響子Ⅰ

 バイトに行くと、案の定響子きょうこ先輩が仕事をサボってピアノを弾いていた。演奏している人の邪魔をするのは僕のポリシーに反するところだが、この時ばかりは例外とみなしてもいいだろう。むしろここは邪魔をしてでも演奏を止めさせるべきだ。でないと僕まで怒られてしまう。


 僕は彼女の真後ろに立つ。


「また店長に怒られますよ」


「ん・・・?やあ、これはこれは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・」


「せいじゃ君、じゃないの」


「せいじゃ君・・・・・?・・・・・・・・ああ、『静寂君』ね。よくまあそんだけ考えて無駄な会話をしますね」


 この人は会う度に僕に何かしらのあだ名をつけてくる。それ自体は別にいいのだが、問題はその場で考えるという謎の行いをすることだった。家で考えてきてそれを発表するならまだ分からなくないが、わざわざその場で考えるという精神は正直理解できない。しかも今回みたいにやたらと時間をかけてくるので、僕までこの無駄な時間に付き合わなければならなかった。しかしよくもまあそんなにレパートリーがあるものだと、最近はどちらかというと感心することが多くなった。


「なかなか見事なあだ名でしょう?」


「音無だから静寂ね、誰でも思いつきそうなもんですけど」


「酷いことを言うなぁ。私は今まで考えた君のあだ名の中で・・・・・」


「中で?」


「17番目にいいと思ったのに」


「なんてコメントに困る順位ですか」


「そこは『ベートーヴェンのピアノソナタ第17番か!』ってツッコむところでは?」


「分かりづらいし意味不明ですよ!」


 なんの話だ。


「せっかく今弾いてたんだから気付いてくれてもいいじゃない」


「ああ、今弾いてたのってそれだったんですね・・・全然聴いてなかった」


「酷いなあ、せっかく君の為に弾いていたのに」


「嘘つけ」


 完全に一人で楽しんでいたじゃないか。


「響子先輩が遊んでると僕まで怒られるんですから、仕事に戻ってくださいよ」


「いやでーす」


「はい?」


「せいじゃ君が先輩とか呼ぶから働きませーん」


「・・・・・・」


 全くこの先輩は。


「働いてください、響子ちゃん」


「はいはい、よくってよ!」


 元気よく返事をする彼女に僕は頭を抱える。


「・・・・・やっぱり敬語なのにちゃん付けはおかしいと思うんですよ」


「敬語もなくていいって言ってるじゃない」


「それは勘弁してくださいよ。名前で呼ぶのも相当無理してるんですから」


「ちゃん付けで呼ぶ方が難易度高くない?」


 確かに。


「とにかく!仕事に戻ってください。というか商品のピアノを当たり前のように使うの止めてください。そろそろ店長に言いつけますよ」


「そんなこと言って、せいじゃ君は言ったりしないから好きよ」


「・・・・・」


 彼女がこんなになってしまったのは、僕の責任でもあるのか・・・。

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