三 人間だけのための森
長い橋を渡り、小島に渡る。
「お客さん、連れてきたわ」
橋の終わりの検問所で、サルマは警察官に言った。
開いた運転席の窓から中を覗いた警察官の男が、
「君たちがオミオミの」
と期待した視線をアムリタたちに向けた。
「オミオミは元気かい?」
「とても」
「それはよかった。ゆっくり旅行を楽しんでね」
と警察官はアムリタたちに手を振る。
「本当に有名人ですね」
とトモビキはサルマに言った。
「そうよ。彼が来たのが大体二十年前だったから、大人はみんな彼のことを知っているわね。それより下でも、直接会ったことないだけで、そういう人がいたってことは話に聞いているんじゃないかしら」
小島は端から端まで人の手が入っている様子で、自然の緑は見当たらない。
島全体が町だった。
建造物と建造物の間には渡り廊下が張り巡らされている。
アーチを描いたり坂になっていたりする無数の渡り廊下が交差していた。
一つ一つの建物が木で、渡り廊下は木の枝。
身を寄せ合っている木々が枝たちを交わらせているように見えるから、町の名前が森というのはぴったりだった。
車はいくつもの渡り廊下をくぐって走る。
「まるで人工の森ですね」
とトモビキは言った。
「そう。人の住まう森よ。人間だけのための森」
「本当に変人の町なんですね」
とアムリタ。
「変人?」
「の町だって聞きましたよ。こんなに馬鹿みたいにたくさん渡り廊下作ってどうするんですか」
「行き来をするのよ」
「そうでしょうけど」
「いちいち一階まで降りなくても隣の家に行けるわ。便利なのよ」
サルマは最新の家電が便利だと紹介するように言った。
それを聞いてアムリタは、やっぱり変人の町だな、と思った。
わざわざ渡り廊下をたくさんこしらえるのには莫大なお金がかかっただろうから、金持ちの町というのも合っている。
「人の物を勝手に借りるって聞きましたけど、本当ですか?」
とアムリタは聞いた。
「本当よ。この車だって私のじゃないから。あ、そこが私の家」
サルマは五階建ての細い家の横に車を駐める。
この町では、木を模した建物で統一するためか、どこの家も高さがあって細長かった。
鍵を挿したままサルマは車を降りると、車はひとりでにどこかへと走り出した。
アムリタたちは驚きと心配の混じった顔をして、走る車を見送る。
「自動で駐車場に戻るようになっているのよ」
と言ってサルマは家のドアを開ける。
鍵はかかっていなかった。
サルマは、ただいま、と大きな声で家の中に呼びかける。
そして小さなエレベーターで五階に上がった。
最上階の五階はガラス張りの大部屋になっていた。
アムリタとクシャ美は、エレベーター、ガラス張り、と声を出して驚いている。
「こんにちは。俺はウッカイ。よろしく」
丸椅子に座っていた青年が立ち上がって言った。
「これ、私の息子」
とサルマは言った。
「どうも。トモビキです」
「アムリタです」
「シュバリーです。クシャ美って呼んでください」
三人は背の順に名乗る。
「長旅で疲れただろ。それと、うちの母がオミオミ、オミオミってうるさかっただろ。今日はゆっくり休むといいよ。三階にベッドルームあるから」
「ありがとう」
とトモビキは言って、ウッカイと握手する。
見た感じ、トモビキとウッカイは同じくらいの歳のようだった。
「どうする? 疲れた?」
トモビキが後ろの二人に聞く。
アムリタとクシャ美は、顔を見合わせて、
「私はそんなに疲れてないけど」
「私も」
と言った。
「ちょっと町の中を歩いてみたいかも」
とクシャ美が遠慮がちに言った。
「町の中かあ」
ウッカイは腕を組んで考える。
「なら、町で一番見晴らしのいい所へ行こうか」
「それいい!」
とクシャ美は喜ぶ。
「じゃあ決まりだ。どうする、少し休むかい。それともすぐに出る?」
「すぐ行きます。行けるよね」
聞かれてアムリタとトモビキはうなずいた。
「荷物はここに置いちゃっていいよ。そこから行こう」
ベランダから渡り廊下が延びていた。
「なんであんたが一緒に行く感じになってるのよ。私が案内するんですけど」
とサルマが文句を言った。
「俺が行くよ。母さんはオミオミ世代だから、どうせオミオミの話ばっかするだろ」
とウッカイは言い返す。
「世代ってなによ」
「オミオミが来た時に生まれていたか、いないか」
「ならあんただって生まれていたでしょう」
「でも五歳だ。あんまり覚えてない」
とにかく俺が行くから、と強引に話をまとめようとするウッカイに対して、いや私が、とサルマは食い下がる。
「二人一緒でよいのでは」
とアムリタが言って、そのとおりになった。
五人で渡り廊下を進んでいく。
町の中では、無数の渡り廊下が蜘蛛の巣のようにも感じられる。
ウッカイとサルマは上へと向かう坂道の渡り廊下を選んで進む。
その過程で他人の家に勝手に上がり込む。
家も店もオフィスも通り道だった。
三人を驚かせたのは、会う人会う人が三人に軽く自己紹介をして、そして名前を聞いてきたことだった。
誰かと遭遇する度に足を止めなければならなかったし、人が集まるような所に入ると数分は動けなかった。
「みんな、丁寧に挨拶してくると言うか、凄くフレンドリーですね」
オミオミ効果だろうかとトモビキは思った。
ウッカイの言うオミオミ世代の人たちからは、オミオミは元気か、と決まって聞かれた。
しかしオミオミ世代ではない少年少女と出くわしても、同じように自己紹介をされていた。
「そういう文化なんだ」
とウッカイは言った。
「この島には色々決まりがあってね、その一つに、住人が亡くなった時には、町人全員が葬儀に出席することっていうのがある」
「全員って、どのくらいですか」
「五千人くらいかな」
三人は、五千人もの人が参列した葬儀を想像してみた。
五千人ってアイドルとかのライブみたい、とクシャ美が言って、それでアムリタもトモビキもドームなどの大きな会場を想像した。
その想像はかなり正解に近い。
町の中には葬儀の会場兼スポーツ競技場のスタジアムがあった。
「見ず知らずの人の葬儀に出るなんて、退屈だし恥だろう。だからみんな、町の人全員とは友達になるし、ここに訪れた人のこともちゃんと覚えようとする」
「逆よ。町の人全員と友達になりましょうっていうルールがあって、だから町の人が誰か亡くなったら、その人の葬儀には絶対に出るの」
とサルマは訂正する。
「なんでそんなルールがあるんですか」
「超能力のためよ、そりゃあ。人と人とのつながりが、数的にも質的にも濃くなったら、なにかしらのエスパー能力が開花するんじゃないかって、想像よ。テレパシーとかね」
「雑な理屈だろう」
ウッカイは自嘲気味に言った。
「この町の人たちはけっこうそんな雑な理屈を、そうと知りながら実践しているんだ。俺もその一人ってわけだけど」
「でもね、人と人との絆の力、というふうに言えば、誰でも多かれ少なかれ信じているでしょう? それを強めたら、なにか起こせるんじゃないかっていうのを実践するために作られたのよ、この町は」
「私たちも、五千人覚えた方がいいんでしょうか」
とクシャ美は聞いた。
「それは無理な話だよ。だけどそういうわけがあるから、ここにいる間は自己紹介ラッシュから逃れられないだろうね」
「五千人分ですか」
アムリタは肩を落とした。
自己紹介しようと押し寄せた人だかりを想像して、気が重くなった。
「記念撮影、してもいいですか。出会った人と」
クシャ美は控えめに尋ねたが、なかなか乗り気になっているようだった。
もちろんいいよ、とウッカイは答える。
「その時は俺が撮ってあげよう」
「ありがとうございます」
アムリタは渡り廊下から、下の景色を眺める。
目指しているのはたぶん他のどの建物よりも高い塔だ。
塔からは無数に渡り廊下が出ていて、塔は一番高いだけでなく一番木に近い見た目をしていた。
いかにも観光名所っぽい塔だ。
目的地がわかっていて上を見てもあまり面白くなくて、しかし下を見ると交わる渡り廊下がまさに蜘蛛の巣のようになっているのが見えるので、楽しい。
なによりも、上へ行けば行くほどその蜘蛛の巣は濃くなっていくのが面白かった。
一番高い塔に着く頃には、クシャ美と住民とのツーショット写真が既に五十枚を超えて撮られていた。
わざわざ写真まで撮るというところに刺激を受けたのだろう、知り合いや家族を呼んでくるから待っていてくれと言う人が何人か出てきて、それで写真の枚数が増えた一方でその度に十数分の足止めを食らった。
「もう二百人くらいと会ったよね」
疲労したアムリタが言った。
写真を撮り始める以前の人も含めても百に満たない人としか会っていなかったが、二百と思ってしまうほどに疲労感があった。
好きで写真を撮ってもらっているクシャ美は元気だ。
興奮のせいか、もとより血流の色が透けやすい頬がはっきり紅潮している。
トモビキは展開に流されるままに楽しんでいる様子だが、それ以上に人間離れしているので疲れはない。
「もうすぐてっぺんだな」
とワクワクした様子で、ガイドのサルマとウッカイと並んで歩いている。
道さえわかれば、先頭に出てずんずんと進んでいきそうだ。
「やっとだよ」
とアムリタは言った。
エレベーターで塔の最上階に出る。
最上階にはなにもない。
ただ渡り廊下が延びているだけだった。
上へと向かう坂道だった。
アムリタはまた下を覗いてみた。
地面が遠い。
いくつも重なる渡り廊下が余計に立体感を伝えてきて、今いる場所の高さを実感させる。
この上にはもう渡り廊下がない。
だから空が近くに感じた。
そして風が吹くのを感じる。
これまでだって吹いていたはずの風だ。
けれどもアムリタはこの町に来て初めて風を意識した。
偽物の森の中にも風は吹く。
「この先が、この町で最も高い場所だよ」
ウッカイが説明すると、
「俺が一番乗りだ」
とトモビキが走った。
走り始めの瞬間に、びゅうん、という音がした。
通常の人間の走りよりも明らかに速い。
追いかけたとしても、絶対に追いつけない。
「ええ、ずるい」
とクシャ美は笑ったけれども、走り出すことはなかった。
視力が低いと初めて来た場所で走るのは怖い。
「あれは足の速い馬鹿だから、気にすることないよ」
とアムリタ。
向こうからトモビキが、
「俺が一番じゃなかったぞ!」
と叫んだ。
なに言ってんだ、とアムリタは呆れる。
ちょっと恥ずかしくもある。
「あそこは常に誰かいるからね」
とウッカイは言った。
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