第5話

 ドアが独りでに開いた。そんな超常現象はあるはずもなく、要は僕がドアを開ける前に向こう側から誰かが先にドアノブに手を掛けた。それだけの話だ。


 ドアの向こうには女の子が立っていた。日に焼けた肌が実に健康的な、大きな赤いエナメルバッグを肩に掛けた女の子。サッカーボールを小脇に抱えている辺り、サッカーをしているということは間違いないだろう。そしてバッサリと切ったショートヘアー。聞かなくてもわかる。この子は確実に僕より運動神経が良い。


 女の子はドアノブに手を掛けたまま微動だにしなかった。


「あ、どうも……」


 このまま行く手を阻まれたまま、というわけにもいかないので僕は軽く会釈をして女の子の脇をすり抜けようとした。


「な……」


 女の子の口が微かに動く。そして。


「……男ぉおお~~~~~~~!?」


 この生徒会室がある特別棟全体に聞こえたのではないかというほどの絶叫で、彼女は仰天していた。


「か、かかか会長さん!? なんでこんなところに男がいるんすか!? 聞いてないっすよ私は!」


 女の子は叩きつけるように机にエナメルバッグを置くと怒涛の勢いでお姉ちゃんに詰め寄る。


「……近いから。そして暑苦しいから」


 お姉ちゃんは見るからに面倒くさそうな表情で頬杖をつく。


「だってだって! ここが学校で私の唯一の安全地帯だってのに……私の居場所は、この学校にはもうないんすか!」


「……なあ美亜。お前、自分のクラスでは普段どうやって過ごしているんだ」


 お姉ちゃんが美亜と呼ぶその人は、頭を掻きむしりながら悶絶している。なんだろうこれは。


「ええと、じゃあ僕はこれで……」


 だけどこれだけは言える。僕はこの人に明らかに歓迎されていない。この人から放出されている、明確なまでの負のオーラが僕の体にびりびりと伝わってくるのだから。僕のせいでこれ以上あの人を苦しませてもいけない。それに、僕には部活に行かなければいけないというしっかりとした理由もある。


「おい青、自己紹介はどうした。何度も言わせるなよ」


 退室しようとしたところで、僕はお姉ちゃんに呼び止められた。背中に刺さる視線が痛い。


「……いやでもその人、僕がいるからそんな風になってるんでしょ? 早いところ帰るよ」


「それでも、自己紹介くらいはするものだ。これから苦楽を共にする生徒会の一員なのだからな」


「え……えええええ!? 生徒会の一員って、冗談きついっすよ会長さんってば!!」


 ほらこんな調子だし。


「……わかったよ。ええと、椿青と言いま――」


 ぴりりりりりり ぴりりりりりりり



 ここまで言いかけたところで、不意に僕の携帯電話が鳴った。不満そうな表情を浮かべるお姉ちゃんを横目に、申し訳けなさげに液晶を見ると、そこには見知らぬ携帯電話の電話番号が表示されていた。


「ちょっとごめん、電話みたい」


 僕はひとまず生徒会室を出ると恐る恐る応答のボタンを押す。


「……はい、もしも」


『青! あんた今どこにいんのよ! とっくに部活は始まってんだからね!』


 僕の言葉を遮って鼓膜に響くハイトーンボイス。まさかこの声は……。


「もしかして、部長ですか?」


『じゃなきゃ他に誰がいるのよ! 油売ってないで早く来なさい! 御幸なんてもうあんたが来ないせいでブレイクダンスきめてる始末なんだから!』


 電話の主は部長だった。部長はものすごい剣幕で僕をまくし立てる。電話越しに唾が飛んできそうな勢いだ。


 向こうで御幸さんの反論、もといツッコミが聞こえる。大丈夫です御幸さん。部長が適当なことを言っているのはわかってますから。


 それはともかくとして、恐れていた事態が起こってしまった。別に器用なわけでもないのに、二つのコミュニティを掛け持ちするという無謀な行為は、いつか痛い目を見ることになるだろうとは思っていたが、まさかこうも早く訪れてしまうとは思っていなかった。はぁ……なんて言い訳をしよう。


「あの……今すぐに行きますんで!」


『当たり前じゃない! 早く青も私たちの侃侃諤諤かんかんがくがくの議論に参加しなさい!』


 絶対ただ駄弁っているだけでしょう、というツッコミを済んでのところで飲み込む。


「それじゃあ、また後で! 失礼します!」


 僕は急いで通話終了を押して、部活へと急行する。


 特別棟の照明は節電のためかついておらず、今にも沈もうとしている夕日だけが淡く廊下を照らしていた。他の生徒と行き交うことは滅多になく、僕は一心不乱に目的地に向けてひた走った。


 ……目的地?


 ところで僕は今、一体どこに向かって走っているのだろう。アンチヒーロー部が侃侃諤諤の議論を繰り広げているであろう場所へ向かって、ということは分かっているのだけど、致命的な何かが抜けている――そうだ、集合場所だ。


 そういえば、今日の部活は太一さんの家で。なんてことを部長が言っていた気がする。


 当然、僕は太一さんの家の場所を知らなかった。昨日知り合ったばかりで知っているわけがない。


 僕は足を止め、肩で息をしながらもう一度携帯電話を手に取る。取る行動はもちろんリダイヤル。


「…………あ、部長ですか。度々すいません。ところで、太一さんちってどこにあるんですか?」


 部長から理不尽な罵声を浴びせられるのは、この直後のことである。


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