会いに行く

     *

 

 やがて、今朝朝礼が行われた教室に社員全員が集められ、校長と警察から説明を受けた。現在の状況と、今後についての内容が主だったが、事件の詳細についてはあまり語られなかった。おそらくこれは警察からの指示なのだろうと、私はぼんやり思っていた。

 その後、一旦解散となり、私は篠さんと教習所を出た。

 時刻は15時を回っていた。その足で、私達は相川翔太くんと与田花子ちゃんとの待ち合わせ場所である喫茶店へと向かった。約束の時間まで、あと10分程ある。

「篠さん、その喫茶店までどれくらいかかるんですか?」

「だいたい徒歩で20分だな」

 遅刻だ。

「えーっ。だから私の車で行きましょうって言ったのに」

「だから、まだ駐車場借りてないと言ったろう」

「知りませんよ。むしろなんとかしろ」

 言い合いながら、自然と私達は早足になっていた。


     *


 私は、あと三回は篠さんに連れられてじゃないと、この場所には辿りつけないと思った。

 目的の場所のことを小さなビルだと篠さんは言ってはいたが、なんと謙遜ではなかった。本当に小さい。なんてったって、二階建だ。

 しかも、周りは似たようなビルや、年季の入った店がごちゃごちゃしていて、なんだかもうわけがわからない。

 所謂若者と呼ばれる人種は、服や雑貨を買いにこの辺りに結構来るらしいのだが、私にはそれが信じられなかった。これをジェネレーションギャップと言うのだと、篠さんが教えてくれた。おまえが言うな。

 ともかく、くすんだクリーム色の外壁のビルの一階。そこが、この喫茶店だった。

 篠さんがここを指定したのには一応理由があり、ここの二階が〈篠敬太郎探偵事務所〉なのだとか。てか、フルネームって。

 篠さんの後について、店の中に入る。店員が一人とお客が一人だけいた。

 そのお客が与田花子ちゃんだとわかると、私は声を上げて彼女の席にかけよった。

「ごめんね、遅くなっちゃって」

 花子ちゃんは、まず私の顔を見て少しだけ笑みをこぼした。そしてその後すぐ篠さんに視線を移すと、とたんに緊張したように表情を強ばらせた。

 与田花子ちゃんは、今時の女子大生といった感じだ。少し茶色がかったロングヘアーは、緩く巻かれている。グレーを基調としたチェックのワンピースは、ファッションに疎い私から見てもオシャレだと思う。メイクは派手すぎず、清楚で可愛らしい。

 花子ちゃんは、今夜教習が入っていたはずだ。彼女には、電話で事件のことを少しだけ話していた。

「……本当ごめんね。結構待ったでしょ?」

「ううん。あたしも今着いたばっかりだし」

 彼女の前には水の入ったコップが置かれている。あまり量は減っていないようだし、氷も溶けてはいない。遠慮をして、嘘をついているわけでもなさそうだ。

「この辺って複雑だからいつも迷っちゃうの」

 花子ちゃんは、また少しだけ笑った。

 彼女は、四人がけのテーブル席に座っていた。私は、その向かいに腰を落とす。篠さんは、男性の店員さんと二、三言葉を交わした後、私の隣に座った。

「田中さん……、翔太くんも来るんでしょ?」

 花子ちゃんが、おそらく篠さんのことを気にしながら、私に尋ねた。

「うん、そうなんだけど……。篠さん、どうする?」

「かまわないだろう。先に与田さんと話をしよう」

 花子ちゃんの肩に力が入ったように見えた。

 篠さんが、おもむろに名刺を出し、花子ちゃんに渡した。

「篠敬太郎探偵事務所所長、篠敬太郎と申します」

 なんかクドイ。てか、フルネームって。

「……あ。んと、与田花子です」

 二人とも、深々とお辞儀をしている。

「突然お呼びしてしまって申し訳ない」

「いえいえ」

「事件のことは……田中さんから聞いたんですよね」

「……はい。あと、田中さんから電話が来る前にも、斎藤さんって方からも電話が来て、今日の教習のこととか、明日以降のこととかについてお話がありました」

「なぎさん、斎藤さんって?」

「うちの課長です」

「そうか。それで……与田さんは村上隆志さんと同じ学校だったんですよね?」

 篠さんの言葉に花子ちゃんの肩がわずかに揺れる。いよいよ、核心に触れたのだ。

「……は、はい。高校も同じクラスでした」

 それは知らなかった。

「村上くんって、普段どんな子だったの? やっぱりクールな感じ?」

 私が聞くと、花子ちゃんは頷いた。

「うん、最近はずっとあんな感じで、全然しゃべらなかったかな……」

「最近?」

 篠さんが少し身を乗り出した。

「あ、はい。前はもうちょっと違ったんですけど……」


 その時、店のドアが開いた。

 相川翔太くんだった。


     *


 「すみません、遅くなって」

 息を切らしながら、相川くんが慌ててこちらに来る。

「大丈夫だよ。こっちこそごめんね」

 私が言うと、相川くんは乱れた髪も気にせず、今にも泣き出しそうな顔で悲痛な声を上げた。

「田中さん……ホントに隆志、死んじゃったの?」

 相川くんの言葉が、私の頭にがん、と響いた。

 私は、村上くんの死をまだ完全に信じきれていなかったのかもしれない。無意識に、あやふやな言葉を選び、現実から目を背けようとしていたのか。事件のことを調べているくせに、自分自身の矛盾ぶりに腹が立った。そして、すごく切なくなった。

 ふと、花子ちゃんの方から鼻をすする音が聞こえた。

 私が言葉をつまらせていると、代わりに篠さんが答えてくれた。

「……残念ながら、村上さんは、今日の昼、お亡くなりになりました。……心中お察しします」

 そんな……とつぶやく相川くんに、篠さんは立ち上がって名刺を渡した。

 大きく息を吐きながら、相川くんは花子ちゃんの左隣に座った。座った、というよりも力が抜けて腰が落ちた、という感じだった。

 確かに村上くんは、ロビーなどで一人でいる印象が強かった。でも、この相川くんとは、時々二人で話していたのを見ていた。友達、だったのだろう。

「相川さんは、村上さんと仲が良かったんですか?」

 篠さんが聞く。

「いつも一緒にいたわけじゃないけど……隆志はいいやつだったし、少なくともオレはもっと仲良くなりたいと思ってました」

 相川くんは、静かに答えた。

「何か、最近村上さんのことで気になることとかはなかったですか?」

「……隆志は、里卯さんのことが本気で好きだったみたいです」

「それが、気になった……?」

「意外だったんです。あいつ、学校じゃ女に興味ない感じだったんで」

 ふと、花子ちゃんが下を向いたまま固まってしまった。どうしたんだろう。

「村上さんは、里卯さんのことはどのように言ってました?」

 篠さんの質問に、相川くんが黙り込む。やがて、なぜか困惑ともとれる表情で、それを言った。


「運命、だと……言ってました」


「運命」

 私は、驚いて思わず繰り返してしまっていた。

 村上くんが、運命を感じてしまうくらいに文乃を好いていたこと。私の想像を超える世界。使ったことのない言葉だが。彼は文乃のことを〈愛して〉いたのだろうか。

「まあ、結局は全然相手にされなかったみたいですけど……」

 相川くんは淋しそうに言った。

「……ところで」相川くんの視線に鋭さが増す。

「隆志は……一体どういう状況で?」

 相川くんは、事件の詳細まではおそらく聞かされていない。

 私も電話では〈教習中に村上隆志くんが亡くなった〉ことしか伝えていなかった。

 緊張が走る。

「村上さんは技能教習中に、刃物による出血で、お亡くなりになりました」

 篠さんの言葉に、相川くんと花子ちゃんは息を飲んだ。二人とも、目を泳がせたり、瞑ったりして、全く焦点を定められない様子だ。当然だが、彼らはショックで動揺している。

 だが、たぶん篠さんはかなり言葉を選んだはずだ。

 今、この場所で。これ以上もこれ以下もないだろう。

「……でも、田中さん。それなら」

 花子ちゃんが、恐る恐る口を開いた。

「村上くんは、その時間の先生に殺されたことになるんじゃないの?」


 花子ちゃんは、あっさりと辿り着いてしまった。私が恐れているところに。

 信じられない。信じたくない。でも、それだけじゃ、それを覆すことはできない。

「……オレは、その先生が犯人じゃないとしか考えられない」

 ところが、相川くんの言葉が、私の重い塊のようだった心をざわめきで賑やかした。固まっていたものが動きだし、それによって少し軽くなったような気がした。

「どうして?」

 聞いたのは花子ちゃんだった。

「その人にしかできない場所で、罪を犯す人っているのかな。自分がやりました、と言ってるようなもんじゃん」

 篠さんだけが驚かなかった。この人は、それに気づいていたんだ。

「じゃあ、一体誰が、どうやって……」

 花子ちゃんのその言葉を最後に、私達の空間は暫く沈黙が支配した。


 窓から差す陽の光が暑くて、私はいつの間にか頼んでいたらしいアイスティーを飲み干した。私達全員の前に、それぞれアイスティーが置かれてある。そういえば、気をきかせてくれたのか、店員さんが持ってきたんだった。結構前のことだ。

 最後に篠さんが「今日はお二人ともどうもありがとうございました」という言葉で締めくくった。

 相川くんが立ち上がった。「あ、飲み物代は……」

「もちろん結構です。せめて、これぐらいはご馳走させてください」

 篠さんの言葉に、相川くんがお礼を言い、花子ちゃんも頭を深く下げた。

 二人とも、お礼を言うほど飲んではいないというのに。

 そして、相川くんは改めて私達に軽く会釈をし、店を出ていった。

 花子ちゃんが残った。

 

 私は思った。何か、私達に伝えたいことがあるのだろう、と。実際、彼女はゆっくりと重たそうな口を開いてくれた。

「田中さん。と、篠さん。……村上くんのことだけど」

 私は、相槌をうった。

「高校の時はね、結構明るかったんだよ」

「……そうなの?」

「うん。でもね……付き合ってた彼女が事故で亡くなっちゃって。その時から変わっちゃったの」

 事故。交通事故。私にとって、決して軽視できない問題だ。また、私が教習指導員を目指すきっかけとなったのも〈交通事故〉だった。

「……そうだったんだ……」

 私は、あまり上手に言葉を見つけられなかった。

「……田中さん、このプリクラ見て」

 おもむろに花子ちゃんがバッグの中から手帳を出してひろげ、一枚のプリクラを指差して私に見せてくれた。

 それを見た私は、一瞬呼吸を忘れた。

 村上くんが、私には想像もできなかった笑顔で写っている。間違いなく、彼が高校生の時のプリクラだろう。なんだか若いし、なにより制服姿だ。

 そして、問題はその隣にいる女性。

「……文ちゃん?」

 文乃。里卯文乃。制服姿だが、彼女にしか見えない。肩までのボブヘアー。黒目勝ちの瞳。高くはない鼻。薄く小さい唇。その笑顔。あの、笑顔。

「その子は、里卯さんじゃないよ。高田佳奈。村上くんの彼女だった子」

 私が見慣れているはずのその顔を、花子ちゃんは別の名前で呼んだ。

 思考が、揺れて。ぼやける。

「……え? たかだ、かな……ちゃん?」

「そう。佳奈は、私の友達だったの」

 信じられなかった。そこに写っているのは、文乃ではなく別人らしい。似ている、なんてもんじゃない。どう見ても、本人だ。

「私も、最初に里卯さんを見た時は本当にビックリしたよ……」


「……なるほどな」

 篠さんが、ゆっくりと頷いた。

「これが、運命、というわけか」

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