現代病床雨月物語   第7話         秋山 雪舟(作)     

秋山 雪舟

第7話 「生戦(せいせん) その1」 ~死神一派の登場~

 私の2016年の秋の出来事は第4話「正岡子規に励まされて」に書いていますがその時の状況をもう少し詳しく話したいと思います。その時の私は、まさか第2話「聖母マリアの出現」の時の『死神』との接触が今回の入院で再び続くとは夢にも思いませんでした。

 私は常々、担当の血液内科の医師A氏から秋山さんは、白血球が1600μl(正常値3500~9500μl)好中球にいたっては260個(正常値2000~7500個)で少ないので発熱のときはすぐに病院に来て下さいと言われていました。私は39度代の熱が出たためタクシーで妻(宝雪)に介助されて病院に行きました。

 病院では直ぐに担当の医師A氏の診察を受けました。私はお尻=肛門も痛いですと伝えました。担当の血液内科のA医師はとりあえず入院して検査しなければいけません。秋山さんあいにく一般病棟はいま満床なので空くまで個室でお願いしますと言われ個室に入院しました。その時の私は歩くのもつらかったので車椅子を使用することになりました。

 入院したのが午後遅くなのでとりあえず発熱・炎症を抑える点滴をしました。また私の個室の病室には簡易トイレも設置してくれました。それは私が歩くこともままならずおなかが下痢気味で、またオシッコはほとんど出ない状態だったからです。お尻=肛門の痛みについては明日、外科の先生に診てもらうことになりました。

 次の日、外科の医師X氏に肛門を診てもらいました。彼はこの病院の副院長でもあります。彼は、私の肛門を触診してから今からCTを撮ってきてください。それを観て判断しますと言いました。私は付き添いの看護師と共にCT検査の結果を携え再び外科のX医師の診察を受けました。X医師は肛門は何もありませんCT検査から膀胱がはっているので今から泌尿器科に行って下さいと言われました。私は、車椅子で付き添いの看護師と共に同じ病院内の泌尿器科に行きました。泌尿器科の医師F氏は要領がよくすぐに私の尿管に管(バルーン)を通して膀胱に溜まった尿を抜いてくれました。出た量はそこにいた医師も看護師も感心するほどの量でした。用意した用器からあふれんばかりの量で1400㏄もありました。本当に膀胱がパンパンだったのです。私は膀胱から尿がなくなると少し体が楽になりました。それからの私は管(バルーン)を付けたままの入院生活をすることになりました。その後すぐに一般病棟が空いたため4人部屋に移りました。私のベットは4人部屋の入口で病棟のトイレがすぐ前でしたので簡易トイレは置きませんでした。

 しかしいまだに下痢が続いていたので大人用のナプキンを肛門に当てていました。その時の私は、発熱や炎症が続いていたので抗生物質の点滴を続けていました。しかし下痢が悪化してすぐそこのトイレ迄もガマンできなくなり血液内科の担当のA医師から検便をしましょうといわれ検査しました。その結果は抗生物質による腸内耐性菌が発生していますと判断されました。それ以後私のベッドのカーテンには張り紙が表示され私と接触する人は必ずマスクと手袋着用する事になりました。当然、点滴や飲み薬も変更になりました。またその日から入浴も毎日ありその日の一番最後に入浴することになり。湯船には浸からずシャワーのみにしてくださいと注意事項を支持されました。

 入院して15日が経ち39度の熱は出ませんがそれでも38度代の熱が一日一度は襲ってきました。肛門も痛いままです。2度目の外科の診察時に、この病院の副院長であるX医師に、なんとかして肛門の痛みを和らげる薬を下さいと懇願しました。副院長のX医師は、ネリプロクト軟膏(ステロイド)を処方されました。しかしその後も痛みは続きました。

 このころから私は、車椅子にたよることなくゆっくりですが歩くことが出来るようになりました。泌尿器科の受診でもF医師が管(バルーン)をいつまでもつけていてはいけません。「自己導尿(カテーテル)」をしましょうと提案され、その日から「自己導尿(カテーテル)」を一日数回することになりました。

 それから1週間ほどたった時、血液検査のデータ(炎症)が低くなってきました。また「自己導尿(カテーテル)」にあまりたよらなくても自力で立ってトイレに行って排尿できるようになりました。この時、血液内科のA医師がこの状態なら来週ぐらいに退院できそうですと言ってくれました。そしてA医師は私が肛門が痛いと言っているので退院前に念のために大腸の内視鏡検査をしましょうと提案をうけ了解しました。私は、担当のA医師から「退院」の言葉を聞いたので一条の光がさしたように心が明るくなりました。

 この時期、私は毎日面会に来てくれる妻(宝雪)に、何度もこのままここにいると殺されると言っていました。特に外科の副院長のX氏は信用がならないと愚痴を言っていました。

 退院前の大腸の内視鏡検査は、私には大量の下剤液を飲みほして排便をすませ腸内を空にするのが苦痛でした。内視鏡検査時は下剤によりかなり体力が消耗した状態でした。内視鏡で映し出された映像は奇麗で素人の私でもポリープもないと解かりました。

 いよいよ退院が現実のものとなり、外科の副院長のX医師の最後の診察を受けました。彼は、肛門の痛みはほっといても治ると言いました。ただ念のため退院後も1週間分のネリプロクト軟膏(ステロイド)を処方しますと言いました。この時でも私は肛門の痛みは続いていました。彼の診立てはまったく信用していず早く退院したいので素直に聞いていました。そしてこの数日後、私は肛門が痛いまま退院しました。私の担当医師である血液内科のA医師は、10間の自宅療養の診断書を出してくれました。

 いま考えると、外科の副院長X氏はこの病院全体の「緩和ケア(終末医療)も担当していましたが、私の痛みはいっこうに緩和してくれませんでした。今思えば私の人生で出会った最低の医師でしたが医師としての位は最高の医師でした。皮肉なものです。また彼の出身大学の始まりは偉大なる「緒方洪庵」先生でありますが私にはミニミニ版の「白い巨塔」のイメージしかありません。

 彼こそ、前回の入院で遭遇した『死神』一派の役割を果たしていたのです。この退院後に「聖母マリア」連合に救われることになります。この時から私を救ってくれた「聖母マリア」連合と『死神』一派との生戦(せいせん)が真に生きる戦いが始まっているとは解かりませんでした。この退院以降も私の肉体に大きなダメージとして残ることになります。

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