七 可哀想な女の子を助けてあげられる人間

 トモビキから電話がかかってきて、ジェイルを確保したと報告を受けたフラヴィは、やっぱりな、と思った。

 自分の出番はなく事が終わるだろうと思っていた。

 そんな状況になることも全く望んでいなかった。

 もし望むことがあるとすれば、自分がトモビキの代わりにドームの中に入っていることだった。

 でもそれは実現しない。

 こういう編成になるように私たちは生まれ、育ってしまった。

 電話を切る頃には、フラヴィはやるせない気持ちになっていた。

「なんだって?」

 とオミオミに聞かれる。

「このままの場所で待機していてほしいそうです」

 嘘をついた。

 移動しなくていいのは楽だとリドングがほっとしたように言った。

 ライフル銃を受け取った後、三人は火の阻まれている大通りに立っていた。

 この大通りと、トモビキたちが潜入したビルはジェイルの逃亡ルートであったから、移動を指示されるまではここを見張っておくことにした。

「向こうの状況はなんだって?」

 リドングはそう聞きながら、煙草の箱を取り出した。

「吸うんですか、煙草」

 とフラヴィは尋ねた。

「ああ、すまん。苦手だったか?」

「いいえ、吸ってください。火、着けますよ」

「いや、そんなことはしなくても」

「いいですから、やらせてください」

 リドングは仕方なしに煙草を咥えた。

 その煙草の先端をフラヴィは親指と人差し指でつまんだ。

 数秒待つと、火が着いた。

「これは、魔法か?」

 丸くした目を煙草の先に向けてリドングは聞いた。

「はい」

「君も火の魔法を使うんだな」

「そうです。でも私のはこれが限界です」

 直接触れなければ着火はできない。

 それが彼女の限界だった。

 なにもないところに火を出すこと、離れた物を燃やすこと。

 ジェイルにできることが彼女にはできない。

「私には魔法の才能がないんですよ」

 とフラヴィは言った。

「犯人は私以上に火の魔法を扱えます。それに氷の魔法まで。それだけじゃない。ドームに入っていった二人にも私はひどく劣っています」

「でも、どうせ魔法は効かないんだろう?」

「それは嘘です。効かなくても関係はあるんです」

「どういうことだろうか」

「アムリタの念動は、使いようによっては魔法使いを攻撃できます。たとえば手を使わずに発砲する、とか」

 あるいは単に物を投げるという手段もあった。

「銃を撃つのか」

「はい。そうすれば不意を突いて相手を無力化できます」

「確かにそれは強力かもしれん」

 アムリタの魔法によって空を飛ぶ銃が発砲してくるのをリドングは想像した。

 かもしれないと言いはしたが、間違いなく相手にしたくない魔法だと思った。

 浮いている銃とアムリタ、二方向に意識を向けていなければならないのだからかなり戦いにくいだろう。

「私の魔法ではそんな芸当はできません。私がライフル担いでバックアップをしているのは、私には彼らのようなことができないからなんです」

 こんなことは部外者のリドングに話すことではない。

 そう思いながらも、フラヴィは話したい欲求を抑えられなかった。

 乱暴なことはしないが、八つ当たりのようなものだった。

 フラヴィがリドングに話すのをオミオミは二人の一歩後ろで聞いている。

 核心は避けて話しているからか、止めに入らない。

「君だけが取り残されている。そう感じているわけだね」

「そうです。私は特別じゃなかった。だから選ばれなかった」

「歯がゆいよな。待機しているだけというのは」

 とリドングは共感した。

 ドームを目の前にして、突入できずにいる警察官たちの思いでもあった。

「私はアムリタのお姉さんをやりたかったんですよ。あの子は教会に来た時、この世の悲劇をいくつも体験してきたような顔をしている、可哀想な女の子でした。事実彼女はその魔法の力のせいで死神と呼ばれて恐れられて、それで辛い思いをしていたみたいでした」

 その心を癒やしてあげようと、フラヴィは彼女の世話を買って出た。

 死神と呼ばれていることもその原因である魔法のことも、全く気にならないというふうに振る舞った。

 優しくて、いつでも傍にいてくれるお姉さん。

 そんな存在であるために、教会が所有していた魔王の欠片を体内に移植してもらいさえした。

 教会は最初からアムリタには欠片の回収をしてもらうつもりでいて、そのパートナーになるつもりだった。

 だけどアムリタを癒やしたのも彼女のパートナーになったのも、彼女と共に教会に連れて来られたトモビキだった。

「彼女は私よりもトモビキと強い絆を結んでいて、私の入る余地はないように感じました。もし私に力があったら、バックアップではなくてアムリタと一緒にドームに乗り込む合理的な理由になるくらいの力があったら、私はあの子のお姉さんになれたんじゃないかと思ってしまうんです」

「君がそうまでアムリタちゃんにこだわるのには、なにか理由があるのかな」

「私はたぶん、アムリタのことを可哀想だと思っていたんですよ。そしてその可哀想な女の子を助けてあげられる人間でいたかった。滑稽ですかね?」

「いや。わかるよ。俺は刑事になりたくて、今こうしてそうなったけれど、今の俺は俺がなりたかった刑事とは少し違う」

 リドングは携帯灰皿に煙草を押し付けた。

「欲しいものが手に入るとは限らない。けれど手に入ったものの中に、これが自分の幸せだったんだと思わせるようなものがたまに混じっている。それが人生だと俺は思うよ」

「私にもそういうものが現れてくれるんでしょうか」

「きっと現れるさ」

 と言ったのはオミオミだった。

「いつ現れますか? 予知してくださいよ」

「年内」

 即答した。

「本当ですか?」

「いや、わからない。予知なんて寝ないとできないから」

 それに意図して夢を見られるわけでもないとオミオミは言った。

「寝ればできるというのも凄い話ですが」

 とリドングは興味深そうに笑う。

「それよりもリドングさんは出会ったんですか。これが自分の幸せだって思うものに」

「ああ。出会ったとも。俺はな、休みの日には釣りに出かけている」

「釣りですか」

「船で海に出てな、釣り糸を垂らしたらじっと海面を見つめているんだ。たまに空も見る。本当は釣りをするってよりも、そうやって海なんかを見ているために釣りに出かけているようなものさ。釣りなんかしなくても飯は食える。でも海そのものから恵みを受け取るには海に行かなくちゃいけない」

「海そのものの恵み、ですか?」

「そう。水面の青さ、深い深い所の闇、揺れる波と白い泡立ち。海のあらゆることがエネルギーを持っているように感じられる。そう感じられるってことはエネルギーを受け取っているってことなのさ」

 釣りはそのおまけさ、とリドングは言った。

 海に行ったことはあったけど、フラヴィにはわからない感覚だった。

「期待しておくといいよ。君もいつかそういうなにかに出会うだろうけど、かなりの衝撃を受けるぞ。そしてそんな時に人はみんな言うんだ、人生が変わったってな」

「人生、うん、そうですね。私の人生はまだ変わってないです。いつか、変えます」

「その調子だよ。未来の君は、君の思い描いていたとおりの君じゃないかもしれないけれど、それでも君は幸せになっているはずさ」

 リドングの言葉は、魔王の欠片も予知能力もない人間の言ったことなのに真実味があって、彼の語る未来は確定しているように思えた。

 こんな辛気くさいドームの前に立っていても仕方ない。

 早く未来が来てほしい。

 まるでクリスマスプレゼントを待つ子どもみたいに、時が早く過ぎるのを願っている自分自身に笑いそうだ。

 今この時だけかもしれない、と思いながらも、アムリタへの執着が薄れていることを感じていて、こだわりが抜けると弾けるように軽やかな気分になるんだとフラヴィは知った。


 フラヴィの気持ちが晴れたことは、後ろに立っていてもオミオミにはわかった。

 よかったね、と心の内でフラヴィに言う。

 彼女が劣等感を抱くのはどうしようもできないことだった。

 トモビキとアムリタは希少であり特殊だ。

 おまけに彼らは教会に拾われるより先に出会ってしまっていた。

 二人と並ぼうなんて、無理のある話なのだ。

 その二人の希少性というのが、フラヴィが話すのを避けていた所有者同士の戦いの核心だった。

 トモビキはその存在自体が希少であり特殊だ。

 魔王の欠片を持たないのに魔法への耐性があるイレギュラー。

 所有者の欠片に察知されないことから、奇襲をしかけて一瞬のうちに戦いを終わらせることも可能だ。

 真正面から戦ったとしても、尋常でない身体能力がシンプルに彼を優位に立たせる。

 そしてアムリタは、その身に宿した念動能力に特別な意味がある。

 アムリタの念動能力を利用すれば、所有者を傷つけずに魔王の欠片を回収することが可能だ。

 彼女抜きでは外科的な手段で回収するしかなく、所有者には死亡のリスクが付きまとう。

 特に所有者が抵抗した場合、殺してから手術をして欠片を回収するケースが多かった。

 アムリタがいれば手術はいらない。

 ただし念動によって欠片を抜き取るには、相手の持つ魔法への耐性を消す必要がある。

 方法は二つ。

 一つは所有者に重傷を負わせることだ。

 弱っている状態では耐性が正常に機能しない。

 死にかけの犬から欠片を取り出したように、ぼろぼろにすれば見えない手は体内に侵入できるのだ。

 そしてもう一つは所有者自らの意思で耐性を抑えることだ。

 回収されることを望む者や降伏した者が相手なら、怪我をさせなくても念動が効く。

 だから抵抗する所有者にはまずトモビキが適度にひねって、降伏したところでアムリタの念動を使えば命の危険がない。

 フラヴィにはこの二人の代わりはできない。

 彼女が二人に同行する必要もなく、だからフラヴィはもしもの時に相手を銃殺する役を負うことになる。

 辛いかもしれないが必要な人材だ。

 人道を配慮して命を奪わないように心がけるが、それでも教会としては所有者の命よりも欠片の回収の方が重要である。

 次善の回収方法を実践できる人材はいればいるだけありがたい。

 だからオミオミにはフラヴィを楽にしてやることはできなかった。

 これからもそうだ。

 せめてリドングの語ったような出会いが彼女にあることを祈るだけである。

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