八 またいつかお前のあだ名を作る

 アムリタは自転車をこいで、ソルテラの家まで引き返した。

 門の前で電話をかけると、ソルテラとテンデルともう一人男が出てきた。

 細身の青年だった。

 リビングで見た記憶はあって、レジスタンスのメンバーだとはわかったけれども、彼が一緒に降りてきた理由は不明だった。

「その人は?」

 とアムリタは聞いた。

「この人、シュバリーのマンションに住んでるの。だからエントランスのドアは開けられるって」

「壊されても困るからさ、同行させてもらうよ」

 と男は言った。

「はあ、ありがとうございます」

「車、出しますか?」

 とソルテラ。

「うん。お願い」

 自転車を四人乗りできるはずもない。

 執事の運転で車はマンションに向かう。

「氷の鳥はいなくなりましたね」

 と運転しながら彼は言った。

「トモちゃんが今ジェイルと戦ってますんで、いても害はないと思います」

「トモさんは大丈夫なのか」

 とテンデルは聞いた。

「平気だよ。トモちゃんは馬鹿力だから」

「って、信号待たなくてもいいんじゃないんですか」

 テンデルは執事に言う。

 他の車は全く走っていなかった。

 それなのに執事は赤信号で律儀に車を停止させている。

「もしものことがあっては大変ですから」

「今が既にもしもなんじゃないんすかね」

「アムリタ様はどう思われますか。急いだ方がよろしいでしょうか」

「別に急がなくていいよ。危険はないし」

「ではこのままで」

 急がなくてもマンションにはすぐ着いた。

 青年が暗証番号をインターホンに入力して、エントランスのドアが開く。

「じゃあ僕は執事さんとここで待っているから」

「ありがとうございます。もしジェイルが来たら、抵抗しないでください」

「うん。わかった。行ってらっしゃい」

 エレベーターに乗る。

 シュバリーが住んでいるのは十二階だ。

 部屋番号を知っていたのはソルテラだ。

 ドアを破壊して郵便受けで部屋を調べるつもりだったアムリタはとんとん拍子に事が進んで気が抜けていた。

 でも最後の見せ場はまだ残っている。

 エレベーターが十二階に着く。

 シュバリーの部屋の目の前に来ると、部屋のインターホンを押そうとするソルテラをアムリタは制した。

 ボタンを押せないように手で覆って、アムリタは言った。

「サプライズはここからだよ」

「え?」

「まあ見てなさい」

 ソルテラをインターホンから遠ざけ、アムリタはドアに張りついた。

 片耳を付け、右手の指を鍵穴に添える。

 見えない手をドアの向こう側へ伸ばす。

 そして右手の位置を参考にしてドア内側のつまみ、サムターンを探す。

 大体の位置を予測して念動の指をひねると、一度で成功してガチャリと錠前の回る音がした。

 解錠はアムリタの得意技だ。

 アムリタはドアを開けて、ソルテラとテンデルを中に招く。

「お邪魔します」

 と小声で二人は入る。

 勝手に鍵を開けて入ってしまって、泥棒の気分だ。

 遊びに来たことのあるソルテラが先頭を歩いた。

 まずシュバリーの部屋をノックして開けるがそこにはいなかった。

 廊下を進んでリビングに入ると、そこに白い髪の少女と彼女の両親がいた。

 

「あ、こんにちは」

 遠慮がちにソルテラは挨拶する。

 突然に人が入ってきて、両親はひどく驚いた様子だった。

「ソルちゃん?」

 と友人の訪問にシュバリーの表情は華やぐが、両親は動揺している。

「え、鍵どうして」

「私が開けました」

 二番目に並んでいたテンデルを押しのけてアムリタが顔を出した。

「この人、アムリタさん。町の外から私たちを助けに来てくれた、魔法使いの人です」

「どうも。びっくりさせようと思って魔法で鍵開けちゃいました。びっくりしました?」

「ええ、とても」

 とシュバリーの母はまだ困惑した顔をしている。

 そしてシュバリーは蛙の顔のデザインのスリッパをぱたぱたと音立てながらソルテラに抱き付いた。

「助けに来たよ」

「ソルちゃん来てくれてありがとう。アムリタさんもありがとう。すっごくびっくりしました」

「よかった」

 とアムリタもにっこりと笑む。

 少女の瞳は青っぽかった。

 シュバリーはアムリタの後ろにいるテンデルに気がつく。

「あ、デル君?」

「よう」

 控えめに手を挙げ、恥ずかしがっている小さな声でテンデルは言った。

「デル君も来てくれたんだ。ありがとう」

「ああ、でも俺はシュバリーに謝りに来たんだ」

「え?」

 アムリタは端に寄って道を空ける。

 ソルテラもシュバリーを離して、二人を向かい合わせた。

「こんなことになってしまったのは、俺がお前に変なあだ名を付けてしまったせいだ。いや、こんなことにならなくても、お前を傷つけてしまった。それを謝りたかったんだ。すまなかった。ごめんなさい、シュバリー」

 テンデルは頭を下げた。

 罰を受けるために後頭部を差し出したようでもあった。

 テンデルの無抵抗の頭をシュバリーの言葉は撫でた。

「ううん、私は傷ついてなかったよ。それよりも私のこと心配して来てくれたんだよね。ありがとう」

「シュバリー」

 優しく接されてテンデルは泣きそうになった。

 シュバリーはさらに優しく言う。

「あのさ、シュバリーって呼ぶのやめて。私はクシャ美がいい」

 テンデルは顔を上げた。

 信じられないという顔でシュバリーを見る。

 そうした拍子に、目に浮かんでいた涙が一筋頬を流れた。

「私の生まれつきの色々なことと関係のないあだ名。デル君はそれを考えて、私にくれたんだよね。だから初めて呼ばれた時から私は嬉しかったんだよ」

 まあ、あんまりにも変なあだ名だったから、最初は動揺したけど。

 そうシュバリーは苦笑いした。

「いいのか?」

 確かめるようテンデルはシュバリーの顔を覗き込む。

 シュバリーはうんとうなずいた。

「じゃあ、クシャ美。俺をお前の友達にしてくれないか」

「もちろん。もう友達だから、私たち」

 二人は握手をする。

 テンデルはシュバリーの手を離さずに、

「いつか、またいつかお前のあだ名を作るよ。今度はちゃんとセンスのある、お前が気に入るようなのを。それまではすまないがクシャ美で我慢してくれ」

 と言った。

「うん。待ってる。でもクシャ美のままでも大丈夫だよ」

「ソルテラにやたらダメ出しされたんで、俺が恥ずかしいんだ」

「あはは」

 シュバリーはソルテラの方を見て、

「そんなに酷くないよ」

 と言った。

「そうかなあ」

「お前、シュバリーのくしゃみ聞いたことないだろ」

 握手していた二人の手は離れ、三人の輪になる。

「そういえば、ない。シュバリー、風邪とかひかないよね」

「うん、くしゃみなんて滅多にしない。学校でしたのも一度だけ。その一度をデル君に聞かれちゃったんだよ」

 シュバリーはちょっと恥ずかしそうにした。

「どんなだったの」

 とソルテラはテンデルに聞く。

「秘密だ」

「なんで」

「友達なんだから、一緒にいればそのうち聞けるだろ。それまで楽しみにしておけよ」

「絶対しないけどね」

 とシュバリー。

「なにそれ。絶対聞いてやるから」

 ソルテラが言い返すと、シュバリーとテンデルは一緒に小さく笑った。

「そうだクシャ美、俺たちはお前を助けに来たんだよ。こんな世界、お前の望んだ世界じゃないんじゃないかって思って。もしそうなら、俺たちと一緒にこのドームから逃げないか」

 本題に戻ってテンデルは言った。

 なにも考えていないみたいにシュバリーは即断して誘いに乗る。

「うん。一緒に行く」

「そうか」

 ほっとした。

 シュバリーの本心を読み違えていたらどうしようという思いがテンデルたちにはあったが、彼らが思ったとおりシュバリーはこの事態を歓迎していなかった。

「でも一つ、わがまま言っていいかな」

 とシュバリーは言う。

「言ってみてくれ」

「逃げるんじゃなくて戦いたい。ジェイルを止めて、私たちの世界を取り戻したい」

「シュバリー、それ本気?」

 とソルテラ。

「うん。だって私ならもしかしたらジェイルを止められるかもしれないから。それをしないで逃げたくはないよ」

 ソルテラはアムリタを見て、判断を委ねた。

「協力するよ」

 とアムリタは答えた。

 シュバリーが説得すれば、ジェイルも諦めて耐性を切ってくれるかもしれない。

「あとね、ソルちゃんもクシャ美って呼んでよ」

「えっ」

「私の大切なあだ名、友達には呼んでほしい」

「わかったよ、クシャ美」

 まだ慣れないふうにソルテラはあだ名で呼んだ。

 次呼ぶ時にはシュバリーと呼んでいそうなぎこちなさだったけれど、もしそうなってもシュバリーはしつこくあだ名で呼ぶことを迫るのだろう。

 シュバリーが自分の意思を喋る時には、それを曲げる気のない強さが感じられた。

「それじゃあクシャ美、行こうか」

 とアムリタは言った。

「あ、ちょっと準備するんで待ってください」

 シュバリーの準備というのは、日焼け止めを塗ってサングラスをかけることだった。

 それが終わると挙手して、オッケーです、とアムリタに言う。

「よし、それじゃあ改めてレッツゴーだ」

「お父さんお母さん、行ってきます」 

 とシュバリーは両親に手を振る。

 心配そうにして手を振り返せないでいる両親に反して、シュバリーはずっとにこにこと笑顔でいる。

 アムリタは早歩きをして先頭に立つ。

 いじめじゃなかった、と思った。

 テンデルがいじめじゃないと話した時にはそう思えなかったけれど、これはいじめじゃなかった。

 やられた側がいじめだと思ったらそれはいじめ。

 そんな言葉があったけど、テンデルの思いやりをシュバリーはしっかりわかっていて、感謝までしている。

 だからこればっかりは、いじめではなかったのだ。

 あんなあだ名を付けられたのに、それでも秘められた厚意を正確に見抜いて受け取っていた彼女の感受性をアムリタは綺麗だと思った。

 シュバリーがアムリタの真横に並ぶ。

「アムリタさん、クシャ美って呼んでくれてありがとう」

「そりゃあ、さっきの聞いてたらね」

「アムリタさんっていくつなんですか? 私たちと近そう」

「十五歳」

 シュバリーたちとは一歳か二歳の差だ。

「やっぱり。リータちゃんって呼んでいい?」

「いいよ」

 リータは今までにないパターンだなあ、とアムリタは思った。

 大体がアムで、たまにそれを変形してアミィなんて呼ばれる。

 あるいは死神だ。

 アムリタはエレベーターの閉まるボタンを押す。

 ドアが閉まると、

「クシャ美、心の準備はいい?」

 と聞く。

 少し前に欠片の接近を感じて、下にジェイルが来ていることがアムリタにはわかっていた。

「たぶんすぐにジェイルと会うことになるから」

「平気。準備は出来てる」

 そう言うだろうと思っていた。

 こんなにもしっかりと強い子なのだから、ジェイルもそんなに心配して守ってやろうなんて考えなくてよかったのに。

 シュバリーの戦いは、それをジェイルにわからせるってことだった。

 エレベーターが一階に着いてドアが開くと、エントランスのドアの向こう、車道に立つジェイルとトモビキの姿が見えた。

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