第二十話『幼なじみ』
「それにしても」
俺が赤く痛む頬をさすりながら夏の夜道を歩いていると、アリスが唐突に切り出してくる。
アリスは目的なしに歩を進めていたらしく、俺の家から随分と離れた場所まで歩いてきてしまっていた。
そのため、学校から徒歩数十分程度の自宅に帰るのに、随分と時間を労してしまっているのだ。
そんな自販機の明かりくらいしか見るもののない退屈な道中、アリスは思いついたかのように口を開く。
「探そうと思わなかったのか」
「何の話だ?」
「妹の、だ」
「ああ……」
さきほど思ったと思っていた暗い話を、アリスはまたぶり返してきた。
ただまぁ、そこは気になるところか。
「いいや、探した」
だから黒衣も、正直に答える。
「来る日も来る日も、ずっと」
あの不思議な世界へ行ってから一ヶ月の月日が流れていたこと、帰ってきた後の自分の変化。どちらにももちろん驚いたが、何よりそれ以上に、妹がいなくなったことの方がよっぽどショックで。
妹が後ろにいない。ただそれだけ。たったそれだけのことで、今いるこの世界が異質に見えてきた。
あたかも、あっちが現実で、こっちが異世界であるかのように。
「だから探し回った。どこもかしこも。子供の足で行ける距離なんてたかが知れてるけど、それでも、行ける範囲は、手当たり次第に」
当然警察も動いてくれていた。もちろん両親も、それ以外の大人も、みんな。
だけど誰も信じてはくれなかった。ここにはいないんだと。ここじゃない、別のどこかにいるんだと。そう言ってもだれも信じてはくれなかった。
「当たり前だよな。知らないうちに変な世界に行って、しかもその場所のことをほとんど覚えていないなんて」
だからこそ、自分で探し回った。
妹を、というより、あの世界への入り口を。あの時見た白い何かを。路地裏の向こうに消えた妹の感触を。ただひたすらに探し回っていた。
「来る日も来る日も。起きては探し回って、日が暮れたら家に帰って寝て。朝が来たら起きて探し回って。日が暮れたら帰る。その繰り返しだった」
その頃の無茶な生活を思い出して苦笑する。
子供ながら、よくもまあそんな生活を繰り返していたものだ。
今だからこそ、感心する。
「だが……」
結論を、アリスは問う。見えている結論を濁して。
「ああ。見つからなかった。当然だ。偶然訪れた異世界になんて、何もわからない子供がもう一度辿り着くなんて、土台無理な話なんだ」
たった四年。それだけのことなのに。随分と昔のような気がして笑いが零れる。
「諦めたのか?」
「……いや」
率直に尋ねてくるアリスに心地よさを感じつつも、その答えには否定する。
「そんな日々を、一ヶ月は続けてたある日のことだ」
知らぬ間に終わっていた夏が過ぎても、俺は学校にも行かずに妹を探していた。
まるで自分の喪失を埋めるかのように、俺はひたすらに妹を探し続けていた。
最初こそ俺のことを心配していた両親も、次第に疲れて何も言わなくなっていった。
そんなある日。
「幼なじみの女の子が、そんな俺を見かねてな」
『また、どこかに行っちゃうの?』
「堪えたよ。妹のことしか見ていなかった俺に、妹みたいな泣き顔でそう言ってくるんだもんな」
親も他の大人も、あの子は駄目だと、頭がおかしくなったのだと俺を見放したっていうのに。
八重だけはずっと俺のことを心配していてくれたんだ。
また俺が、どこかへ行ってしまうんじゃないかって。
「でも、それでようやく気付かされた。何も見ていなかったのは、俺の方なんだってな」
少なくとも俺は、その時まで俺を本当に心配してくれている人がいるなんて、思ってもいなかった。
「だから俺は、もう二度とコイツに涙を流させてはいけないんだって、そう思ったよ」
それからというもの、俺は学校にもまた復帰した。今までと変わらない『普通の生活』ってやつをやるようにした。夏までやっていた習い事も、進むはずだった有名校への受験勉強も、それまでやって来たことは全部辞めたけど。
普通に友達と笑い、普通に学校に通うだけの退屈な日々、俺は戻った。
「何もかも変わった。あの夏の日から、本当に何もかも。でも変わらず俺に接してくれる奴もいる。だから俺は――」
「クロ!」
とその時、差し掛かった十字路から聞き覚えのある凜とした声が聞こえてくる。
俺を見つけるなり走り寄ってきたのは、
「八重?」
ちょうど今話していたばかりの幼なじみの少女――
「八重、お前こんな時間に何やって――」
「それはこっちの台詞です!」
黒衣の言いかけた言葉を遮るように、八重は黒衣の目の前でそう叫ぶ。
「教室の窓が割れて、何があったのかと思ってたらクロが突然消えたって、そう聞いて……」
「あ……」
言われて思い出す。【妖精】の姿が見えない一般人には、あの時大男に襲われていた状況がそう見えていたらしい。
ことが済んだ時には既に日も傾いていて、事情の説明も何もできていないから。
「また……、またクロがいなくなったんじゃないかって、すごく、心配で……」
黒衣をキツく睨んでくる八重の目元には涙が溜まっていて。泣くまいと必死にこらえているようだが、それでも涙はぽろぽろと零れていく。
また、泣かせてしまった。
昨日から続いて、二度目。
昨日は時間が戻ってなかったことになっているが、それでも俺は八重をまた泣かせてしまった。
あの日決意してから、既に二度。
あれだけ泣き虫だった八重が、この四年間一度も泣くことはなかった。
だが『今日』という一日に、もう二度も涙を流させてしまった。
どっちも、俺のことで。
「悪かったな、八重。窓が割れた後、片付けにいろいろ手間取ってただけだ。杏先輩にも捕まって今の時間まで長引いてただけだ」
「か、会長に、ですか……?」
できるだけ嘘は言わず、俺は真実をはぐらかす。
「……そういえば、昨日大神くんと会長の話をしていました」
「ああ。だから、何も心配することはないんだ」
俺の言葉に、八重は顔を埋めながらコクリと頷く。
それから少しして、八重は俺に隠すように涙を拭い、
「もう。心配かけないでください」
いつもと変わらぬ笑顔で、そう言ってくる。
少しだけ腫れた瞼を除いて。
「はぁ。心配して損しました。一組の人も大げさすぎです。それは、窓ガラスが全部割られたことは大事ですけど」
気丈に振る舞う八重を見て、俺は少し胸は痛む。
「それじゃあ、私は帰りますね」
「ああ。送ってくよ」
「大丈夫です。私の家はすぐそこなんですから。心配しなくても、クロみたいに他人様にご迷惑をかけたりしませんので」
「でもな――」
「その代わり!」
ビシッと、八重は俺を指差し、
「明日の練習試合は、絶対見に来てください」
「練習試合?」
そんなことを言ってくる。
そういえば、そんなことを言っていた気がする。
「約束……ですよ?」
ビシッと言ってくるわりに、どこか一歩自信がなさげだ。
「ああ、わかったよ。絶対見に行くから」
「絶対、絶ぇ対ですよ!」
「ああ。わかったって」
俺がそう言うと、八重は心底嬉しそうに顔を輝かせる。
そんな顔をすると、ホント――。
「それじゃあクロ。あまり遅くならないうちに、早く帰るんですよ。お姉さんも心配するで」
「ああ。わかってるって」
あの姉さんが心配するとは思えんが。
「それじゃあ、おやすみなさい。クロ」
「ああ。おやすみ、八重」
八重はまるで子供のように元気に走り去っていく。
途中何度もこちらを振り返りながら。
「あれがさっき言っていたお前の幼なじみか」
なぜかお前のを強調してくる。
「ああ」
「可愛い娘ではないか」
なにやらニヤニヤしながら言ってくる。
【妖精】にも野次馬根性のようなものはあるのか。
「さっき、諦めたのか、って聞いたよな」
「ああ、聞いたな」
「あの夏の日からもう四年が経った。妹のことは何度も思い出したし、今もたぶん、俺は妹のことを探してるんだと思う。もしかしたら、あのまま探し続けたらもう一度あの世界に行って、妹を見つけることができたのかもしれない」
ありえないことだと思う。天文学的確率とか、そんな次元の話ですらないことも。
それでも、あのまま探し続けていたら、いつの日かここではないどこかに辿り着いてしまったのではないかと、そう思ってしまっている。
「でも、それじゃダメなんだ。それじゃあもう一人の俺の大切な人を泣かせてしまうから。でも俺は妹のことを諦めることもできない」
不意に目に入った夜空には、相変わらず星がない。
でも一瞬、明かりの見えない暗闇に、一条の光が落ちたような、そんな気がした。
「だから俺は、お前が現れてくれたことは運命なんだと思う」
満点の星のように輝く黄金色の少女を見て、俺は強く、そう感じる。
「諦めかけていた俺の時間を、お前が動かしてくれるような、そんな気がしたんだ」
暗闇でもなお光を失わぬ、一等星の光を見て。
「運命なんて言葉、本来は嫌いだ。そんなの、都合のいい結果論に過ぎないから」
でも、
「でも、お前が運命じゃないと言うんなら、俺に他の運命なんてない」
今は、そう思う。
そう思える。
「だからもう一度言う、アリス。俺に、力を貸してくれ」
真っ直ぐと、一等星のような輝く少女に向けて、俺は手を伸ばす。
告白なんてしたことはないけれど、これは俺にとって一世一代の、人生最大の告白だ。
何より、諦めかけていた自分自身を取り戻すための、これは告白だ。
「……わたしの目的は、つまらぬあの世界を脱し、面白いものを見つけることだ」
それは今日の昼、アリスが語っていたこと。アリスが人間の世界に憧れた、その理由。
「それ以外のもの、つまらぬものは全て不要。変わらぬ世界になど、わたしは興味がない」
……それも、仕方ないことだ。
契約者とはいえ、パートナーとはいえ相手の全てを縛ることなど出来はしない。もとより、【妖精】は自由を求めてこの世界へやってくる。それを人間の都合に付き合わせるなど、不可能なのだろう。
「だからだ、人間」
それでも、俺は……。
「お前の願い、わたしが叶えてやろう」
…………え?
「いいのか?」
「ああ。お前はわたしの契約者だ。当然だろう」
……ああ。
「何より、お前のその願いは、面白い」
ああ、そうか。お前は――この【妖精】はそういうヤツだ。
「だから人間、お前のその願い、決して曲げるな。お前がその願い違えぬ限り、わたしはわたしの全てをお前に捧げ、協力しよう。だからくれぐれも、わたしを飽きさせてくれるなよ、人間」
何かが胸にこみ上げ、目頭が熱くなる。
だが俺は、それを堪え、
「ああ」
力強くそう頷き、金色の【妖精】の手を握る。
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