詩音Ⅱ
「あ、あー・・・そう、じゃあ、うん、頑張って」
「はい!頑張ります!」
屈託のない笑顔で、彼女は答える。
すごく可愛い。
こんな後輩がいる僕は、さぞかし恵まれているのだろう。
「しかし、無理なものは無理と言ってくれて構わないからな?僕自身、これが一体どんな曲で、どんな難しさなのかなんてこれっぽっちも理解しちゃいないんだから」
僕は、自分でピアノを弾かない。作曲は全て、頭の中で始まり、頭の中で完結する。だから、自分のつくった曲が実際に音となったとき、どのようなものになるかは全くの不明だ。詩音のように、僕の曲を弾いてくれる人がいて、初めて僕は自分の音楽というものを理解することができる。
「先輩は、パソコンを使って音を打ち込んだりもしないんでしたよね」
「あぁ、しないね。別にそんなことをしなくたって、曲はつくれるからね」
「ふふ、さすが『音無しの作曲家』ですね」
「・・・ほぉ、なるほど」
上手いことを言う。僕が評論家なら花丸をあげたいところだ。いや、評論家はそんな評価の仕方はしないだろうけど。
「僕はそんなあだ名を付けられているのか?」
「知らなかったんですか?結構みんな、先輩のことをそう呼んでますよ」
「それはそれは、何か恥ずかしいな」
「それだけみんな尊敬してるってことですよ」
「尊敬の言葉なのか?音無しの作曲家って」
「誰にだってできることじゃありませんよ。一切楽器を使わずに、頭の中だけで作曲できるなんて。私はとってもすごいと思います」
「そりゃまあ、なんだ、ありがとう」
当然、悪い気はしない。いい気がするかどうかと言えば、それはまた別ではあるが。
僕はピアノ近くの、観客席の一番前に座る。ここは卒業研究の発表会でも使われるので、コンサート会場のように観客の席が用意されている。僕が座ってのを見て、詩音も隣に座った。
「そういえば先輩、何か悩み事でもあるんですか?」
と、突然そんなことを言われて、思わず眼を丸くする。
「・・・どうして?」
僕のその「どうして」には「どうしてそんなことを聞く?」という意味と「どうして分かったんだ?」という意味の二つが含まれていた。彼女はエスパーか何かか?
「私、人の表情を読み取るのは得意なんです。感情とか、思ってることとか。どうです、当たりましたか?」
「その才能の方が僕よりもずっとすごいよ。参ったな」
「別に悩みなんてない」と言うこともできたが、あまりの彼女の才能を前に嘘を吐く気にはなれなかった。
「もしよかったら、私が相談相手になりますよ」
「うーん、そうだなぁ」
しかし、かといって本当のことを喋る気にもなれなかった。奏のときも結局嘘を吐いてしまったわけだし、そもそもこの悩みは女性にすべきものではないだろう。
「いや、気にしないでくれ。わざわざ人に話すようなことでもないし、大したことでもないからね。時が経てば、勝手に時間が解決してくれるよ」
「・・・そうですか。私では相談相手になれませんか」
何故そうなる。
「いやそんなことは言ってないよ?ホントに大したことじゃないから・・・」
よく分からないままフォローを入れるが、彼女はがっくりとうな垂れる。
「・・・・・」
なんだその沈黙は。僕か?僕が悪いのか?
「いや、その・・・・・。実は、今新曲をつくってて」
「え?新曲ですか?」
「ああ。だけど、ちょっと上手くいってなくてね。スランプって程じゃないけど、なかなか思うように進まなくて。ただそれだけなんだよ」
「そうだったんですか。それくらい言ってくれればいいじゃないですかっ」
「そうだね、ごめん。でもほら、さっきのあだ名もそうだけど、僕のことをすごいと思ってくれてるみたいだからさ、こんなこと言ったらイメージ崩れるかなーって」
「崩れませんよ、それくらいで。むしろ先輩にもそういう人間らしいところがあるんだなって、先輩のことを近く感じました!」
「そ、そうか」
苦しい嘘だと思ったが、どうやら彼女はあっさり信じたようだった。相手の思っていることが分かるのなら、僕の嘘も簡単に見破れそうなものだけど。
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