三 この子の名前は動物性たんぱく質だ

 まず導師を説得するため、元校長室を訪ねる。

 校舎を教会に改装する時にほとんど手を加えなかった部屋がいくつかあって、校長室はその一つだった。

 そのまま偉い人の部屋として使えばいい、という理由だ。

 他にも保健室や音楽室などがほぼそのまま残されている。

「オミオミ~、ただいまオミオミ~」

 と見えない手でドアノブを掴んで扉を開け、アムリタは中に入った。

 導師オミオミは、高級そうな革の椅子があるのにそれには座らず、机の上であぐらをかいていた。

「導師様を呼び捨てにすんな」

 トモビキが注意をするが、アムリタは聞かない。

「だってオミオミって名前、言ってて気持ちいいんだもん。擬音みたいで」

「だからって呼び捨てにしていいわけない」

「オミオミ、おっぱいモミモミ」

 アムリタは笑い混じりに言った。

 その下ネタにトモビキは渋い顔をする。

「導師様はそんなダジャレ言わない。最低だろ」

「いや、言ったことある気がする」

 とオミオミは顎に指を当てて考える仕草をして言った。

「導師様も乗っからないでください」

「トモ君のおっぱいモミモミ~」

 オミオミがトモビキの方へ伸ばした両手をわしわしと動かすと、トモビキは低い声で怒りを表した。

「ぶっ殺しますよ」

「そんなことしてみろ、人類の財産が失われることになるぞ。いいのか?」

 オミオミも喧嘩腰になる。

 その返し方に、トモビキは怒りと呆れを半端に混ぜながら戸惑った。

「なんで急にマジギレするんですか」

「何事も全力投球だよ、トモビキ君」

「すみません、普通の人間の会話をお願いします」

 ノリに付いていけず、トモビキは頭を下げる。

「わかった。それで、どこに行っていたんだい。しかも犬なんて連れて帰ってきて」

 とオミオミはトモビキの願いを聞き入れて言った。

「魔王の欠片を手に入れました」

「ほう」

「それがこの子です。わんわん」

 とアムリタは子犬を掲げた。

「その子の中に魔王の欠片がある、というわけだね?」

「そうです。導師様の見た予知夢のとおりゲットしてきました」

「はて、私の予知夢にこの子は出てこなかったんだが」

 不思議そうに子犬を見つめて、オミオミは首を傾げた。

 子犬がそれを真似して首をひねるような動作をしたので、可愛いな、とオミオミは呟いた。

「占いなんて外れるものですよ」

「占いじゃなくて予知なんだけどな」

「似たようなものでしょ。魔法じゃないんだから」

 アムリタがそう言うとオミオミは苦笑して、

「確かにそうではあるよ」

 と肯定した。

「この子をいたぶって魔王の欠片を取り出すのは可哀想なので、教会で飼いたいとアムは言うんですけど、いいですかね」

「そういうことか」

 オミオミは大きくうなずいた。

「いいだろう。許可します。ただし、その犬が脱走してしまわないように気を付けること。もし魔法で私たちに危害を加える予兆が現れたら速やかに魔王の欠片を奪うこと。約束できるかい?」

「もちろん約束します」

 とアムリタは即答する。

「ありがとうございます。アムのわがままを聞いてくださって」

「いいよ。アム君のおかげで私たちは極めて平和的に欠片を集められるのだから」

 オミオミは子犬に視線を戻すと、また首を傾げてみた。

 今度は真似をしてはくれなかった。

 オミオミは傾げたまま、

「ところでその子の名前はもう決まっているのかな」

 と聞いた。

「これから決めます」

 とアムリタは答える。

 するとオミオミは、

「それなら私が命名しよう。この子の名前は動物性タンパク質だ」

 と言った。

「嫌です」

「そうか。ではどうしても決まらなかった時はその名前にしてくれたまえ」

「たまわないです。とにかく許可くれてありがとうございます」

 アムリタは踵を返して部屋を出ようとする。

 またドアを見えない手で開けると、

「私もノクイ君たちも、魔法に耐性がない」

 とオミオミは声をかけた。

 二人が振り向くと彼は得意げに笑って、

「だから子犬を飼える魔法はよく効くだろう」

 と言った。

 困惑した二人は表情をどういうふうにも作れず、ドアを閉めた。

「盗聴されてた?」

 声を潜めてアムリタは言う。

「ではないだろ。透視みたいな感じのやつじゃないのか」

「心の中を読んだってこと? 超怖いじゃん」

「気合いで心にジャミングをかけるんだ。さすれば読まれることはない」

「無理でしょ」

 導師からは魔王の欠片の気配がしない。

 つまり予知をはじめとする導師の不思議な能力は、魔法とは関係がない。

 この世には魔法で説明がつかない怪奇現象があるらしい。

 魔法であってくれた方が単純で楽なのに。

 そうアムリタは思う。

「流石は人類の財産だよ」

 とトモビキが溜め息をついて言った。

 続いて向かったのは昔は職員室だった部屋だ。

 事務室のように使われているのだが、修道女たちの溜まり場としての側面が強かった。

「ただいま~」

 引き戸を開けて職員室に入ると、ノクイともう一人の若い修道女がいた。

 二人は向かい合って座り、菓子を食べていた。

「あ、来ましたね」

 と若い修道女、アールパカが言った。

 噂話をしていたのだろう、早速からかおうという顔を二人はしていた。

「おかえり。デートどうだった?」

「いいデートだったよ」

「デートにしては短すぎるんじゃない? もっと色々としないと」

「色々ってなんですか」

「そりゃあ、色々は色々ですよ、ねえ?」

 とアールパカはノクイに言う。

「そうよ。ホテルに行くとか」

「直接的すぎますから。ってか、その犬どうしたの」

「うん、この子飼おうと思って。連れてきたの」

「もしかしてさっきの男の子が言ってた?」

「その犬の、子どもです。飼っていいですか?」

 どうしたものかと修道女二人は顔を見合わせたので、トモビキは助け船を出す。

「さっき導師様には許可をいただきました」

「なら問題ないんじゃないの」

「ちょっと待って、世話をするのはアムちゃんってことでいいのよね?」

 とノクイが確認する。

「もちろん私がお世話をします。でも私、魔王の欠片取りに出かけちゃうことあるから、その時は代わりにお世話お願いします」

「私、犬飼ってみたかったから、オッケーだよ」

 アールパカは乗り気だった。

 しかしノクイの方は、世話を押し付けられはしないかと心配して、うなずかないでいる。

「ノクイさん、もしかして犬苦手?」

 とアムリタが聞くと、ノクイはうんざりとした顔をして告白した。

「うちでも犬を飼ってるのよ」

「えっ、じゃあいいじゃないですか」

 とアールパカ。しかしノクイは首を振る。

「子どもが飼いたいって言うから、世話するって言うから飼い始めたのよ。なのに餌をあげるのはいつも私だし、散歩だって時々する羽目になるのよ。うちの犬、大型犬で元気だから凄く疲れるの。もう、うちの犬だけで手一杯」

 ノクイはクッキーを乱暴につまんで、紅茶で流し込んだ。

「だから私は絶対散歩には連れていかないからね。ちゃんと自分でお世話しないと、ぶっ飛ばすからね」

「ぶっ飛ばすって、どっちをですか」

 アムリタは抱いた子犬をかばって、ノクイに背中を向けた。

「そりゃアムちゃんでしょ」

「そうしたらトモちゃんがノクイさんをぶっ飛ばします」

「なんで俺なんだよ。ちゃんと世話しろよ」

「するけど」

 とにかくちゃんと世話しなさいよ、とノクイは脅すように言った。

「ところでこの子の名前、どんなのがいいかな?」

「まだ決まってないんだ? ならクロコダイル」

 とアールパカは言った。

「ワニになっちゃうじゃん」

「別にクロコダイルでもいいんじゃない? うちの犬の名前、サクラよ。木じゃない」

「木とか花ならありって気がする」

「それじゃあその子はキクラゲにしなさい」

「キノコじゃん!」

「どんな名前でも、呼んでいるうちにかけがえなくて愛おしいものになるのよ」

 あたかも人生の先輩の助言のようにノクイは言った。

「ろくな名前を付けるやつがいない」

 とアムリタはむくれた。

 どうか俺には聞かないでほしいな、とトモビキは思った。

 もし聞かれたら、トモビキもふざけきった名前を付けるつもりだ。

 そうするしかない。

 それはアムリタをからかう目的もあるけれど、それよりもアムリタが飼う犬なのだからアムリタが名前を付けてあげるのがいいという思いがあった。

 そうした方がアムリタにとってこの犬はもっと大切なものになるし、そういったペットに愛情を注いで青春を過ごせたらいつまでも忘れない思い出になる。

 オミオミもアールパカもノクイも、そんなふうにアムリタには思い出を作ってあげたいと思っているのではないだろうか。

 もしかしたら単にふざけるのが好きな人たちなだけかもしれないけれど。

 などということをトモビキは考えながら、ぷんぷんとしているアムリタに同情するように苦笑いする。


 アムリタとトモビキは、校舎内にある自室に戻った。

 それから一時間ほど経って段々腹が減ってきたが、それでもアムリタは子犬の面倒を見ていたがったので、トモビキが食堂から二人分の食事を取ってきた。

 公園から帰る途中に寄ったコンビニで飼ったドッグフードが入っていたレジ袋に、今度はサンドイッチを詰め込む。

「元気だろ?」

 とアムリタの傍に袋を置き、ウェットティッシュを渡す。

「うん」

 子犬はうつ伏せになって、くつろいでいる様子だった。

 子犬には子どもたちの攻撃を受けた形跡がなく、単になにも食べていなくて弱っていただけだった。

 ドッグフードを腹に入れた今、動き回るほどの元気はまだなくても、周りをきょろきょろと見たりアムリタの顔を見つめたりとしていた。

 教会に住む人間が寝泊まりする部屋は、教室を改装して作られていた。

 二人の私室は吹き抜けになって上の階とつながっている。

 見上げると、二階部分にステンドグラスが飾られていた。

 子犬が上の方を見たので、そのステンドグラスを見たと思ったアムリタが子犬に説明した。

「あれは、魔王だよ」

 緑と紫のガラスが多く使われたステンドグラスの中で、とんがり帽子を被ったいかにも魔女という風体の若い女が微笑んでいた。

 作品名は、最後の魔王。

 自身の顔よりも長い帽子を被ったその女は、かつて魔法というものが存在した時代に世界を支配していた魔王のイメージであった。

 魔王が女性の姿で描かれることは多い。

 魔王の性別ははっきりしていなくて、男性のように描かれたり女性のように描かれたり、あるいはどちらでもあるように描かれたりするのだが、全人類を思いやり包み込んでくれる優しさを表現するために若く美しい女性の魔王にするのが定番だった。

 ステンドグラスを通った太陽光は色のついた影を作り、晴れた日は床や壁の一部が魔王に支配される。

 しかし今は夜だ。

 ステンドグラスは部屋の明かりを受けて鈍く発色しているだけだった。

 子犬も興味なさそうに視線を下ろす。

「お前も食べなさい」

 既に玉子のサンドイッチを食べていたトモビキが、袋の中からもう一つ取り出して言った。

 押し付けられるように渡されて、ようやくアムリタはサンドイッチを口に運ぶ。

「クリスに食堂で会ったから、名前の候補聞いてみたぞ」

 とトモビキは言う。

 クリストファーはトモビキと同い年くらいの修道士で、二人と同様にこの教会で生活していた。

「どんな名前?」

「闇に染まった鎖を断つ者」

「だいぶ闇の深い名前が出たな。ってか二つ名じゃん」

「お前くらいの年頃にはこういう名前がいいだろうってクリスは言っていた」

「よくない。後で殴る」

 食べ始めるとアムリタは次へ次へとサンドイッチを取って、旺盛に頬張った。

「とりあえずはで食い物だけ買ってきたけど、明日色々揃えなきゃな」

「え?」

 アムリタは目を丸くする。

「ペット飼うんなら色々と必要だろ。よくわからないけど」

「ああ、首輪とか?」

 と得心がいく。

 実は食い物と聞いて、自分たちの食事のことと勘違いしていたのだった。

「こいつは鎖を断つ者だから首輪は無駄になるぞ」

「違うから。無駄にならない」

「それからなんだ、おもちゃとかトイレとかもか。結構お金かかりそうだな」

「えっ、私たちのお金で買うの?」

「当然だろ。お前が飼いたいって無理言ってるんだからな」

 アムリタはショックを受けた顔をした。

 それはアムリタが教会から毎月渡されている小遣いが、おしゃれな服を一着買えばなくなるくらいの額だったからだ。

 トモビキの取り分もそう変わらないだろうとアムリタは想像している。

 しかし彼はアムリタの保護者代わりとして、彼女とは比べものにならない金額を受け取っていた。

 アムリタが散財しないようにという配慮から、教会はアムリタに渡す額をかなり減らしていて、その分をトモビキが預かっている。

 その預かり分から子犬を飼う費用を出すつもりのトモビキは涼しい顔をしている。

「私、節約しなきゃな」

 とアムリタは言った。

「がんばれ」

 明日からの節制に備えてか、食べるペースを速めたアムリタにトモビキは対抗し、二人してサンドイッチをがつがつと食べた。


 満腹になって少し休むと、アムリタはなんだか安心してきた。

 付きっきりでいなくたって、魔王の欠片の力もあるから子犬は死なないということが、心の内から信じられるようになった。

 気の抜けたアムリタは風呂に入ることにした。

「食堂行ってくる」

 と着替えを持って部屋を出た。

 校舎と渡り廊下でつなげられている建物は二階が食堂で、一階が浴場になっていた。

 この建物は小学校時代にはなかった建物だった。

 施設全体を指して食堂と呼ばれているが、正式には生活館という名前が付けられてある。

 学校のままでは生活を送るのに足りていなかったものをここに集約したのだ。

 そのため洗濯などもこの食堂と呼ばれている施設でできるようになっている。

 二階から一階へ降りる階段の途中で、アムリタはクリストファーに出くわした。

「あっ、クリストファー」

「よお。子犬拾ってきたんだってな」

「うん。最悪な名前をありがとう」

 と二人は踊り場で話す。

「すまない。新しい名前を考えてある」

「聞いてあげよう」

「エクスカリバー。どうだろうか」

 クリストファーは腕を組み、得意そうにした。

「切れ味鋭い名前だね」

 とアムリタは言った。

「だろう?」

「でも却下」

「マジか」

 おやすみ、と言ってアムリタは階段を降りる。

 どんな名前を提案されても、採用する気はなかった。

 もう子犬の名前は決まっていた。

 浴場は男女に分かれていて、それぞれ五人まで一度に利用できるようになっている。

 女湯にはアールパカがいて、湯船に浸かっていた。

 アムリタは金色の髪を洗いながら、髪の毛の長さを手で確かめる。

 伸びていると鬱陶しくて切りたくなる。

 でも切った直後はいつも切りすぎているような感じがする。

 今はその中間で、丁度よかった。

 そして髪の毛を洗っていると今日という日が終わるように感じられて、一日を振り返る気分になってくる。

 アムリタは入浴した後に特段活動をしないのでそういう気分になりやすかった。

 占いは結局当たった。

 思わぬ出会いはあった。

 明日からあの子犬と楽しく暮らすのだと思うと、今日という日に忘れ物は見当たらない。

「名前は決まった?」

 アムリタが湯船に入ると、それまで黙っていたアールパカが口を開いた。

「うん」

「へえ。なんて?」

「秘密」

「なんで秘密なの」

 とアールパカは笑った。

「名前なんて秘密にするようなものじゃないでしょうが」

「私の決めた名前、まだ誰にも話してないから。最初はトモちゃんがいい」

「そういうことですか」

 アムリタは年少者なだけあって無垢なところがある、とアールパカは思っていた。

 そしてアールパカの目からは、アムリタとトモビキの二人はラブラブのカップル、もしくはそうなることが確定している両思いの仲良しコンビというふうに見えていた。

 だから最初にトモビキに話したいと言ったのも、恋愛感情によるものだと解釈した。

 しかし二人は、少なくとも付き合っているわけではなかった。

 勝手にカップルののろけと思われることが、アムリタには少しむずがゆい。

 その誤解は事実からそう遠くないことがむずがゆさを強めていた。

 カップルではないが、トモビキとの間には特別な絆があるとアムリタは信じている。

 そしてトモビキだってそう信じていることをアムリタは知っていた。


 部屋に帰ると、トモビキと子犬がいなかった。

「トモちゃん?」

 と上の階に呼びかける。

 部屋の明かりが消えていたからそこにいるはずはない。

 念のため階段を上がってみるが、やはりトモビキも子犬も見当たらなかった。

「どうしちゃったの」

 と独り言を言ったら部屋のドアが開いて、トモビキが帰ってきた。

 彼は子犬を抱っこしていた。

「なにしてたの」

 階段を駆け下りて、トモビキを迎える。

「血とか砂とか付いてたから、洗ってきた」

 綺麗になったよ、と裏声でトモビキは言った。

 子犬にそう言わせているつもりなのだろう。

「急にいなくなるからびっくりした」

「大袈裟だな。お前が勝手にいなくならないように見張ってるのが俺の仕事なんだから、俺がいなくなるわけないだろう」

「そうかもしれないけど」

「俺はともかく、こいつがいなくならないように気を付けなきゃな」

 とトモビキは言った。

 ソファに下ろすと、子犬はすぐに眠ってしまった。

「私も疲れた」

 とアムリタは欠伸する。

 やけに体が疲れているように感じて、なにが原因だろうと思い返してみると、

「そういえばプール入ったんだった」

 と気が付く。

「もういいや。私寝る」

「そうか。じゃあ俺も寝るわ」

 二人は一つの大きなベッドを一緒に使って眠っている。

 アムリタがもっと小さかった頃、つまり教会に拾われた当初から二人一緒に寝ていて、それが今も変わらない。

 部屋の明かりを落とし、ベッドサイドの間接照明だけ付ける。

「実は名前、とっくに決まってたんだ」

 と仰向けで天井を見上げているアムリタは言った。

「そうなのか」

「トモって名前にしようと思ってる」

「俺じゃねえか」

 とトモビキはアムリタの枕の端を叩いた。

 衝撃でアムリタの頭が揺れる。

「トモちゃんだって、私のペットみたいなものでしょ」

「だからと言って、俺と同じ名前にしたらややこしいだろ」

「否定はしないんだ」

「みたいなものではあるからな」

「違うよ」

 とアムリタは笑う。

「お前が言ったんだろ」

「そうだけど」

 くすくすとアムリタは笑い続ける。

 口元まで布団の中に潜って、その笑いを潜めようとする。

 犬にトモという名前を付けようと思ったのは冗談ではなくて、アムリタは本気でその名前がいいなと思っていた。

 アムリタはトモビキのことが大好きだ。

 その大好きな人が持っている名前を、これから一緒に暮らすこの子犬に分け与えてあげるというのは、お前のことも彼と同じように愛しますという宣言になると思う。

 固い絆を約束する名前なのだ。

 当然トモビキが嫌がるだろうとアムリタもわかっていたけれども、あるいは認めてくれるかもしれないから言ってみたのだった。

 やっぱりだめだった。

「とにかく、おやすみ」

 とトモビキは言って、アムリタに背を向けた。

「うん、おやすみ」

 笑いをこらえて返す。

 さてこれで振り出しに戻ってしまった。

 一体なんて名前にしよう。

 アムリタは考えようと頭を動かしている気になっているうちに、一つも名前が浮かばないまま眠ってしまった。


 その夜、アムリタは夢を見て、知らない少年と出会った。

 背丈は今日会ったあの少年と同じくらいだった。

「君、あの子の知り合い?」

「違うよ」

 と彼は答えた。

「じゃあ君は誰?」

「僕の名前はコーレス」

「ふうん。その名前、うちの犬の名前にしていい?」

「犬の名前? ああ、いいよ」

 と少年は笑った。

 アムリタは目が覚めてもその名前を覚えていて、そういうわけで子犬の名前はコーレスになった。


≪プロローグ 完≫

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