五 あいつのくしゃみは天才的だった
ソルテラの家はドームの南側にあった。
トモビキたちは中央に向かっていた進路を少し右側に曲げて、彼女の家に向かう。
その途中でソルテラとテンデルが今朝方の町内放送について説明をした。
二人が言うには、ジェイルは町内放送によってこのドーム内での規則が発表されたらしい。
迫害をしてはならない。
それが規則の骨子だった。
生まれつきの障害などによって、本人がそれを望んでいないのにもかかわらず多くの人間が普通にできていることができない場合、周りの人間はその人を保護し、その人が幸せに生活できるように介添えをしなければならない。
反対に迫害し、心や体を傷つけることはあってはならない。
もしこれを破るようであれば、魔王の力によって裁きを与える。
またドームから出ようとする行為も、規則を守る意思がないものと判断し、処刑する。
これがジェイルの打ち立てた規則だった。
その規則のことをジェイルは法律と呼んでいた。
「やがて世界中を氷のドームに覆い、全ての人類が安らかに健やかに生きられるように世界を作り替える。そうも言っていました」
「それが魔王ってわけね」
トモビキはドームの天井を見上げた。
町を飲み込んだドームの天井は遥か高くにある。
ジェイルはこれをさらに拡大して、世界全てを包み込もうとしている。
それはあながち不可能なことでもないと感じられた。
一月に満たない期間でこれほどのドームを作ってしまうほど、彼は魔法に適応できてしまっているからだ。
そして四人はソルテラの家に到着した。
「豪邸だ」
とテンデルは口をぽかんと開けて言った。
大きな門が構えてあった。
そしてその門の前に立っても、なお姿を隠すことのない邸宅は五階建てであった。
「お前んち、金持ちだったんだな!」
「爺様がね」
「じいさまって呼んでるのかよ!」
テンデルがやけに興奮しているので、アムリタも感心したふうに凄いねえと言ってみた。
かつて校舎だった建物で暮らしているアムリタとトモビキには、眼前の家が世間一般に豪邸と見なされるものだとは理解できるものの、どのようにリアクションすればいいのか測りかねた。
インターフォンを押すと、年配の男の声がした。
「はい、どちら様でしょうか」
「私です。ソルテラです」
「ああ、お嬢様、お帰りなさいませ」
すぐに電動で門が開いた。
テンデルの家は起伏に富んだ外観をしていた。
部屋の一つ一つをブロックに見立てて積み木遊びをしたみたいだ。
飛び出たようになっている部屋があったり、小さな家が寄生しているみたくなっている部分があったりした。
インターフォンに出た男が玄関のドアを開けて、アムリタたちを招き入れた。
その男の人はいかにも執事という格好をしていて、薄い白髪までもそのテンプレートに沿っていた。
テンデルは玄関で即座にウィッグを外し、ワンピースを脱いだ。
ワンピースの下は黒いTシャツだった。
そして執事の案内で、ゲストルームではなくリビングに通される。
子どもたちがサッカーをやれそうなくらいリビングは広かった。
その広さに合わせたテーブルや、テーブルの三辺を囲うソファも長くて、座るためでなく寝るための物なんじゃないかとアムリタはあまりにも長いソファを見て思った。
寝るのに使うとしても、十人くらいは横になれそうだった。
リビングには二十人ほどいて、その半分がソルテラのクラスメイトらしき少年少女、もう半分が大人であった。
彼らのほとんどがソファに座っていて、テレビのニュースを見たりスマートフォンやパソコンの画面に視線を落としたりしていた。
ソファに座っていない数名は主に学生で、知り合いに電話をかけている。
レジスタンスに加わってほしい、そのためにここに来てほしい、ということを喋っていた。
「ただいま」
とソルテラはソファに座っている人たちに声をかけた。
そのうちの一人、長身の男性が立ち上がった。
「やあ、おかえり。そしてレジスタンスにようこそ」
男はアムリタたち三人に微笑む。
「父さんです」
とソルテラは三人に言った。
彼女は続いて連れてきた三人のことを父に紹介する。
「こいつはクラスメイトのテンデル」
「こいつって」
「こいつなんて言ったらだめでしょう」
テンデルと父の両方から咎められたソルテラは、お茶目に目を瞑った。
「そしてこのお二人は、えっと」
「私はアムリタ。こいつはトモちゃん。私たちは魔法使いです」
「こいつって」
しかもあだ名だ。
「魔法使いだって?」
「そうです。このドームの犯人と同じように」
「かくかくしかじかで犯人を捕まえるために派遣されました」
アムリタとトモビキは端折って説明をする。
「そのかくかくしかじかっていうのは、私たちには言えないことなんだろうね」
ソルテラの父は常識をわきまえたように勝手に理解を示してくれたので、楽だった。
そうですそうです、とアムリタは笑顔でうなずいた。
「とにかく、犯人は俺たちに任せてください」
とトモビキがはっきり言い切ると、リビングに集まっている人たちに安堵の色が広がった。
「それは頼もしい」
ソルテラの父がそれを代表して口にしたので、ますます空間から険しさが抜けていった。
「なので私たちは犯人との戦いはしない方向で、私たちにできることを探しましょう。たとえばドームの外に出る避難ルートを作るとか」
ジェイルを捕まえられればドームも消えることをアムリタたちは話していなかったからか、ソルテラたちはドームから避難することを重大事と思っているようだ。
しかしなんらかの事情で今すぐにでもドームを出なければならない人もいるはずだ。
どうあれ脱出経路の確立は必要なことだった。
トモビキは、自分たちが出てきたビルが使えるはずだと教えた。
二階の窓から侵入し、落ちた天井の障害物を越えさえすればドームの外に出られる。
梯子でも立てればすぐにでも使えるルートだ。
「怪我人や病人には難しいかもね」
とソルテラの父は言った。
「一度誰か脱出して、外の警察と連携を取った方がいいとは思います。突入できそうな所を探してるはずだし」
「あの、それ難しいかもしれないです」
と電話をしていた女子が言った。
「どうしたの?」
「今、友達に電話してたんですけど、なんか外に出ようとしたら氷の鳥みたいなのがいて、凄い声で鳴いてきたって」
「氷の鳥?」
するとパソコンを操作していた一人が素早くキーを叩いて検索し、
「ネットにもそういう書き込み、あります」
と言った。
「どうやらここ数分のうちに現れたみたいです」
「外を見てきます」
と執事が急ぎ足でリビングから出ていった。
その直後、町内放送のスピーカーからジェイルの声が聞こえてきた。
「このドームに侵入した者がいる。その侵入者を排除するまでの間、外出を禁じる。また侵入者を匿うことは決してしないように。匿った事実が発覚した場合には罰を与える」
ジェイルは早口気味に喋った。
そのせいで迫力に欠けていて、反対に焦りが露呈した。
それでも彼の喋った内容はレジスタンスたちを緊張させた。
「俺たち、出ていった方がいいかな?」
とトモビキは気をつかって聞いた。
しかしテンデルがトモビキを引き留めた。
「作戦会議はしましょう。そうじゃないとシュバリーを助けに行けない」
「カーテン閉まってるから、見つからないと思います」
とソルテラは隙間なく閉じてあるカーテンを指して言った。
「そもそもシュバリーさんはどういう状況なんだ? 彼が守りたがっているんなら、安全なんじゃないのか」
「身の危険はないです」
ソルテラはうなずいた。
「でもこれは心の問題です。シュバリーと私たちの」
「そうか。彼女の傍にいてやりたいんだな」
「はい」
シュバリーが精神的に苦しんでいるというのは想像に難くない。
この騒動の原因が自分にもあると考えてしまったら、きっと罪悪感がのしかかる。
自分がやったわけじゃないのだから突然目の前に降ってきた罪を背負ったりなんてしなくていいのに、でもそうしてしまうような人なのだろう。
「それで君は、どうして彼女を助けたいと思うんだい」
とトモビキはテンデルに聞いた。
彼はジェイルにナイフで刺されたり火の魔法で襲われたりした。
つまりシュバリーに変なあだ名を付けたのがテンデルということだ。
「君はシュバリーさんをいじめていたって聞いているんだけど」
「それは」
とテンデルはソルテラに救いを求める。
その視線を感じたソルテラは、
「自分で言いなよ」
と突き放す。
テンデルは恥ずかしそうにしてあちこちに視線を逸らした末に、
「いじめのつもりじゃなかったんだ」
とトモビキの首元辺りを見て言った。
「あいつは一人だけ髪が白くて、それが生まれつきのものだって先生から聞かされてて、あいつとどう付き合っていくのが正解なのかみんなわからなかったんだ」
テンデルの視線は段々と落ちる。
足下に記憶が落ちているみたいにうつむいて、だけどそこにある感情を拾い上げると語り口に芯が入る。
「普通に友達をやれてたのはテンデルくらいで、他のみんなはシュバリーよりも仲のいい友達をクラスの中に作って、仲良し同士で固まることでシュバリーから逃げていた。俺はそういう雰囲気がなんだか許せなかった」
アムリタは、視界の中に入っていたテンデルたちのクラスメイトの女子に目を向けた。
その女子はスマートフォンの操作に夢中になっている振りをしているが、決まりの悪そうな表情をした。
「だから俺は、あいつにあだ名を付けようと思った。もっとあいつがクラスに馴染めるように、見た目とかとは関係のないあだ名を。ただ俺には、あだ名を付けるセンスがなかった」
「どんなあだ名だったの」
「クシャミ」
「そりゃいじめだよ」
アムリタは呆れつつ眉を集めた。
そしてクラスメイトの女子は口元が緩むのを懸命にこらえていた。
「しかしミという音には、美しいという意味も入っているのだから、褒め言葉なんだ。あいつのくしゃみは天才的だった」
と弁明に熱が入る。
どうやらテンデルの頭の中では、クシャ美であるらしい。
それでもセンスがないことに変わりはないとアムリタは思う。
「とにかく、俺のせいで傷つけてしまったのなら、ちゃんと謝りたいんだ。こんな状況になってしまっているからこそ、今するべきなんだと思う」
だからお願いします、とテンデルはトモビキたちに頼み入る。
「君がずっと前からシュバリーさんのことを助けたいと思っていたのはわかったよ。協力する」
とトモビキは答えた。
「いじめはいじめだけどね。協力してあげる」
「まず俺たちが囮になって、ジェイルをマンションから遠い所に引きつける。あいつ、俺たちを捜してるから、外をうろついてればすぐに来るだろう。そうしたらアムを戻すから、アムと一緒にマンションに向かってくれ。ジェイルは俺一人で食い止める」
「わかりました。それじゃあシュバリーに連絡します」
とソルテラは電話をかけようとした。
アムリタは、だめだめ、と強く言ってそれを止める。
「はい?」
「サプライズ、イエーイ!」
アムリタは両手を挙げた。
「サプライズにしよう。その方がシュバリーちゃんも喜ぶと思う」
「喜ぶって言ったって、どうやってマンションに入るんですか」
「なんとかなるでしょ。私がなんとかするし」
とアムリタが言った。
それを言ったのが魔法使いだからなのか単にアムリタの勢いに圧倒されたのか、テンデルとソルテラは軽い口振りに戸惑いながらも疑心を抱いた様子はない。
魔法使いがそう言うんだから任せた方がいいのかも、という顔をしている。
本当になんとかなるのかよ、とトモビキは思ったが黙っておいた。
実現してみせるのはアムリタと、そして自分だ。
テンデルたちには何も考えずに付いてきてもらえばいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます