてくれた。
畑山を背負い、警官と防衛軍達の隙を抜けるように駆け出した北斗の後ろを有馬が小走りで追い掛けて来た。
グラグラと揺られてる間、畑山は激しく咳き込んだ後「北斗、下ろしてくれ」と訴えた。
「慶、大丈夫。俺が軍医のところまで連れて行くから」
「そうじゃ、なくて」
畑山の息は絶え絶えだった。もうすぐそこまで軍医が近付いているというのに、もう一度「頼むから、下ろしてくれ」と呟いた畑山に、北斗は大人しくその言葉に従った。ゆっくりとアスファルトの上に下ろすと、畑山はゼェゼェと息を切らしながら必死に言葉を絞り出した。
「悪い、な。……あいつにやられた時に、肋骨が……折れて。……上手く言葉に出来ないんだけど、こう……本来ぶつからないとこに、骨が抉り込んでさ……動いたり、呼吸する度にあちこちが、痛くって……」
喋る度に畑山の体からは血が溢れ出ていた。このままでは死んでしまう。それを即座に判断し、すぐに「俺、走って軍医呼んで来るよ」と北斗が告げるも、畑山は弱弱しい力で彼の袖口を掴み、それを拒んだ。
「自分の事は、自分が一番よく分かってる。……もう、助からない」
「……簡単に助からないとか言うな!」
私呼んで来ますと走り去って行った有馬を見送ってすぐ、北斗は自らの制服のジャケットを脱ぎ捨て、それを畑山の傷口にあてがった。
きっと大丈夫、助かると唱え続ける北斗に、畑山は呼吸を繰り返しながらやっとの思いで言葉を吐いた。
「北斗、いつもの曲……歌ってくれよ」
いつもの曲。それは昨日、畑山と公園で会った時に演奏した北斗お気に入りのバンド・空中ピアノが歌う『夕日が沈む頃』だ。
軽音部に所属していた頃から頻繁にその曲を聞いては、畑山といつか一緒にバンドデビューをしようと誓った。
「俺、お前のギターもそうだけどさ。お前の歌も、好きなんだ」
謳ってくれるかともうほとんど聞き取れなくなってしまった小さな声で問い掛けられ、北斗は震える唇を無理矢理にでもこじ開け歌詞を紡いだ。
「真っ白なキャンバスに、オレンジの絵の具を零したような……綺麗な夕日の下。隣歩く君と語った……叶わない、夢物語を」
きっと畑山の前で披露して来た曲の中で一番不格好な出来だっただろう。それでも彼は静かに耳を傾けていてくれた。
「大人になんて、なりたくねぇなって言った日。それならいっそ、子供のままで居ようと……君は僕の手を取った」
言わなければいけない。
この曲は、時間の経過と環境の変化、友人との別れを表した曲なのだから。
辛くても、歌わなければいけない。
「あの日僕等はまだ子供で、どうなるかなんて分からないままで。……下らない日常を浪費する人生をずっと、送っていた。
……さよならなんて、言いたくなくて。違う道進む君を引き止めたくて。繋ぎ止められない僕は今日も、あの帰り道で立ち止まったままで」
畑山の手がピクピクと動いていた。一見何をしているか分からなかったが、じっくりと見てみればそれはベースのコードを弾いているような動きをしていた。
必死に堪え続けていた涙がボロッと目から零れ落ち、視界が歪んだ。
「……自分の弱さ受け入れずに、がむしゃらになって走り回って。逃げ続けたまま、歩き出せないままで。
何者にもなれないまま、くすぶったままの僕じゃ嫌だから。今度こそ言うよ、僕は……」
最後の歌詞で詰まってしまった北斗に、畑山は力なく笑いながら「まだ残ってるぞ」と呟いた。
歌えないと言う代わりに首を振った北斗へ、畑山は最後の力を振り絞るように起き上がり、彼の両頬をギュッと掴み取った。そのまま弱々しい力で真横に引っ張り、ボロボロと泣きじゃくる北斗を彼は笑った。
「北斗の笑う顔が一番好きだ」
最後の歌詞の“君”の部分を北斗に置き換え、畑山はゆっくりと両手を離した。
「本当、東京サバイバーみたいだよな。ゾンビも好きでああなった訳じゃねぇのに、人と殺し合わなきゃいけない。……元は同じ人間なのに、何で共存出来ねぇんだろうなって……見る度思ってて」
こちらに駆け寄って来る音が聞こえた。有馬と軍医だ。「慶、助かるよ絶対」と手を握れば、彼は弱々しく笑った。
「北斗、響を……異端者を憎むな。あいつらと共存出来る道を作って欲しい。お前にしか……頼めないんだ」
分かった。ちゃんと返事が出来たかどうか怪しいところだったが、畑山は微かに頷いた。
「先輩!」
駆け寄って来た有馬の声に反応する事なく、北斗は手中で力なく垂れ下がった畑山の手を握った。
手にはまだぬくもりがあった。大丈夫、まだ生きていると脈を確認して心臓に手を当てて。北斗の口から「う……ぁ」と小さな呻き声が漏れた。
「何でだよ、慶。……一緒にバンドデビューしようなって、言ったじゃんか。
……響が居なくなって、比与森もやれなくなって。それでお前まで居なくなったらさぁ……俺。
俺……1人じゃん。1人で、どうやって夢叶えたらいいんだよ」
将来、音楽の道に進みたい。反対されるのが目に見えていたため、その夢は両親や兄達にさえ話した事はなかった。
打ち明けたのはたった4人。
1人は従兄弟の京羽。連絡が途絶える前、進路について相談の手紙を送った際「やらなくて後悔するよりなら、やって後悔した方がいい」と電話で元気付けてくれた。北斗がこんな曲を演奏したい、こんなバンドを作りたいと夢を語っても笑わず真剣に聞いてくれた。
そして残りの3人が比与森と畑山を含めた元・軽音部のメンバーだった。京羽と同じように一切笑う事なく「何なら全員でバンドデビュー目指そうぜ」なんて笑い合った。そこから1人、2人と抜け、ついには北斗1人になってしまった。
「何で、慶が死ななきゃいけないんだよ……」
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
昨日までは平和だった。変わらない日常がずっと……。
そこで北斗は思考を止めた。
……本当に平和だったか? むしろこの悲惨な現実こそが日常で、自分は温室ですくすくと育てられていただけに過ぎないのではないか。
北斗がこうして下を向いている間に、今も世界中のあらゆる場所で異端者達の手によって命が弄ばれている。
それは本当に正しい事なのだろうか?
異端者と防衛軍、正しいのはどちらで正しくないのはどちらか。異端者対策法案が施行されたあの日から常に考え続けている難問がその日はより一層複雑に見えた。
ただ1つ、明らかなのは。
「あいつが……殺した」
北斗の目が既に息絶えた畑山の足に向いた。ホルダーに付いた銃を抜き取り、ゆらりと立ち上がった北斗の目は異端者達の居る方向を捉えた。
「先輩、待って下さい! 駄目です!」
有馬の制止も振り切って、北斗の足は再び異端者の方向へ伸びた。
「5秒以内に答えろ、異端者。お前達の配属先は何号室だ」
防衛軍の構成員の1人が銃口を向けながらそう問い詰めた。
「はぁ? 12号室って言ったら分かんのかよ」
異端者研究所12号室。何度立ち入り捜査を行っても配属している異端者の数はおろか、研究員や補佐官の素性すら明らかになっていない未知の存在。
全員の顔が強張ったのを眺めながら、ゴウはマヤに視線を向けた。
「今日は平和的解決……ってのを要求しに来た」
「平和的……? これがか?」
防衛軍の構成員の1人はマヤに銃口を向けたまま、彼等を円状に取り囲むようにして広がる血の海と転がる遺体を眺め、難色を示した。そんな態度にゴウは「先に仕掛けたのはお前等だろ」とあくまでも自分達は正当防衛だと主張した。
「関節ばらされて炙られたくないなら黙って話聞きなよ、ニンゲン。
……まず一つ目、捕虜の異端者の解放。あいつは僕達とは違って、非戦闘向けの能力だ。危害を与える事はない、即刻解放しろ。
そして二つ目は……」
そう言い掛けたマヤは、ゴウに「避けて!」と声を掛けた。何が起きたのか、誰も判断がつかなかっただろう。
「なっ……」
ゴウの額に銃口が突き付けられた。目で追えない程のスピードで戻って来た北斗に、ゴウは開いた口が塞がらない様子でしばらく固まっていたが。髪の隙間から覗いた北斗の殺気に塗れた目を見れば、ニィッと笑みを零した。
「いいなぁ、その顔! 久々に骨のありそうな奴が来た!
ほら、撃ってみろよ。お前のお友達を殺した化け物をさぁ、撃てるもんなら撃ってみろよ!」
「てめぇ、ふざけんなよ!」
銃を握る手に力を込める。ゴウが抵抗する様子も、マヤが止めに入る様子もない。
後は引き金を引くだけ、それだけだ。
そうすれば畑山の仇を取れる。そうすれば畑山は……。
『本当、東京サバイバーみたいだよな。ゾンビも好きでああなった訳じゃねぇのに、人と殺し合わなきゃいけない。……元は同じ人間なのに、何で共存出来ねぇんだろうなって……見る度思ってて』
『北斗、響を……異端者を憎むな。あいつらと共存出来る道を作って欲しい。お前にしか……頼めないんだ』
畑山の言葉を思い出し、北斗の手がガタガタと震えた。
彼は北斗に託した。異端者を恨まないで欲しいと、彼等と共存出来る道を作って欲しいと。今の行動は彼と交わした約束への反逆だ。
「あ……く、そ……クソッ……!」
「やれねぇのかよ? なら、お友達と同じところに送ってやろうか!」
バサバサと激しい羽音が鳴った。北斗とゴウの間合いに滑り込んで来た生き物に、ゴウ・マヤの表情がたちまち歪んだ。
「……え、鴉?」
真っ白な鴉はバサバサと羽音を鳴らしながら、ゴウの肩に飛び乗った。くりくりとした赤い目でゴウの顔を覗き込み、くちばしで耳を突く鴉に彼は「何だよ! いいとこだってのに!」とそれを払いながら抵抗を示した。
「ゴウ、いつものあれだ」
そう言いながら手袋をはめたマヤは、鴉の足に括り付けられた紙切れを解いた。それを広げて書かれている文字に目を通してすぐ、マヤはゴウに「帰るよ」と声を掛けた。
「はぁ!? 何言ってんだよマヤ、今いいところだろ!」
「ふぅん、僕は別にいいけど。
今日のデザートはプリンアラモードって書いてるよ。……“補佐官手作りにつき、早い者勝ち。帰って来ないならマヤとゴウの分も食べる”……だってさ」
なかなかその場から動き出そうとしなかったゴウの目が一瞬で輝いた。プリンと勢いよく食い付きながら、ゴウはマヤの元へ駆け寄った。
「逃げんのかよ!」
銃口を向け直した北斗に、マヤは溜め息を吐きながら警告した。
「追い付けっこないよ、お前等には」
バサバサと羽音を立て、大量の鴉が目の前に急降下して来た。沢山の羽が散らばり、啄まれ、上手く前が見えない。
ようやく顔を上げられた時、2人の姿は跡形もなく消えていた。目眩ましだったのだろう。
「こるりちゃん、北斗ちゃんを連れて速やかに学園に戻りなさい。……命令違反の罪は重いわよ」
すっかり抜け殻のように力尽きた北斗の腕を掴み上げ、有馬は元来た道をゆっくりと戻った。
気が付いた時にはモノレールに揺られていた。膝に血で汚れたジャケットが置かれている。恐らく有馬が回収してくれたのだろう。
何故だか手が温かった。チラリと視線を見れば、座席の上にだらんと投げ出された北斗の手を有馬が優しく握り締めてくれていた。視線が合うと、彼女は小さく笑って見せた。思えば、有馬の笑顔を見るのはそれが初めてだった。
「……大丈夫ですよ、北斗先輩。私が付いていますから」
有馬に名前を呼ばれたのも初めてだった。
……初めての筈なのに、その声も呼び方もどうしてか耳によく馴染んで、懐かしいと感じてしまった。
「北斗先輩は1人じゃありません」
その言葉に有馬の手を強く握り直して、込み上げた嗚咽を車輪の音で押し殺した。
「おーい山崎、こっち手伝ってくれ!」
異端者襲撃に伴い、復旧活動が開始された現場周辺で山崎はポカンと口を開けたまま上空を見上げていた。そこには何処かに飛び去っていく白い鴉の姿が映されていた。
「あれって……」
いや、でも。ぐるぐると思考を回し、やがて答えが導き出せないのを察すると山崎は「すいません今行きます」とその場から走り出した。
寮に戻ってみれば、正面ホールには理事長と【
北斗が顔を上げた瞬間、乾いた音がその場に反響した。
「ちょっ、湊斗……」
勢いよく北斗の頬を叩いた湊斗は、止めに入ろうとした比与森に「簡単に許される問題じゃない」と語気を強めた。
「北斗、軽はずみな行動で一体どれだけの人に迷惑を掛けた! 人命救助と言えば聞こえはいいだろうが、お前がやった事は紛れもない規則違反だ!
お前のせいでもっと被害が出たかもしれなかったんだぞ! たかが友達1人助けるために」
たかが友達1人。その言葉が北斗の癪に障った。
耐え切れず湊斗の胸倉を掴んだ瞬間、衝撃で彼の眼鏡が床に転げ落ちた。
「たかがって何だよ……。
あのまま……慶が殺されるのを見殺しにしろって言いたいのかよ! 友達なんか1人も居ない兄貴に、俺の気持ちなんか理解出来ないだろ!?」
「じゃあお前は助けられたのか」
言葉に詰まった北斗に、湊斗は目を細めながら声を荒げた。現場の映像を見ていた【
「人1人助けられる実力がない奴が戦場に立ったって、足手まとい以外の何でもない! 結果行っても間に合わなかった。異端者に銃口を突き付ける事は出来た。でも、撃つ事が出来なかった腰抜けのお前に、反論される筋合いはない!」
シンと辺りは静まり返った。
眉間に皺を寄せ、下唇を噛み締めた北斗に湊斗はふぅっと息を吐き、いつもの落ち着いた口調で言葉を紡いだ。
「……とは言え、あの場で北斗と有馬を止め切れなかった俺も悪かった。
……理事長、罰則なら俺も甘んじて受けます」
嗚呼、まただ。
幼い頃から何度も味わって来た屈辱だ。
いつもなら「ごめんな兄貴」とヘラヘラ笑って、適当に誤魔化しておけば何とかなる。それでも、この日だけは許容出来なかった。
ハッと小さく笑い声を漏らした北斗に、理事長だけでなく他の【
「昔っからそうだよな、兄貴は。これ以上は喧嘩になるって分かったら自分から折れて謝って、全部自分が悪いって背負い込む。
……その度に俺がどれだけ惨めだったか……知らないだろ」
「北斗……?」
小学校の時、教室で友人とふざけて遊んで窓ガラスを割ってしまい、教師に叱られた時。湊斗は「自分が止めなかったのが悪かった」と頭を下げた。
友達と喧嘩をして、北斗が手を上げてしまった時もそうだった。
何度も何度も、代わりに頭を下げた。その度に周りはこう言う。
“湊斗くんはしっかりしてるわね”
“北斗くんも湊斗くんを見習いなさい”
“優しいお兄ちゃんが居てよかったね”
「異端者を撃たなかったのは、慶と約束したからだ。
異端者を憎むな、あいつらと共存出来る道を作って欲しいって。
……憎かったよ、本音を言えばあのまま殺してやりたかった! ……でも」
異端者対策法案が施行されてからずっと悩み、考え続けていた事。
異端者と防衛軍、間違っているのはどちらなのか。それに結論を出せないまま、くすぶっていた北斗に畑山は正解をくれた。こうするべきだと、北斗がこれから進んで行くべき道を代わりに示してくれた。
「慶の考え方が正しいと思った。だから撃たなかっただけ。
……それを知らない兄貴に、慶の事も俺の事もこれっぽっちも理解してない兄貴に口挟まれたくない! 分かんねぇならすっこんでろよ!」
北斗・湊斗の間にもう一度バチバチと火花が散り始めたところで、理事長が「いい加減にしろ」と双子を引き離しながらそれぞれの頭を叩いた。いってぇと言いながら蹲った北斗と、顔を顰めながら床に落ちた眼鏡を拾い上げた湊斗から視線を外し、理事長は有馬に目を向けた。
「有馬こるり、黒瀧北斗を追い掛けたのはお前の意思か? それとも」
「間違いなく、私の意思で先輩に同行しました。罰則も甘んじて受け入れます」
よろしいと力強く頷いた後、理事長は【
「次回の【有限戦争】まで黒瀧北斗・有馬こるり両名を除いての訓練に臨んでもらう。無論、作戦会議にも2人は同席させない」
全員の中にざわめきが広がった。
【有限戦争】前の模擬練習や作戦会議の欠席はつまり、2人がぶっつけ本番で他色との戦いに臨む事になる……という事だ。
「これは罰則だ。質疑応答がないのであれば、即時解散」
動揺を浮かべたまま動き出そうとしないメンバーの中で、一番にその場から歩き出したのは北斗だった。「北斗」と慌てて彼を追おうとした湊斗の肩を、比与森が制止した。
「やめとけよ。あいつ、一回キレたらクールダウンまで時間かかるから」
バタンと大きな音が鳴った。顔を上げて見れば、やけに大きい鞄を肩に掛けた北斗が2階から3階に上がっていく姿が見えた。
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