四 実質キス

 坂を上がった先には円形の広場があった。

 広場は階段状で、中央に行くほど低くなっている。

 中央で誰かが見世物をすればそこらに腰掛けて見物ができる、簡易の劇場だ。

 建物を木、渡り廊下を枝、とたとえてきたことに則れば、これは花になるかもしれないが、桜や梅の花と比べると随分と大型の花だった。

 二十人ほどの人が既にいて、一番乗りどころではなかった。

 彼らは中央付近に集まって、酒やジュースを飲みながら話していた。

 五人に気が付いた者が、手を大きく振った。

 ウッカイがそれに応えて、クシャ美も彼に倣って手を振る。

 アムリタは転落防止の柵から上半身を乗り出して、真下を見ようとした。

 五人が通ってきた渡り廊下以外に広場を支えている物はないようだった。

 町の中心にできた崖といった印象を持つ。

「危ないぞ」

 とトモビキはアムリタの傍に立った。

 そして彼も下を覗く。

 下には渡り廊下がたくさんあって、地面まで落下する前にどこかにぶつかるだろう。

 それなら俺が抱きかかえておけば落ちても大丈夫かな、と推測する。

「危ない感じだよね」

 アムリタは柵の内側に戻る。

 渡り廊下だけでこの広場を支えているのは、かなり不安定に思う。

 いつかぷっつりとつなぎ目の辺りで折れて広場は落ちてしまうんじゃないか。

 そんな心配をするが、アムリタの想像よりかは丈夫な作りになっている。

 塔から延びる渡り廊下は下部が特別太く作られていて、その太く作られた部分の上に広場を乗せる形に作ってあった。

 中央の輪に加わったクシャ美は、ウッカイに写真を撮ってもらいながら輪を一周する。

 自己紹介が飛び交う隙間に、

「オーロラを見に来たのかい?」

 と高齢の男がウッカイに聞いた。

「いいや、散歩がてらここまで来ただけ」

「オーロラ、見れるんですか」

 とクシャ美。

「天候による。それから、もっと寒い時期の方が見られる。今はまだ日が長いから見られないかもね」

 と高齢の男は答えた。

「そういえば全然日が暮れませんね」

 クシャ美はスマートフォンで時刻を確認して言った。

 彼女たちの暮らしている所ならとっくに夜になっている時刻なのに、まだ太陽が沈んでいなかった。

「冬になると全然日が昇らない」

 とウッカイ。

「今日は催眠術の兄ちゃんも来ていないんでな、いまいち盛り上がらん」

 男はそう言うが、クシャ美と同じくらいの年の頃の少女たちは賑やかに恋の話をしている様子だし、酒によって開放的になっている大人たちも楽しそうに話し込んでいる。

 クシャ美ちゃんは彼氏いるの、と恋愛トークをしていた少女の一人が大声で聞いてくる。

「いないよ」

 と、質問をしてきた長髪の少女に答える。

「じゃあ好きな人は?」

「いるよ」

「えっ、誰? 私の知っている人?」

「そんなわけねえだろ」

 と隣の女子が頭を引っぱたく。

 強めのツッコミを入れた眼鏡の少女が手招きをして、

「とにかくこっち来なさい。恋愛トークしよう」

 と言った。

 クシャ美はうなずいて、眼鏡の少女の隣に座った。

 自己紹介の大波は、遅れて中央に来たアムリタとトモビキが引き継いだ。

「あの二人って、付き合ってるの?」

 と眼鏡の少女が聞いた。

「わかんない。保護者って言ってたけど」

「お父さんってこと? そんなふうには見えない」

「あ、パパってそういうこと、もしかして」

 と長髪の少女が言った。

「そういうの、やめい」

 また眼鏡の少女が頭を叩く。

「お金の関係の方がありえないでしょ。金持ってなさそうじゃん」

「地味に失礼。あと、普通に痛かった」

「うん。そういうのじゃないよ。教会で一緒に暮らしてるから、お兄ちゃんみたいなものなんじゃないかな」

 とクシャ美は言った。

「お兄ちゃん的なものか。じゃあほぼ付き合っているってことか」

 と長髪の少女。

 眼鏡の少女が深くうなずく。

「知ってる。ある時急に男と女として意識し合うようになるやつだ」

「それで二人は、彼氏いるの?」

 クシャ美が質問を返すと、長髪の少女がピースサインをする。

 二を示すために二つ指を立てたのだ。

「私は三人も彼氏がいる」

「どういう見栄の張り方してんだお前」

 眼鏡の少女がやはり頭を叩く。

「一人すらいねえし、しかも指立ててる本数違うし」

「ツッコミ忙しいね」

 とクシャ美。

「こういう子なんです」

 眼鏡の少女は哀れむ振りで伏し目がちになって言った。

 そして長髪の少女は何度頭を叩かれても平気な様子で、

「私は今完全フリーだけど、こっちは片思いしている。相手は私の弟だ」

 とぺらぺら喋った。

「弟さん。凄い」

 とクシャ美。

 眼鏡の少女は照れて、二人から目を逸らす。

「だろう。お姉ちゃんとしては応援したいようなしたくないような、複雑な気分だよ」

「やっぱり友達でも、弟取られちゃうのは寂しい?」

「そうそう。まあ、今年の夏休みは海行ってこいつの水着姿の写真めちゃくちゃ撮って、弟に送りまくったけど」

「ノリノリじゃん」

「見る? 写真」

「見たい。水着もだけど、弟さんも」

「オッケー」

 長髪の少女のスマホを渡してもらって、写真を見る。

「あっ、めちゃくちゃそういえばなんだけどさ、催眠術のお兄ちゃんってさっきあの人言ってたけど、なにそれ?」

「ああ、一月前くらいからこの町にいる旅の人。その人、催眠術って言うか、幻覚を見せることができるんだよね。ほら、私たちそういうの好きだからさ、その人来るともう大騒ぎだよ」

 長髪の少女は両腕で大きな円を描いて、盛り上がりっぷりを表現する。

「私たちもいつかあんなことができるようになるんかね」

 と眼鏡の少女が言った。

「なれる気しねえ!」

「だよね」

「そうなんだ?」

 とクシャ美が聞くと、二人は同時にうなずいた。

 そして眼鏡の少女が言った。

「やっぱり超能力っていうのは、まだまだ特別な人だけのものなんだよ。この町が無意味とは言わないけどさ、普通の人も超能力が使えるなんてのは、私が死んだ後の話って感じがする」

 クシャ美も自分が死んだ後の世界を思い描いた。

 それはSFの映画なんかで見た未来の世界のイメージだ。

 車が空を飛ぶ世界では、人々も超能力で空を飛ぶのかもしれない。

「あとね、クシャ美。お前にもたぶん無理だ」

 と長髪の少女が言った。

「え、どうして」

 別になりたいわけじゃないけど、きっぱり無理と言われたので、なんでだって思った。

「なんかね、お前、普通よ」

「わかる。髪の毛が白いから、なんか変わった人っぽいって思ったけど、話してみたらただの普通の髪の毛白い人だった。て言うか、これ地毛なの?」

「うん、地毛。生まれつき。アルビノって、聞いたことある?」

「あるかも」

「それ」

「それだったかあ」

「でも普通って言われると、なんかむかつく。言っておくけど私、仏様並みに優しいって評判なんだからね。失礼なこと言うとぶっ殺すよ」

「慈悲はないのかよ」

 眼鏡の少女はクシャ美の頭を遠慮がちに叩いた。


 町の頂上の広場から帰るとさすがに疲労が出てきて、三人は休むことにした。

「はい、これ」

 とサルマは鍵を二つ、トモビキに渡した。

「なんです?」

「ベッドルームの鍵よ。他の人に取られてたら可哀想だから、鍵をかけておいてあげたわ」

「それありなんですか」

 とアムリタが半笑いで聞いた。

「どうしても困るって時はね。あなたたちここに来たばかりだから、ベッドを探すために町中をうろつくなんて大変でしょ」

「ありがとうございます。助かりました」

 三階に降りる。

 これから使う寝室二部屋があるだけの階だった。

「部屋割、どうする」

 とトモビキが言うと、

「男子、女子。じゃないんですか」

 とクシャ美が当然のように言った。

「男女一緒で寝たら不健全ですよ」

「ドスケベ」

 とアムリタ。

「ドを付けるな。じゃあ今日は健全に寝よう」

 トモビキは鍵を片方アムリタに渡す。

「それじゃあ、おやすみ」

 鍵を受け取ったのと反対の手でアムリタはピースサインをした。

 トモビキもピースして、アムリタの指とくっつける。

「おやすみ」

 二つの指先を五秒ほど密着させる。

 その密着しているところで二人の視線が絡み合う。

 指を離すと、二人はそれぞれの部屋の鍵を開けて中に入った。

「なに今の」

 部屋のドアを閉めてからクシャ美が言った。

「なにって?」

「ピースでキスしてた」

「キスじゃないよ」

 アムリタは苦笑して目を逸らす。

「いいえ、あれは実質キスです。二人はどういう関係?」

「キスじゃないです。トモビキさんとは以前から親しくさせてもらっていますが、ただの友達です。恋愛感情はありません」

「そんなこと言って結局結婚する芸能人とかいるじゃん! 真面目にどういう関係なのさ」

「どうって。私もトモちゃんもお互い好き同士だけど、恋愛の好きって感じじゃない気がする。大好きな家族、みたいな」

「それは兄と妹? 夫と妻? それともお父ちゃんと娘?」

「そこまではわかんないよ。でも絶対に代わりがいない、大切で大好きな人」

「なにそれ」

「色々あったの。出会った時から波瀾万丈」

「聞きたい」

「今日は疲れたから駄目」

 アムリタはベッドに横になって、そのまま眠ってしまった。

 クシャ美はシャワーを浴びてから、隣のベッドで寝た。


 アムリタは目を覚ますと、体が動かなくなっていることに驚いた。

 これって金縛りっていうやつだ。

 この前の心霊現象特集の番組で、ゲストの芸能人が自分の体験を語っていた。

 と思い出して、これが金縛りかあ、と楽しむ気分になったが息苦しさもあって、手放しでは喜べない状態だ。

 せめて息が楽になればいいのに。

 しかし体は言うことを聞かないから、よくなるどころか意識と現実とのギャップに戸惑いが大きくなる。

 これが幽霊の仕業なら、トモちゃん助けてくれないかな。

 そう思いながらも、試しに見えない手を動かしてみる。

 布団をぱしんとはたく。

 ベッドサイトのテーブルに置かれたランプの傘をばしっと叩く。

 その音で、見えない手が動いたことがわかる。

 さすがは魔法。頼りになる。

 と感心した。

 幽霊ならとにかく明かりだ、とアムリタは見えない手でランプのスイッチを探った。

 こういう時、触覚のない見えない手は不便だ。

 普通の手なら、ランプの足下を這うように動かすうちにスイッチの突起に当たって、そこがスイッチだと感じ取れる。

 見えない手の場合、やみくもにスイッチを押す動作を繰り返すしかない。

 当たるまで、少しずつ触る位置を微調整しながら。

 長い十秒が過ぎて、やっとランプの明かりがともった。

 一安心。

 だが相変わらず金縛り状態のままだ。

 時間を置けばどうにかなるかな。

 また数十秒待ってみるが、さっぱり体が動かない。

 もしかして幽霊の仕業じゃないのかも。

 脳だけ起きていて、体が眠っている状態。

 それが科学的な金縛りの真相だとも、その心霊現象の番組では補足していた。

 補足した上で、その説明では納得できないような怪奇現象を紹介する構成だったのだ。

 そっちのはずれパターンか、とアムリタはがっかりする。

 すると息が楽になって、やがて体が動くようになった。

 体を起こして時計を見ると、寝てから三時間しか経ってない。

 もう一度寝るためにランプの明かりを消そうとすると、隣のベッドでクシャ美がもぞもぞと動いているのが見えた。

 クシャ美は起きていた。

「おはよう」

 とクシャ美は言った。

「うん、おはよう。どうしたの」

「ねえ、聞いてよ。私、金縛りにあった」

 クシャ美は体を起こしながら、困惑したふうに言った。

「え、金縛り? 私もなってた、今」

「本当? 怖かったよね。体動かないし、息できないし、明かりが急につくし!」

「ごめん、明かりは私。魔法でつけた」

「あ、なんだ、そうなの。私はてっきり幽霊の仕業かと思った」

「でも二人同時に金縛りって、あり得なくない?」

 とアムリタは言って、首を縮めながら周囲を見回した。

 壁のどこかにまだ幽霊がいやしないかと探す。

「やだよ、怖いよう」

「とにかく無事でよかった」

 幽霊も、その痕跡も壁には見当たらない。

「うんうん」

「トモちゃんは大丈夫かな」

 心配だから、電話をかけてみる。

「なんぞや」

 とトモビキは電話に出た。

 とても眠そうな小さい声だった。

「あ、よかった。生きてる」

「俺、寝てるから寝るよ? 今な、アムの結婚式の夢を見てるので、続きを見なきゃいかん」

 と一方的に言うとトモビキは通話を切った。

「どうだった?」

 とクシャ美。

「寝ながら電話に出て、寝ながら喋って、寝ながら電話切った。たぶん今も寝てる」

「なんかすごいね」

「うん。私たちも寝よう」

「眠れるかなあ」

 と言いつつクシャ美は横になって、布団を肩までかける。

「電気消すから」

「うん」

「おやすみ」

「おやすみ」

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