第二章 クシャ美のヘヴン

一 今年もみんなが元気で暮らせますように

 この世界は、なんだかわけのわからないことも起こる世界である。

 人々は氷のドームの事件のせいでそう再確認してしまったみたいだ。

 とアムリタは感じていた。

 魔法の存在については、魔王を信仰している宗教があるくらいなので、かつてはあったのかもね、くらいに思っている人は結構いた。

 それが先の事件のせいで、魔法とか超能力とかそういったものが今もなお存在するんじゃないかと人々は疑いだした様子だった。

 そして恐れたり、希望を抱いたりしている。

 朝の散歩で一緒に歩いてるマキタルもその一人だった。

「怖いわねえ。魔法に幽霊にUFOよ。そんなのがいるのに気付かないまま生きてきたなんて、自分がちょっと信じられないわよ」

 とマキタルは言った。

 幽霊とかUFOとかいうのは、数日前にやっていたテレビ番組のことだ。

 怪奇現象を特集した番組がやっていて、それは氷のドームの騒動が起きたばかりだったためになかなかの視聴率だったらしい。

「いいじゃないですか。それだけ平穏無事に暮らせているってことじゃないですか」

 トモビキは寝ぼけているせいもあって、のほほんとした調子で言った。

「これからも怖いものとは無縁ですよ、きっと」

「そうだといいけどね。でも魔法は使ってみたいわねえ」

 と笑う。

 どうやら本気で怖がっているわけではなかったみたいだ。

「魔法でなにをするんです?」

「そりゃあ、お金よ。お金をたくさん出すのよ、魔法で」

 でも魔法で出したお金は偽札になっちゃうのかしら。

 そうしたら警察に捕まっちゃうのかしら。

 とマキタルはぺらぺらと一人で喋る。

 魔法が使えたら、とノクイは絶対に言わない。

 魔法が存在しないことをよしとする宗教の教会に勤めているのだから当然のことだ。

 似ていても別人なんだな、とアムリタは強烈に感じた。

「アムリタちゃんはどうする? 魔法が使えたら」

「あ、私は」

 使えるんですけどね、と思いつつ、

「お金ですかねえ」

 と答えた。

 相手に同調しただけで、特に考えはなかった。

「なにか欲しい物とかあるの?」

 とマキタルは言った。

 考えてみると、あった。

「ゲーム機ですね。ゲームは自分のお小遣いで買わなきゃいけないんです。買ってもらえないんですよ」

 自分の子どもよりちょっと厳しめに。

 それがオミオミの打ち立てた、アムリタの教育方針だった。

 どうしてもビデオゲームをやってみたいわけではないが、アムリタにとってゲーム機はなかなか手の届かない娯楽として、ちょっとした憧れを持っていた。

「ゲームなら私、得意よ」

 とマキタルは誇った。

「そうなんですか?」

「息子に買ったゲームを私がやっているのよ。息子には宿題やれだの家事手伝えだの言ってあんまりやらせないけど、私は昼間に好き放題やっているわ」

 マキタルは、酷いでしょう、と楽しげに同意を求める。

「息子と対戦もするんだけどね、勝つのはいつも私なのよ。でも、いつもいつも負けなのは可哀想だから、手加減して負けてあげてるの。それも手加減していると気付かれないように、勝つ時も負ける時もうまく力加減を調整するのよ。これがなかなか難しい。でもそれがまた楽しいのよね」

「とんでもない母ちゃんですね」

 とトモビキは言った。

 テンションは低かったがマキタルの話を面白がって、にやにやとしていた。

「そうよ。ろくでもないの」

 マキタルは一音ずつ強調するように言った。

「そこまでは言ってないですから」

「でもそう思った?」

「いえいえ、少ししか思ってないです」

「少しは思ったんだ」

 マキタルとトモビキはけらけら笑った。

「あっ、アムリタちゃんも笑ってる。酷い」

 とアムリタの忍び笑いを見つけてマキタルは言った。

「すみません」

 ろくでもないって笑うなんて悪いなあ、と思いながらもこらえきれなかった。

「なに、謝ることじゃないさ」

 とトモビキがアムリタの頭に手を置いた。

「ちょっと。あんたが言うことじゃないでしょう」

「おやまあ」

 とトモビキはとぼける。

「なにが、おやまあ、なのよ」

 マキタルの笑いのツボに入ったらしかった。


 それから話は魔法やUFOに戻って、魔法が使えたらなにがしたいのかみんなに聞いてみようという話になった。

 アムリタとトモビキは教会の人々に、マキタルは近所付き合いしている主婦たちに、インタビューして、どんな意見が多いのか調べる約束をして別れた。

 教会の人々に聞いたところで、使えても使わないと答えることは予想がついていたが暇潰しも兼ねてアムリタとトモビキはインタビューをして回った。

 まずはノクイを目当てに元職員室に行く。

 ノクイは、アールパカとフラヴィと喋っていた。

「どうも、インタビューにご協力ください」

 アムリタは骨のぬいぐるみをノクイに向ける。

 コーレスのおもちゃに買ったものだった。

 それをマイク代わりにしているつもりなのだが、ノクイたちにはいまいち状況が把握できないでいる。

「なに? なんなの?」

「インタビューです。魔法が使えたらなにをしますか?」

「ノクイさん、これはマイクのつもりなんです。いや、説明するところそこじゃないか」

 トモビキがあらましを説明してフォローをすると、

「なるほどね。でも、使えても使わないわよ。当然じゃない」

 とノクイは答えた。

 やっぱりね、とアムリタたちは思った。

「私なら理想の彼氏を作る」

 二人が残念そうな顔をしたのを見て、アールパカが横入りをした。

 アムリタは彼女にマイクを向けた。

「魔法で人間を作るの?」

「それはちょっとハードル高そうなんで、心の美しい人を彼氏にして、その人を理想の外見に魔法で作り替える」

「ずるい。それだったら私だって夫を全身整形するわよ」

 とノクイが言う。

 アールパカは腕でバツを作った。

「パクリはなしで」

「なにそのルール」

「でもさ、心の美しい男より、心の醜いイケメンの方が多そうじゃないか?」

 とフラヴィは言った。

 そもそも心の美しい男なんていない、と言いたげな口振りだ。

「内面を変える魔法より外見を変える魔法の方が簡単そうなんだもの」

「馬鹿は死んでも治らないってことか」

「そう。性格ブスも死んでも治らない」

 アールパカは重々しくうなずいた。

「なんか大人な会話ですね」

 アムリタはそう言ってノクイに骨を向ける。

「アールパカちゃん、ちょっと前に振られたのよ」

「なんで言うんですか。内緒にしてって言ったのに」

 とアールパカは小動物的に悲しげな顔をして怒った。

 ごめんごめん、とノクイは笑う。

「その人は心の醜いイケメンだったんですか」

 アムリタはアールパカに骨を向ける。

「そうです」

 即答するサービスをしてから、醜いってほどではなかったけど合わなかった、と小さな声でアールパカは答えた。

「そういう欲にまみれた解答がありなら、私だって魔法でやりたいことがあるわ」

 ノクイがむっとした顔をした。

 骨マイクは再びノクイに向けられる。

「どうぞ」

「大富豪からお金を盗むわ。銀行の口座から預金を半分くらい頂くのよ。そしてそのお金を色んなところに寄付しまくるの」

 ドラマの悪人を真似したように口角を上げて、ノクイは言った。

「ずるい。最後の寄付ってところで義賊ぶるところが最高にずるい」

 とアールパカが文句をつける。

 ノクイは勝ち誇った顔をしていた。

「なあ、私には聞かないのか?」

 フラヴィは自分を指して言った。

 面白いことを言ってやるぞ、という顔だ。

 それじゃあとアムリタが骨を向けると、

「私はノクイが寄付した金を奪って自分の物にする」

 と言った。

「ただの極悪人だよ」

「私の苦労が台無し」

「実際に苦労したわけじゃないですけどね」

 口々に非難などが飛び交って、フラヴィは満足そうにする。

「それで」

 とフラヴィはアムリタと、アムリタの持つ骨のマイクに視線を注いで言った。

「アムリタは、魔法でなにをするんだ?」

「えっ、私?」

 お金、とさっきの答えをなぞろうとしたが、それが通用する雰囲気ではなかった。

 よっぽどふざけるか、真面目に答えるか。

 真面目に答えるとしてなにをしたいんだろうか。

 と悩みかけたところで逃げ道を見つけたアムリタは、トモビキにマイクを向けた。

「それより先にトモちゃんの意見を聞こう」

「俺かあ。ううん、そうだなあ」

 トモビキは腕を組んで考える。

「今年もみんなが元気で暮らせますように、かな」

「それはただの願い事だ」

 とフラヴィ。

「失礼します。こんにちは」

 元職員室の引き戸が開いて、白い髪の少女が入ってきた。

「え、クシャ美? どうしたの」

 アムリタが驚く。

 彼女の声を聞いて、

「リータ、久しぶり」

 とクシャ美は手を振った。

 クシャ美はサングラスをかけ、麦わら帽子を被っていた。

「知り合い?」

 ノクイはアムリタを見た。

「そう。氷のドームで友達になったの」

 と説明し、

「でもどうしたの。こんなところ来ちゃって」

 と再び聞く。

 クシャ美はとてつもない朗報を運んできたように笑みを浮かべた。

「リータを誘いに来たの。一緒に旅行に行かない?」

「え、行きたいけど」

 旅行に誘われるとは予想外すぎて、あまりの衝撃に返事が一瞬で口から出ていた。

「でも無理じゃないかな」

「オミオミさんには許可をもらいました」

「は?」

 と何人かが驚いた声を上げた。

「元々この旅行はオミオミさんに招待されていた旅行だったの。ぜひ友達と行ってくださいって。でもソルちゃんもデル君も誘う気はなかったから、リータちゃんと行きたいって、さっきオミオミさんと話してきた」

「どうして誘う気なかったの」

 もしかして喧嘩かな、とアムリタは心配した。

 それは杞憂だった。

「私には夢があるの。それは旅先の写真とか絵はがきとかを二人と、あとジェイルに送ること。一緒に行ったら送れないでしょう」

 とクシャ美は言った。

 一緒にいるのに絵はがきを送ったら、それは確かに変だ。

 だけれど、まだ不明瞭なことがあった。

「なんでそれが夢なの」

 とアムリタは聞いた。

「だって、いつも一緒にいることだけが友達じゃないでしょ。離れていても、相手のことを想ってみたいんだよね」

 そして、できることなら相手にも自分のことを想っていてほしい。

 クシャ美の笑みはなんとなく欲張りな感じに見えて、そんなことを考えているんだろうとアムリタにもわかった。

 クシャ美はうっとりとしていて、どうやら写真や絵はがきっていうのにかなりの理想を抱いているみたいだ。

「わかった。そういうことなら私が一緒に行くよ」

「ありがとう、リータちゃん」

「でも、トモちゃんも一緒じゃないと駄目。トモちゃんは私の保護者だから」

「それはもちろん。オミオミさんもそうするように言ってたよ」

 よっしゃあ、とトモビキは拳を高く挙げて喜ぶ。

 同時にフラヴィが勢いよく立ち上がる。

「私もアムリタの保護者のようなものだ。私も行く」

 じゃあ私も、とノクイとアールパカも挙手をする。

 クシャ美は困った顔をした。

「ええっと」

 アムリタを見て、助けを求める。

「オミオミがいいって言うなら、いいんじゃないかな。聞いてくれば?」

 とアムリタは三人に言った。

「オミオミ様、だ。導師様を呼び捨てにしない」

 とトモビキ。

 フラヴィはダッシュで元職員室から出ていった。

 アムリタたちは聞き耳を立てようとして黙ったが、元校長室からの会話は聞こえてこない。

 それでも音を立てずにじっと五分も待つと、フラヴィが戻ってきた。

 視線が集まる。

 どうだった、と尋ねる視線だ。

 フラヴィは首を横に振った。

「留守番だよ、私たちは」

 と口でも言う。

「でしょうね」

 アールパカもノクイも、わかっていたという顔をする。

「そういえば、どこに行くの? それまだ聞いてなかったよね」

 とアールパカが聞いた。

 そういえばそうだった、という顔をアムリタとトモビキはした。

「彼方の森」

 とクシャ美は答える。

 知っていたのはノクイだけで、彼女以外はきょとんとした。

「それって、金持ちと変人の町でしょ?」

 とノクイ。

「え、なにそれ」

「何人かのお金持ちが小さな島の土地を丸ごと買って、そこで独自の変な文化を作って暮らしているの。金持ちと変人たちによる、現代の新たな部族、なんて呼ばれている」

 とテレビで言っているのを見たことがあると、ノクイは言った。

「部族って」

「それくらい変な風習があるのよ。えっとねえ、他人の物を勝手に使ってもいいらしいわよ。パソコンとか、食器とか。ベッドでも」

「ベッドは、勝手に使われたら困りませんか」

 フラヴィは苦笑いする。

「そもそもそれって、家に勝手に上がられてるじゃん」

 とアールパカが言った。

 とにかくそういう風習なのよ、とノクイは投げやりに言った。

 テレビで見たこと以上は知らないのだ。

 しかし他人のベッドを勝手に使う風習があるとだけ聞いてしまうと、これから行く所がなにか危険な所なのではないかとアムリタは不安になった。

「なんか、やばいところ?」

 とアムリタはクシャ美に聞く。

 彼女がなにか知っているはずはないと思ったけれども聞いた。

 クシャ美はぎくしゃくとした歯切れで、

「そんなこと、ないんじゃないのかな。オミオミさんが昔住んでて、とってもいいところだって、言ってたよ」

「導師様が?」

 一同は一瞬だけ驚いて、しかしなんだか腑に落ちる感じがしてくる。

 何百、何千人のオミオミみたいな人が暮らしている所。

 そう考えれば、他人のベッドを勝手に使うくらいのことはしそうだと思えた。

 一年間そこで暮らしてたらしいとクシャ美は言った。

 今回の旅行はオミオミが招待したものだと言うし、身構えるものでもないのだろう。

「まあ、せっかくだから行ってみるか。なんだか面白そうだしな」

 とトモビキはアムリタに言った。

 そうだね、とうなずく。

 でも本当は、トモビキが行こうと言ったから、アムリタは行きたいって気持ちになったのだった。

 行くかどうか迷っていたわけじゃない。

 けれどいきなりの話で動揺していた上に変な話を聞いて及び腰になりかけた気分を導いてくれた。

「うん。行こう。行きたい」

 と言うと、背中を押した当のトモビキは満足げに微笑んだ。

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