15:十三年前の事件
南部さんは古い手帳を取り出した。
「事件は今から十三年前。被害者は『
当時三十一歳。職業は会社員。
当時住んでいたマンションの部屋で鋭利な刃物により殺害されていた。
そして妻の『
当時二十八歳。専業主婦。
夫の和弘と同じくマンションの部屋で首を絞められ殺害されていた。
事件発覚は、和弘が勤務してた会社に何日も欠勤してたため、会社の同僚が家を訪ねたことで発覚。
発見時の遺体の状態からして死後三日は立っていたと考えらる」
そこまで話すと少し躊躇いながら
「楓花ちゃん、君はその現場に一人で居たんだよ」
南部さんは悲しそうな目で私を見る。
殺害現場に私が取り残されていたことは父から聞いていたからそれほど驚きはしない。
それに私の記憶からその現場は消えているのだから。
ただ、その現場を想像するのは絶対に嫌だなと思う。
それよりも『岩城』と言う名前、どこかで聞いたような気がする。
私の旧姓は『岩城』なのだろう。
一体いつ聞いたのだろう。
私の記憶のどこかにその名前が残っているのは確かだと思うんだけど……
そして、『岩城和弘』
この名前は初めて聞いた。
父は教えてくれなかった。
岩城和弘が私の実の父なのだろう。
ということは、私は実の父と母を同時に失ったことになるという事だ。
なんともまあ悲劇のヒロインには持ってこいのシチュエーション。
しかし、当の本人である私は、記憶が無いからあんまり悲劇のヒロインと言った感情は持ち合わせていない。
「父も居たのですね」
私は岩城和弘の事を言った。
「お父さん?岩城和弘の事かい?」
「はい」
「え?ちょっと待ってください」
突然、美彩が話に割り込む。
「どうしたの?」
私は美彩に視線を移し訊くと
「楓花のお父さんって……その人なの?」
「実の父は多分そう」
「え?じゃあ今のお父さんは?」
「養父だよ」
「そ、そうなんだ」
またしても美彩の目に涙が。
「美彩、父は養父だけど、私にとっては本当の父親なんだ」
はっきりと断言した。
「楓花。本当にお父さんの事好きなのね」
涙目の美彩の笑みはどこか優し気で悲しかった。
「うん。大好きだよ」
笑顔で答える。
「お父さんからなんて聞いているんだい?」
私と美彩を交互に見ながら南部さんが質問をする。
「なんてとは?」
「岩城和弘のこと」
「……実は初めて聞く名前でした。実の父の名前も知らなかったとは、不覚でした」
笑いながら答えると
「岩城和弘は君の実の父親ではないよ」
南部さんのさらっと言った言葉に少し考えてしまった。
「え?その人は私の父ではないのですか?」
「ああ」
「だって母と結婚していたんですよね?」
「確かに岩城和弘と君の母親である香織は夫婦だったが、結婚したのは事件が起きる一年前で、君は連れ子だったんだよ」
「え?では母は再婚だったと?」
「いや、我々の調べでは初婚だった」
「ということはシングルマザー?」
「そういう事だね」
「では、私の実の父は?」
「申し訳ない、それは特定できていない」
私は実の父の事を何も知らないようだ。
どこの男性でどうやって母と出会い、恋に落ちて、私が生まれたのか。
私は自分の誕生の経緯すら知らない。
これはいよいよ悲劇のヒロインになったのではと思う。
しかし、全くもって気にならない。
自分の生い立ち事、実の父の事。
それは、今の父の存在があまりにも大きすぎる。
私はどれだけの愛情を今の父に注いでもらったのだろうか。
いつか少しでも返せる時が来るのだろうか。
そんな事を思いながら
「まあ、仕方ないですね」
あっさりと答えた。
「楓花ちゃん、君は……」
「はい?なんですか?」
「いや、なんでもないよ」
南部さんは言葉を呑んだ。
南部さんが何を言おうとしたのか気になるところだが、あえて聞かなかった。
「それで、捜査の進展は?」
「あれから十三年経っているかね……正直、何も進展はしていない」
「私が思い出したら進展するという事でしょうか?」
私は意外と馬鹿な質問をしたことに気付いた。
それはそうだろう。
だって私は唯一全てを目撃しているのだから。
「そうだね。でも余りにも辛い事だから、正直なところ、思い出してもらいたい半分、思い出してもらいたくないが半分といったところなんだよ」
南部さんの複雑な気持ちが少し伝わった。
「お心遣いありがとうございます」
一応お礼を述べた。
「それでは、犯人の目星も無いという事ですか?」
私以外に何か情報を掴んでいないものなのだろうか?
そんな疑問から生まれた質問だった。
「いや、容疑者と思われる人物は何人かいたよ。しかしどれも証拠が出なかった。犯人はとても巧妙だった思う」
「その容疑者とは一体どんな人物ですか?」
「それは……」
あれ?いつもの南部さんらしくない。
いつもは漏らしてはいけない情報でも結構あっさりと教えてくれるのだが、今の南部さんは明らかに渋っている気がする。
「容疑者については伏せてもらうよ」
南部さんはあくまでも容疑者を教えることが出来ないと言う。
仕方ないので、それ以上聞くのを止めた。
「さて、我々はこの辺りで引き揚げさせてもらうよ」
南部さんが机に広げられた資料と写真を封筒に入れながら言った。
「分かりました。わざわざありがとうございました」
私も資料類を南部さんに手渡しながら答えた。
「それでは、パソコンの事何か分かったら君に連絡するよ」
そう言って、南部さんと平塚さんは帰った。
二人を見送ってから食堂に戻ると、美彩が食器類を流し台に移し洗おうとしていた。
「美彩、いいよ。私するから」
「ううん。何にも役に立てなかったし、これぐらいするから、楓花は座っていて」
「じゃあ一緒に洗おう」
そう言って二人で食器を洗う。
「美彩、今日はごめんね。嫌な話ばっかりで」
洗い物をしながら美彩に言うと
「ううん。将来の勉強になったし、楓花の意外な一面も見れたから。それよりも私のほうこそごめんね。聞くだけで何も答えられなかった」
「そんなことないよ。美彩が一緒に聞いてくれて嬉しかったよ」
洗い物を終わらせ、二人で椅子に座った。
「紅茶飲む?」
私の質問に
「うん。ありがとう」
美彩が答える。
私は再び『ルフナ』を二人分用意した。
「ところで、将来の勉強って言っていたけど、美彩は刑事さん志望?」
紅茶に口をつけながら、聞くと
「うーん、刑事さんも良いかなって思うけど、私は出来れば、町のお巡りさんがいいな」
「どうして?」
「悪い人を捕まえることは大切なことだけど、私は困っている人を助けられるような人になりたいの。だからお巡りさん」
そう答える美彩の優しい心が伝わってくる。
「なるほど。美彩らしい答え」
私は美彩に笑顔で言った。
「そういう、楓花は探偵さんにでもなるの?」
突然の言葉に少し戸惑ったが
「ううん。どうして探偵?」
「だって、なんか探偵さんみたいだったよ」
「そうかな?私はただ思ったことを言っただけだよ。そこに論理に基づく推理なんてないよ」
「そうなんだ。でもすごく様になっていたよ」
「やめてよ。私なんかが探偵になったら、解決するはずの事件が迷宮入りしちゃうよ」
「何それ?」
美彩は口を押えて笑う。
「それに、私が将来なりたい職業は他にちゃんとあるよ」
「何になりたいの?」
「キャビンアテンダントとかモデルとかレースクイーンとか、私にピッタリじゃない?」
「え?……それ本気?」
「もちろん冗談だけど、そこは『まさに天職だね』って言ってほしかったな」
「天職だね」
「遅いよ」
なんともくだらない会話で二人は笑った。
「キャビンアテンダントとかは嘘だけど、私が将来なりたいのは、児童相談所の職員になりたいの。それでゆくゆくは児童養護施設を開設したいと思っているの」
父の影響であることは間違いない。
私は父と同じ道を辿りたいと考えている。そして最終的には児童養護施設を建てて父が保護した児童を施設で預かるといったことを考えていた。
「お父さんの影響なのね」
美彩は笑顔で私に言う。
「そうね」
私も笑顔で答えた。
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