三 魔法使い同士の戦いは殴り合いです

 集合場所の駐車場には、オミオミとノクイと、パンツスーツに着替えたフラヴィが立っていた。

 フラヴィは仕事の時はいつもスーツを着ていた。

 アクション映画の影響を受けているのだ。

 懐には拳銃を隠し持っている。

 駅まではノクイが車を運転し、電車で氷のドーム近くの駅へ行く。

 その後は警察の車両にドーム前まで運んでもらう予定らしい。

「でっかい銃は持ってかなくていいの?」

 と車の中でアムリタが聞いた。

 でかい銃というのはライフル銃のことだった。

「ん、ああ。大丈夫」

「警察さんに借りるから、銃は持ってかなくてもいいんだよ」

 とオミオミが言った。

「だから拳銃だっていらなかったのに」

「これはお守りみたいなものなんで」

 武器も含めて彼女のコスチュームだった。

 丸腰だったらアクション映画じゃなくてただのスーツを着た人だ、という思いがフラヴィにはあった。

「そういえば警察の人たちは、ドームの中に突入とかしないんですか」

 トモビキが聞いた。

「コネを使って、しないように頼んである」

 とオミオミは答えた。

「欠片を回収するためにも、私たちだけで解決したい。それに欠片を持っていない人が暴走している所有者と対面するのは危ないからね。下手に入ると凍らされて死んじゃいますよって忠告しといた」

 現在はドームを取り囲んで、生存者が中から出てくれば保護をする態勢を取っている、とオミオミは言った。

 しかしドームから出てきた人はまだいないらしい。

「みんな殺されちゃった?」

 不安げにアムリタが言う。

「人質になってるんじゃないかな」

 そう考える方が合理的だという態度でトモビキは言った。

 だが実際には生存者は一人でも多くいてほしいという彼自身の願望だった。

 願望がアムリタの不安に勝つように理性的な振りをする。

「もしドームの中に生きている人がいるのなら、君たちが所有者を捕らえれば彼らを助けられる」

 オミオミは助手席から振り返って言った。

「特に、アムリタ君。君なら所有者も助けられる。それができるのは君だけだ」

 アムリタは力強くうなずいた。

 彼女が教会に飼われているのは、彼女の持つ念動の魔法が魔王の欠片の回収において唯一無二の働きをするからだ。

 フラヴィは自分の懐にある拳銃の存在を意識した。

 アムリタが失敗したら自分の出番。

 所有者の命は助からないだろう。

「あ、そうだ。コーレスのこと、よろしくね」

 アムリタは運転しているノクイに声をかけた。

「うん。アールパカちゃんに任せておく。今度、お手とか覚えさせるってやる気だったから」

「と言うか、あの犬を連れて来てもよかったんじゃないのか」

 とフラヴィが口を挟んだ。

「魔王の欠片を持っているのはそうだけどね。それ用に訓練しないと役に立たないでしょ」

 オミオミがそう言うと、

「訓練とかさせる気ないから。あの子はそういう道具じゃないから」

 とアムリタは口を尖らせた。

「そうか。犬だったら、私たちより早く魔王の欠片を見つけられたりするんじゃないかと思ったんだけどな」

「魔王の欠片に匂いってあるのかい?」

 興味深そうにオミオミは聞いた。

 彼も欠片を見たことはあった。

 その時には匂いは感じなかった。

 しかし所有者は、他の欠片が近くにあるとむずむずすると聞いているので、彼らにしか感じられない匂いだの音だのがあるのではないかと考えた。

「いや、もののたとえですよ。匂いはないです。動物的な勘とかって、よくあるじゃないですか」

 とフラヴィは笑った。

 しかしふと匂いという指摘が気になって、念のためにアムリタに、

「ないよな、匂い?」

 と確認する。

「ないよ」

 そしてフラヴィはトモビキにも視線を向ける。

「感じるわけないだろ」

 と彼が答えたので、フラヴィはほっとした。


 何年振りかに電車に乗って、アムリタは上機嫌だった。

 ボックス席の窓側にアムリタとトモビキが座っていた。

 事件の町に近付いてくると、電車の中からでもドームが見えた。

 白く濁った氷のドームは車窓から見える空の一部を山のように遮っている。

 アムリタは窓の外の風景を熱心に見ていた。

 そしてトモビキは彼女はどの辺りを見ているのだろうと彼女の目を伺っては、時々アムリタから目を逸らすように窓の外へ視線をやっている。

 見られていることに気付いたアムリタがトモビキを見る。

 あのドーム、邪魔だね。

 綺麗っぽいけどな。

 でも魔法じゃん。

 視線を逸らしたり合わせたりするうちにそんな会話ができている気分に二人はなった。

 ドームの最寄りの駅に着くと、駅前の広場で三十代後半と思われる男が厳めしい表情をしてオミオミたちを待っていた。

 彼はオミオミたちを見つけると少し顔から力を抜いたが、

「お待ちしておりました。私は刑事のリドングと申します」

 と堅苦しく挨拶をした。

 リドングはオミオミの後ろの三人に目をやった。

「君たちがドームに入るのかい?」

 表情には心配の色が見えた。

 子どもに見えるかもしれないけれど、見くびってもらいたくない。

「そうです」

 毅然とアムリタは答えた。

「相手はあんな物をこしらえる、とんでもない化け物だ。君たち三人には、そんな化け物の捕獲と、住人の安全の確保の両方を期待している。力になれなくてすまないが、どうかよろしく頼みます」

 リドングの背後のドームは、電車の中で見た時よりも大きく見えた。

 見た目から受ける印象も山とは別の物になっていた。

 駅前から見るドームはまるで繭のようだった。

 大きな怪獣が、生まれるその時を待ってじっとしている繭。

 白く冷たく沈黙していることがかえって、その中の生命を感じさせる。

 怪獣の正体は小学生の男児だ。

 魔王の欠片の力が彼の存在を膨れ上がらせていた。

 ドームから冷気が流れてくるのか、風が吹くとつんと冷える感じがする。

 リドングの心配そうな表情は、子どもへの不信ではなかったとアムリタは悟った。

 確かに怪獣相手に人間が三人だけでは心許ない。

 それで身を案じているだけなのだ。

「任せてください。うちの子たちは特別ですから」

 オミオミは冷気に動じず、いつものようににこにことして言った。

 とにかくドームに向かいましょう、とリドングは自分の車に四人を案内する。

 リドングの車はパトカーではなく、ごく普通の白い車だった。

「しかし気になるのは、どうして彼女たちならドームに入れるのかということです」

 リドングは助手席のオミオミに言った。

「寒さに強いびっくり人間ってわけじゃないんでしょう?」

「びっくり人間」

 リドングが口にしたフレーズがおかしく聞こえたアムリタは小さく笑った。

 笑ったついでにリドングの質問に彼女が答える。

「ポイントは、あれが本当の火や氷じゃなくて、魔法の火や氷だってことです。魔法使いに魔法は効きません。だから私たちはドームに入れるんです」

「なるほど、君たちも魔法が使えるのか」

「はい」

 魔法使いという言い回しをアムリタたちは通常使わない。

 魔王の欠片の所有者、略して所有者と言うのが普通だった。

 あくまで借り物の力であると釘を刺したい教会の考えと、自身に宿った力を誇りたくないアムリタたちの気分が合致して、自然とその呼び方になった。

 しかし門外漢には伝わらないし、欠片の存在をほのめかすことにもなりかねない。

 だから違和感があるものの、魔法使いと自称する他ない。

「じゃあ、君はどんな魔法が使えるんだい?」

「私は、いわゆる念動ですね。三メートルくらい先の物なら、手を使わずに触ったり持ったりできます。手品みたいに」

「手品?」

「実際に見た方が早いかな。ちょっと引っ張りますね」

 とアムリタはハンドルを握っているリドングのスーツの袖を引っ張った。

「おお」

「こんな感じに」

「この魔法で相手を吹き飛ばして壁に当てたりするわけか」

 不思議な力で人間がゴムボールのように飛ばされる。

 彼はそんな映画のワンシーンを思い描いているのだろうと、アムリタたちには想像できた。

「ですから、魔法使いに魔法は効かないんですよ」

「ああ、そうか。そうだった」

 そもそも彼女の見えない手にそんな怪力はなかった。

「魔法使い同士の戦いは殴り合いです。喧嘩が強い方が勝つんです」

「つまり彼女たちは喧嘩のエキスパートということです」

 とオミオミがまとめた。

 なるほど、と言うリドングは少し笑っていた。

 魔法で戦うとなれば、なにが起こるかわからなくて、おっかない。

 だから殴り合いで決着するというのが意外であるのと同時に、安心をもたらした。

 ついでにもう一つ心配事を解消しようとリドングは尋ねる。

「犯人の魔法使いを倒せば、あのドームはちゃんと消えるんですかね。残ったままなんてことは?」

「ドームは消えるのではないかと。ただし凍らされた人や物が元通りになるかは難しいところですね」

 とオミオミは答える。

「そうですか。いやしかし、あの大きなドームが勝手に消えてくれるのであれば、それだけで御の字です」

 リドングはオミオミたちに気を遣ってか、陽気そうに言う。

 車はドームのすぐ近くまで来ていた。

 傷ついた人は元通りにはならない。

 せめて少しでも多く助けなくてはいけない。

 浮かれ気味だったアムリタは気を引き締める。

 ドームの付近には、パトカーや救急車が待機していた。

 警察官はドームよりも見物人の方に視線をやっていて、彼らがドームに入ってしまわないように道を塞いでいた。

 不意にドームが拡大するかも知れず、それを警戒している様子だった。

「これは、だいぶ酷いな」

 とトモビキはドームを見て言った。

 ドームの足は植物の根のようになっていた。

 無数の太い氷の足が放射状に投げ出され、商店のビルに寄りかかったり、道路や住宅の庭を塞いだりしている。

 氷の足に寄りかかられた建物はどれ氷で覆われていた。

 それぞれの色と高さを持っていた建物はどれも白っぽく固まっていて個性を失い、ドームの土台に変えられていた。

 上からの中継映像や遠くから見た時には氷のドームの中に町が閉じ込められている印象を持ったが、ドームの手前からそれらの建物を見ていると、町は氷に取り込まれて一体化してしまったように感じる。

「むずむずする」

 とアムリタが言った。

 近くに魔王の欠片の存在を感じる。

 その方向に目を向けるが、そこは商店のビルがほとんど隙間なく並んでいて、魔王の欠片はそれよりもっと奥にあるようなのに様子をうかがうことができない。

「ああ、来てるな」

 とフラヴィも同じ所を見る。

 二人が見ている方には服屋があった。

 店頭に立つマネキンは凍っておらず、履いているスカートが異変から取り残されたように濃い赤色をしていた。

「いるのか?」

「いる、と言うのは?」

 トモビキとリドングが二人の顔を交互に見た。

「魔法使い。たぶん犯人です。近くにいるみたいです」

「どこだ?」

「あっちの方」

 とアムリタは服屋の中を指す。

「でももうちょっと奥の方」

「ふむ」

 リドングは上の方を見て、考える仕草をした。

「なら、私たちが突入しようと検討していたルートに案内しよう。そこからなら行けるかもしれない」

 と足早にリドングはドーム沿いに歩き出す。

 彼が先頭を歩くのは危険で、すぐアムリタたちが横に並ぶ。

 曲がり角に出ると、ドームへ続く道は氷の根で塞がれているものと思われたのだが、大通りに火が上がっていた。

「凄い燃えてるじゃないですか」

 とトモビキは後ろを付いてきていたオミオミに言った。

 三車線の道路を火の壁が完全に閉鎖している。

 こんなに燃えているならそう言ってほしい、という非難の響きがあった。

「だねえ」

 オミオミも驚きのあまり笑っていた。

 彼も火の規模は知らなかったようだ。

「私たちがここから侵入しようとしたところ、突然道路が燃えた。しかし道は完全に閉鎖されたわけじゃない」

 とリドングは歩道を歩いて火の壁に近付いていく。

 なにをするつもりなのかと一同はリドングと火の壁に目を奪われていたが、リドングは火とは異なる所を見ていた。

「ここだよ」

 とリドングが言ったのは車が一台やっと通れるほどの幅の裏道だった。

 警察官が道の入り口に一人立っていて、見張りをしていた。

「この道に一棟、氷が極めて薄いビルがある。そこから侵入することが検討されていたんだ」

 そこだ、とリドングが指し示したビルは二本の氷の脚にまたがられていた。

 しかし白色の具合からビルを覆う氷はいくらか薄いように見られた。

「ドアだの窓だのを破壊する必要はあるが、それさえすれば数人が入ることはわけない」

「ドームに入る必要もないかもしれないけどな」

 とフラヴィが言った。

「このビルの中、たぶん二階に犯人がいる」

「そうなのか?」

 リドングは二階の窓を見上げたが、人影は見えなかった。

 間違いないと思う、とアムリタはトモビキに言った。

「じゃあ、ご挨拶に行ってくる。俺に任せろ」

 と言うとトモビキは躊躇なくビルのドアを氷ごと蹴破った。

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