お飾りのKING

「暇そうだね。君、それでもKING?」

 凪紗の問いに青沼は答えない。左、右と首を倒してからようやく「一応」と答えた。その目は不安と不満が入り乱れ、青龍寺の女王政治に納得していない様子を垣間見せた。

「雪ちゃんは俺より人望がある。リーダーシップってのがある。だから皆従う、俺もそれでいいと思った」

「人望、ね。青龍寺の取り巻きは兎も角さ、他の奴等は違うでしょ。

 ただ単に自分の意思がないか、多数派に合わせた方が楽だって思ってる奴か、女王の機嫌を損ねたくないだけ」

 青沼は考え込むように目を足元に向けて、そうかもしれないと頷いた。

「【ウキコボレ】ってチェスそのまんまだね。チェスで一番強い駒はクイーン。けど、勝敗を分けるのはキングをチェックメイト……追い詰められるかどうか。王様は女王より弱いけど、その首を取られてはいけない。……今の君はお飾りのKINGだ」

 気のせいかと思った。だが、それはコーヒーを飲んでいた梓馬や祈るように両手を組んだ真心も珍妙な面持ちでモニターを見上げていた事から、きっと思う事は一緒だっただろう。

 普段の凪紗とは雰囲気が違った。相手の感情をくすぐり、言葉で言い負かし、決して自分の本心は晒そうとはしない。……いつもハキハキと喋る凪紗が、まるで京羽のような喋り方をした。よくよく見てみれば、その桃色の瞳は焦点が合っていない。

「それでも、俺は雪ちゃんの指示に」

「……青龍寺に洗脳でもされてんの? それとも、自主性のない奴等の集まり? 

 青龍寺のお人形さんごっこに付き合わされて何が楽しいかね」

「青沼!」

 背後から青龍寺の声が聞こえて来た。凪紗を刺せという言葉に、青沼が手に持っていた槍を見下ろして躊躇う表情を向けた時。

 間合いを詰めた凪紗は何の情もなく鞘を捨て去り、刃を青沼の左胸に突き刺した。

「青沼、何してるの! 指示通りに……」

 青沼は変わらず、槍を凪紗に向けようとはしなかった。刃が貫通した傷口から溢れ出す血を見て凪紗はゆっくりと目を見開き、突如急変した。

「消えろ……早く……俺の、人生から消えろ。お前が居るから、俺は……」

 それは青沼ではない誰かに向けられた恨み言だった。ただ、先程とは違い焦点は合っている。いつも通りの凪紗の喋り方だ。どちらにせよ、様子がおかしい事に変わりはないのだが。

「【ウキコボレ】KING・青沼龍悟、戦闘不能チェックメイト

 アナウンスが掛かっても尚、凪紗の手は止まらない。理事長が慌てて「システムロック」と叫べば、徐々に目の前の光景は学園の風景に戻って行った。

「凪紗、相手を見ろ」

 彼の手から刀が消え、目の前にはゆっくりと呼吸を整える青沼の姿があった。背後から歩み寄った【ユウトウセイ】QUEEN・佐々原に肩を叩かれ、ようやく正気に戻ったのか凪紗は荒い呼吸を整えた後、青沼に小さく「ごめん」と呟いた。

「まるで別人ね。KINGの情緒がそんなんでこの先……」

 青龍寺の言葉にも応じず、凪紗はフラフラとした足取りで立ち上がり、再度「ごめん」と呟いた。

「本当……どうかしてた。ありがとう江奈」

「また一つ貸しだな。私の推し作品の布教で勘弁してやる」

 ゆっくりと立ち上がり、講堂へ向かって行く凪紗は力なく笑いながら「出来れば可愛い女の子が出て来るアニメがいいな」と呟いた。そんな彼の返しに佐々原は「問答無用」とバッサリ切り捨てた。KING・QUEENの合同会議で顔を合わせた時と佐々原の印象は違った。凪紗と話している彼女は男友達と話すような砕けた口調で、彼を小突いたりちょっとした悪口を言ったりとかなり親しげに見えた。

「青沼、早く立ちなさい。次の【有限戦争】が始まる前に講堂へ向かうわよ」

 コツコツとヒールを鳴らしながら歩いて行く青龍寺の半歩後ろを追いながら、青沼は「雪ちゃんごめん」と告げたが、彼女から反応はなかった。


 赤星・花条と講堂に向かった後、北斗は【オチコボレ】と【セイトカイ】のメンバーが壇上に勢ぞろいしているのを見て、慌てて階段を駆け下りた。「よっ」と掛け声と共に壇上に飛び乗った北斗を見て、金敷はクスリと笑った。

「主役は遅れて来る方式かしら。お友達の虞淵ちゃんとお揃いね」

「友達じゃないですよ。妙な言い方やめてください」

 花条に引っ張られ、【レットウセイ】のメンバーが座る最前列に向かった赤星は不満げな声を上げた。友達じゃなかったのかと衝撃を受ける北斗を他所に、金敷は理事長にアイコンタクトを送った。

「表なら先手【セイトカイ】、裏なら【オチコボレ】だ」

 ピンと弾かれたコインが真上に飛び、理事長は無駄のない動きでそれを掴んだ。ゆっくりと開かれた手の平に置かれたコインの面は、表。先手は【セイトカイ】だ。

 先に【オチコボレ】メンバーが腕時計型のデバイスを取り付け、それをスライドしながら作戦内容や場所の構造を確認する。

 舞台は一・二回戦目の工事現場や町中とは異なる公園。遊具のあるゾーンや一面草原、生け垣で作られた入り組んだ迷路のような場所もある。

 武器は模擬訓練で色々と試した結果、一番使い勝手がよく実績のある銃を選択した。完了ボタンを押すと、理事長による散開指示が出され、【オチコボレ】のメンバーは次々と講堂から駆け出して行く。「ほっちゃん頑張れ」という花条の言葉を受けながらインカムの電源を付け講堂から出てみれば、すぐ目の前には一面の草原が広がっていた。

「全員、聞こえるか。作戦通り行動を頼む」

 どんな状況にも対応出来るようにと、【オチコボレ】は2人1組で行動する作戦を設定した。

 戦闘不能になれば即時敗退となってしまう北斗・湊斗をペアにしない事、そしてそれぞれの武器や関係性、連携の取れ方などを考慮し、湊斗・芥答院・有馬の作戦チームが考案した組み合わせだ。

 比与森・芥答院、戸塚・貞原、飛影・有馬、黒宮・湊斗の4組。そして、北斗はと言うと。

「俺は予定通り、ひたすら逃げ回ればいいんだよな」

 準備運動をしながら北斗は靴ひもを結び直した。【オチコボレ】一番の俊足を生かし、【セイトカイ】を攪乱かくらんする事が北斗の任務だ。

 例え湊斗が戦闘不能チェックメイトになっても北斗が、北斗が戦闘不能チェックメイトになっても湊斗が……とKING2人構成の利点を生かし設定された作戦だ。ビーッとスピーカーからアラームが鳴り、一分と経たない内に【セイトカイ】のメンバーが次々と講堂から出て来た。

「よし、【セイトカイ】全員と俺の鬼ごっこと行こうぜ」

 助走を付け、走り出す。頭の奥で思い描くのは、従兄弟・京羽がかつて天才神童と讃えられていた時の走り。といってもただの模倣に過ぎないし、本人が居ればここが違うあれが違うとしつこく指摘されそうだが、北斗の一歩はあっという間に【セイトカイ】のメンバーを引き離した。

「こちら北斗、草原エリアから迷路の方面に向かってる。そろそろ敵分散させるけど、準備の方は?」

 大丈夫です、問題ないとメンバー達から次々と返って来た言葉に「了解」と答えながら、北斗はスピードを上げた。

 背の高い生け垣で区切られた入り組んだ迷路を突き進み、奥へ身を潜める。【セイトカイ】メンバーの足音があちこちに散らばって行くのを聞いてから、北斗は弾かれるようにその場から飛び出した。

 来た道を戻り、迷路を抜け出す。チラリと背後を振り返って、追っ手が居ない事を確認してから北斗はインカムに向けて声を張り上げた。

「作戦成功! 後は任せた!」

 了解と返事をしたメンバーの声に耳を傾けながら、北斗の足は着実に次のポイントに回り込むため、走り出していた。


 迷路を抜けた先の遊具コーナー。そこで大きく伸びをしたり、上体を倒したりと準備運動を行っていた比与森は芥答院の「来たぞ」という言葉に地面に置いていた小槌を掴んだ。

 金と黒、二色で構成された立ち襟のジャケットに、右半身を覆い隠す長いマント。左腕に付けられた【セイトカイ】の腕章に2人は臨戦態勢を整えた。

「随分とまどろっこしい手段を使うんだな」

「正攻法じゃあんたらには敵わない。だから、これがあたし達らしい戦い方だ」

 訓練の様子を見ていれば分かる。連携が上手く行かず、ちぐはぐな実戦練習しか出来なかった【オチコボレ】とは異なり、【セイトカイ】のメンバーは動き一つ一つに無駄がなく、まるで本番のようにスムーズだった。全員が元・生徒会役員という事も関係しているだろう。寄せ集めの【オチコボレ】とは異なり、【セイトカイ】そして【フウキイイン】は統制された軍隊のようだった。

 同じように寄せ集めで結成された筈の【ユウトウセイ】もチームとして成り立っている。たった二週間でこれ程の差が出た。格が違う事を知らしめられるのには十分だったように思える。

 そんな彼等に正面から立ち向かったって、虫のように払われるのは目に見えている。ならどうするかと考えた結果がこれだ。

 蚊のように逃げ惑い、相手の意識をあちこちに向けさせ、分散させる。勝ち目がない事が分かった上で練られた【オチコボレ】の作戦だ。

「成程。……だが、俺のやるべき事は変わらない。【オチコボレ】のKINGを追い詰める事、ただそれだけだ」

「はいそうですか、と簡単に通す訳にもいかないな。他の駒はKINGが取られないよう守る役割がある」

 芥答院は素早く鞘から刀身を抜き取り、相手に刃を向けた。同様に比与森も長い柄の先に小ぶりなハンマーが付いた小槌を構え「不破相手じゃ体力差が違い過ぎる」と警告した。

 不破龍之介。【セイトカイ】のNIGHTで、改革前は生徒会庶務を担当し、活動と兼任で野球部に所属していた。入部当初からレギュラーメンバー入りを果たし、野球部のエースとして名高い投手だ。昨年の甲子園でマウンドに立ち、延長を含む全試合100球を投げ続け、チームをベスト4まで導いている。

 恵まれた高身長に切れ長な紫色の目と所々飛び跳ねた黒髪と整った容姿、口数が少なくクールな振舞いが溜まらないと女子人気がかなり高かった。

 日々の練習で鍛え上げられた肉体とその強肩。女性の比与森、そして帰宅部の芥答院とは雲泥の差がある。

「2対1なんて卑怯じゃない、公平に行きましょうよ」

 戦斧を構えた龍之介の背後から歩み寄って来た女子生徒に、彼はチラリと視線を向けた後「穂夏」と声を掛けた。

 長さの合っていない白色のミディアムヘアーの毛先をちょこんとリボンで括っている彼女の気だるげなピンク色の瞳が、比与森・芥答院を映した。

セイトカイ】ROOK・猪狩穂夏。改革前は生徒会会計を担当しており、龍之介そして【フウキイイン】QUEEN・泡渕ふわりとは幼馴染に当たるという。

 銃を構えた猪狩に、比与森が先手を打とうと走り出した時。

 その間に入るように「ちょっと待った」とストップがかかった。比与森は急ブレーキ、猪狩と龍之介はと言えば、怪訝そうな顔で相手を睨み付けている。

「……久郷、邪魔。退いて」

「相変わらず俺の扱い雑! そうじゃなくて、俺が言いたいのは……」

 猪狩は露骨に嫌そうな顔をした後、はぁっと盛大な溜め息を零した。

 久郷永太、猪狩と同じ【セイトカイ】のROOKで改革前は生徒会庶務を担当していた。龍之介同様、活動と兼任で剣道部に所属しており、主将の凪紗が「部活行くぞ」と首根っこを掴んで連行していた姿を度々目撃した。

 金髪に山吹色の目と、その奇抜な容姿から生徒会役員は勿論の事、剣道部員とは到底思えない軽薄な雰囲気が滲み出ている。

 そう言えば、久郷と猪狩は……と考えたところで一発の銃声が鳴った。猪狩の持つ銃は上を向いている。久郷を黙らせるための威嚇射撃だろう。

「男の嫉妬は見苦しいって前も言った筈。ふわりと龍之介は私の幼馴染、それ以上でも以下でもない。

 ……いい加減学習してくれる?」

「分かってる、分かってるけどさぁ……彼氏の俺に愛を感じない!」

 猪狩と久郷はこれでも交際中の恋人同士だ。二人を紹介する時に“一応”だとか“仮にも”なんて言葉が付いてしまうのはきっと、彼等がそんな風に見えない事が関係しているだろう。久郷からの告白やアプローチがあまりにしつこい上、人通りの多い昼休みの渡り廊下で大声かつ土下座で告白をされ、諦める形で折れた猪狩の塩対応は当然の結果と言えよう。

「下らない私情で戦闘を妨害するのはやめてくれない? いい迷惑」

「それでも、不破は幼馴染である以前に男だろ! 嫉妬するなって言われても」

 龍之介・猪狩、そして比与森・芥答院は渋面を見せ合った。口にはしなかったものの、思う事は皆同じだっただろう。面倒臭いと思いっ切り顔に書いていたからだ。

 この状況どうするよと言いたげに比与森が芥答院に視線を送った時。こちらに駆け寄って来る足音が聞こえて来た。

「何だよ、痴話喧嘩か? 仲良さげでいいけどさ、俺との鬼ごっこに集中してくれよ」

 鉄棒をハードルのように飛び越えた北斗は、そのままスピードを緩める事なく彼等の間を横切った。

「黒瀧北斗……!」

 即座に彼を追い掛けた猪狩に続こうとした久郷を妨害するため、比与森が停滞した戦況を変えるように小槌を振り下ろした。間一髪でそれを避けた久郷は持っていた槍を握り、不満げな舌打ちを零した。

「あんたのつまんねー恋愛ドラマに付き合ってやったんだ。その報酬くらいは貰うぞ」

「比与森、作戦通りやれ」

 芥答院の呼びかけに「おう」と返事を零し、比与森の追撃が空を切った。


「こちら猪狩、【オチコボレ】KING・黒瀧北斗を追撃中。援軍をお願いします」

「こちら金敷。穂夏ちゃん、今どの辺りか分かるかしら」

 インカムで【セイトカイ】メンバーとやり取りを交わしながら、猪狩は周囲を見回した。等間隔に植えられた街路樹に公園前の入り口を彩る花壇、水を噴き上げる巨大な噴水が目に映った。

「噴水があるエリアです」

「分かったわ。私の居る場所からは遠いから……周辺に居る子、援護をお願い」

 金敷の指示にメンバーが「了解」と答えたのを聞きながら、猪狩はどんどんと突き放すように走り去って行く北斗の背を一心に追い掛けた。噴水の前に辿り着いてようやく立ち止まった北斗に「観念してください」と歩み寄ると。くるりと振り向いた北斗は猪狩の頭部に銃口を向けた。

「……驚いた。貴方にそんな度胸があったなんて」

「度胸なんかないよ。だからこうして逃げ回ってる。

 ……けど、やっぱやるからにはヒーローらしく、格好よく決めたいよな!」

 二発、三発と銃声が鳴った。北斗の銃から放たれた銃弾は目の前の猪狩ではなく、真横の噴水の噴き出し部分に直撃した。

 ヘッド部分に穴が開き、その隙間から勢いよく溢れ出した水に猪狩は慌てて目を瞑った。全身濡れ鼠になった猪狩を他所に北斗は一目散にその場から走り出した。

「水掛けてごめんな! けど、水も滴る……なんとかって言うじゃん」

「うろ覚えの言葉を使わない! 待ちなさい、黒瀧!」

 濡れた前髪を掻き分け、北斗を追い掛けようとした猪狩を有馬・飛影ペアが妨害した。

「KINGって凄い作戦思い付くね」

「そのせいで私達も濡れる羽目になったけど」

 苛立ちを込める有馬を「まぁまぁ、結果オーライ」と宥め、飛影は手に持っていた金属バッドを構えた。対する有馬が持つのは小ぶりなナイフ。その形状から投げナイフ用のものだろう。

 近距離の飛影と遠距離の有馬。そして同級生同士とパワーバランスだけでなく、性格等の相性も考慮された組み合わせに成程と頷きながら、猪狩は背後に視線を向けた。

「丸原さん、手が空いているようなら加勢してくれる?」

 いつから居たのだろう。未だに激しく水が噴き出る噴水を眺め、興味深そうに頷きながらブツブツと何かを呟いていた女子生徒は顔を上げた後「嗚呼、すまない先輩」と笑いながら立ち上がった。

 薄水色のウェーブがかったロングヘア―に、大きな黄緑色の瞳。白色のフレーム付きの眼鏡は彼女のトレードマークと言えよう。

セイトカイ】BISHOP・丸原聖由。学校内では通称マルセイユ、丸ちゃんの愛称で親しまれている1年生だ。

 生徒会会計を担当している彼女の得意分野は分析・計算。ありとあらゆる状況を数値化、脳内で計算・分析をした後、証明する。大学レベルの数学・科学を簡単に解き明かしてしまえる程の理系女子で、その計算速度に勝る者は居ないだろう。

「ただの仮想空間とは異なるようだな。理事長はVRと同じようなもの、とおっしゃっていたが厳密には違う。

 現に黒瀧先輩が破壊した噴水、濡れた猪狩先輩の衣類、痛覚だけが現実にリンクするシステム……それらは普通じゃない。この違和感の正体を解き明かすにはまず……」

「丸原さん、長くなりそうだから後で聞く」

 猪狩の返答に丸原は「つれないなぁ」と小さく笑い、ディスプレイを開いた。戦況や仲間達の位置関係を確認したり、武器の出し入れが出来るメニュー画面を操作した後、彼女の目の前にはガトリング砲が設置された。

「飛影さん、準備はいい?」

「オッケー、るりちゃん。全力で行こうね!」

 振るわれた飛影のバットがアスファルトに激突し、甲高い音を鳴らした。

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