十 なあ、嘘の思い出話をしていいか

 アムリタはコーレスを連れて部屋を出た。

 早朝。

 トモビキはまだ寝ていたが、今日は起こさなかった。

 フラヴィが一緒に散歩に行くと言ったからだ。

 校門の脇でフラヴィは待っていた。

「おはよう」

「おう」

 フラヴィは手を差し伸べた。

 どういうことだろうとその手を見ていると、

「リード」

 と言った。

 コーレスの首輪につながっているリードを渡すと、フラヴィはそれを二周手に巻き付ける。

「よし行こう」

 フラヴィが校門をくぐると、コーレスはとてとて走ってフラヴィの前に出る。

 引っ張られるままにしてフラヴィは歩く。

 コーレスが望むなら走ってやってもいい、という態度で平然と歩速を合わせる。

 そしてマキタルと顔を合わせる。

「あら、今日はお姉さん」

「こんにちは」

 愛想があまりないフラヴィは愛想のないなりの半端な笑顔で挨拶した。

「フラヴィです」

「マキタルです。よろしくね」

 アムリタの言っていたとおり、ノクイに似ていた。

 ノクイはマキタルに会ったことがあるんだろうか、とフラヴィは気になった。

 姉妹じゃないとしても、実は昔からの友達で、ずっと仲良くしているうちにいつの間にか外見まで似てしまったのだ。

 そんなふうにノクイが話してくれたら最高に面白い。

 でもそんなことはないんだろう。ただ似てるだけ。

 だけどもこんだけ近くに住んでいるのだ。

 すれ違ったことくらいはあるだろう。

 その時彼女は、今の人私に似ていたなって思ったんだろうか。

 それとも全然気付いていなかったんだろうか。

「ねえ、トモ君は?」

 とマキタルはアムリタに聞いた。

「寝てます」

「病気? 大丈夫なの?」

「え、普通に元気ですけど、どうして」

 アムリタが首を傾げると、

「だってあなたたち昨日、来なかったじゃない。なんかあったのかなって心配してたのよ」

 とマキタルは言った。

 昨日の朝は、あの町にいた。

 まさかドームの話をするわけにもいくまい。

 どう誤魔化すのやらとフラヴィはアムリタの返答を気にしたのだが、

「ああ、私たちあの町にいたんですよ。氷のドームの」

 と素直に言ってしまった。

「えっ、そうなの? 閉じ込められてたの?」

「閉じ込められてたら一昨日の朝もいなかったですよ」

「あっそうか。え、じゃあどうして?」

「友達が閉じ込められてたんですよ。だから心配で行っちゃいました。トモ君と、フラヴィも一緒でした」

「へえ、そうなの」

 とマキタルはフラヴィを見て、話を振る。

「私の友達ではないですけどね。アムリタの、新しい友達です」

「その子、無事だったの?」

「元気も元気です。私の友達、強い子なんで」

 アムリタは力こぶを作るポーズをした。

「よかったわねえ」

「はい」

「行ったはいいけど、なにもすることなくて待ちぼうけでしたよ」

 とフラヴィはアムリタを見て言った。

 アムリタは困ったふうに苦笑した。

「でも昨日の朝まで待ってたから、ドームが消えるところも見てたんですよ」

「ああ、あれは凄かったな」

 とフラヴィ。

「そうなのね。テレビで見たけれど、ただただ真っ白だったわ」

「実際に見てもただただ真っ白でしたよ」

「でも、そのただただ真っ白の中にいたんです」

 とアムリタは自慢する。

「全然周りが見えなくて、どこを見ても真っ白で、なんだか心にじんわり来ました」

「なんか神秘的ね。って、そりゃそうか。氷のドームなんて普通のことじゃないものね」

「近くにいるだけでなんか寒かったですよ」

 とアムリタは言った。

「あ、ちょっとここ寄るからよろしく」

 途中にコンビニを見つけて、フラヴィはリードをアムリタに返した。

 フラヴィはあっという間に出てきたが、手ぶらだった。

「どうしたの」

 とアムリタは聞く。

「煙草買った」

 とポケットにしまった煙草の箱を見せる。

「フラヴィって煙草吸わないよね?」

「そう。今日がデビュー」

 吸おうと思ったきっかけは単純で、リドングだった。

 彼と幸せについて話している最中に彼が煙草を吸っていたから、吸ってみようという気になったのだ。

 しかしフラヴィはすぐには吸わないで、そのまま散歩を終えた。

 コーレスを部屋に戻すと、トモビキがいなかった。

「いないのか?」

「食堂かな」

 とアムリタたちも腹が空いていたので食堂に行ってみると、やはりトモビキがいた。

 トモビキはアムリタたちの姿を認めると、

「おいアム、凄いぞ!」

 と手に持ったスプーンを振った。

 彼の目の前にはかき氷が置いてあった。

「かき氷だ」

 と近寄ってアムリタは言った。

「ノクイさんが削ってくれるぞ」

 料理が置いてあるカウンターのすぐ傍にキッチンの入り口があり、そこにテーブルとかき氷機を置いてノクイは立っていた。

「ノクイさんおはよう。今日は早いね」

「そう。今日は昼にかき氷出すから、その練習」

「じゃあ私の分ちょうだい」

「私のも」

「はいはい、順番にね」

 アムリタとフラヴィはかき氷とスプーンを受け取る。

 フラヴィは悪戯を思い付き、トモビキに近寄ると自分のスプーンをトモビキのかき氷に突っ込んだ。

 スプーンは魔法で熱くしてある。

 かき氷が瞬く間に溶ける。

「お前、なにしてんの!」

 トモビキが声を上げるとスプーンを抜き、フラヴィは鼻で笑った。

 嫌がらせができて満足した彼女は自分のかき氷をすくって口に入れた。

 スプーンはまだ熱いままだった。

「あっついっ」

「馬鹿かよ」

 一瞬でトモビキは呆れ顔になった。

「やあおはよう。朝から元気そうじゃないの」

 とオミオミが食堂に入ってきた。

「早速だけどフラヴィ、煙草買ったでしょ。それ箱ごとくれない?」

「なんで知ってるんですか」

 とフラヴィは目を大きく開く。

「予知夢を見たんだ。煙草は君の幸せじゃないみたいだよ」

「じゃあなにが私の幸せだったんですか」

「それは知らない」

「え、予知夢見たんですよね?」

「うん。私がフラヴィからもらった煙草を持って焼き肉屋に行くと、丁度煙草を切らした人と出会うんだよね。まさにその人が吸っている煙草が君の煙草で、それをあげた私は大変感謝される。それで色々あった末に、最高級の牛肉が送られてくるという夢さ」

 にこにことしてオミオミは語った。

「ただの夢なんじゃないですか、それ」

 とフラヴィは疑いの目を向ける。

「いいや、予知夢さ。だからその煙草を私によこしなさい」

「その前に一本吸っていいですか。それでいまいちだったら渡します」

「わかった」

「ここ禁煙なんですけど」

 とアムリタが注意するが、聞かずにフラヴィは一本出した。

 指でつまんで火を着ける。

 そして煙を吸い込んだ。

「どう?」

 とオミオミが聞く。

 フラヴィは目をつぶってなにかを考えてから、

「思い出しました。そもそも私、煙草の匂いとか苦手でした」

 と言って箱をオミオミに渡した。

「はいどうも。牛肉届いたらフラヴィにも食べさせてあげるよ」

「ありがとうございます」

 煙草を口から離し、無念そうにフラヴィはうつむいた。

「それはそうと、一応保健室に行っておいでね。舌、火傷にはなってないと思うけど」

「あ、そういえば全然痛くない」

 悪戯のためスプーンはこの前コーヒーの時よりもずっと熱くしてあった。

 それなのに舌の痛みはいつの間にか全くなくなっていた。

「もしかしてオミオミが治したの」

 とアムリタは言った。

 オミオミは素知らぬ顔をする。

「導師様、俺のかき氷も元通りにしてください」

 トモビキは溶けてしまったかき氷を差し出した。

「そんな力は私にはない」

「そんなあ」

 とトモビキは落胆する。

「ほら、代わり。これ食べな」

 ノクイがもう一つかき氷を作って、トモビキの前に置いた。

「ありがとう、ノクイさん」

 そのかき氷をアムリタが一口すくって食べた。

 トモビキはアムリタを睨んだ。

 アムリタは挑発するように笑みを浮かべる。

 仕返しにトモビキはアムリタのかき氷にスプーンを入れて、一口奪った。

 するとアムリタはまたトモビキのかき氷から一口食べる。

 その繰り返しだ。

 どちらの器も空になると、アムリタは頭を抱えた。

「痛い」

 アイスクリーム頭痛だ。

 張り合ってハイペースで食べていたせいだ。

 しかし一方でトモビキは平気だった。

 人間離れした肉体の性能はアイスクリーム頭痛にも強かった。

 トモビキは立ち上がって、パンなどアムリタの分の朝食を取ってくる。

 トレーをそっとアムリタの前に置いた。

 見ると、トモビキが自分の分として持ってきたものと全く同じ中身だった。

 スープの量まで合わせてある。

 なのでアムリタはトモビキのトレーからパンを取った。

 第二ラウンドの始まりだ。

「馬鹿だろ」

 とフラヴィは立ち上がって、カウンターに向かう。

 第二ラウンドでは勝敗がつかなかった。

 競い合う振りをしているだけでどちらも相手のペースに合わせて食べていたからだ。

「シュバリーたち、仲良くできるといいよね」

 とアムリタはジュースを飲む。

「なあ、嘘の思い出話をしていいか」

 とトモビキは言った。

「して」

「小学生の時、クラスメイトの猫が逃げたことがあった」

 既に嘘だ。

 トモビキは学校教育を受けたことがなかった。

「クラスの誰かが言い出して、クラスみんなでその猫を探すことになったんだ。正直俺は気が乗らなかった。仲良しでもないやつのためになんでそんなことしなくちゃいけないんだってな」

 ノクイも含めて四人がトモビキに注目して、どんな話をするつもりなんだろうと気にしている。

 トモビキは一定のリズムを保って語った。

 俺は仲の良かった友達と二人で喋くりながら猫を探した。

 正直見つける気なんてなかった。

 なのにその友達ってやつがどういうわけだか強運の持ち主で、探し始めてから数分で猫を見つけた。

 猫も逃げ出したりしなかった。

 それで俺たちは猫を捕まえることに成功した。

 これで帰れる。

 早く報告しに行こうと俺は言った。

 だけど友達は首を振って、こう言った。

 こういう事件って、後々思い出になるでしょう。あの時、猫を必死に探したよね、って。みんなのためにももう少し見つかってない振りをしよう。みんながもっと必死に探し回って、思い出になるまでは逃げよう。

 なんだそりゃ、と俺は思った。

 でも俺はそれに付き合ってやることにして、今度はクラスメイトに見つからないように町中をうろついた。

 二時間、俺たちは逃げ続けた。

 友達が猫を抱えて、俺が前を歩いて曲がり角なんかでクラスメイトに鉢合わせないように様子をうかがう役だ。

 でも最後にはよりによって飼い主のやつに見つかってしまって、俺たちの逃亡は終わった。

 失敗に落ち込む俺に、二時間も稼げれば充分だよ、と友達は言った。

「その猫の事件は今でもはっきり覚えている。思い出になっている。まんまと彼の術中にはまったわけだな」

 とトモビキは締めくくった。

「でも嘘なんだよね」

 アムリタは期待に満ちた顔で言った。

「ああ。嘘の思い出話だ」

 とトモビキはそれに応える笑顔で返す。

 アムリタは笑って拍手し、外野のフラヴィは首を傾げた。

「どういう教訓だ?」

「俺にもわからん」

 と返されて、フラヴィは脱力する。

 さらにトモビキは、

「アムはどう思う?」

 と聞いた。

「つまり、つまりね」

 アムリタは胸の辺りで手を上下させて考える。

「頑張ったことは思い出になるし、思い出は友情になるってことだよ」

「それいいな。そんな感じだ」

「そんな感じって、いい加減な」

 フラヴィは呆れきっている。

 その反応も含めてアムリタとトモビキは楽しんでいるふうだった。

 そんな感じの朝で、昨日より少しだけ幸せに近付いた世界の一日は始まった。


≪第一章 不発の炎 完≫

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