六 勝利の鍵は勇者の剣にある

 さて作戦も決まったしそろそろこの家から出ようとトモビキは思った。

「まさに氷の鳥ですね。この家の周りにもたくさんいるようです」

 と執事が階上から戻ってくる。

 そしてスマートフォンで撮ってきた写真を見せる。

 氷を彫って作ったような鳥だが彫りは粗い。

 くちばしや翼らしきものがあるので鳥だとわかるが、なんの鳥を模したかわかるほどの細やかさはなかった。

 大量生産の雑な作りとトモビキは氷の鳥を評価した。

「大きさはカラスやハト程度でしょうかね」

「ありがとうございます。大体わかりました。行こうアム」

 とトモビキは玄関に向かう。

 アムリタはテンデルたちに両手を振って、

「それじゃあ連絡するから、それまで待っててね」

 と言った。

 ソルテラの家から出るなり、すぐ近くの電線に止まっていた氷の鳥が音を立てる。

 ぎちぎちと氷を擦る音だった。

 それが鳴き声のつもりなのだ。

 トモビキは鳥に目をくれずに早足で門をくぐる。

「あれはまだ作り慣れていないか、作るのに時間をかけなかったせいで作りが甘い。たぶんすぐ壊れる」

 とトモビキは言った。

 鳴き声を上げながら飛ぼうとした氷は首元から割れ、落ちた。

「なんでわかるの」

 アムリタにはあの鳥の品評はできない。

 あんな鳥は見たことがないのだ。

 それはトモビキも同じだと思ったが、

「ほら俺、小さい頃ああいうのと一緒に暮らしてたから。使い魔とかモンスターとかっていうのは、氷とかじゃなくて動物を素材にして作った方がいいんだ」

 と彼は言った。

 物心ついた時には魔法で作られた生き物が傍にいた。

 もしかしたら生まれた時から一緒だったのかもしれない。

 彼がそんな環境にいたと聞かされて彼と出会った時のことを思い出してみれば、なるほど変な生き物が色々いたとアムリタは合点がいった。

 今となってはその姿をはっきり思い出すことができない。

 当時アムリタは五歳か六歳くらいだった。

 それに加え、モンスターたちを見たのはトモビキと出会ったあの日だけなのだ。

 あの日、アムリタは森に迷い込んだ。

 森の住人だったトモビキは一緒に森を抜け出してくれて、そして二人はオミオミに保護された。

「そろそろ来るかな」

 とトモビキはどんどん集まってくる鳥たちを見て言った。

 同時に鳥たちはどんどん壊れ、屋根や道に大きな氷の落ちる音がそこかしこでする。

 その音を頼りにしてジェイルは来るだろう。

「サプライズで助けるなんて、ハードル上げたな」

「うん。ハードルなんて、いくら高くなっても私の見えない手で倒しちゃうもん」

 冗談めかしてアムリタは余裕そうに笑う。

「なあ、アム。俺たちは魔法使いじゃないよ」

 とトモビキは言った。

 万能の力は持っていない。

 だから謙遜して所有者なんて言ったりしている。

 彼の言いたいことをアムリタは察している。

「だから頑張ろう、一緒に」

 トモビキは右手でピースした。

「うん」

 そしてアムリタは左手でピースして、互いの立てた指の先をくっ付けた。

 二人は指の腹を優しく押し付け合う。

「あ、来た」

 とアムリタはジェイルの接近を感じ取った。

 指が離れる。

「自転車かな」

 二人は十字路に挟まれた道の中程にいた。

 その道は二百メートルほどの長さで、ジェイルを逃がさないためにはもっと長くそして狭い路地で遭遇するのが望ましかった。

 だが土地勘がなくジェイルの場所もわからない二人には場所を選ぶ余裕はなくて、今立っている地点で妥協した。

 はたしてジェイルが現れた。

 アムリタが感知したとおりに自転車に乗っていた。

 ゆっくりとこいで近付いてくる。

 車道を挟んだ対岸の歩道にジェイルは止まる。

「やあ、久しぶり」

 とトモビキは声をかけた。

 ジェイルは自転車から降りる。

「俺を止めに来たんですね」

「そうだよ」

「止めないでください」

「僕が魔法を使えたら、いじめをなくしたい。泣いている人が泣かなくていいようにして、顔を上げて笑顔で歩けるようにしたい」

 トモビキが言うと、ジェイルは硬直した。

「君の詩だ」

「なんでそれを」

「君と同じ学校に行っている子のお母さんからいただいたんだ、詩集。君はそういう思いでこんなことをしている。そうだね?」

「そうです。だから止めないでください」

 ジェイルは真っ直ぐにトモビキの目を見た。

 理解してくれる人が現れたという期待の目だった。

「やだ。止める」

「えっ」

「君の魔王の欠片は回収する。この世から魔法をなくすために」

 きっぱりとトモビキは言った。

「でもこの世から魔法がなくなったって、あんたらが信じているような幸せな世界なんてやって来ないんですよ。だから俺が魔王になって、世界を作り替えるんだ。誰も傷つかないでいい世界に。それのなにが間違っていますか?」

「正しいか正しくないかはそんなに大事じゃないんだ。俺たちが手に入れたい世界には、魔法は存在していない。ただそれだけだよ」

「なら、その存在しない魔法であなたたちを焼き尽くします」

 ジェイルは右腕を二人に向かって伸ばした。

 その手首や腕先を蛇のような火が走り、消えた。

 火の魔法だ。

 しかし二人は燃えない。

 凍らそうとしてみるが、それもうまくいかない。

 ただ手を伸ばしているだけの十秒が経ってからトモビキは言った。

「魔王の欠片を持っているとね、魔法への耐性ができるんだ。君の魔法は効かない」

 それを聞いてジェイルの脳裏には逃げる選択肢が浮かんだ。

 今来た道に視線を向けると、その視線を塞ぐようにトモビキが車道の向こうからひとっ飛びで現れた。

 助走なしに二車線を飛び越えた。

 信じがたい跳躍力だった。

「降参してくれれば痛い思いはしないで済むぞ」

 そんなことを言いながらも、蹴りを繰り出している。

 ジェイルは咄嗟に左腕に氷の盾を作って、それで顔をかばった。

 左腕に受けた衝撃は微々たるものだった。

 先ほど見せた跳躍力から考えると、かなりの手加減をした脅すための蹴りだったらしい。

 ジェイルは反撃のために魔法で氷の剣を生成した。

 右手で持ったその剣を振るう。

 トモビキは裏拳で殴るようにその剣を左手で受けた。

 カウンターを兼ねた防御によって剣は折れた。

「つっ」

 剣は折れたが、ジェイルの反撃は効いた。

 トモビキの手の甲には傷がついた。

 その傷を見てジェイルは気付く。

 魔法が効かないと彼は言った。

 確かに直接燃やしたり凍らせたりはできなかった。

 しかし魔法で作った氷の剣で切ることはでき、盾で守ることもできる。

 直接魔法で攻撃するのではなく、魔法を利用して攻撃をする。

 そういうルールの戦いなのだとジェイルはわかってしまった。

 もう一回剣を作る。

 さっきの傷は出血が見られない。

 だいぶ浅かったようだ。

 そこで切れ味を増すための細工をする。

 ジェイルは、持つ氷の剣を一秒だけ燃やした。

 火の魔法によって刃を研いだのだ。

 整形された刃が光る。

 氷と火の剣。

 それは世界を変える魔王の剣、そして世界を救う勇者の剣だ。

「うらあっ!」

 ジェイルはトモビキに向かってその剣を横なぎに振った。

 その剣をトモビキは横にある民家の垣根に飛び移って避けた。

 垣根の上に乗った足はすぐにそこから落ち、垣根の壁を両足で蹴る。

 滑空するようにトモビキはジェイルに突進して、腕をジェイルの胴体に回して捕獲する。

 体を捕まえたままもう一度道路を蹴って、今度は高く跳ぶ。

 向かいの民家の屋根まで跳んだ。

 灰色の屋根にジェイルを優しく叩きつける。

「アム、そっちはよろしく」

 とトモビキは大声で言った。

「任せて」

 アムリタも声を張り上げて答えた。

 そしてジェイルの乗ってきた自転車にまたがった。

「さて、俺たちももう少し移動しようか」

 トモビキがまたジェイルを抱えようとするとジェイルは倒れたまま抵抗する。

 盾でトモビキの手を遮り、剣で顔や首を狙う。

 万全の態勢でない上に非力な少年だ。

 トモビキは脅威を感じなかったが、うざったいので武装を剥ぐことにした。

 まず盾を破壊する。

 トモビキは開いた手を盾に当てた。

 指の力だけで盾にひびが入っていき、指は盾に食い込む。

 そして握り拳ほどの氷をもぎ取った。

 既にひびが入っている盾に、もいだ氷の欠片を打ち付ける。

 すると握った氷も盾も砕けた。

 次は剣だ。

 こちらは手早く力ずくで奪って捨てた。

 なおも抵抗する脚を掴んで体を引き寄せ、お姫様抱っこをした。

「あまり怪我させたくないから、お前の三半規管をいじめることにする」

 宣言してトモビキは走り出す。

 時速六十キロの速さで家の屋根から屋根へと移動していく。

 飛び移る時には縦や横の回転を入れて跳ぶ。

 遠くからビデオカメラで映せば、荒々しくも楽しげで美しいダンスのように跳んでいるように見えるだろう。

 しかし当のジェイルからすれば、上下左右に動いて回転までする乱暴なジェットコースターだった。

 必死でトモビキの腕を掴んでいる。

 離せば遠心力かなにかで弾き飛ばされてしまうように感じていた。

 それもどこに飛んでいくのか見当もつかない恐怖があった。

 既に離してしまっていて、上だか下だかに放り出されているのではないかとさえ思う。

 そんな疑惑が浮かんでは、一秒か二秒の後に別の方向へ引っ張られるような感覚があって、まだトモビキの腕の中にいることを理解する。

 トモビキの好きなように揺さぶられていて、抵抗はできない。

 そのことを段々と認め始めると恐怖が薄れてくる。

 諦めで頭の中が真っ白になって、もうなにも考えない。

 目を開けていても、目の前にあるのが屋根なのか壁なのか道路なのか脳は解釈できない。

 そのまま一瞬のうちに見えた景色は過ぎ去った。

 死を覚悟すると、トモビキの腕を掴んでいた手の力が弱まった。

 それ以前に力の入れ方もわからなくなっていた。

 トモビキはそんな状態のジェイルをボウリングのように転がした。

 回転が弱まると、ジェイルは自らアスファルトの道路の上でうつ伏せになった。

 頬と手を地にへばりつけて、そこが下であることを確認している。

 もう落ちないのだということがわかると、どうにかこうにか顔を上げてみる。

 するとトモビキがしゃがんで覗き込んでいた。

「どうする? まだ降参してくれない?」

「燃えろぉ、燃えてしまえ」

 とジェイルは手をかざした。

「だから効かないって」

「おかしいじゃないか。あんたは魔王の欠片を持っていないはずだ」

 目をつぶり、世界がぐるぐると回っているような感覚からは意識を背けて話すことに集中する。

 今、目の前にいる男からは魔王の欠片を感じない。

 ジェイルの体内にある欠片は、トモビキになんの反応もしていなかった。

 つまりトモビキは魔王の欠片を持っていないはずなのだ。

「魔王の欠片を持っているのはあの死神だけだ。あんたは持っていない。なのにどうして魔法が効かない?」

「そこに気付いてしまったか」

 トモビキは頭をかいた。

 所有者だと勘違いしてくれていた方がよかった。

 正確なことを説明するのは面倒だ。

 彼の言ったとおりトモビキには魔王の欠片がない。

 だから魔王の欠片を探す時にはいつもアムリタ頼りで、ジェイルの接近を察知することもできなかった。

「特異体質なんだ。どういうわけか、生まれつき魔法に耐性がある」

 とトモビキは言った。

「嘘だな。魔王の欠片の力がなかったら、こんなことできるはずない」

 魔王の欠片を持っているのに、それをなんらかの手段で隠蔽している。

 だから反応がないのだとジェイルは考えた。

 こういうふうに返されるだろうから気付いてほしくなかったのだ。

「身体能力が高いのも、生まれつきなよ。生まれつきなんだから仕方ない」

「なにもかも特異体質だって言うのか? そんなの」

 あり得ない、とジェイルは笑う。

「納得できないならそういうモンスターだとでも思ってくれ。君の作った鳥よりもずっと上出来で高性能のモンスターとでも」

 そう考えれば耐性や身体能力に説明がつく、とトモビキ自身思っていた。

 幼い頃に住んでいた魔物ばかりの森の中で自分だけが普通の人間だったというのは違和感のある話だ。

 自分もまた魔物だったのだとすれば話の筋は通る。

 前にアムリタが、私のペットみたいなものだと言ったことを思い出す。

 その通りだとトモビキは思う。

 彼女を助ける使い魔、モンスター。

 自分はそういうものであると感じないこともないのだ、こんな力を持ってしまっていると。

「モンスター、モンスターか」

 世界の回転が収まりつつある、けれどもまだ少し乱れた頭でジェイルはトモビキの言葉を飲み込んだ。

 勇者の前に立ちはだかった強大なモンスター。

 彼を倒さなければ世界は変えられない。

 しかし勇者の剣は折れてしまった。

 半端な英雄気取りで勝つことはできない。

 ふとジェイルは気になった。

 このモンスターと一緒にいた死神はどこへ行ったのだろう。

 そう思うと同時にジェイルはアムリタの居場所を察知していた。

「死神、死神はどこに向かっている?」

 最悪の予想が外れていることを確かめるため、目を大きく開いてトモビキに尋ねた。

「そっちにも気付いてしまったか。やっぱりこのドームはお前のフィールドなんだな」

 ドーム全体から魔王の欠片の気配がするとアムリタは言っていた。

 きっとジェイルはドームの中にいる所有者を察知できるのだろうとトモビキは予想していた。

 その予想は当たっていたようだ。

 より意識を向けているシュバリーのマンションに近付いたことで、アムリタに気付いたのだろう。

「でももう手遅れだと思うよ。そのために俺はお前を抱えて走ったんだし」

 とトモビキは答えた。

「間に合わせる」

 ジェイルは立ち上がった。

 ふらついたが、もう目は回っていなかった。

 小学生の未発達な体ではモンスターに勝てない。

 ジェイルの導き出した答えは、魔法の氷で体を拡張し、自身もモンスターとなることだった。

 顔だけを露出して氷の鎧に身をまとう。

 氷はどんどんと膨れ上がっていき、体長四メートルまでになる。

 氷の巨大な人形の首元にジェイルの顔はあった。

 巨人の腕を思い切り振り下ろす。

 関節のない氷の腕は動かしただけでひびが入り、道路に打ち付けたことで砕けた。

 攻撃を避けたトモビキの体に砕けた氷がばらばらと当たる。

 ダメージというほどではない微かな痛みがあった。

「これ以上大きくなるとかえって攻撃がしにくくなるな」

 とジェイルは失った腕をまた魔法で作った。

 川の魚を片手ですくうみたいに腕を振っては腕を壊し腕を複製する。

 トモビキは左右に動いてそれをかいくぐっている。

「このままだと俺は倒せないぞ」

 飛んできた氷を掴んで投げると、ジェイルの顔に十センチ横に当たった。

「まだ向こうには余裕がある? それならやはり勝利の鍵は勇者の剣にあるということか」

 巨人に見合ったサイズの剣をジェイルは作った。

 そして先のように火の魔法で刃を研ぐ。

 巨人の右手に持たせた剣を見てジェイルは難しい顔をした。

「これじゃあまだ勝てない。次の一撃で決めるのなら」

 巨人を四本腕に作り替えて、同じ剣をもう三つ作った。

「これでとどめだあっ!」

 四つの剣を全て横なぎに振る。

 それぞれ振る高さを変えていて、飛んで避けることは難しい。

 身を低くするか、四本の剣より高く跳ぶか。

 トモビキは身をかがめたようだった。

「と思わせて二段攻撃ぃ!」

 今度は四本の剣がトモビキのいそうな場所を一挙に叩く。

 敵の動きを制限した上での今度の攻撃が本命だ。

 振り下ろしながらもトモビキの姿を探すが見えなかった。

 四本の剣が砕けてもなお見つからない。

 跳んだはずはない。

 ならどこにいると言うのか。

「よう、ここだよ」

 と声がしたのは横だった。

 巨人の肩におぶさるようにトモビキは乗っかっていた。

「なんでお前」

「俺、特異体質なんだ」

 とトモビキは冗談を言った。

 巨人の頬を掴むと、頬を割りながら体を巨人の前へと運ぶ。

 トモビキの身体能力はなにもかもが人間の規格外だった。

 先の攻撃の避け方も特異なもので、トモビキは巨人の足下まで地面すれすれを泳いできた。

 脚はドルフィンキックをして姿勢を制御し、手が地面を蹴って体を前に押し出しながら体を僅かに地面から浮かせたままに保つ。

 まるでプールの中にいるみたいな動きを桁外れの身体能力で実現した。

 そこから巨人の肩まで登ったのも腕力によるものだ。

 そして今、トモビキはジェイルと顔を突き合わせて、拳を氷にめり込ませていた。

 さらに足も氷の中に突き入れる。

 両手両足で扉を開けるように力を入れると巨人は音を立てながら大きな亀裂を作り、やがて巨人の四肢は胴体から分断される。

 トモビキは得意げに笑っていた。

 その表情を目の前で見ていたジェイルは巨人を再生させず落下する。

 四肢を失った巨人は氷の寝袋のような姿で道路に転がった。

「お疲れ」

 とトモビキはジェイルに声をかけた。

「俺の負けです」

「諦め、ついたかい」

「はい。たぶん」

 口振りから、ついてないんだろうとトモビキは感じた。

「君が抵抗しないって言うのなら、君を警察に引き渡す前にあのマンションまで連れて行ってあげるよ」

「いいんですか?」

「シュバリーさんと話した方がいいんじゃないかな。彼女、マンションから出てないらしいよ。せっかくドームを作ったのに」

 ジェイルは降参の意を示しているのか氷の寝袋のままドームの天井を見ていた。

「本当に彼女が望んでいたのはなんだったのか、聞いておいた方がいいよ」

 傍に立つトモビキはジェイルの表情を見つめてそう言った。

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