尻のついた足たちのある日
1.音楽というのはつくられた世界だ。この世界も幻想だ。あの光線も全部全部偽物だ。
ただ、あの舞台の上で踊る彼女達だけは、彼女達の「輝き」だけは本物で、美しくて、熱狂的で……。偽りでつくられたステージ、偽りの音、偽りの世界。何もかもがふわふわとした感覚の中、その確かな光に魅せられた。
2.あんなに熱苦しかったライブも、終わってみれば一瞬のことで。皆が思い思いの感想を口にしながら帰ってゆき、彼らのいた場所を冷えた空気が支配していく。私はステージを見て、あの言葉に出来ない、寂しさを含んだ余韻を味わってから、急いでるように歩きだす。しかし、私は少し遅かったようだ。
3.「あ……あの!今日のライブ、どうでした……?」
そう言って私の腕を掴む彼女の目を、私は見てしまった。ああ、そんな目を、そんな目をしないでくれ。彼女はアイドルだ。私はただのペンギンだ。想いを抱いたって、それを願ってはならないのだ。なのに、なのに、あの目を見ると期待してしまう。
4.結局、私は当たり障りのない答えを返しただけだった。その時の彼女の表情を忘れることができない。落ち込んでいた、はっきりと。私はそれを見て、ただ逃げるように帰っていった。違う、あれは私の思い過ごしだ、私の見間違いだ。そうであって欲しいという願いが、私の目の前の現実を改変してゆく。
5.「どうしてそこまで頑なに彼女と話そうとしないんだ?………彼女のアンタへの気持ち、分かってるんでしょ?」
ヒゲペンギンがそう訪ねた。
「だって……私は、ただのアデリーペンギンです。彼女はみんなが憧れるアイドルです。同じ場所に、立てるわけが」「違うね。」
彼女はそう言い放った。
6.「アンタは怖がってるんだ。自分が犯されることを。」彼女の目が、私を指した。「自分の中の何かを壊してしまうのが怖いんだろ?それは何だ?なんでそれに拘る?」「答えろ。君は何を見てる?何に怖がっているんだい?なぜ怖いんだい?どうしてそう思う?」そうやって、また彼女を傷つける気かい?
7.気がつくと、そこには何も無かった。腕に残っていた感触も、遂には熱を失っていた。
(仕方が無いじゃないですか………。)
雨が降り始めた。体に刺さる痛みには未だに慣れない。寒い。
熱が奪われていく。この毛皮は役に立たない。もう空は眩い灰だった。
「簡単には超えられないんですよ。」
8.「どうして……どうしてそうやって、逃げて行くんですか……私は、私はこんなにも……」やってしまった、と感じた。ぽたぽたと落ちる涙が、まるであの日の涙のようで。
言わなければいけない。今日こそは、はっきりと。私の手を離す気は無いようで、じっと私を見る彼女の瞳は、いやに綺麗だった。
9.「だって……私と貴方は…私達は、全く別の種じゃないですか……。」彼女の瞼が開いた。「私も…私だって…それでも、超えられない、超えてはいけないものがあるんです………!」ついに言ってしまった。認めていたけれど、心の底から出すことが出来なかった。彼女はまだ、下を向いていた。
10.彼女は私にとって遠い、遠い存在だった。それは、自分たちの立場の違いだけでなく、私達にある、高い壁のせいでもあった。フレンズである以前に、私はただの1匹の動物だ。私には、生きている限りやらねばならぬものが、あった。いや、その為に生きるのか?だけど、今はもうない。必要が、無い。
11.あの頃に比べれば、今は十分すぎる生活なのかもしれない。食べ物はボスがどこからか持ってきてくれる。外敵の心配もない。ただ、私と同じ種、皆が'アデリーペンギン'と呼ぶ動物は、私しかいない。それでも、私の動物としての何かはそのままのようで、時折、その違和感が私の前を横切っていく。
12.図書館でPPPたちのことを調べていたとき、偶然であった本にこんな事が書いてあった。「種は、保存されるためにある」。私は、この一文がずっと心に残っていた。私は、自分の仲間を増やすために存在していたのではないのか?なら、今私がしている行動はその「摂理」に反しているのではないか?
13.考えても答えの出ないこの問が、彼女に恋をしたことで、自分の前に立つようになっていた。「種は、保存されるためにある」。私は私の、彼女は彼女の守るべきものがあって、それを犯してはならないのだと。そう思い込んでいた。自分が罪深き存在であることを、自分で認めてしまうことが怖かった。
14.「それが……だって……ですか……。」自らの迷いを、関係の無い彼女にぶちまけてしまった後悔の念で、私はそれを上手く聞き取ることが出来なかった。彼女はまだ顔を伏せていた。「それが……それが………」彼女の、驚く程に透き通った瞳が私を射抜いた。「それがなんだっていうんですか!!!」
15.それは、もはや悲鳴に近かった。あまりに突然の事に、ただ、いつの間にか彼女の後方に、PPPの4人が立っていることには気がついた。フルルさんとイワビーさんは不安そうな面持ちで彼女を見ていた。プリンセスさんは今にもこちらに駆け出してきそうで、コウテイさんがそれを片手で止めていた。
16.「どうして……どうしてなんです………。」彼女か啜り泣く。辺りはまだ静かで、空模様はあの日と同じ、暗い灰だった。「そんな……そんな事のために…やっと…やっと出会えた、たった1人の友達じゃないですか……!」私は何も出来ず、何も言えず、ただただ彼女の言葉がやけに木霊した。
17.「まぁ…なんだ。だいたい呼ばれた理由は分かるだろう?」数日後、私はコウテイさんに呼ばれ、またあのライブ会場にいた。
「ジェーンさんのことなら、私は……」
「そういうな。君も知ってるだろう、あれ以来彼女も塞ぎ込んでしまってね。ずっと沈んだ顔をしていた。練習も参加してくれない。」
18.「そうやって私を揺さぶって楽しいですか?キャラじゃないですよ。」悪態をつくと、コウテイは苦笑いをした。
「はは、言ってくれるな。これでもプリンセスにリーダーを任された身なんだ。私も、あんなジェーンは見たくない。」
「でも、これは、私達が関わる問題じゃない。君もわかってるだろう?」
19.「だんだんオウサマに影響されてきてますよね………言っときますけど、みんながみんな貴方達みたいに運命的な出会いをするわけじゃないんです。たまたまフレンズとして出会っただけの、動物、なんですよ。」
「そうだね。……でも、ジェーンが言いたかったのも、そういうことじゃないのかい?」
20.私は面食らってしまった。彼女が言いたかったこと?私は彼女を否定したのに?
考えれば考えるほど頭が混線し、私は返答に困った。「……つまりさ、難しいことは何も無いんだよ。私達はたまたま生まれて、たまたま生き残って、そしてある日、たまたまサンドスターに当たって、フレンズになった。」
21.「この流れには目的があるように見えるけど、結局は全部偶然の連続でしかないのさ。」私は、正直落胆していた。あのコウテイが、そんな夢もないことを話すとは思ってもいなかった。「でもさ、そう考えてみると、不思議と目の前が開けてくるんだ。」
22.「皆、限られた生の中で、必死に生きている。その中で、こうやって手を取り合える偶然に巡り会えたって、すごい事なんじゃないかなって思うんだ。」コウテイは遠くを見つめているように言った。「種とか、意味とか、関係ないよ。ただ生まれて、ただ生きて、そして出会えたって事が一番大事なんだ。」
23.「何処に落とし穴があるかもわからない、そんな中、私達は運良く出会えたんだ。また会えるかもしれないし、もう二度と会えないかもしれない。だけど、私達は友達になった。いや、なれたんだ。」コウテイはもう分かっただろう、という顔をしていた。私には思い当たる一つの単語があった
24.「たった1人の………友達…………。」コウテイは、ニヤリと笑った。「ヒトってのは面白い生き物だよね。ちゃんとその事を分かっていて、それを言葉として残してる。」ああなんてことだ。私は、自分のことばかりで気づかなかった。「いつか砂漠から来た子が教えてくれた。『一期一会』ってね。」
25.「ジェーンもそうだと思うよ。きっと、生半可な覚悟で君に……恋、だっけ?それをしてる訳じゃないんだよ。」彼女はいつか言っていた。ライブはその時限りのたった1回、二度と同じものにはならない。だから、全てをもって歌うのだと。「たった1度しか会えない、だから皆が大切な友達なんだ。」
26.「彼女は、その大切な友達たちの中から、君を、君だけを好きになったんだ。」
私はただただ口をつぐんでいた。
「君は、外面だけじゃなく、彼女の"内面"も見てあげるべきだ。」
27.今日は月が二つある夜だった。私は、ライブ会場からほど近い、ヒトの言葉で「港」と呼ばれた場所に来ていた。暫く水面を見つめてると、泡が立って、そしてぱしゃん、と水が跳ねた。そこに居たのは、彼女だった。私の存在を疑問に思う彼女に、私はこう答えた。「いっしょに、泳ぎませんか?」
28.「こう、波が一つもないと、退屈になってきませんか?」そういって彼女は微笑む。この体になってから海に入るのは、初めてではないが、ペンギンってこんな風に泳ぐのか、と思った。彼女の泳ぎは、美しく、力強く、そして綺麗だった。ただ、彼女の目の下の赤い腫れは、見逃すことができなかった。
29.くだらない導入は嫌いだった。
だから、はっきりと言うことにした。
「あの…………先日の事なんですが……」。
無理に作った笑顔だった彼女が、ハッとした表情で私を見て、視線を下げた。少しして、またこっちを向いて、少し見つめられた後、彼女が口を開いた。
「やっぱり、おかしいでしょうか?」
30.「やっぱり、自分と違う種を好きになるって、おかしな事なんでしょうか……?」彼女の瞳は、ここが水の中であると言うのに、はっきりと滲んでいっているのがわかって、そこで漸く、私は彼女が抱えていたものを理解した。どれだけの覚悟がいるのだろうか。それも知らず、私はただ逃げてばかりで。
31.だからこそ、次は私が覚悟を決めなければならない。
だって、私は彼女が好きなんだから。
32. 「貴方に言われて、コウテイさんに諭されて、考えたんです。」「私は、自分しか見えてなかった。でもそうじゃない。大事なのは、種とか、そんなのじゃない。私はジェンツーペンギンじゃなく、ジェーンさん、貴方が好きになったんです。」
「また、ステージに立つ貴方が見たい。もっと貴方の輝きに触れたい……。」
「私は、もっとジェーンさんのことが知りたい……」
33. 「だから……ジェーンさん……その……わ、わたしと………け、結婚!…してくれませんか……。」沈黙が続いた。そして。「……ふふっ。結婚はちょっと、早いですね。」
「えっ、」
その瞬間、自分が何を言ってしまったのかを理解し、あまりの恥ずかしさに顔が熱を帯びていくのが水中でもわかった。
34. 「あっ、えっと、その、これはその、動物の頃の癖で、その、」
慌てふためく私を見て、彼女は優しく微笑んだ。
「でも、やぶさかではないですね。」
「お付き合いしてください、 アデリーさん。」
そう言って彼女は手を差し出した。迷うことは無い。私は手をとった。
35.
「あ、あの……ジェーンさん……!」
「はい、なんでしょう?」
「わたし…ジェーンさんのこと、大好きです!
彼女は、太陽のような笑顔を見せて。
「はいっ!私も大好きです!」
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