第4話 始まり 心の傷

 来海ラウさんが仕事に行った後、私は何をするわけでもなく、ずっと布団の中にいた。

 何かをしたいという気持ちはない。心も頭の中もぽっかり穴が空いたような感じだった。

 私はなんでここに来たんだろう?

 記憶を辿ろうとすると、なぜか涙が出てきた。

 止まらないからそのままにして、またボーッとする。

 午前中、下の部屋から言い争う声が聞こえてきた。

 怖くて怖くてドアに鍵がかかっている事を確認すると急いで布団を頭まで被って小さくなって耳を塞いだ。

 昼過ぎには右隣の部屋からギターの音が聞こえてきた。

 練習中なのか、よく止まったり同じフレーズを繰り返している。

 夕方には左隣の部屋から生活音が聞こえてきた。

 結構、聞こえるものなんだ、とより一層私は小さくなった。


 部屋の中にある安そうな時計だけが私に時間を知らせるツール。

 19時前を示している時。

 ガチャガチャ

 心臓が止まるかと思うくらいびっくりした。

 忍び足でドアスコープから確認すると来海ラウさんだった。

 鍵を開けると、少し驚いた顔の来海ラウさんが立っていた。


 静かにコンロに向かう来海ラウさんの背中を見る。

 女性のような……男性のような……不思議な人。

 もし、来海ラウさんが女性だったら?

 多分、大丈夫。普通で居られる。

 もし来海ラウさんが男性だったら?

 無理、怖くて怖くてこの部屋から逃げ出している。

 そんなことを考えていたら声をかけられた。

 自分の世界から一気に現実に戻ってくる。

「ご飯できるまで時間あるからシャワー浴びてくる?」

 私は狭い浴室が怖くなって小さく首を横に振った。

 怒られないかとても怖かった。でも怒鳴り声や痛みはなかった。

 変わらない優しい声が投げかけられる。

「それじゃ、僕と浴びよっか?」

 その提案も少し考えた。犯されるんじゃないか。

 でも、もうこのボロボロの身体なんてどうでもいいと思って首を縦に振った。すこし、胸が痛かった気がする。


 浴室の前で尻込みをしたけれど、来海ラウさんの身体を見て、私と同じ痛みを知る人かもしれないと感じた。

 薄らと残る怪我の数は相当で、私よりは少ないけれど近いくらいだった。

 何故か裸体を見られる恥ずかしさはなかった。

 それはまだ来海ラウさんが男性なのか女性なのか区別できていないから、のような気がした。

 服を脱ぐと浴室に足を踏み入れる。



『開けて!開けて!!お願い!!』

 頭の中にここではない浴室に閉じ込められる私と声が流れた。



 また溢れ出る涙に気が付かれることは無かった。

 私はドアの側ですぐに出られることを確認しながら身体を洗った。

 湯気で来海ラウさんの裸が見えなかったのは良かったのかもしれない。


 勧められて初めて使う化粧品類一式を顔に塗ってみる。

 効果はよくわからなかったけど、来海ラウさんは「数年後に効果が分かるものだよ」と、笑って言った。

 ドライヤーで髪を乾かす。温かかった。

 それより温かかったのは、来海ラウさんが作ってくれた雑炊を一緒に食べて、背もたれを倒したソファーで一緒の布団で寝たことだった。

 犯されることは諦めていたからなんとも思わなかったけど、来海ラウさんは何もしてこなかった。

「夜は……ちょっと聞かせづらい声が隣から聞こえるんだ」

 苦笑しつつイヤホンを渡される。

 付けるとスローテンポの落ち着く曲が流れていた。

 何故か私はすんなりと寝ることが出来た。恐怖心も無かった。

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