二 お土産、買ってきて
行くと決まれば旅行の準備だ。
アムリタは慌ただしげに手を動かしているが、部屋に物が散乱するばかりでスーツケースの中は整理されない。
入りきらない量の物を入れたり出したりしているだけだった。
「ねえねえ、浮き輪って必要かな」
「浮き輪? なにに使うんだよ」
一方でトモビキは着替えをいくつか自分のスーツケースに入れると、それ以上入れる物が思い当たらなかったようだ。
手を止めてのんびりとしている。
「飛行機が落ちた時に使う」
「嘘の思い出話をしよう。俺が乗っていた飛行機が海に不時着したんだが、浮き輪はいらなかった」
「そっか。でも嘘なんだよね」
「ああ。でも飛行機は浮き輪を持っていかなくても大丈夫なように作られているんだ」
「科学の進歩はめざましいね」
アムリタはスーツケースに入れていた、空気の入っていない浮き輪を放った。
こうも慌てているのは、
「明日のお昼に出発だから、よろしくね」
とクシャ美が帰りがけに言ったからだった。
「どうしよう。なにが必要なのか全然わからない」
「別になにも必要ないんじゃないのか。なんかあったら、人のを勝手に使えばいいんだろ」
「順応早すぎ」
「それに導師様の知り合いが案内とかしてくれるって話だ。平気だろうよ」
アムリタが放った物をトモビキはあさって、明らかに不必要な物から片付けを始める。
「お土産のスペースとでも思いなさい」
「あっ、そうか。お土産かあ。なにがあるんだろう。間違って名産でもなんでもない物を買っちゃったらどうしよう」
「あり得るな」
「ねえ、本当に調べちゃだめなの?」
「だめです」
名産なんかはネットで調べればすぐわかる。
しかしそれをあえてしないというのをトモビキは提案していた。
深い意図があるわけじゃなくて、単にそういう遊びを思い付いただけだった。
さっきアムリタに言ったような、なんとかなるだろう、という予感が彼にはあって、だからそんな遊びをするのだ。
アムリタには事前の知識を入れさせないで、旅行や冒険というものを味わわせたい目論見もあった。
「でも楽しみだねえ。旅行なんて一生行けないかと思ってた」
とアムリタは言った。
教会内に軟禁され、欠片の回収の時だけ外に出られる。
数ヶ月前までの待遇と比べるとここ最近はかなり自由が増えた気がする。
「大人になったってことさ」
とトモビキ。
「それ、私が? それともトモちゃんが?」
「どっちもさ。当たり前だろ」
「そっか。それじゃあこれから色んな所に行けたりするのかな」
「世界から魔法がなくなれば好き放題さ。俺たちの自由がそこから始まる」
「だね。幸せな世界を完成させよう」
この世から魔法がなくなれば、魔王の目指した幸せに溢れる世界が完成する。
少なくとも彼ら二人にとってそれは真実だった。
魔法がなくなれば、教会と使命から解放される。
アムリタはピースの形にした手をトモビキに伸ばした。
「その前にせっかくの旅行を楽しもう」
とトモビキは同じくピースして、指同士をくっつけた。
「あ、そういえば」
指をくっつけたままトモビキは言う。
「コートとか持っていった方がいいぞ。寒いらしいから」
「調べたの!?」
裏切りだった。
それだけしか調べてない、とトモビキは言い訳をする。
アムリタは納得できないと怒った顔をしたが、しかしその言い訳を信じたアムリタは調べてはいけないルールを遵守したし、コートはきちんとスーツケースの中に入れた。
翌朝、アムリタはコーレスとトモビキを連れて散歩に出た。
「マキタルさん、私たちまた何日か出かけます」
とアムリタは言った。
「ええっ、また?」
「はい。友達と旅行に出かけます」
「あら。いいじゃん。どこ行くの?」
「えっと、なんて言ったっけ?」
彼方の森、とトモビキが教える。
「知らない。そんな森、聞いたことない」
「俺たちもよく知らないんですけど、町の名前らしいです」
「えっ、森じゃないの」
とマキタルは驚く。
トモビキは、そこに住んでいたことのある導師の勧めで行くことになったのだというふうにあらましを話す。
「旅行なんて羨ましいわ。ワクワクするわよね」
「してます、めちゃめちゃ」
とアムリタは言った。
昨晩は眠れないんじゃないかというくらいに興奮していた。
いつもどおりの時間に寝たけれど、その直前まではやけにそわそわしていて、トモビキを心配させたくらいだった。
「楽しんできてね。お土産、買ってきてちょうだいね」
「はい」
アムリタは笑顔で答える。
でも直後にマキタルが、
「買ってこなくてもいいんだけどね」
と言った。
「どっちですか」
「どっちでもいいのよ。遠回しに、無事に帰ってきてねって祈っているだけだから」
「それ、バラしちゃっていいんですか?」
遠回しに祈った意味がないのではないか、とトモビキは思った。
「なんでもいいのよ、こんなのは」
とマキタルは言った。
どうも大した祈りじゃなかったらしい。
アムリタとトモビキはもちろん、クシャ美も飛行機に乗るのは初めてだった。
乗るまではどぎまぎしていた三人だったが、いざ飛び立つと大いにはしゃいだ。
「飛行機って、凄く高い所を飛んでいるんだなあ」
とトモビキは感心していた。
「さすがの俺でも、ここまで高くジャンプはできないな」
「できたら怖いよ」
「そのうちできるようにならないもんかな」
トモビキは垂直跳びをした自分がぐんぐんと雲より高くまで上がっていくところを空想した。
できるかもしれない、と彼は思っている。
自分に備わっている人並み外れた力を彼は信頼していた。
飛行機に乗った後、さらに車で三時間北上したところに彼方の森はある。
空港から出ると肌寒さを感じた。
数時間のうちに夏から秋に移動したような感覚だった。
「記念撮影、してもらっていい?」
とクシャ美は早速言って、スマートフォンをトモビキに渡した。
空港で撮ったとわかりやすい背景や物体を探しながら、空港とわかるような写真もわからない写真もたくさん撮る。
スマートフォンを返すと、クシャ美は画面に顔を近付けて撮れた写真を一枚ずつ見ていく。
その姿は、まるで思い出を大切になぞるかのように見える。
今まさにそれを作っている最中だというのに、そんなことをしているのは、目が悪いからだ。
クシャ美の視力は低い。
それは眼鏡などでどうにかなるものでもないらしいけれど、でもスマホを見るくらいならどうにかなる程度の視力はあるそうだ。
だからこうして写真越しに思い出を補強しているのだった。
「シュバリーちゃん、アムリタちゃん、トモビキ君ね?」
と声をかけられる。
はい、とトモビキが答える。
声をかけてきたのは浅黒い肌の美しい女性だった。
歳はたぶん三人よりもそこそこ上だ。
整った顔やスタイルをしていて若く見えるけれど、肉体には落ち着きが感じられた。
「初めまして。私はサルマです。私が彼方の森のガイドをするから、これからしばらくの間、よろしくね」
と女性は挨拶する。
三人もそれぞれ名乗る。
「あ、私のことはクシャ美って呼んでください」
とクシャ美は言った。
「私のあだ名なんです」
「わかった。クシャ美、よろしくね」
「はい」
サルマの車に乗って彼方の森に向かう。
助手席にはトモビキが座って、アムリタとクシャ美は後部座席に乗った。
見晴らしのよい高速道路を走る。
山のふもとに、赤い屋根の家が多くある町が見えた。
その赤は、ここが気温の低い地域であることと、その中で少しでも暖かく暮らしたいという気分を感じさせた。
「オミオミは元気?」
とサルマは言った。
「元気ですよ」
そうトモビキが答えると、サルマはくすくすと笑った。
「彼が元気だと、大変でしょう。なにかと予知したり、不思議なことが色々と起こるでしょ」
「起きます。サルマさんも知っているんですね」
トモビキは少し驚いていた。
オミオミの不思議な力については、教会内の者は当たり前に知っているが、彼はそれを外部に誇示することはなかった。
だから教会の外で知っている者はいないものだとトモビキは思っていた。
「そりゃあ、彼はその力を鍛えるためにうちに来たからね」
「どういうことです、それ」
「彼方の森に住む人たちはみんな、人類はいつの日かエスパーや魔法といったものを自在に扱えるようになる、と信じているのよ。彼らがその夢を見続けるために作られたのが、彼方の森なの」
彼方というのはその夢の叶ういつかのことを指しているのだとサルマは言った。
彼方をたぐり寄せるための町。
突然に不思議な力を手に入れてしまったオミオミがその力を洗練するには、丁度いい場所だったというわけだ。
「うちに来た時、彼はまだその力をコントロールできていなかったわ。力にアクセスできない、と言った方がいいかしら。使おうと思って引き出すことができなかったのよ。彼の周り、肩の上とかにそういう不思議なものが漂っていて、それが気まぐれに奇跡みたいなことを起こすだけだった。でもうちで暮らすうちに段々とそれを吸収して、自分の中に取り込んで、ある程度好きなようにその力を使えるようになったのよ」
「凄い場所なんですね」
とクシャ美が目を大きくして言った。
彼女たちが感心したことに、サルマは笑った。
「凄いのはオミオミよ。だって、彼以外に超能力を開花させた人は一人もいないんですもの」
そう聞いて、三人は固まってしまった。
その反応にまたサルマは笑う。
「夢は夢よ」
とサルマは楽しげに言った。
「オミオミの紹介であなたたちが来ると聞いて、私たちはとても楽しみにしているのよ。また彼みたいに開花してくれるんじゃないかって。あなたたちは、なにか超常現象を起こしたことある?」
「残念ながら。俺たちは期待に応えられないと思います」
「やっぱり夢は夢ね」
とサルマは満足そうに微笑む。
クシャ美はきょとんとして、アムリタとトモビキを交互に見る。
「あれ、でもリータは魔法を使えるよね?」
「魔法は超常現象じゃないから」
とアムリタ。
「魔王の欠片だっけ。私としてはそれでもいいと思うんだけどな。全人類がその欠片を持てるようになったら、それは人類の進化でしょ」
「俺たちとしては絶対に阻止したい未来ですね」
話についていけていない表情をクシャ美がしていたので、アムリタは魔王の欠片の存在から教会の考えまで、簡単に自分たちの立場を説明した。
「魔法なんてない方が幸せだから、私たちは魔王の欠片を回収してるの」
「そっか。そういうことだったんだ」
とクシャ美は納得したようにうなずいた。
氷のドームの件を思い出しているに違いない。
そういえばジェイルの身に起きたこと、どうして彼が魔法の力を振るうようになったのかさえもきちんと説明していなかったとアムリタは気がついた。
「でもそんな組織でオミオミが偉い人をやっているというのは、ちょっと面白いわね。彼の力はグレーゾーンじゃないのかしら」
とサルマが言った。
素人目には魔法も超能力も一緒だろう。
「魔王の欠片由来の力じゃないからセーフってことじゃないんですか」
とトモビキは言う。
推測でしかなかったが、規則や教えがほとんどない宗教だからそんなもんだろうと思うのだ。
けれども彼方の森に住んでいる人たちが信じているように、人類がオミオミのような人間ばかりになったら、それは魔法が存在しているのと同じなんじゃないだろうか。
この前の氷のドームみたいなことが、そして悲劇として語り継がれているいくつもの魔法の物語と同じことが起こってしまうんじゃないか。
トモビキは疑問を抱く。
もしかしてそれを考えさせるためにオミオミはここに自分たちをよこしたのか。
いや、それはない。
本来アムリタとトモビキではなく、ソルテラとテンデルがクシャ美と一緒に来るはずだったのだ。
「もし私たちが超能力に目覚めて、あなたたちの魔法と同じように悲劇を起こすようになったら、私たちは戦うことになるのかしらね」
サルマも、トモビキの抱いた疑問と同じことを思っていたのか、そう言った。
それはないと思いたい、とトモビキは思った。
でもそれは、もしかしたらあるかも、と思っているのと同じだった。
そう答えられないな、と悩んでいると、
「じゃあ、別の質問。あなたたちは、オミオミのことを信頼している?」
はサルマは問いを変えた。
これもまた難しい問題だった。
トモビキは振り返って後ろを見る。
どうなの、と問いかける目でアムリタはトモビキを見ていた。
「導師様の能力が、俺たちの助けになっているのは、そこは信頼しています。でも導師様を人間として信頼しているかどうかは、よくわからないです」
と答えた。
まずい答え方だったかな、とサルマの顔をうかがう。
「ならこの旅できっと好きにさせるわ。彼は、いい人よ。彼方の森のみんなが、オミオミのことを好きなくらいよ」
とサルマは一瞬前方から目を逸らし、トモビキに微笑んだ。
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