フレンズたちのある日

Hg(水銀)

トラのある日


 トラは思い出していた。

 あの時あった彼のことを。


 春の陽射しは夜の空気で冷えた体をやさしく包み込み、暖めてくれる。

 彼女_____トラはその陽射しを受け、けだるげそうに体を起こした。

 動物だった頃の習性か、決まった食事が確実に取れるようになっても彼女は自らの縄張りを周回するのが日課になっていた。


 いつもの様にジャパリまんを食べながら、

 いつも通りの代わり映えのない道を歩く。

 その道にある幾つかの木には彼女による爪痕が残されている。

 彼女には友人がいくらかいたが、この爪痕から先に無断で侵入できる者は少なかった。


 しかし今日、彼女の縄張りにはその侵入者、特にこの地域では異端のものがいた。

(………臭い…………なんだ?)

 異様な臭いが辺りを支配していた。野生だった頃ですら嗅いだことのない、鼻を突くような臭い。

 しかし、トラにとってはとてつもなく嫌悪感を発する臭いであることは確かだった。


 臭いの元へ向かってみると、本来ならば存在しないはずであるモノがいた。



 そこに落ちていたのは獣の、しかもまだ生きている"トラ"だった。

 それは動けないようで、足に怪我をしたのか大量の血が流れていた。

 そして臭いの原因もこの足だった。

(この姿になってから見るのは初めてだね)

 しかしトラは、生きている同種を見ても特に何も感じていなかった。

 本来仲間を好んで助けるような動物ではないし、なによりこの怪我を治す技術をトラは持ち合わせていない。


 そして、どんな理由であれ獲物を狩れなくなった肉食獣は死ぬしかないのだ。

 それが、自然だ。

(すまないが、助ける義理はないよ。)

(がんばりな。)


 しかしトラには分かっていた。

 "彼"の命はもう長くはない。大量に出血もしているし、獲物もこの状態では狩ることが出来ないのは明白である。

 もって数日間生き延びるのが限界だ。


 このとき、トラは「すまない」という単語、

 微量ではあるが彼に対して謝罪の念が出ていたことに気がついた。


 そして、彼の最後を見てやろうという好奇心がトラに思い浮かんだ。



 1日目、いつもの様に周回を終えたトラは、彼の元を訪ねた。

 彼はまだ生きており、前日あれほどまでに臭っていた異様な臭いは消えていた。

 しかし、次に周りを支配していたのは血の匂いだった。


 トラが彼の前に座ると、彼はトラの方をじっと見ていた。

 そのとき、ちょっとした出来心で持っていたジャパリまんを彼の前に持っていった。

 もちろん彼は何の反応もせず目を閉じた。

「そういやアンタ、どうしてそんな怪我をしたんだい?」

__少なくとも、普通の怪我ではないよね。


 そう言いかけた時、トラは彼が唸り声をあげていることに気がついた。

「……悪かったよ。聞かれたくないんだね。」

 すると彼はまた眠りについた。


 トラはその日、ずっと彼のそばにいた。



 2日目、珍しく雨の降る日だった。


 普段ならトラは濡れることを嫌がって雨の日には行動をしない。


 しかし、トラは彼のことが気になっていたので、彼女は彼の元に行くことにした。


 彼はその場所で横たわっていたが、その呼吸は苦しそうなものであった。

 激しく降る雨が、彼の傷口を貫くのだ。


 トラはその時、いつか何処かで見た「傘」と言うものを思いだした。

 幸い、この付近にはトラの体を隠せるくらいの大きな葉がいくつも生えていた。


 彼の傷口を覆うように葉を置くと、彼の顔は次第に穏やかになってゆき、呼吸も落ち着いていった。そして彼は、トラの方を見た。

 どこまでも澄み渡る、青い青い目。

 トラは彼に感謝されているのかどうかは分からなかった。そして彼はまた眠りについた。


 その日もトラはずっと彼のそばにいた。



 三日目はよく晴れた日で、気温はいつになく心地よいものであった。

 この分だと自分が向かう頃には彼は寝てしまっているのではないかと思っていた。


 しかしその予想に反して、彼はトラが来るまでずっと起きて、待っていたようだ。

 頭を上げ、トラの来る方向を見続けて。


 トラが苦笑しながらいつもの位置に座ると、彼女を追っていた彼が声をかけた。

 突然のことにトラは驚いて、そしてなんと返事をしようかと迷った。が、彼は頭を下げていつも通り目を閉じた。


 少し彼の方を見て、トラも目を閉じた。


 この時既に彼の足は腐敗を始めており、その臭いはヒトですら鼻をつまむ程だった。


 しかし、その日も彼女はなんともない顔をして、1日中彼のそばにいた。


 この日がトラと彼の最期の日となった。




 その日、空模様は微妙なもので、また雨が降り出すのではないかと思われた。

 また彼が苦しむと思ったトラは、自然とあの大きな葉を取って、持ってきていた。


 そしてトラは、それを地に落とした。


 目に入った光景は、苦しそうに喘ぎ、時折大きく体を痙攣させる彼の姿だった。


 トラは急いで駆け寄るも、もはや彼女には何も出来ないことは明白だった。

 そもそも、彼と出会った時からこうなることは必然であったし、元は好奇心で近寄った、たった3日の仲だ。

 それをどこかでわかっていたトラは、あの「いつもの場所」に座っても、何もしようとしなかった。


 しかし、彼はその青い目にトラの姿を映し、そして険しかった表情を緩ませた。

 次第に呼吸数を落としていった彼に対し、トラはただ、ただこう言った。


「じゃあね、いままでありがとう。」


 そして彼はいつもの様に、目を閉じた。



 気が付くと、トラは安らかな顔をした彼の頭に手を乗せていた。


 彼女は、自分の行為とその胸の中にある感情、それよりも彼の最後の瞬間、死を目の前にした彼の表情が何故緩んでいったのか、

 それがわからなかった。



 その日、雨は一粒も降らなかった。




 トラは思い出していた。

 彼が死んだあの時のことを。

 あの時から心の底に残っていた疑問を。


 あの3日間、彼が何を思っていたのかトラはわからない。

 3日目のあの時、彼が何をトラに伝えようとしたかトラはわからない。


 しかし、あの時彼がトラに何を見ていたかは今のトラにはわかる。



 ああ、そばにいてくれただけで、それだけでよかったんだ。


 トラは、そう思った。

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