第2話

「すいません。状況が全く把握できないんですが……」

 

 僕は体を起こして辺りを見回す。ベッド、クローゼット、ノートパソコンなど、生活感に溢れたこの部屋はどこかの民家の一室らしい。そして何かとピンクを基調にした雑貨、家具の多さから女の子の部屋だということもわかる。なんだか良い匂いもするし……まさかこんな形で女の子の部屋を訪れることになろうとは、人生どうなるかわかったものではない。


「何よ。あんまりじろじろ見ないでちょうだい」


 思春期になって初の女の子の部屋を訪問して、少し興奮状態の僕に甲高い声の女の子が腕を組んで言う。


「すっ、すいません……! 別にそんなつもりは……」


 どうやらここは彼女の部屋らしい。


「まあいいわ。ところで青、あんたは今、なぜ自分がここに連れてこられたのかわからないって風なことを言っていたわよね」


「はい、全く身に覚えがなくて」


「あんた、部活はもう決めた?」


「部活ですか。いえ、今日入学したばかりなので何も……」


「文科部か運動部かも決めてないのね?」


「ええ。昔からこれといって取り柄がないので」


「ふふふ、これは更に好都合なことを聞いたわ」


「ど、どういうことですか」


「椿青。あんた、私たちの部活に入りなさい。いや、ここに連れてきた時点でもう入部することは決まっているのだけれど」


「…………へ?」


 確かに入学前から部活はどうしようかと考えてはいた。しかし、先ほど言った通り僕には取り柄というものがない。小学校の頃に少しだけ少年野球に入っていたくらいで、中学は部活には入っておらず、無機質に三年間を過ごしてきた。だから高校に入ったら運動部には入れずとも、何かしらの部活に入って〝青春〟というものを体験してみたかったのだけれど。


 これはまさか、俗にいう勧誘活動というというやつなのだろうか。しかし、人を拉致するような部活に入りたいとは微塵も思わなかった。そもそもなんの部活なのかわからないし、何よりここにいる三人の名前すら僕はまだ知らないのだ。というか、なぜこの人たちは僕の名前を知っていたのだろうか。読み方は違ったけど。


「ちょっと待ってください! 順を追って説明してください! まずは自己紹介とか!」


「あ、それもそうよね」


 甲高い声の女の子はぽんと手を叩くと思い出したように自己紹介を始めた。


「私は小平凛子りんこ。この『アンチヒーロー部』の部長を務める三年生よ」


 何か聞きなれない部活名を言われたけど、これは後にしておこう。

 

 まず、三年生という言葉に僕は驚きを隠せなかった。僕が立ち上がれば二の腕辺りに頭が来そうな小さい体は、僕と同い年と呼ぶのも気が引けるほどの幼児体型。若干茶色がかった肩口まで伸びる、女の子にしてみればショートヘアーと呼ぶのかもしれない髪の毛は先端にウェーブが掛かっており、その辺は高校三年生の大人っぽさを感じる。


「決まった!? 今の私決まってた!?」


「ええ、そりゃもう。部長の貫録が滲み出ていました」


「でしょう、そうでしょう!」


 小平先輩は(とりあえず今は、彼女のことをそう呼称することにする)大いにふんぞり返ってぼふっとベッドに座り込む。そんな先輩に相槌を打っていた男の人は、


「ああそうだ、自己紹介だったね。俺の名前は萩山太一。この部の副部長を務める二年生だよ」


 声音と同じくやんわりとした表情で、そう言った。


 高い身長にさらりと流した前髪。緑色の縁の眼鏡には派手さがなく、とても落ち着いた印象があった。見るからにモテそうな彼には、僕には持っていない全てのものが備わっているとさえ感じてしまうほどの、高スペックさを覚えた。


「よ、よろしくお願いします……」


 まだ入部すると決めてもいないのに、僕は思わずそんなことを言ってしまった。


「まだ緊張しているのかい? 心配はいらないよ。ここはとてもアットホームな部活だからね」


「はあ……」


「部活も何も、同好会としても認められてないじゃないのよ」


「御幸! タブーよそれ! 禁句だから!」

 

 狼狽える小平先輩に携帯電話を弄っていた黒髪の女の子は気だるそうに髪の毛をかき上げる。


「……鈴木御幸。二年」


 そう言うと彼女は再び携帯電話に目を落としてしまった。なんというか、「私に寄るな」オーラを全身から放っている気がする。僕の本能が鈴木先輩には服従を誓えと警鐘を鳴らしているようだった。


「……と、まあこんなところよ」


「これで全員なんですか?」


「そう、アンチヒーロー部は全部で三人。今日で四人になるけれどね」


 小平先輩のこの不敵な笑みは入部するまで僕を帰さないつもりだ。僕は確信した。


「それじゃ、一応あんたの自己紹介も聞いておこうかしら」


 小平先輩は僕にそう促す。萩山先輩は依然としてにこにこしていて、鈴木先輩は例によって携帯電話とにらめっこ。


 僕は小さく嘆息して、自己紹介を始めた。


「……椿青と言います。今日から光城高校に通う一年生です。よろしくお願いします」


「うん、知ってる」


「でしょうね! じゃあなんでさせたんですか!」


「建前よ、建前。そんなことより、私はあんたに訊きたいことが山ほどあるの」


「……何でしょうか」


「あんたの姉――この光城高校生徒会会長、椿藍つばきあいについてよ」


「お姉ちゃん、ですか」


「あっとその前に、この部活について説明しないといけないわね」


「ぜひお願いします」


 正直言って、待ってました。


「既に名前が出ちゃってるけど、私たちの部活はアンチヒーロー部と言うの」


「だから部活どころか同好会ですらないって……」


「そこ! 静かにしなさいっ!」


 小平先輩は鈴木先輩に大げさに指をさす。


「……あの、名前を聞いただけでは何もわからないんですが、一体何をする部活なんでしょうか?」


 聞いたらすべてが終わってしまうような気がしたけれど、僕は聞かずにはいられなかった。アンチヒーロー部。響きからしてなんというか、悪をもって悪を征する、というようなイメージが湧いてくる。この人たちは一体何と戦っているのだろう。


「それをあんたが訊いてくるなんて、なかなかに滑稽ね」


 小平先輩は意味ありげに小さく笑うと、


「光城高校生徒会会長、椿藍を亡き者にすることこそが、アンチヒーロー部の部活内容よ」


 この人が何を言っているのか、僕にはよく理解できなかった。


 数秒のタイムラグの後、僕は尋ねる。


「えっと、それって……お姉ちゃんのこと、ですか?」


「そうよ! 決まってるじゃない! ああ、その名前を聞いただけでも虫唾が走るわ……!」


「でもどうしてそんなこと……」


「それはね、カリスマ性が強すぎたんだ」


 小平先輩が苦しみ悶えていたところで、萩山先輩が口を開いた。


「カリスマ性……?」


「椿くんは知らないかもしれないけど、椿さんは入学当初から全校生徒、教師の注目の的だったらしい。なぜかはわからないけど、人を惹きつけるような才能――要するにカリスマ性があったんだろうね。そんな彼女は一年生の秋、生徒会長選挙に見事当選。学校創立時から例を見ない二年生での生徒会長になってしまったんだ」


「……へ、へえー」


「椿さんが生徒会長になったことに、多くの生徒が喜んだ。しかし、光あるところに影は生まれる。椿さんという眩すぎる光を、よく思わない人も少なからず存在した――ここにいる部長のようにね」


 言われて僕は小平先輩に目をやる。枕に顔をうずめてベッドを転がりまわるその姿は、恋でもしてるんじゃないかと勘違いしてしまうが、どうやら怒りに震えているらしい。


「小平先輩はうちのお姉ちゃんに何かされたんですか?」


「だからこの部を発足したんだろうけど、その理由は絶対に教えてくれないんだよ」


 萩山先輩はやれやれと嘆息する。


「先輩は? 先輩もお姉ちゃんが憎かったりするんですか?」


「俺は違うよ。単に人のお願いを断れない性格でさ。気づいたらこの部に入っていたんだ。でも、入って良かったなあとは思ってる。楽しいよ、アンチヒーロー部」


 参考になりゃしない。


「それじゃあ、あの……鈴木先輩は」


「御幸ちゃんは部長の幼馴染だから」


「幼馴染?」


「家が隣同士なんだよ。要するに、このお隣さんが御幸ちゃんちってわけ」


「ちゃん付けやめろ! それと勘違いしないでほしいけど、無理矢理、強制的に入れさせられたんだから! 断る余地なしだったんだから!」


 鈴木先輩は顔を赤らめて猛抗議。


「それにしちゃあ、今まで皆勤賞だ」


「んなっ……!」


 そして更に赤くなった。


「――一応、部活の説明はこんなところかな。具体的な活動内容は入ってから説明するよ」


 決定してるんですか。


「で……でも、お姉ちゃんのことを亡き者にしようとしている部活に、弟の僕なんかがどうして勧誘されているんでしょうか」


「そんなの!」


 ここで突然、小平先輩が枕からがばりと顔を離して、


「あんたが〝使える駒〟だからに決まってるからよ!」


 そんな理不尽なことを言った。


「これまで私たちは、幾度となく藍に対して攻撃を行ってきた。しかし結果はどれも惨敗。正直なところ、策も尽き果てたわ。そんな所に弟であるあんたが入学してきた。これを使わない手はないってものよ! あんたを使えば作戦の視野がぐっと広がるし、今までできなかったあれやこれやも……」


 この時の小平先輩の悪意に満ちた顔といったらなかった。


 これはもう、僕に逃げる術はないのかもしれない。


「だからね、入部おめでとうっ! 青!」


 そして今度は満面の笑みで僕を歓迎したのだった。


「今日から同じアンチヒーロー部の部員なんだから、先輩なんて堅苦しい呼び方はよして、俺のことは下の名前で呼んでいいからさ。御幸ちゃんもね」


「勝手に決めないでよ!」


「私のことは部長と呼ぶんだぞ! 何せこの部のオサだからな! オサ!」


「は……ははは……」


 なし崩すとはまさにこのことを言うのだろう。僕は一言も断ることのないままに謎の部活、アンチヒーロー部に入れさせられてしまった。


 お姉ちゃんにはなんて言おう。「あのさ、僕、部活に入ったんだ。アンチヒーロー部っていう。お姉ちゃんを亡き者にしようとする部活でさ。僕、お姉ちゃんを亡き者にするから。気を付けてね――」

 

 …………言えるはずがないでしょう!

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