05:ふうたと事件

 朝の光と共に小鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。

私はゆっくりと起き上がり、大きく欠伸をした。

『春眠暁を覚えず』

この言葉を言った人は凄いと思う。

確か昔の中国の唐時代の詩人『孟浩然もうこうねん』の示した詩。

昔の人も今の人も、なにも変わらず春の朝は眠たいということだ。


 私はまだ眠りたいと思う気持ちを振り払うように立ち上がり、台所に向かった。

朝食を作り、お弁当を作って、父を起こした。

寝起きの父の髪は寝ぐせで跳ねていた。

そんな父は、欠伸をしながら食堂に入り、先ほど取っておいた新聞を手にした。

二人で朝食を済ませ、私は学校に行く準備を整える。

「私、先に出るね。戸締り忘れないでね」

そう言って、私は家を出た。


 春の暖かい日差しが心地良い。

しばらく歩くと古い町並みを要した場所に出る。時代劇に出てきそうな家々。

そんな伝統がありそうな古い木造の家々の前を通り大通りに出る。

大通りと言っても田舎なので都会のように、車が常に往来しているわけではない。

むしろ、車は滅多に通らない。たまに地元の農家の人の軽トラックが通るぐらいだ。

大通りから見える山々は広大で、山鳥の鳴き声も相まって、その美しさを際立たせている。


 歩き続けること二十分、学校が見えてきた。

学校前に川が流れている。川の水は澄んでいて、川底が見える。

橋を渡り、校門前まで歩いた。

桜の花びらがゆらゆらと舞い降りる。

その花びらに溶け込むように一人の少女が屈んでいた。

美彩だ。背をこちらに向けているが、美彩だとすぐに分かった。

「美彩、おはよう」

私は美彩に声を掛けた。

美彩はゆっくりと振り向くと

「あ、楓花、おはよう」

「何してるの?」

私は美彩に尋ねる。

美彩は綺麗な笑顔で

「ねえ、この子見て。可愛いでしょ?」

そう言って、美彩の前に居た子猫を抱える。

可愛い。なんだろう、この世の物とは思えないくらいに可愛い。

「何これ?可愛すぎるんですけど」

思わず声に出た。

「でしょ?超かわいいの」

薄いブラウン色のシャム系の子猫。

顔の割に大きなブルーな目。

尻尾は少し濃い茶色。

「野良ネコ?」

私は訊くと

「たぶん。でも凄い人懐こいから、前まで飼われていたのかな?」

確かに首輪もしていないし、どこか薄汚れている感じもする。

美彩は朝からなんて物を見つけてしまったのだろう。

これでは今日一日、この子の事が気になって授業どころではなくなる。

「どうするの?」

「うーん、今から職員室に行って、放課後まで預かってもらう」

「え?どういう事?」

「だから、この子を放課後まで預かってもらって、学校終ったら連れて帰るの」

美彩は何の迷いもなく、そう言ってのけた。

「え?もしかして、飼うの?」

美彩は飼うつもりなのだろうか?

「うん。飼う」

やはり何の迷いもない返事。

「本気?」

「本気」

どうやら本気らしい。

「だって可愛いもん」

「確かにそうだけど……お家の人とか大丈夫なの?」

いくら子猫と言っても、家族の協力なくしてはなかなか飼えないと思う。

「うん。さっき電話した」

どうやら了承済みだそうだ。

「それにね、もうこの子の名前決めているの」

「え?もう名前決めたの?」

「うん。この子は男の子みたいだから『ふうた』て名前にしたの」

なんだろう……

その名前……

何か嫌な予感がする。

「ねえ、どうして『ふうた』なの?」

私は少し躊躇ちゅうちょしながら訊いた。

「だって、この大きな真ん丸な目、長いまつげ、そしてなによりこの愛らしさ。楓花にそっくりでしょ」

美彩は私とふうたを見比べながら、笑顔で言った。

やっぱり。

なんとなくそんな気がした。

「ど、どうして?どうして分かったの?実はその子は私の生き別れになった弟なの……っていつから私は猫になったのですか!」

私は冗談交じりでそう言った。

「えーやっぱり、ふうたは楓花の弟君でしたか」

私の冗談に付き合ってくれたが、

「いや、だから、私は猫ではないよ」

テンションの高い美彩に私はそっと教える。

「え?楓花は猫みたいなものでしょ?」

「そうそう、最近は特にね猫缶が食べたくて仕方がないの……って違うよ!」

そう言って二人で声を上げて笑った。


 放課後になって、美彩は慌てて職員室に向かった。ふうたの事が気になっていたのであろう。

そういう私も気になっていたのだけど。

私はゆっくりと職員室に向かう。

職員室まで来たら、扉が開いた。

「それでは、ありがとうございました。失礼します」

美彩がふうたを抱きかかえたままで、丁寧にお辞儀をしていた。

「美彩」

美彩に声を掛けた。

「あ、楓花」

私を見て美彩は言った。

「ほれ、ふうた、楓花お姉ちゃんだよ」

美彩はふうたにそう教えている。

「まだそれやる?」

私は笑いながらそう聞くと

美彩は無言で笑みを浮かべた。

そして、美彩は私にふうたを抱かせた。

「やっぱり、二人とも可愛い」

釈然としないが、美彩が楽しそうなので何も言わなかった。

そんなことよりも、今、私は子猫に触れている。それは、肉球を触れと言っているものだ。

なぜそうなるかは分からないけど、これはもう使命なのだ。

そう思って、私はふうたの肉球を触る。

ぷにぷにして気持ちが良い。

まずは右手から、そして左手と右足、左足。

全て触る。


あれ?左足だけざらざらしてる。

私は慌てて左足の肉球を見た。

肉球と爪の辺りに少し黒いシミが出来ている。

初めは泥だろうと思ったけど、違う気がする。

「ねえ、この子左足怪我してる?」

私は左足の裏を美彩に見せる。

「え?」

美彩は慌ててふうたの左足を調べる。

「怪我じゃないみたい」

そう言って、シミと思われていた何かを剥いだ。

「なんだろう?泥かな?」

美彩は心配そうに訊いた。

私はシミと思われていた何かを美彩から受け取りまじまじと見る。

泥では無さそうだ。

何かが固まった跡。どちらかと言えば瘡蓋かさぶたのような物。

もう一度、ふうたの左足を調べてみる。

どこにも怪我はない。

それ以外の箇所も調べた。

右手、左手、右足、尻尾の付け根や顔周り。

やはり怪我などはなかった。

「まあ、野良さんだし、どっかで汚れただけじゃない?」

心配そうな美彩に笑顔で答えた。

「そうね。帰ったらシャンプーしてあげよ」

嬉しそうな表情に変わる美彩。

そうして、二人と一匹で家に帰ることにした。


 校門を出たところで人だかりが出来ていた。

なんだろうと思い、私たちは近づいた。

数人の警察官が居る。

橋のすぐそばにあるアパートの部屋の玄関に黄色のテープがかけられていた。

どうやら何かの事件が起こったらしい。

そう言えば、授業中にサイレンの音が聴こえたきたことを思い出した。

数名の生徒は騒いでいて、何かを話していたが、私は気にしなかった。

私は集まってきている人に聞いてみた。

「何かあったんですか?」

眼鏡を掛けた中年の女性が

「そうなのよ、近藤さんの家に強盗が入って、どうやら、近藤さん刺されたみたいなのよ」

強盗……

昨日、ニュースや南部さんが言っていた事件と同じだ。

しかも、今回は刺されたみたいだ。

「刺された近藤さんはご無事なのですか?」

私は教えてくれた中年の女性に訊いた。

「それがね……警察が駆け付けた時には既に……」

少し悲しそうな目で女性は答えてくれた。

死んだってこと?

とうとう死人が出たということになる。

私は後ろでふうたを抱えて周囲を眺めている美彩に視線を向けた。

それにつられて中年の女性も美彩に視線を向けた。

「あら、ラールちゃん」

中年の女性は美彩にそう言った。

いや、実際には美彩の抱えているふうたに向けて言った。

「ラール?」

私が訊き返すと

「そう、ラールちゃんは近藤さん所で飼われていた猫よ」

少し驚いた。ふうたは近藤さんに飼われていた猫だった。

美彩にはこの会話聞こえていない。

美彩に告げるか迷ったが、告げることにした。

美彩は驚き、ふうたをじっと見つめる。

その目には涙を浮かべていた。

「ふうた……あなたのご主人様が……」

声を詰まらせながら美彩はふうたに言った。

「あの、この子猫、譲って頂くことは可能なのでしょうか?」

私は中年の女性に訊くと

「そうね、近藤さんが居ないんじゃなんとも言えないけど、ラールちゃんはもう独りぼっちだから、あなた達が一緒に居てくれると、近藤さんも喜ぶと思うわ」

そう答えてくれた。

ふうたは最愛の人を亡くし、一人何を思うのであろう。

そんなことを考えると胸が締め付けれられる。

そして、ふと気づいた。

ふうたの左足の黒いシミは、最愛の近藤さんの血の跡だったのではないか。と言うことを。

ふうたはご主人様を目の前で殺されるのを見ていたのではないか……

そんなの酷すぎる。

あまりにも辛い経験をこの小さな体で体験したのかと思うといたたまれなくなった。

私は美彩と美彩に抱えられたふうたに視線を移し、そっと近づく。

ふうたの頭をそっと撫でた。

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