第7話 始まり 夢

 来海ラウさんは私に優しかった。

 いつまでいるのか、とか名前とか、そういうことは全く聞かなかった。

「言いたくなったら言って。僕はいつでも聞くよ」

 そう言って昼間は朝から仕事に出かけて夜は一緒にご飯を食べてシャワーを浴びて寝た。

 来海ラウさんの話を沢山……というわけでは無いけど聞いた。

 来海ラウさんの仕事のこと、このアパートのこと、近所のこと。


 来海ラウさんは女装喫茶で働いている。

 日中の開店と夜の開店があるお店らしくて、夜はそう言う大人向けのメニューもあるけど来海ラウさんは主に日中の接客をしているらしい。

 時々、夜の接客に入っても大人向けのサービスは受けてなくてお話するだけらしい。

 喫茶が、どんなものかよく分からなかったけど、スマートフォンで画像を見せてくれた。

 可愛い家具で統一された店内は物語の中の様だった。


 何もしないと追い出される気がして、怖くて、来海ラウさんがいない時に食器を洗ったり、部屋を掃除したりした。

 どうして来海ラウさんが私をこの部屋に置いてくれているのか分からないけど、このままお世話になりっぱなしだとダメだ、という強い衝動があった。

 追い出されるかもしれない。怒鳴られるかもしれない。痛い思いをさせられるかもしれない。

 私は心のどこかでいつも怯えて布団を手放せなかった。


 朝起きると全身がダルくて動けない、物事を考えられない日もあった。

 それでも来海ラウさんはこの状態が何なのか知っているようで優しく「休んでいていいよ」「急がなくていいよ」と声をかけてくれた。


 結局、私は1度も声を発していない。

 声が出ないのか分からないけれど、出すという気が起きない。

 来海ラウさんもそれが分かっているのか二択で答えられる質問をしてくれた。


 だんだん、私は何でここにいるんだろう。何のために存在しているんだろう。と思うようになってきた。

 それでもここを出ていくという選択肢はなくて悶々としていた。

 そんな気持ちを抱えるのは一人でいる時だけで来海ラウさんがいる時は、別のことに気をそらせてくれるから考えずに済んだ。








 男女のヒステリックな怒声が飛び交う。

 私は怖くて怖くて部屋の隅で膝を抱える。

 誰かが私を守るように抱きしめてくれている。


 ――― お兄ちゃん


 叫んでいた男がお兄ちゃんの腕を掴むと壁に投げつける。

 すると私に向かって思い切り平手打ちをするために手を振りあげていた。







 ガバッと勢いよく目を覚ます。

 息が乱れている。身体中汗だらけ。全身が震えている。

 すぐに辺りを見回して男がいないことを確認する。

 来海ラウさんの部屋で台所側の窓から見える陽の量でお昼近いことが分かった。


 机の上に置いてあるお茶を震える手で飲む。

 書き置きが置いてあった。


  『出かけてきます。夜には戻るね。 来海』


 私は早く来海ラウさんが帰ってくるのを待った。

 怖かった。イヤホンをして布団を頭からかぶる。いつあの男女がやって来るかわからない。

 お兄ちゃん……。

 混乱した頭で私は自分が涙を流し続けていることにも気がつかなかった。

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