第二十一話『二日目』
朝チュンという言葉を、ご存じだろうか。
朝目覚めると、そこには窓から差し込む陽の光と小鳥のさえずり。そして自分の傍らには女性ないし男性の姿が。という状況のことだ。傍らにいる異性が裸ならなおのこと、このシチュエーションには相応しい。
ぶっちゃけた話、昨晩起きた性行為を示唆する隠語なのだが。
この場合、主観となっているのが俺こと黒衣であり、傍らに寝ている金髪美少女は言うまでもなくアリスである。
……一応誤解なきよう弁明しておくが、そのようなことは一切なかった。いくら不良のレッテルを貼られているとはいえ、昨日今日会ったばかりの女の子を家に連れ込んで事に及ぶなんてことは決してしない。いや、家に連れ込んでいるのだが。
「ん……なんだ人間、起きていたのか」
そうこう頭の中で考えているうちに、当の本人がお目覚めだ。
「ああ、すまない。起こしたか?」
「いや……」
アリスは綺麗な顔をゴシゴシと乱暴に擦ると、のっそりとした仕草で起き上がり、ぐぅーーっと伸びをする。
「まだ眠そうだな」
「ん? ああ。昨日のお前は激しかったからな」
おいやめろ。何を突然言い出すんだ。
「まったく。生娘でもあるまいし、お前が妙に恥ずかしがるから就寝が遅れたのではないか」
だから誤解を招くような言い方をするな。
「シャワーの話だろ。お前が浴びたいなんて言い出すから」
「それは当然のことだろう。これでも一応女の身だ。身嗜みの一つや二つは気にするさ」
確かにそうかもしれないが。
「妙にお前が急かせるから、気を使って共に入ることを提案すれば今度は怒り出す。わけがわからんぞ」
それは当たり前のことではないでしょうか。と言いますか、さっき女の身がどうこう言っていたのはどこのどなたでしょうか?
「確かに女だが、それと同時にわたしはお前のパートナーとなったのだ。ならば共に湯浴みをすることも、同衾も当然のことだろう」
いやいや。それはどう考えてもおかしい。
そうか? とアリスは納得いかない様子だったが、さすがにそこは否定させてもらわなければ困る。でなければ、俺の身が持たない。
ただでさえアリスは可愛い女の子なのだ。容姿は誰もが憧れる金髪碧眼の英国お嬢さまモデル。その上、その華奢な身体からは想像もできないほどに実った二つの果実を持っている。というか、アリスは全体的に肉付きが良い。細いところは細いくせに、でかいところはしっかりとでかい。というなんとも贅沢わがまま仕様だ。思春期真っ盛りな男子高校生には目に毒もいいところだ。
ここまで言っておいてなんだが、なぜ俺がコイツの身体にここまで詳しいか疑問に思う方もいるだろう。その答えは至ってシンプル、簡単だ。
なぜならコイツは今、まさに裸だからである。
……だから誤解がなきようって言っただろ。俺は何もしていませんし、何もありませんでした。ただコイツが勝手に服を脱いでいるだけのことです。
いや、これでも昨日寝るときまでは服は着てたんですよ? 寝間着がないって言うんで俺のTシャツなんかを貸したりしてね。いわゆる彼T。彼氏じゃねぇけど。
で起きてみればこれですよ。英国御用達裸健康法。さすがの俺もたじたじ。思わずツッコミをスルーしてしまうレベル。あ、そういう下ネタはいらないんで。
まぁなんにせよ、俺がどうしたってアリスの体が目に入ってしまうわけだ。
一応? 俺も? 健全な男子高校生なわけで? そういうことに興味がないと言えば嘘になるが。だからと言って出会って一日と少ししか経っていない女の子を、それも人間ですらない【妖精】であるアリスを手篭めになんてことはしたりしない。そこまで俺は節操なくない。
そんな俺の視線に気付いたのか、アリスは急にニマニマと目付きを変えると、少しずつ俺ににじり寄ってくる。
「おや? おやおやおや? どうした人間?」
「どうもしとらん」
「朝だからか随分と視線が熱い気がするが?」
「気のせいだ」
「そうかぁ? それにしては、さきほどからわたしの顔ではなく下の辺りに視線が行っている気がするのだが?」
言うや否や、両腕の隙間を狭め強調してくる。何をとは言わんが。
「それも気のせいだ」
「そう遠慮せずとも、良いのだぞ?」
「何がだ」
「少しくらいなら、触れても」
俺の顔にアリスの吐息がかかる。掠れるような声で言うその声は甘く、ぷっくりと熟した果実のように赤い唇が目に入る。
毒。昨日あの魔女にも感じたものと似た、女の毒。匂いを嗅ぐだけで手足を麻痺させる即効性に、甘美な色香で見るものを惑わす中毒性。対処法を知っていようと関係ない。一度口に含めば、どんな男だろうと体の自由を奪われる。それほどまでに強力な、それは毒だ。
ごくり。思わず生唾を呑んでしまう。
それを合図と受け取ったのか、アリスはベッドに突いていた腕を一本、前に動かし黒衣との距離を詰めてくる。
俺の瞳を下から覗くように、ガラス細工のように整ったアリスの顔がそこにある。
視線と視線が、交錯する。
「な……、なんで、お前……」
「言っただろう? 面白いものを求めて来た、と」
「だ、だからって――」
「何事も経験だ」
卑しく笑むアリスの顔が、徐々に、ゆっくりと、近づいてくる。
俺はそんなアリスに抗う術もなく、ただ吸い込まれるようにその碧の瞳に呑まれ――、
ピロン――
そんな間の抜けた効果音を聞いて、俺は不意に顔を逸らしてしまう。
そこにあったのは、俺のスマホ。充電中とはまた別の通知ランプが点灯し、登録した覚えのない名前が画面に表示されていた。
『from.杏:図書館塔二階の会議室で待ってるわね』
送信、七時三十分。
現在、九時少し過ぎ。
そんな通知を見て俺はようやく、日曜日だからとゆっくりしすぎていたことを自覚して。
赤く染めていた顔を青に変えて起き上がる。
*
「遅い」
「すみません……」
あれからさらに半刻ほどが過ぎ、現在の時刻は九時三十五分。
我らが会長さまより連絡を賜ってからすでに二時間が経過した現在、当然のごとくご立腹の会長御大は自ら指定した図書館塔二階会議室の一席で腕を組み、整った細い眉を歪めていらっしゃる。
まぁそれはいい。それはまだいい。
いやよくはない。よくはないのだが、理解はできる。悪いのは自分だ。ごめんなさい。
ただ、杏先輩がご立腹なのは理解できるのだが、もう一人の美少女――我が相棒たる金髪碧眼の美少女もご立腹状態なのは如何せん、納得できない。
まぁこっちは怒っているというよりも、拗ねている、といった感じなのだが。
「あたしを前にしてよそ見なんて、随分と余裕があるのね、黒衣くん」
ああ、しまった。アリスに気がいっていて、あまり話を聞いていなかった。
「まったく。昨日あれだけのことがあったっていうのにアナタって人は。少し気が緩んでるんじゃなくて?」
「うっ……」
「確かに、桃とアリスがあの大男を退治してたことで、アナタにかかっていた『
ああそうか。そういえばそういう話だった。魔女の一件ですっかり頭から抜け落ちていたけど、もうあの大男に追われる心配はないのか。
「だからと言って、脅威が去ったわけではないわ」
気の抜けた俺の顔を見て、杏は勢いよく立ち上がる。
「あたしたちが最も警戒すべき【妖精】魔女が現れた。それだけで十分脅威に値するっていうのに、アナタたちと来たら……」
なにやら不機嫌気味なアリスと、どこか気の抜けた俺。そんな二人組を見て、杏は頭を抱える。
魔女。杏が言うには、それは【妖精】の中でも最も危険視される種別の一つ。そのほとんどが御伽噺に出てくる【
人類の敵。漠然とそう言われても、イメージできない。
その言葉から想像できるのは、海外映画などででてくるエイリアンや怪獣くらいなものだ。
「昨日【
「言ったこと?」
「彼女についての資料を見たって話」
「ああ」
そういえばそんなこと言ってた気がする。
「それで、緊急ってことで特別にその時の資料を送ってもらったのだけど」
そう言って杏は数枚の紙束を机に取り出す。
全部英語で書かれているのだが。
「これ、って――」
その内容に、戦慄する。
「三年前にヨーロッパで起きたとある事件。重軽傷者合わせて六十八名を出したその事件は、表向きには火山性有毒ガスによる事故ってことになっているのだけど、実際は違う。
杏は目を閉じて、資料と共に取り出した新聞記事を読み上げる。
「実際は、とある【妖精】によって行われた儀式による被害よ」
事件が起きたのは北欧の田舎。過疎化が進み、村人百人にも満たない小さな村だったが、それでも村のほぼ全域にも及ぶ大儀式によって村の家屋は倒壊。村人のほとんどが巻き込まれる大事件と化した。
「被害にあった村人のうち、未だ二十三名が昏睡状態のままだそうよ」
「……」
どこか油断していた。
いや、舐めていたのかもしれない。
【妖精】の脅威。それはあの大男で十分理解していた。そのつもりだった。
だが違った。その程度の話ではない。
被害者六十八名。村一つが壊滅状態。それはもう、通り魔とか殺人事件とかのレベルではない。
これはもう災害だ。人に害を及ぼし、あまつさえ死に至らしめる。
まさに災害。自然の脅威にさらされる、災害そのものではないか。
でも違う。そうじゃない。普通の人にはそうとしか見えないかもしれないが、そこには確実な意思が存在する。
人に害を為し、自分に利を得ようとする者の悪意が。
【妖精】の――【魔女】の思惑が。
「その儀式ってのは……」
「詳細は不明。わかっているのは、儀式が行われた夜、村全体を覆うほどの光が確認されたとだけ。おそらくは儀式のための魔方陣か何かだと思うけど、対処に向かった三組の人間と【妖精】は返り討ち。【妖精】は殺され、人間も意識不明者の内の三人に」
俺たちと同じように、対処にあたる人間と【妖精】もいた。それでも駄目だった。返り討ちにあった。
「正直に言うと、今日ここに来てもらったのは警告なの。これからあたしたちに付き合うか、ここで降りるかっていう」
「……降りる?」
「ええそうよ。なんたって、昨日までとは事情が違う。状況が違うの。気のまではデカい化け物が校内を荒らし回ってるってだけの話だった。でももう違うわ。それだけの話じゃなくなった。なにせ相手があの【魔女】なんだから」
昨日共にいて少し理解したが、杏は自信家だ。自分の能力と実力をしっかり把握し、その上で自分に出来ると確信を持って行動する本当の意味での自信家。
それと同時に現実主義でもある。自分の実力を把握しているからこそ慢心などしたりせず、出来ないことと無理なことを瞬時に判断する。
昨日魔女と対面したときがそうだ。あの大男に勝てるとまで豪語した杏が、あの魔女に対しては受け身でしか対処できなかった。何をするかわからない。何が出来るかもわからない。それでいて相手が格上だと、そう判断したからこそ後手に回らざるを得なかったのだ。
杏がそう判断せざるを得なかったということだ。
「あの、先輩。そのことについてなんですけど……」
「なるほど、ね」
四年前の話を、俺は先輩に話した。
全てではないが、ある程度のことは、全部。
「つまり、それが昨日あの魔女が言っていた『迷い児』ってことなのよね」
「それは、たぶん……」
「『迷い児』……。【妖精】の世界に迷った子供のこと……?」
杏は考えをまとめるようにブツブツと独り言を呟く。
「ま、そのことは今はいいわ。魔女が言っていた通り、あなたを気に入ったから仲間にしようとしただけだろうしね。それより問題は、そのことをあの魔女に教えた何者か、ね」
「え?」
「何疑問符浮かべてるのよ。魔女だからって、なんでも知ってるわけじゃないんだから」
ああ、そりゃあそう……か?
「あり得ないことが起きるのが【妖精】だけど、だからってあり得ないことをなんでもかんでも考慮してたらキリがないわ」
それもそうだ。
「だから、あたしたちは最もあり得そうなことから考えるの」
「最もあり得そうなこと?」
と、そう言われても。
「黒衣くん。昨日あの【魔女】が最後に言ってたこと、覚えてる?」
「最後に、言ってたこと……」
それは、確か――、
「妖精の、物語……?」
「ええ。それよ」
杏は深く頷く。
妖精の物語。フェアリーテイル。御伽噺の英訳。【妖精】の物語?
「『妖精の物語』。あたしは
「え……」
それは確か、最近噂になっていた都市伝説の……『本の妖精』と同じ。
「ま、もちろんこんな話は眉唾よ。【妖精】の中ですら都市伝説扱いの、信じるに値しないあやふやなもの。御伽噺の中の御伽噺みたいなもんよ」
「なんだ……」
てっきり、そんなものが本当に存在するのかと思った。そりゃそうだ。もしも存在するのなら、人間だろうと【妖精】だろうと放ってはおかないだろう。
「でももし、それが存在するとして」
「え」
「それをあの【魔女】が追い求めているのだとしたら」
いや、いやいやいや。
「いや、だってさっき、そんなもの御伽噺みたいなものだって先輩が――」
「あら。御伽噺を嘘だというのかしら。現にここに、その御伽噺の住人がいるっていうのに?」
「うっ……」
それは、確かにそうだが。
「今わかっているのは、あの魔女を野放しにしているとろくなことが起こらないってこと。『妖精の物語』が真実にせよ真実でないにせよ、あの魔女が
もちろん、それはそうだ。そうなのだが――、
「結局、何をすればいいんですか?」
そこだ。現状、何もわかっていないに等しい。相手の居場所も、目的も、何一つ。
「うーん、そうね。じゃあ、協力者でも探してもらおうかしら」
「協力者?」
「ええ。いくら【魔女】とはいえど、【妖精】であることに変わりはないわ。なら現実での契約者がいるはずよ。アナタの情報を提供した人間もいるだろうしね」
なるほどね。理解は出来た。
だが同時に、別の疑問を浮上する。
「それって、どうやって見つけるんですか?」
当然の疑問。【妖精】と契約をしている人間なんて、どうやって見つけるというのか。何か見分ける方法でもあるのだろうか?
「そんなの簡単よ」
「あ、やっぱり何か方法が――」
「足よ」
「あし?」
足? 脚? 芦?
「足。自分の足を使って【逢魔時】をしらみ潰し! 捜査の基本よ」
なにか、刑事ドラマみたいなことを言い始めた。
この人、基本頭がいいのに時々バカだよな。
「まぁわかりましたよ。アテがないんじゃ仕方ないですしね」
そう言って俺は手をひらひらと振り、立ち上がる。
ここにいても話は発展しない。ならば、少しでも動いた方が何かしらの情報が――、
「黒衣くん」
立ち去ろうとした俺を、不意に杏が呼び止める。
「貴方は、それでいいの?」
「……」
すぐには答えが返せなかった。
それが何のことなのか、わかったから。
その問いは、さっきの続き。
この【妖精】にまつわる一連の事件について、関わるのか否かの。
「……確かに、あの大男を倒したことで、俺の命は、とりあえず助かったのかもしれません」
あの大男との間にある楔は消えた。それによって、直接的な命の危険は確かになくなったのかもしれない。
それでも、
「それでも、関係がなくなったわけじゃない。村一つ丸ごと消し去るような奴がこの学校にいる。そしてここには、俺にとって大切な人がいる。俺がこの先も関わる理由は、これだけで十分です」
「……そう。なら、あたしが止める理由はもうないわね」
杏はいつもより柔らかい笑みを浮かべると、小さく手を振る。
「じゃ、とりえずパトロールでもお願いね。大男はいなくなったけど、第二第三の大男が現れないとも限らないんだから」
「イヤなこと言わないでくださいよ。一応俺、アイツに殺されてるんですから」
そんな軽口を叩いて、俺は会議室を後にした。
「あ、ヤベ……」
そういえば、八重の試合、何時からだっけ。
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