九 私たちは二人までしか手をつなげない
エントランスを出る。
「ジェイル」
とテンデルが小声で驚いた。
「ジェイル?」
「うん。そこに立ってるのが」
視力の低いシュバリーに、テンデルがジェイルの存在を伝える。
教えられれば、おぼろげに見えている少年らしき人が彼であるとシュバリーにもわかる。
シュバリーはサングラスをずらした。
そしてドームの中の薄暗さを認めるとサングラスを外した。
アムリタとトモビキは、やあと声を掛け合う。
トモビキはジェイルの背を押した。
押されたジェイルはゆっくりとアムリタたちの方へとゆっくりと歩き出す。
アムリタは振り返ってシュバリーを見る。
「行ってらっしゃい。頑張って」
シュバリーはうなずき、ジェイルに向かって歩く。
彼女が横を通り過ぎる時にアムリタは、
「大丈夫。私たちが一緒だから。手をつないでいるから」
と言った。
そして見えない手を伸ばす。
念動の手はシュバリーの左肩を軽く叩いた。
それから左腕をそっとなぞって下っていき、彼女の手と見えない手とをつながせる。
アムリタは見えない手に力を込めて、一緒にいるというメッセージを伝えようとした。
まるで人質と身代金を交換するように、トモビキやアムリタたちはその場に留まり、その中間地点に二人は進む。
一メートルの間を取ってどちらともなく立ち止まった。
先に口を開いたのは、見えない手を握っているシュバリーだった。
「私、友達できたよ。ちゃんと」
ジェイルは不安げな顔をしてシュバリーを見た。
これからシュバリーが語ることは、ジェイルの行いが彼女のためになっていなかったのだと思い知らせるかもしれないからだ。
「誤解させてごめんね。私、いじめられてなんかないんだ。クシャ美ってあだ名を付けられたって話、前にしたよね。私あれ、凄く嬉しかったんだよ、本当に」
「本当に?」
「だって初めての、まともなあだ名だもん。いや、まともじゃないかもしんないけど」
くすくすとシュバリーは笑う。
「だからね、ジェイルがナイフでテンデルを刺しちゃった時から、ずっとそのことを伝えたいって思っていたんだ」
シュバリーは後ろを振り返る。
そこにはアムリタとソルテラと、テンデルが立っている。
「テンデルとは友達になったんだ。彼は不器用だけど、優しいよ。ジェイルのことだって恨んでないくらい」
「シュバリー、本当にいじめられてないのか? 本当にあいつと友達になったのか? 無理はしていない?」
過保護な母親みたく心配して、次々に質問する。
シュバリーはその一つ一つに、いじめられてないよ、なったよ、無理なんてしてない、と答えた。
シュバリーの答えを聞いてから最後に、
「じゃあ、俺のやったことは間違っていたのか?」
と救いを求めるようにジェイルは聞いた。
だけどなんて言ってもらえれば救われるのかジェイルにも、アムリタやトモビキにもわからなかった。
間違っていたと突き放すのは簡単だ。
だけどこの少年をここから立派な人間に成長できるよう導くには、どんな言葉をかけたらいいのだろう。
難しい問題にアムリタとトモビキは顔をしかめた。
しかしシュバリーの頭の中には、既にその答えが練ってあったらしかった。
「みんな優しいよ。みんな自分の人生に必死で手一杯なのに、それでも人のために優しさを搾り出してくれるよ。私にはそれが感じられて、だから私はこの世界に生まれてよかったって思うんだ。ソルテラもテンデルも、ジェイルも、私の周りにいる人はみんなみんな優しいから、そう思うんだ」
ジェイルは突き放されたように感じた。
でもそれは崖下に突き落とされるのとは違っていた。
自分と同じ所にいたと思っていたシュバリーが、自分よりはるかに成熟した心を持っていたことに気付かされたのだった。
知らないうちに、こんなにも離れていた。
守ってあげなくても彼女は充分に強くて、俺はまだそんなに強くはなれていなかった。
そうジェイルは思った。
「だから世界を恨まないでいいんだよ。私の白い髪を恨まないでいいんだよ。誰かが搾り出してくれた優しさがたった一滴でもあれば、それだけで私たちは幸せになれるから、だから大丈夫だよ」
一滴の優しさと彼女は言うが、自分のためにシュバリーが搾り出している優しさは何滴という量じゃないということをジェイルも理解する。
だから観念した。
「わかった。こんなことはもうやめるよ」
「うん」
ジェイルはアムリタの方に歩んだ。
「俺の魔王の欠片を取ってください」
「わかった。でもここで取るのは危険だから、まずみんなでドームの外に出よう」
とアムリタは言った。
ジェイルはうなずいて、そしてテンデルを見た。
「あの、すみませんでした」
と謝罪する。
「大したことじゃなかったさ。俺のせいでもある」
「かっこつけ」
ソルテラが囁いた。
ナイフで刺され魔法で襲われたくせに、それを大したことないなんて言って許すだなんて見栄を張りすぎだ。
テンデルは聞こえなかった振りをして、そっぽを向いた。
アムリタの方に向き直ったシュバリーが右手を軽く振る。
微笑んで振り返す。
アムリタの見えない手はまだ彼女の左手を握っていた。
シュバリーは自分からは触ることのできない念動の力を、それでも大切そうに左手に包み込んでいた。
大通りを塞ぐ火が消え、事件の犯人はトモビキたちに連れて来られると、町の人々の避難が始まった。
警察の車両や救急車がドームの中に入って、自力で避難できない人たちを運んだ。
「結局レジスタンスはなにもできなかったか」
とソルテラの父が自嘲するように言った。
避難の手伝いをしようと思ったのだが、一度ドームから出た人はもう入らないようにと警官に言われてしまい、ドームの外で人だかりを見ているばかりだった。
「シュバリーを助けたよ。それが犯人の自首にもつながった」
とソルテラは言ったが、ソルテラの父は首を振る。
「それはレジスタンスの手柄じゃない。君たちの功績だよ」
「普段からその調子で褒めてほしいんだけどな」
とソルテラは照れくさそうにする。
「今回が特別です」
「つまんないの。それにしても避難って、いつまでかかるんだろう」
「結構かかるんじゃないかな。町には、びっくりするくらいたくさん人が住んでいるものだから」
一人残さず避難させるのに、朝までかかった。
警察官たちは寝ずにドーム内を捜索して、身寄りのない老人や火事場泥棒たちをドームから連れ出していた。
避難完了の報告を耳に入れたリドングが、車の中で仮眠していたアムリタたちに声をかける。
すぐに目を覚ましたのはアムリタとフラヴィで、オミオミが遅れて起きた。
起きそうにないトモビキは、アムリタが頬をつねって無理に目覚めさせた。
「じゃあ欠片を回収しよっか」
肝心のジェイルは眠っている。
「起こさなくていいのか」
とトモビキは聞く。
「ドームが壊れるところをわざわざ見せる必要はないと思う。寝かせておいてあげよう」
とアムリタは言った。
見せるべきか見せないべきか、それぞれに意見があったが、誰もがアムリタの意見に従う気でいてなにも言わなかった。
「では抜きます」
アムリタは見えない手をジェイルの体内に侵入させた。
降参してすぐに切られた耐性は寝ていても戻らなかった。
戻すにはスイッチを切り替えるみたく自分の意思でオンにする必要があるらしい、というのはささやかな発見だった。
アムリタはさっくり欠片を回収した。
あれだけの魔法が使えるのだから欠片も大きいかもしれないと思ったが、この前に犬から回収した欠片とまるで同じ大きさだった。
ジェイルの体から欠片が抜き取られると、白っぽかった氷のドームから霧に覆われ始めた。
溶けた氷が霧に変わっているのだ。
「アム、告白します」
とトモビキは手を挙げた。
なんだなんだとフラヴィとリドングが注目する。
「正直今回はどうなるもんかと思ってたけど、でも全部無事に終わってよかった。アムが頑張ってくれたからだ。ありがとう」
「じゃあ私も告白します」
とアムリタも手を挙げた。
「どうぞ」
「なによりも私とトモちゃんが無事だったのがよかった。安心した」
「途中、二手に分かれてしまったものな」
「トモちゃんは大丈夫だと思ってはいたけど、でも傍にいないと心配になっちゃうよ」
「俺もそうだった」
「よくわからん」
とフラヴィは首を傾げつつ二人から顔を背けた。
フラヴィの思った告白ではなかったが、いちゃつくところを見せつけられてしまった。
霧は降りてきて、町に充満する。
アムリタたちの乗る車も、大通りのすぐ近くに座り込んでいるソルテラたちも霧に包まれて、数十センチ先すら見えなくなった。
ソルテラのすぐ近くにいたシュバリーが、ソルテラの手を握った。
「デル君もこっち来なさい」
とシュバリーは声をかける。
テンデルは二人からちょっとだけ離れて座っていた。
女子と密着しているのは変だという照れの分の距離だ。
「こっちってどこだよ」
と言いながらもテンデルはシュバリーに寄った。
シュバリーの手が脚に触れる。
「手をつないでおこうよ」
「別にどっか行くわけでもないだろうに」
とテンデルはシュバリーの手を握る。
「両手に花だ」
シュバリーは嬉しそうに言った。
「デルは花じゃないね」
「ああ、花じゃない」
「ハナちゃん」
とシュバリーは言ってみた。
テンデルは硬直した。
「気に入らなかった?」
「いや、クシャ美がそう呼びたいなら、そう呼んでくれ」
覚悟を決めた声でテンデルは答える。
シュバリーは吹き出した。
「無理しなくていいよ」
「そうだよ、無理すんな馬鹿」
とソルテラが乗っかる。
そして二人はけらけらと笑った。
「君たちね」
「でもね、私は思うんだよね」
霧が視界を覆ってくれているおかげで、今はなんでも好きなように話せる気がシュバリーはした。
ジェイルに心の内をぶつけた余熱もあった。
真っ白な世界に自分の脳内の言葉を投映する。
「私たちは二人までしか手をつなげない。手は無限にはないから。それと同じに、優しさだって有限なんだと思う。だから私は手をつないでいる人だけには優しくできる人になりたい。それ以外の人には正直無理かもしんないから、せめてそうありたい」
「お前、これ以上優しくなってどうすんだよ」
「わかんない。世界が平和になる?」
「なるかよ。規模でかいな」
とテンデルは笑う。
笑ってもらえたので、シュバリーは世界平和に興じる。
「でもさ、みんながみんな、こうして手が塞がってれば喧嘩なんてできないよ。平和」
「花いちもんめはできる」
見えているかわからないが、テンデルは片足を蹴るように上げた。
「あの子が欲しい」
とソルテラが歌う。
「あの子じゃわからん」
とテンデルは返す。
「ジェイルのことでしょうが」
「そこ冷静につっこむなよ」
間のシュバリーが、なに言ってるの、と腹を抱えた。
「すげえ笑ってる」
「ツボに入ったね」
笑いまくるシュバリーを二人は微笑ましく思った。
一分はひいひいと笑い続けて、ようやく収まって、息を整える。
「でもジェイル、大丈夫かな」
とシュバリーは言った。
「うん?」
「こんなことしちゃって、死刑になったり、しないよね?」
「大丈夫なんじゃない」
ソルテラは平然として言った。
「ほら、テレビでたまに見るでしょ。殺人犯事件とかの被害者の親が、うちの子どもは死んでしまってもう二度と会えないのに、犯人はたった数年刑務所に入ってそれで終わりなんて許せない、みたいなの言ってるの」
「あるある」
「この国はそういう国なんだから。ジェイルは未成年なんだし、誰が許そうが許すまいが、たった数年で帰ってくるんじゃないかな」
「そっか。ちょっとほっとした。ほっとしちゃ駄目かな?」
「いいだろ」
とテンデルが言った。
「誰が許そうが許すまいが、ほっとするやつもいるだろうさ」
「うん。そうかも」
「ちなみに私は許してない。クシャ美はないでしょ」
とソルテラ。
「根に持つ!」
「冗談だよ。でもね、子どもできてもお前が名前付けない方がいいと思う、絶対」
「おいクシャ美、なんか言ってやれ。俺をかばってくれ」
「え、無理」
「おいクシャ美!」
「へへへ」
霧は一時間ほど町に残っていた。
それがすっかりなくなると、氷から解放された町は日の光を浴び、色を取り戻す。
シュバリーはサングラスをかけて、町に戻った。
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