「まだ」も「もう」も乗り越えて
人気薄の馬が勝って大波乱。
競馬を見てると時折見かける光景ですね。
メインレースで人気薄の逃げ馬が逃げ切って大波乱を演出すると、わたしは買った馬券が当たっても外れても、嬉しくなってしまいます。
それには、ある馬を知っているからでして。
2016年のこと。
ダートの条件戦で、わたしはオールブラッシュを追いかけてました。
父親のウォーエンブレムはお相手のより好みが激しすぎてあまり産駒を残せていません。
それでも、生まれた仔たちは高い能力を見せてくれていました。
オールブラッシュも、きっと高い能力があるに違いないと見ていたのです。
前の年は3歳限定の重賞にも出ていましたが、全体としてはあまりパッとしない感じ。それがこの年にぐんと良くなったように見えて。
1000万条件戦ではずっと一番人気をキープし続けていたのも、同じようなことを思った方が多かったからでしょう。
なのに、なかなか勝ち切れずにいるところがなんだかここ一番で結果を出せない自分にだぶって見えたのもあって、「きっちり勝つまでついててやるからな」と、妙な親近感を持って応援していました。
5月の京都で逃げ切り勝ちを決め、同じクラスの特別戦に挑みましたが2着。
ひと息入れた10月の京都でこのクラスを卒業すると、翌月の京都開催の準オープンを先行抜け出しで快勝。
オープンに上がって次はどこだろうと楽しみにしているわたしに、びっくりするような報せが届いたのはそれから間もなくの事でした。
彼の陣営は次の目標に、ダートグレード競走の川崎記念を選んだというのです。
例年2月の頭に行われる川崎記念は、ドバイワールドカップに出る馬のステップレースとして、また年始のダート界の頂点を決めるレースです。
集まるメンツもGI格だけあって中央地方ともにトップクラス。歴代の勝ち馬も錚々たる面々が揃っています。
この年の出走メンバーを見れば、中央からはサウンドトゥルーやケイティブレイブ、ミツバなどのスターホースがずらり。地方勢もハッピースプリントやケイアイレオーネなど、こちらも実力者揃い。
そんな中に準オープンを勝ったばかりで挑もうと言うのですから、無茶を通り越しているなと。
それでも、出るとなれば応援しないわけには行きません。
当日はいそいそと用事を済ませ、モニターの前に陣取りました。
パドックで見る限り、出来に不満はありません。
しかし5番人気という所が彼の立ち位置を示しています。
上位人気に対しては「まだ」力不足と見られているのでしょう。
オープンに上がりたてでは致し方のない事です。
それでも、ここに出す以上陣営は自信があるに違いないと、わたしは感じました。
高い能力は条件戦の頃から見えていましたし、このメンツでもうまく行けば勝負になるかもしれない。
そう思ったわたし、応援のつもりでいくらかを単勝に入れました。
うまく行くかはあまり自信がなかったのですが……。
ゲートが開くと、オールブラッシュはポンとスタートダッシュを決めて先頭に立ちました。
すぐにケイティブレイブが迫って来ますが、少しだけスピードを上げて先頭をキープ。そしてスタンド前の直線に入ってきます。
すると、外からミツバが並びかける勢いで上がってきますが、先頭をキープしたまま1コーナーへ。
わたしは彼の手応えはどうだろうと目をこらします。
後ろからせっつかれてオーバーペースになっていないか。
後ろを気にして落ち着きをなくしていないか。
どちらかでも当てはまれば最後の直線で粘れません。
しかし、向こう正面に入るあたりで彼の手応えは堂々としたものでした。
ルメール騎手の手はピクリとも動かず、後ろとの差も付かず離れず。
一番人気のサウンドトゥルーは後ろからレースを進めるタイプなので、馬群の後ろの方。
「もしかして、これって……」
胸の奥でドキンと音がしました。
3コーナーから後続が差を詰めようと動いて来ますが、オールブラッシュはどっしりと構えています。
騎手の手もまだ動きません。
道中じっくりと力を溜め込んだ逃げ馬が最後の直線で粘り込みを見せるシーンは、今まで幾度となく目にしてきています。
もしかしたら、彼も同じようにやってくれるかもしれない。
胸の奥の音がどんどん高鳴ってくるのが、自分でもよくわかりました。
4コーナーを回りきったところでスパート開始。
すると、すぐ後ろで追い抜こうとしていた後続がみるみる離れていきます。
大外からサウンドトゥルーが猛烈な勢いで追い込んできますが、その3馬身先で真っ先にゴールへ飛び込んだのは、他でもないオールブラッシュでした。
わたしは馬券が当たったことよりも、「お前こんな強かったのかぁ……」と、びっくりしていたのでした。
オープンに上がったばかりの5歳馬が、前年の最優秀ダート馬以下をGI格の舞台で完封。「まだ」足りないなんてことはないんだと、自らの走りで示したのですから。
これはこの先面白くなりそうだと、わたしはニコニコしながら思いました。
展開に注文はつくだろうけど、この走りがまた出来たら相当なとこまで行けるかもしれない。
そう思ったんです。
しかし、現実はそう甘くありませんでした。
GI格のJpn1を勝ったことで、逃げを打とうにもきついマークがつくようになりました。
逃げなくても競馬が出来るとはいえ、先行してもなかなか結果にはつながりません。
そして、楽な相手のときには他よりも重たい斤量を背負わされます。
そうして苦戦の日々が続き、次に彼が勝ったのは翌年の晩秋、浦和記念のことでした。
この時の彼は先行集団のすぐ後ろにつけ、3コーナーからまくって勝ちましたが、逃げなくても結果を出せた嬉しさと、逃げられなかったのかなという思いの半々で、わたしはなんだかもやもやしていたのです。
せめて逃げて勝てたらスカッとしたのでしょうけども、そう出来なかった事がなんだか引っかかっていたのです。
次は逃げて勝てたらいいなと思うよりありませんでしたが、それが難しい事もわかっていました。
それからのオールブラッシュは逃げをメインに戦うようになりましたが、強敵揃いのレースでは先手を奪えないこともしばしば。
中央所属でありながら中央の競馬場に顔を出さなくなってだいぶ経つようになった頃、彼の地方転厩が発表になりました。
一般に中央から地方へ転厩と言うと都落ちのようなイメージを持たれてしまいますが、オールブラッシュの場合はもともと主戦場が地方競馬のダートグレード競走だったこともあり、主戦騎手が乗り替わりになることくらいしか違いが見えません。
もちろん、中央のトレセンの設備を使った調教が出来なくなるのはありますが、外厩を使えばある程度そこの差はカバー出来るはず。
そう思えば、中央馬でなくなることに寂しさは感じませんでした。
しかし、周りの評価は違っていたようです。
「中央にいても勝てないんだから仕方ないだろう」とか、「とっくに終わった馬だからな」という声がわたしの耳にも届いていました。
つまり、「もう」終わった馬だから中央から出たんだと。
ここまでの戦績を見ればそういう声もわかりますが、内心ムッとしていたのも事実。
この声を覆すには、勝つしかありません。
転厩初戦は昨年勝った浦和記念。彼は地方競馬トップクラスの腕前を持つ吉原騎手を鞍上に据えて挑みましたが、結果は惨敗。
やはり、「もう」終わってしまったのだろうか。そんな思いも頭をよぎります。
いや、少なくとも力を出し切っていないようにわたしには見えました。
力を出し切れればまだやれることを示すチャンスは必ずあるはずだと、自分に言い聞かせたのです。
そして、その日はやってきました。
ダートグレード競走ではありませんが、地方全国交流の重賞、報知オールスターカップ。
南関東を中心に、地方競馬の強豪が顔を揃えます。
この年のメンバーは前年東京ダービーを勝ったヒカリオーソや羽田盃の覇者タービランス、東京記念を勝ったストライクイーグルなど、文字通りの強敵ぞろい。ひと足先に地方へ転厩していたサウンドトゥルーもいます。
そんな中でオールブラッシュは8番人気。メンバーを思えば致し方のないことではありました。
ですが、パドックを見る限り、馬体に衰えは見られません。
出来も良いように思えます。
川崎記念と同じ舞台、やれるんじゃないか。
そう思ったわたし、単勝をそっと買いました。
「もう」終わったなんて声を吹っ飛ばすには十分な相手。得意な距離。
お膳立ては整っているように見えたのです。
そうして、画面越しの彼にこう声をかけました。
「思う存分、ぶっ飛ばして来い」と。
ゲートが開くと、ヒカリオーソが先頭に立ちます。
オールブラッシュは先行集団のすぐ後ろ。「また逃げられなかったかあ……」と、少しがっくり来てしまいます。
しかし、正面スタンド前の直線、外に持ち出した彼はぐんと加速。どんどん先行馬を追い抜いて先頭に立ちました。
そのまま気分良さそうに先頭をキープした彼は、向こう正面で4馬身ほどのリードを築いたのです。
ここまで無駄に力を使っていないし、鞍上の今野騎手の手もそこまで動いていない。
そこに気づいたわたし、胸の奥で何かが燃えるのを感じました。
3コーナーの辺りで後続が束になって迫ってきますが、オールブラッシュはまだ動かず。
そうして先行集団が追いついてきた4コーナーの出口で、彼はスパートをかけました。
その瞬間、思わず「行けぇ!ぶっ飛ばせ!」と声が出ていました。
もう終わった?冗談じゃない。
こんなもんじゃないってところを見せてやれ。
最後の直線、ヒカリオーソやタービランスが外から追ってきますが、オールブラッシュも体全体を使って粘り込みを図ります。
そうして、ゴール板では3頭が横一線……に見えました。
なんとか残っててくれないかと念じながら、ゴール前のスローモーションが流れるのを待つしかありません。
そうして見たスローモーションでは、ゴールの瞬間オールブラッシュが2頭よりもハナだけ先に出ています。
「もう」終わったと思われた馬が、大仕事をやってのけた瞬間でした。
それを見たわたしは勝った喜びと安堵感でその場から動くことが出来ませんでした……。
こうして力を見せたオールブラッシュでしたが、その後はまた苦戦続き。
これ以降は掲示板に載ることもかなわず。
10月に浦和で10頭立ての7着に敗れたしばらく後、引退が発表になりました。
当初は生まれ故郷で乗馬になると聞かされていました。
高い能力はあれどなかなか発揮出来なかったし、仕方ないよなと思っていたわたしに、驚くような報せが飛び込んできたのは、それから間もなくのことでした。
彼が青森にやってくると言うのです。
それも、ウォーエンブレムの後継種牡馬として。
わたしが大喜びしたことは言うまでもありません。
青森の馬のレベルアップに彼が一役買ってくれることになるとは、思いもしていませんでしたから。
なにより、自分の跡継ぎを作れるチャンスをもらえたのですから。
現在、オールブラッシュはウインバリアシオンと一緒に、仕事に励んでいます。
彼のもとには青森だけでなく、北海道からもお嫁さんが来てくれたようで、それも嬉しいことでした。
そうして、彼にとって初めての仔が生まれたと聞きました。
北海道にいる種牡馬たちに比べれば、仔の数は多くないでしょうが、その中からきっと彼の高い能力を受け継いだ仔が出てくるはずです。
「まだ」足りないも「もう」終わったも乗り越えた強さを受け継いだ仔がデビューする日が、今から楽しみでなりません。
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