四 告白します

 割れたガラスと氷がビルの中に飛び散り、破片が転がる。

 その勢いのままに颯爽とした歩みでトモビキはビルの中に入った。

 どこからでも来いと余裕の態度でいたのはそこまでだった。

 なにか違和感があって上を見ると、天井に氷柱が生えていた。

 玄関からその先およそ二メートル先まで、剣山のように尖った氷柱が天井に密集しているのだった。

「やばっ」

 奥へと走った。

 これは所有者の仕掛けた、侵入者を駆除するための罠だ。

 氷柱が降ってくるとトモビキと思ったのだが、それどころか天井ごと落ちた。

 氷柱を針に見立てた棘のスタンプだ。

 天井の重みと落下の衝撃で氷柱は折れたり先端が欠けたりした。

 上の階はオフィスとして使われていたらしく、パソコンの乗ったデスクが一緒に落ちてきた。

 無事に走り抜けて、トモビキは潰されずに済む。

 俺じゃなかったら死んでたぞ、とトモビキは思った。

 彼の走りはかなり速く、彼以外の人間が突入していたら十中八九氷柱にやられていただろう。

 氷柱がそれぞれ違う折れ方をしたせいで、それを脚にしている天井は傾いだ状態で玄関に鎮座する。

 トモビキはデスクを踏み台にして、二階へ跳んだ。

 そして少年の姿を見た。

 犬を殺してほしいと言ってきたあの少年、ジェイルだった。

 彼は火のデザインが施された黒いパーカーを着ていた。

 彼はトモビキが跳躍して二階に来たことに驚愕の表情をした。

 トモビキは壁を蹴ってジャンプの軌道を変えると、ヘッドスライディングの形で二階に着地する。

 するとさっき落ちてきたデスクと似たようなデスクに頭をぶつけた。

「痛え」

 頭をさすり、起き上がって少年のいた方を見る。

 彼はもう逃げ出していた。

「待て!」

 トモビキはデスクに手をついた。

 腕の力で体を引きつけるようにして加速する。

 ジェイルは向かいの部屋に入る。

 そこは空室でなにもなかった。

 開きっぱなしになっていた窓を乗り越える。

 氷で作った滑り台があり、それを使ってビルの外に出た。

 トモビキもその窓枠に足をかけたのだが氷は火に変わって滑り台は燃え落ちた。

 さらに窓枠から厚い氷がアメーバのように手を伸ばし窓を塞ぎ始めた。

 慌てて窓枠から足を離す。

「便利な魔法だな」

 すかさず殴り割ろうとしたが、そうしてもまた新しい氷で補修されてしまいそうなのでやめた。

 一人で深追いするのもよくないと思った。

 それは単独行動が下策というよりも、せっかくアムリタと来ているのにアムリタを置いて行ってしまうのは可哀想だという考えであった。

 トモビキ自身も、彼女と行った方が安心だった。

 なので追うのをやめて、今度は階段を使って一階に降りた。

 アムリタたちはドアの向こうでそれぞれに顔を出して、中の様子をうかがおうとしていた。

 階段から降りてきたトモビキを認めると、一様に表情が和らいだ。

「どうだった?」

「うん。クリスの言ってたとおりだった」

「じゃあ」

 とアムリタが少年のことを言おうとしたので、トモビキは口元に人差し指を立てた。

 犯人が少年であること、それを自分たちが知っていることをリドングに知られるのは面倒だと思ったのだった。

「逃げられた」

 とトモビキは言った。

「うん。それはわかる」

 たぶん自転車に乗って逃げた、とアムリタは言った。

 欠片が離れていく感覚に集中すれば速度が大体わかった。

「ここから追いかけるのがいいと思う。向こうの炎の道はなにがあるかわからないし」

「そうだね」

 アムリタは膝を持ち上げて、落ちた天井にゆっくりと足を乗せた。

 腰の引けた姿勢で壁に手をつきながら傾いでいる足場を歩いて、トモビキが伸ばした手を掴む。

 そしてトモビキに抱き付くように降りた。

「じゃあ行ってくる」

 とトモビキは手を振った。

 二人は階段へ向かい、ドアの方からは姿が見えなくなる。

「君は行かないのか?」

 リドングはフラヴィに言った。

「私は留守番です」

「もしあの二人から逃れて、犯人がドームから出てくるようなことがあれば、彼女の出番です」

「そういうことですか。理解しました」

「ところで私の銃はどこですか。借りられるって聞いていたんですけど」

「ああ、そうだった」

 リドングは全く忘れていたようだった。

 フラヴィには特殊部隊の装備を貸し出すことになっていた。

 部隊の所へ案内するとリドングは道を戻る。

 その道すがらフラヴィは燃える大通りをもう一度見た。

 火は赤く、上の方を見ても煙は見えなかった。

 そして周囲の建物の氷も溶けている様子もない。

 本物の火とは違う。

 人を傷つけるための魔法だとわかる。


「告白します」

 ビルの階段を上りながらアムリタは言った。

「うん?」

「さっき天井落ちてきた時、心配でちょっと泣きそうになった」

「潰されても俺は死なないと思うぞ」

 とトモビキは不敵に笑った。

 自身のスペックにかなりの信頼を置いている様子だ。

「そりゃトモちゃんは人間離れして頑丈だけど、それでも限度というものがあるでしょう」

「どっちにしてもあんなの刺さったら痛いもんな。無事でよかったよ」

「本当だよ」

 二階に着き、先ほどジェイルが逃げた窓をトモビキは蹴り割った。

 まずトモビキが窓から飛び降りる。

 そしてアムリタが飛び降りると、それをトモビキが受け止めた。

 ドームに侵入すると二人はドームの中央に向かって歩いた。

 白い髪の少女シュバリーの住んでいる、そしてかつてジェイルが住んでいたマンションはドームの中心にかなり近い位置にあった。

 そのため二人はそのマンションをひとまずの目標としていた。

 聞いていたとおりドームの中は薄暗い。

 日が落ちた後の、しかしまだ暗くなりきっていない時のような薄暗さであった。

 上を見てみるとドームの氷の濁りは太陽がどこにあるかわからないくらいだった。

 そして冷房が効いているみたいに快適な気温だった。

「なんか妙な感じ」

 歩き始めてから二分くらいして、アムリタが違和感を口にした。

 その頃にはもう住宅街に入ったらしく周りは住宅だらけ、それも一軒家が多かった。

 息を潜めているのかどの家もカーテンを閉めていてやけに静かだ。

「どうした?」

 と生存者の姿を確認したくて家々を見ながらトモビキは聞いた。

「ドーム全体から魔王の欠片っぽい感じがする。うっすらと」

「ノイズが酷い、みたいな?」

「そういう感じでもない。なんだろう」

 威圧感というのが近かったが、ドーム全体からぼんやりと感じていたせいで、その言葉が出てこなかった。

「あの子の魔法の中にいるから、そう感じるんだと思う。向こうからは私たちのこと感じるのかな」

「一方的に場所知られてたら面倒だな」

「近付いてきたら私もわかるし、外にはフラヴィいるし、大丈夫でしょ」

 遠くまで逃げられてしまったのだろう、少年の魔王の欠片の気配はなかった。

「一生ドームの中で逃げ続けるかもだ」

「それは」

 どうしよう、とアムリタは考え込んだ。

 なんとか二人で挟み撃ちにする。

 それが初めに浮かんだ打開策で、それ以外には思い付きそうになかった。

「待ってください」

 凜とした声で後ろから呼び止められた。

 二人は同時に振り向いた。

「警察の方ですか?」

 声をかけてきた少女は曲がり角の垣根に体を隠して、顔だけを二人に見せていた。

 アムリタよりも幼い顔をしている。

 中学生だろうか。

 彼女は緊張した様子だった。

 アムリタたちも身構える。

「警察じゃないよ。君は?」

 とトモビキは聞く。

「ビルに潜伏していたジェイルがあなたから逃げるところを見ました」

 ジェイルという名前が出たことにトモビキは驚き、警戒心を強めた。

 彼の仲間かもしれない。

 トモビキは単刀直入に聞いてみることにした。

「それで君は、彼の仲間なのかな」

 すると少女が答える前にアムリタが声を上げた。

「あっ、もしかしてシュバリーちゃんのクラスメイトの子じゃない?」

「シュバリーを知っているんですか?」

 今度は少女が目を丸くした。

 そしてアムリタの指摘したことは事実だった。

 少女はシュバリーのクラスメイトであった。

 クリストファーから見せてもらった集合写真で、目の前の少女と同じ顔の子がシュバリーのすぐ傍にいたのを覚えていたのだ。

「会ったことはないけど」

「それよりもまずは俺の質問に答えてくれない?」

 トモビキは苦笑して言った。

 話を遮らないでほしい、とアムリタに向けた注意でもあった。

「ごめんごめん」

 アムリタは小声で謝る。

 そして少女は曲がり角から身を出して、堂々とした歩みで二人に近付きながら、

「私たちはジェイルの仲間じゃないです」

 と答えた。

 彼女は冬に着るようなロングコートを羽織っていた。

「私たち?」

 少女は三メートル手前まで二人に歩み寄る。

「はい。私はソルテラと申します。私たちはこの氷のドームから町の人たちを救うための、レジスタンスです」

「レジスタンスなんて出来てたんだ。行動が早いね」

 とアムリタは関心する。

「いえ、ただ近所の人たちやクラスメイトたちで集まっているだけで、まだなにもしてないんですけど」

「でもジェイルの居場所を掴んでただろ」

「あれはたまたまです。レジスタンスに加えたいクラスメイトがいたので、そのクラスメイトの家に行ったら、彼を見つけたんです」

「そのクラスメイトはどうしたの?」

「あ。念のため隠れてもらってました。出てきていいよ」

 先ほど隠れていた曲がり角の方に声をかける。

 しかし呼ばれたクラスメイトは出てこない。

「いいから出てこい」

 と怒った声でソルテラが言うと、渋々といった様子でようやく出てきた。

 背が高く、黒い長髪で、マスクをしている。

 女性のように見えたが、

「彼はテンデル。ジェイルに命を狙われているかもしれないので、私が女装させました。あくまで私が強制したことなんで、笑わないでやってくださいね」

 とソルテラが言った。

 丈の短いワンピースにジーンズという格好をさせられている少年は、不快そうに顔を歪めた。

 黒い髪の毛も地毛ではなく被っている物だった。

「笑うような出来映えなのか?」

 と彼は言った。

「突貫工事だから仕方ないでしょ」

「いや、一目には男に見えない。いい変装だ」

 とトモビキは親指を立てて褒める。

「それは、ありがとうございます」

 嬉しくなさそうに会釈した。

「命を狙われてるって、もしかして刺されたり燃やされたりしたのは君かな?」

「なんで知っているんですか」

 テンデルは驚いたように言った。

 ソルテラも目を大きくしている。

「やっぱり警察の人?」

「だから警察じゃない。いや、そういうことにしておこうか。俺たちはポリスだ」

 説明をするつもりのないトモビキは今更に敬礼をした。

 したところで誤魔化せるわけもなかった。

「私たちも魔法使いなんだ。ジェイル君と同じように」

 とアムリタが言った。

「そして悪い魔法使いを捕まえるのが私たちの任務ってわけ」

「なるほど」

 たったそれだけの説明でテンデルは納得できたようだった。

「なら俺たちがそれを手伝いましょう」

「勝手に決めないで。レジスタンスのリーダーはあんたじゃなくて私なんですけど」

「お前が駄目でも、俺はこの人たちと戦う」

「戦うのは危険だからやめといてほしいな。糞の役にも立たないから」

 トモビキは容赦のない言い方をした。

 命の保証ができないからだ。

 むしろ本当に一緒に戦ったら確実に死ぬだろうと思っていた。

「手伝ってくれるんなら、俺たちがジェイルとやり合っているうちに町の人を安全な所に逃がすとか、そういうことしてくれると助かるんだけど」

「みんなを逃がす。戦うよりも大事なことですよね」

 ソルテラは強くうなずいた。

「もう一人、絶対に助けたい友達がいるんです。だからお二人にはジェイルをどうにかしてほしいです。お願いします」

 もう一人と言うからには既に一人は助けたということだ。

 それはおそらくテンデルのことだろう。

「その友達っていうのは、シュバリーちゃん?」

 とアムリタは聞いた。

「そうです」

「ジェイルは魔王になって、世界を作り替えるつもりなんですよ。だけどそんなことシュバリーは望んでいないはずです」

 とテンデルが言った。

「魔王だって?」

 トモビキたちはその言葉に敏感だ。

 世界を作り替えるというのも聞き捨てならない。

 彼らの信仰する魔王は人類を抱擁する優しい存在である。

「それどういうこと。詳しく教えてくれない?」

「氷のドームが出来てすぐ、町内放送があったんです。それでジェイルが」

 とソルテラが話すのをテンデルは遮った。

「それよりも早く行きませんか。俺、着替えたいんですけど。話なんて歩きながらでもできるでしょう」

「それもそうだ。でも行くってどこに?」

 するとソルテラが挙手した。

「私の家です。私の家をレジスタンスの拠点にしてるんです。そこで作戦会議をしましょう」

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