怖さに立ち向かうのは
その馬を見たのは、福島競馬場のラジオたんぱ賞のパドック。
前走の条件戦も見ていたけれど、その時は入着どまり。
「今回は小回りだからきっとチャンスあるよ。大丈夫、あの逃げならいけるから」
先輩はやけに自信ありげにこの馬を推して来ます。大丈夫ですかぁと聞くと一言。
「ああ大丈夫だ。あの眼を見てみなよ。きっといつか化けるぞ」
そのいつかが今日なんですねと、わたしも相槌を打ちながらその馬を見てました。
420キロぐらいしかない馬体。
どこか落ち着きのない様子。
まわりの馬に比べれば、明らかに一段見劣りはしてました。
でも、眼光の鋭さだけは他のどの馬よりも上だなあと。
逃げ切るなら今日かもしれないなと、わたしも先輩のアドバイスに納得して単勝を買うことに。
ゲートが開くと、少しだけ行き脚のつかない様子を見せたものの、すぐに先頭へ。
鞍上の名手に導かれるように、彼は内ラチ沿いをスルスルを逃げて行きます。
そのまま後続をぶっちぎったまま先頭でゴール。わたしは少しびっくりしながら、戻ってきた彼を見つめました。
普通、勝った馬はみんなどこかしら誇らしい顔をしているものですが、彼は違いました。
「怖いよ、嫌だよ、ボクをひとりにしてよ!」
そう言っているように見えたのです。
彼はその後重賞で2着を続け、有馬記念へ出走することとなりました。
メジロマックイーンが破れ、ダイユウサクが単勝万馬券を叩き出したそのレース、彼は果敢に逃げましたが、結果はブービー。しかも鼻血まで出して。
一緒に見ていた先輩は「いや済まなかった。まさかここまでとは思わなかったんだ」としきりに謝ってましたが、わたしは戻ってきた彼を見ながらこうつぶやくよりありませんでした。
「よく頑張ったよ。怖かったんだよな……」
彼はその後体調を崩してしばらく競馬場に戻ってきませんでした。その間に、わたしは彼の生い立ちを少し耳にしました。
食が細くて大きくなれず、他の馬をひどく怖がっていたのだとか。道理で逃げるよりないんだな、と。
能力の違いで先頭に立ってしまう馬を別にすれば、逃げ馬は他の馬が怖いとか、ここ一番での瞬発力がなくて前に行くしかないとか、たいがいがネガティブな理由で逃げを戦法に選ぶしかないような仔ばかりです。
その中でも彼は他の馬を怖がり、人間が乗るとこれでもかと反抗するのだとか。あれだけ人の多い有馬記念に出たら怖すぎて体調を崩すのも仕方ないのかなあとも思ってました。実際には違うのでしょうけど。
1年近く休んだ彼は福島のオープン特別を復帰戦に選びますが、3コーナーで馬群に捕まり最下位に。
それから重賞を3回使われましたが勝てずじまい。馬群に捕まるとすくんだようにスピードを落とす彼を見るのは、少し切なくもありました。
それでも、どんなに他の仔が怖くても、競走馬でいる限りは勝てるように走らなければなりません。
「他の馬がついて来れないぐらい逃げるしかないんでしょうかね……」
新潟の直線、馬群に沈みつつ懸命にこらえてた彼を見ながら、わたしは先輩に言いました。
先輩も「大逃げするしかないかもなあ。三振かホームランか、どっちかしかないだろうけどね」と同意したような口調で言います。
「大逃げして自分もつぶれるだろうけど、後ろの馬も全部つぶれたらこっちの勝ちだからね。そういう競馬が出来る馬だとは思うんだけど……」
先輩はわたしにこの馬を推した手前、成績を気にしているようでした。
彼がそういう競馬の出来る馬かどうかを見極めに、わたしは福島の七夕賞を見ていました。
彼は今までにないハイペースで大逃げを打ちます。最後の直線で彼を追いかける馬は誰もいません。
そのまま先頭でゴールした彼は、誇らしい顔をしてました。自分で勝ち方を見つけたんだと言わんばかりに胸を張り、口取り式に臨む彼を見ながら、わたしは「これでどこに出ても大丈夫だよな」と彼に語りかけてました。
他の馬がついて来れないくらい逃げてしまえば、もう怖くないんだから。
次のレースは中山のオールカマー。
出馬表を見ればGIホースのライスシャワーをはじめ錚々たるメンバーばかり。彼が怖がらずに逃げられるか、そればかりが気がかりでした。
パドックで彼を見ていると、まわりからは「前走はまぐれ」とか「今日は相手が強すぎる」という声ばかりが聞こえて来ます。
この日先輩は用事があるとかで競馬場に来られないと聞いていたので、わたしはひとりで見てました。人気を見れば彼は3番人気だったのですが、とてもそんなに彼を買ってる人がいるように思えませんでした。
彼を応援してるのはわたしだけなんじゃないか。そんな錯覚にもとらわれました。
返し馬から全力疾走する彼を見ながら「やっぱり怖いよな。でもここで勝てたら大きいんだぞ」と独り言をつぶやき、彼の単勝を握りしめました。
怖さに立ち向かうには、ここで大逃げを打つしかないんだから。
ゲートが開くと、彼は全力で先頭に立ちます。
そのまま後続をぐんぐんと引き離し、向正面では10馬身はあろうかという差をつけてました。
これだけ逃げられたら怖くないよな。ペースも速くないし、行けるぞ。
わたしはまわりがざわつくのを横目に、期待に胸を膨らませてました。
4コーナーを回って最後の直線。
彼を追いかけてくる馬はやっぱり誰もいなくて。
彼も最後つぶれそうでしたが、後ろの馬が追いつけないほどの差をつけて優勝。
誰もついて来られない大逃げにまわりはやんやの大喝采。
大威張りで帰ってくる彼を横目に、わたしは公衆電話に走りました。
電話の向こうの先輩は、泣きながらこう言います。
「な、やっぱり化けただろ。でかいホームランだったよなあ……」
それを聞いていたわたしも思わずもらい泣き。単勝取った報告をするまでに、テレホンカードを1枚使い果たしてました。
そして、こう思ったのです。
怖さに立ち向かうことは怖いことじゃない。
立ち向かわなければ何もつかめないんだと。
彼はそれ以降、ひとつも勝つことが出来ませんでした。
それどころか、掲示板に載ることもかなわず。
そうこうしてるうちに、彼は山形の地方競馬へと移籍して行きました。
他の馬も人間も怖くて逃げてたはずの彼が、最後の方は何も怖くなさそうな顔をしてました。だからきっと勝てなくなってしまったのかもしれません。
ですが、彼は七夕賞とオールカマーで怖さを乗り越えてしまったのかもしれないなと、今では思うのです。
ともあれ、彼はこの2レースで伝説になりました。
今では彼の名前を知らない競馬ファンはいないかも。
それだけでも彼は幸せ者なのだと思いますし、怖さに立ち向かった彼を応援してたことは誇りに思えるのです。
そう思わせてくれた彼の名前はツインターボ。
ずっと忘れないよ。
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