六 ヘヴン

 日は沈まないが夜だという時間になるとトモビキたちは催眠術師のホルオウトを探しに広場へ向かった。

 その途中で、アムリタは魔女の欠片の存在を感じた。

 広場に近付くほど、欠片を強く感じる。

「ああ」

 とアムリタは声を漏らした。

 ホルオウトの催眠術の正体は欠片の魔法に違いない。

 アムリタはトモビキに耳打ちして、そのことを伝える。

「ホルオウトさん、欠片持ってる」

「そうか。でも悪い人じゃないから大丈夫だろ」

 とトモビキは意に介さない。

「会ったこともないのに、なんでわかるの」

「この町は悪者が住むには窮屈すぎる」

「それもそうか」

 仮に悪者だったとしても、俺たちに催眠術は効かないし、なにより俺は特異体質で最強だから大丈夫だろ。

 とトモビキは余裕だ。

 その態度がアムリタに安心を与える。

 広場に着くと、昨日クシャ美と話していた二人の女子学生が三人を見つけて駆け寄ってきた。

「クシャ美!」

「やっほ。コル、イイト。今日も仲良く漫才してたの?」

「仲は良いけど漫才はしてねえよ」

 眼鏡の少女が挨拶代わりにクシャ美の頭をはたいた。

「今日は私の弟も一緒」

 と長髪の少女がにやにやした顔をする。

「じゃあ頑張んなきゃね、コルちゃん」

「はいはい。あ、うちの兄も来てるよ」

「もしかしてイイトの狙いは」

「そんなわけないない。こいつの兄、新婚だから。しかもお相手は町一番の美女、トリスカさん。大金星だよ、ジャイアントキリングだよ」

「意味違わない、それ」

 とクシャ美。

 眼鏡の少女がうなずく。

「うん、違うな」

「ところでホルオウトさんって、今日来てる?」

「来てるよ。そこの舞台」

「ありがと。行ってくる」

「おお。行ってらっしゃい」

 広場の中央の舞台には、長身の青年と小学生くらいの男の子がいた。

 青年は少年の背後に立って、少年の両肩に手を置いている。

 それが彼の催眠術のかけ方であるらしい。

 あるいはあまり少年が動かないように押さえつけているようにも見えた。

 少年は興奮して大声を上げている。

 そして広場の周りでは見物人が二人を囲いながら、酒やジュースを飲んでいる。

 アムリタが感じていた欠片の所有者はやはりホルオウトだった。

 こっちにも気が付いてるはずだとアムリタは念を込めた視線を送る。

 はたして一分後にホルオウトは少年から手を離して、アムリタに向かって大きく手を振った。

 見物人もアムリタたちの存在に気が付く。

「ああ。こりゃ面白い。みんな道空けて」

 と一人が声をかける。

 すると見物人たちは詰めて座り直し、広場までの階段が出来上がった。

 アムリタを先頭に一列に並んで三人は広場に降りた。

「こんにちは。それに初めまして、だよね。この町の人?」

「じゃないです」

「やっぱりそうだよね。僕のことは知っているのかな」

「はい」

 ホルオウトは嬉しそうに口元を緩めた。

 アムリタの方は笑みを作らない。

 所有者を前にするとどうしても身構えてしまうみたいだ。

「催眠術師でアクセサリー売ってて、そして私と同じように魔王の欠片を持っている」

「やはり君もそうなのか」

 とホルオウトは一層嬉しそうな顔になる。

「君も僕と同じように、人に幻覚を見せることが?」

「私は催眠術は使えません。私にできるのは、いわゆる念力です」

「じゃあマジックとかするのに向いてるね」

「魔法使って手品は反則でしょ」

 とトモビキが口を挟んだ。

「俺たちは魔王の欠片、つまりその魔法の源を回収している。できればあなたにもその欠片を俺たちに提供してほしい」

「いいよ」

 ホルオウトは笑顔で応じる。

「え、あっさり」

 拍子抜けしたアムリタの目が点になる。

「旅費を稼ぐのに便利だったけど、この町を最後に帰るつもりだったからね。もういらないんだ」

「やったね。気が変わらないうちにいただいてしまおう」

 とトモビキはアムリタの背を押す。

 今度は戸惑っているアムリタがそっと右手を伸ばした。

「あの、ちょっと待って」

 クシャ美が遠慮がちに言った。

「どした?」

「私も催眠術かかってみたい」

「どうする?」

 とホルオウトは、アムリタとトモビキに聞いた。

「いいよ。お願いします」

 アムリタはホルオウトの前からどいた。

 そこにクシャ美が立つ。

「じゃあ僕に背中を向けて」

 ホルオウトに指示されてクシャ美は回れ右をする。

 そして少年にしたようにホルオウトはクシャ美の肩に手を乗せる。

「君が見たいものをリクエストして。そうしたら僕はその幻覚を見せてあげることができる」

「どんなものでもいいんですか?」

「君か僕の頭の中のイメージが形になる。だから、君自身がはっきりと思い描けるようなものなら、なんでも大丈夫」

 リラックスさせるような優しい声色でホルオウトは話す。

 催眠術と呼ばれていたことに納得のいく喋り方だった。

「私はちょっと無理かも。でもホルオウトさんなら大丈夫だと思います。それでもいいんですよね?」

 とクシャ美は言う。

 ホルオウトは首を傾げる。

「うん。でもそれって一体?」

「私、目が悪いんです。眼鏡とか掛けてもよくならないんです。だから人の顔とかはっきり見ることができなくて。私、ちゃんとくっきり見えるのを体験してみたいです。それから、できればみんなの顔を見ながらお喋りしたい」

「そういうことか」

「できます?」

「これまで受けた依頼の中で、一番楽なお願いだ。そして一番美しい願いだ」

 クシャ美の願いは合図もなくすぐ実現した。

 ぼやけているばかりだった世界に輪郭が生まれる。

 顔を画面に近付けなくてもくっきりと見える。

 クシャ美は瞬きを繰り返す。

 感動よりも、慣れない刺激に目や脳が悲鳴を上げているためにしている瞬きだった。

「なんか凄く疲れますね」

「顔はあまり動かさないでね。僕が見えているものを君にも見えるようにしているから。横とか後ろとか向かれると困る」

「わかりました」

 アムリタとトモビキが、クシャ美の前に移動してくる。

 試すように、普通に話す時よりもちょっと離れて立つ。

「どう? 見える?」

 とアムリタは両手を小さく振る。

「うん。トモビキさんが変顔してるのがよく見える」

「なにやってんだてめえ」

 トモビキは目の端や口の端を大きく上下させていた。

 手を使わずに表情筋だけで顔のパーツを大きく動かすのは、彼の超人的な身体能力だから可能なことだった。

「俺はいつもこうだ」

「じゃないから」

「そういえば今日はオーロラが見えるな。ちょっとだけだけど」

 とトモビキが地平線を見て言った。

 アムリタも顔をきょろきょろと動かして空のそこかしこを探す。

「動いていいよ。合わせるから」

 とホルオウトに言われてクシャ美もトモビキたちが見ている方向を見た。

 しかしオーロラ見当たらなかった。

「嘘じゃん」

「私も見えない」

「本当だって。微かに見える」

「お前、目がよすぎるんだ」

「それならしばらく待てば、見えるようになるかもね」

 オーロラは広がっていくものだから、とホルオウトは言った。

 三人はそれを待つことにした。

 ホルオウトも付き合って、クシャ美にオーロラを見せてあげると言った。

 店じまいをして広場の端に陣取ると、すぐにトモビキの見ていた方向から緑色の光が見えるようになった。

「本当じゃん」

 とアムリタは驚いた。

「でもこれだけなんです?」

 とクシャ美はホルオウトに聞く。

 確かにオーロラなのだが、彼女たちに見えているのは緑色をしたもやのようでもあった。

 いくつもの光の帯が空にかかる、美しく有名な光景とはギャップがある。

「そうだなあ。一時間も待てばもっとこっちまで広がると思うよ」

「一時間も」

 アムリタはぎょっとした。

「いいじゃん。見てようよ」

「じっと見てるのは無理だよ、なんかお喋りしてよう」

「それは勿論」

「それじゃあ僕から質問していいかな」

 とホルオウトが手を挙げた。

「どうぞ」

「君たちは、魔王の欠片だっけ、僕以外にもこの力を使う人に会ってきたの」

「私とトモちゃんは、そうです」

 とアムリタは答える。

「私はそれの事件に巻き込まれて、と言うかその犯人が私の友達だったんですけど、それでリータと知り合ったんです」

「そうだったの」

「もしかしたらホルオウトさんも知ってるかも。氷のドームの事件です」

「あっ、あれか。へえ、君があれの」

「私じゃなくて、友達ですけど」

「そうだった。でもあんなこともできるんだ、この魔王の欠片って?」

「危険だから俺たちの教会で回収してる」

 とトモビキ。

「そっか。この幻覚の力だって、使いようによってはやばいことできそうだもんな」 

「魔法はこの世界にいらないんです。魔法がなくったって人は幸せになれます」

「わかる。僕も魔法より、ファッションの力で世界を変えたいね」

「よかった。ホルオウトさんがそういう人で。中には抵抗する人もいるから」

 アムリタは警戒を解いて、にっこり笑う。

「抵抗されたら、どうするの?」

「俺がぼこぼこに殴って、強奪する」

「よかったよ。僕がそういう人で」

 ホルオウトもにっこりと笑みを浮かべた。

「でも私、魔法はいらないって思わないけどな」

 と言ったのはクシャ美だった。

「だってリータの優しさは嬉しかったよ。リータは見えない手で私の手を握ってくれていた。魔法があるから、リータは普通の人よりも一人多く手をつなぐことができるんだ。それにホルオウトさんのおかげで、私はリータがどんなふうに笑うのか見ながら話せる。それって、いらないことじゃないよ。リータとホルオウトさんの魔法は綺麗だよ」

「クシャ美」

 でも魔法はあってはいけないんだよ。

 そう言うべきなのに、友達の言うことは否定しにくくてアムリタは言葉を続けられなかった。

 アムリタが黙ってしまった時に口を開くのはいつもトモビキだ。

「確かになあ」

 とトモビキは言った。

「魔法って、そんな悪いもんでもないよな」

 明らかな失言だった。

 でもそのおかげでアムリタの口は復活する。

「なに言ってるの、トモちゃん」

「そりゃあ俺たちには俺たちの信仰がある。でもクシャ美はアムのこと褒めてくれているんだから、素直に喜んでいいんじゃないか」

「いいのかな」

 とアムリタ。

 トモビキはその頭を撫でる。

「俺たちがどんなことを言ったって、教会の誰も聞いちゃいない」

「オミオミには聞こえるかもよ」

「導師様ならたとえ聞いていても聞こえなかった振りをしてくれる」

「そうかも」

 アムリタはクシャ美に向き直る。

「クシャ美、ありがとう」

「いえいえ」

「私の手は死神の手だった。みんなから恐れられる見えない手。でもクシャ美はこんな私の手を綺麗と言ってくれた」

「事実だよ。私、視力は低いけれど、人を見る目はあるんだ」

「俺もあるぞ」

 とトモビキが割り込む。

 彼の発言にクシャ美が吹き出した。

「なんで張り合ってくるんですか」

 つられてアムリタもホルオウトも笑った。

 笑う最中に、クシャ美は顔を歪めた。

 なにかを我慢するような顔をしたかと思うと、クシャ美は大きなくしゃみをした。

「ヘッヴン!!」

「え、なに今の!」

 とアムリタは叫んだ。

「ヘヴンって聞こえたな」

 とトモビキ。

「天国だなんて、とんでもないくしゃみだな」

「凄いよクシャ美。天才的だよ」

「うへへ。恥ずかしい」

 そりゃあこんなくしゃみを聞かされたら、クシャ美なんてあだ名を付けたくもなるよ。

 アムリタは、テンデルの気持ちを理解した。

 センスないあだ名だと思ったけれど、それも誤解だったのだ。

 私だって似たようなあだ名を付けちゃうかもしんない、とアムリタは思った。

 オーロラはまだ夜空に広がっていなかった。

 しかし一時間後には、空のどこを見ても緑色の帯が見えるようになった。

 ゆらりゆらりと波打ちながら新たな帯を生んでいく様に圧倒される。

 何年か経ったら、この鮮やかなオーロラの下でクシャ美のくしゃみを聞いたと、自分の記憶がねつ造されてしまいそうだとアムリタは感じた。

 一時間待ったことも、それからどれだけの時間見ていたかも、わからなくなってしまうくらいにアムリタたちは釘付けになっていた。

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