第4話

 とんでもないことを忘れていた。




「おや、今日はかわいいお客さんがいるんだね」


「客などではない。今日から我々生徒会の新しい仲間だ」


「へえ。藍、男は取らないんじゃなかったの?」


「そんな権限、私にはない。公正な選挙の結果偶然、女ばかりの生徒会になってしまった。それだけの話だ」


 時刻は放課後。僕は今、光城高校の生徒会室でお茶を淹れている。昨晩お姉ちゃんに言われて、渋々来てみた生徒会での最初の仕事は、パシりらしくお茶汲み。粗方予想はしていたけど、面倒くさいったらない。


 というかお姉ちゃん、この生徒会が女の人しかいないことをなんで言ってくれなかったのさ。


「ん。ありがとう、新入生くん」


「あ、はい……」


 僕は淹れたお茶をお姉ちゃんともう一人の女の人の前に置く。現在生徒会室はお姉ちゃんと僕、そしてこのスレンダーな美人さんの三人しかいない。


「ところできみ、なぁんかどこかで見たような気がするんだよねぇ」


「ええと……気のせいじゃないですかね」


「おい到子とうこ、先に自己紹介くらいしたらどうだ。青も青だぞ。新入生なら上級生に一日でも早く名前を覚えてもらえるように努力をしろ」


 お姉ちゃんは舐めるように僕を覗き込んでいた女の人を制して言う。そして僕にも一喝。


「はいはいそうだね。ごめんね新入生くん。私は柳沢到子。この生徒会で副会長をやってる三年生だよ。よろしくね」


 あとからクラスメイトに聞いた話によれば、この生徒会は女子生徒のみで編成されていることから、通称『光城の大奥』と言われており、いわゆる〝男子禁制〟のこの場所は、男子生徒の憧れの場所となっている。らしい。


 到子先輩というその女の人は椅子から立ち上がって朗らかに一礼。ところどころに寝癖の見られる栗色のセミロングヘアーは、その飄々とした口調からなんだかだらしのない印象を受けた。


「あ、椿青です……こちらこそよろしくお願いします」


「椿……?」


「お姉ちゃ……会長の弟になります」


「あー! どうりで見たことがあると思ったら、藍にそっくりじゃーん!」


 到子先輩はお姉ちゃんを指差し叫ぶ。


「静かにしろ」


 お姉ちゃんはお茶を飲みながら軽く受け流していた。ここに来てはやくも到子先輩の扱われ方がわかってきた気がする。


「こりゃどういう風の吹き回し? 弟を生徒会に招くなんて藍らしくもない」


「別にいいだろう。到子だってこの前生徒会にメイドか執事が欲しいなんてことを言っていたじゃないか」


「あ、そう言われればそうか」


「仲良くしてやってくれ」


「藍の弟なら私は大歓迎だよ。それじゃ青くん、お茶おかわり!」


「は、はいっ」


 ほぼ二つ返事で僕の生徒会参加を容認した到子先輩は調子よく湯のみを高らかに上げて言った。


「でもさ、私がよくても、美亜がなんて言うかだよねえ」


「これであいつも少しは耐性がつくと思うんだがな」


 二人は苦笑いを浮かべながら顔を見合わせる。到子先輩の二杯目のお茶を淹れながら、僕は何の話だかわからずきょとんと首を傾げた。


 ……いや、ちょっと待て。僕はこんな所で呑気にお茶なんて淹れている場合じゃないんだ。


さっき言った通り、僕はとんでもないことを忘れていた。



「また明日集合だからね! 今度は太一の家に夕方五時! 必ず来るのよ!」



 これは昨日、部活を終えて部長の部屋を後にしようとした時の部長の言葉だ。

部長のこの言葉を思い出したのが生徒会室に入った直後。戸を閉めた瞬間、なぜ今まで忘れていたのだろうかと自分の記憶能力を疑った。確かに僕は、部長にそう言われて渋々頷いたんだ。参った。これは参ったぞ。


 ダブルブッキング。同じ時間帯に約束が被ってしまうこと。僕の今の状態を横文字で表すとこうなる。要するに僕は今、アンチヒーロー部との約束をそっちのけで生徒会に来てしまっているということだ。時刻は約束の五時を三十分ほど過ぎたあたり。いま生徒会室を飛び出せばまだ情状酌量の余地はあるように思う。


「どうした青、顔色が良くないようだが」


 僕の切羽詰った状況を知ってか知らずか、お姉ちゃんは僕の異変にいち早く気が付いた。


「そ……そう? 初めての生徒会に緊張してるのかなあ……あ、そう言われると少し気分が優れないかも。おね……会長、今日はもう帰ってもいいですか?」


 僕は咄嗟に思い付いた仮病という手段で生徒会室からずらかろうとする。


「ふむ、まあ初日だからな。そういうことなら帰ってもいいぞ」


 お姉ちゃんは特に疑おうともせず、僕のそれを了承した。それを好機とばかりに僕は帰り支度を始める。


「それじゃあそうします。会長は何時に帰ってくるんですか?」


「……ところで青。その『会長』だとか、不自然な敬語はやめろ。気持ちが悪くて仕方がない。いつも家で言うように私のことはお姉ちゃんと呼べ」


「な……!」


「ふーん、藍ってお姉ちゃんって言われてるんだ」


「他に呼びようがないだろ」


 学校内で姉弟が顔を合わせるのだけでも気恥ずかしいのに、「お姉ちゃんと呼べ」だなんて、社会的に殺されているような気分だ。でも実際、「お姉ちゃん」と呼びそうになっていた自分がいて、更に恥ずかしい。


「じゃ、じゃあお姉ちゃん、今日は何時くらいに帰ってくるの?」


 僕はぎこちなくお姉ちゃんに尋ねる。恥ずかしくて目を合わせることもできない。家と学校とで条件が変わってくるとこうもお姉ちゃんと呼ぶことに抵抗を覚えてしまうものなのか。


「大体六時半過ぎだな。今日は集まりも悪いし早めに終えるとしよう。到子もそれでいいか」


「異議なーし」


 到子先輩は机に顎をついて間の抜けた声で応答。そんな緩い到子先輩に苦笑しつつ僕は生徒会室を後にしようとする。そんな時だった。


 僕が手を掛ける前に、ドアが独りでに開いたのだ。

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