第十五話『【妖精】』


「桃太郎!?」

「声が大きいわよ、黒衣くん」


 ところ変わって、再び黒衣と杏。


「先輩のパートナー、あの桃太郎なんですか」


 注意された黒衣はスイマセンと謝るが、それでも知らされた事実に声から驚きが滲み出る。


 桃太郎。この日本において、その名を知らぬ者はまずいないだろう。

 桃より出で、イヌ、サル、キジの三匹の家来を引き連れ鬼ヶ島へと臨み、見事鬼退治を成し遂げた日本を代表する童話の主人公だ。

 勧善懲悪の代名詞ともなる有名な物語の主人公があの侍なのだと、杏はそう言うのだ。

 これに驚かないわけがない。


「ああ、だから【騎士】なんですか」

「そ」


 杏は短く頷いて肯定する。


「【妖精】はね、その見た目や能力からいくつかの種類に分けられるの。一つは【妖精種フェアリー】。名前は妖精そのままだけど、これには類別できないその他とされる【妖精】が含まれる。あなたは見たことあるかしら。空飛ぶ本や喋る草花を」


 言われて黒衣は思い出す。昨晩出逢ったときのアリスの姿を。『本の妖精』と名乗っていたときのアリスは、どこからどう見ても本の姿をしていた。あれがそうだったのかとなんとなく解釈する。


「個々の力は弱いけど、もっとも数が多く、集団で出会でくわすことが多い種よ。それほど脅威とは言えないけど、舐めていると厄介なことになるわ」


 気をつけてね。と杏は黒衣に注意を促す。


「次に【獣種ビースト】。名前の通り、動物の姿をした【妖精】の総称。これも【妖精種】と同様でそれほど強い個体は少ないのだけど、中には強力な力を持った【妖精】もいるから油断しないで。基本は群れで行動するからそこにも注意が必要ね」


 ああ。そういえば、昨日見たウサギもそうだった。最初は一匹だけだと思っていたのに、いつの間にか複数のウサギに囲まれていたっけ。つまりそういうことなのだろう。


「中でも要注意なのは兎と狼の姿をした【獣種】」

「え」

「あら。もしかして、もうどこかで会ったのかしら?」

「ええ、まぁ……」


 昨晩ウサギの群れに追いかけ回されたことを黒衣は思い出す。

 そうか。やはりあれは危険な状況だったのか。

 杏は「それは運が悪かったわね」と軽く言って話を続ける。


「彼らはその危険性からそれぞれ【ラビット】【ウォルフ】と呼ばれているわ。【狼】は言わずもがな、単体でも厄介な獰猛さに加え、群れで標的を追い詰める狡猾さを持っているわ。出くわしたら素直に逃げることね。中には『登場人物キャラクター』もいるだろうし」

「キャラクター?」


 また出てきた新しい単語に、黒衣は疑問符を浮かべる。


「【登場人物キャラクター】。その名の通り、童話の登場人物として名の知れた【妖精】のことよ。アナタのパートナーのアリスもこれに当たるわ」


 なるほど。【登場人物キャラクター】の意味する通り、童話の登場人物として役割を持つ【妖精】のことか。


「【妖精】はあたしたち人間の認知の強さによって力を増すわ。だからこそ【登場人物】がほとんどな人型は、あたしたちにとって重要な警戒対象なんだけど。だからと言って、それ以外の【妖精】を無視していいという道理もないわ。油断していると、意外な【登場人物】も現れるかもしれない」


 弱いと言ってもあくまで【妖精】。【妖精】である以上はそれ相応の危険が付きまとうと。


「話が逸れたけど、【狼】と【兎】が特に危険な理由はズバリそこになるの」

「つまり、【狼】と【兎】には【登場人物】が多いってことですか?」

「鋭いわね。概ね世界よ。【狼】は多くの童話でそうあるように、悪役として登場することが多い【妖精】なの。それゆえにこちらへやってくる【狼】のほとんどが、人間に対して害を為そうとする連中ばかり」


 【狼】。その危険性はどうやら現実の狼とさほど変わりはないらしい。いやむしろ、【妖精】であるが故の知性も持ち合わせている分さらに厄介極まりない存在となっているのだろう。


「で、問題は【兎】の方」


 意味深な前置きをして、杏は話を続ける。


「【兎】は【狼】に比べ、それほど【登場人物】としての【妖精】は存在しないの」

「え。じゃあそんなに危険じゃないんじゃ……」

「確かに、黒衣くんの言うとおり。普通の【兎】ももちろん危険だけど、本当に危険な力を持っているのは【登場人物キャラクター】はわずか一体しかいないの」


 たったの一体。それが多いのか少ないのかはわからないが、数が多いと言ったばかりの【狼】と肩を並べるほどの危険性が【兎】にあるとは思えない。

 ならば、その一体は……。


「そう。その一体が大問題」


 やはり。黒衣が思い浮かべていた通り、杏は話の先を語り出す。


「真名はわからないわ。ただその姿形から彼女はこう呼ばれているわ。――『白ウサギ』ってね」


 噛み砕くようにその名を口にし、黒衣はそれを呑み込む。

 その名前に、黒衣は特に強い印象を受けない。色が白い兎、という極々当たり前のイメージしか想像力貧困な黒衣には思い浮かべることができなかった。


「たった一体の【妖精】だと言うのに、数多の魔法と武具を操ると言われる規格外の【妖精】よ。神出鬼没に現れては、大量の配下を引き連れ人間も【妖精】もかき乱す、【妖精】きっての厄介者。【狼】ほどの獰猛さはないけれど、目的も何も読めないその行動と強大な力から、最重要指名手配もされるほどの【妖精】なの」


 最重要指名手配。その言葉だけでどれだけ危険な存在かは伝わってくる。


「それに、普通の【兎】にも注意が必要よ。彼らは様々な武装で人間を襲うの。基本行動は群れで行うから、一匹だからって油断してるとあっという間に囲まれるわ」


 あ、はい。すでに経験済みです。


「合い言葉は、一匹でも【兎】を見かけたら百匹はいると思え、だからね」

「なんかゴ〇ブリみたいですね」

「危険性は伝わったでしょ」

「そッスね」


 杏は時々、本気で言っているのか天然で言っているのかわからないような冗談を言うから侮れない。

 まぁ、どちらにしても対処に困るのだが。


「次に【鬼種オーガ】。その名の通り鬼の姿をした【妖精】の総称で、おそらくだけど、あの大男が該当する種別ね」

「鬼……、ですか」


 その単語に、黒衣はそこはかとない怖気を感じる。


「一口に『鬼』と言っても、それは日本に伝わる鬼だけじゃないわ。人からそうでもないに落ちた人間や、人とも獣とも呼べないバケモノさえも総じて『鬼』と呼ぶわ」

「じゃあ、あのデカブツは――」

「おそらくだけど、どこかの童話で人から落ちた者じゃないかしら」


 鬼。【鬼種】。人であった者の成れの果て。たとえそれが童話の中でのことだったとしても、【妖精】のことであったとしても、それはあまりいい気持ちのものではない。


「特徴としては、強靱な肉体と【狼】すらも凌ぐ凶暴さかしら」


 そのどちらの特徴も、黒衣は既に身をもって経験している。


「鉄をも超える強靱な肉体に、金属をも粉砕する筋肉。魔法を使う個体はほとんどいないけど、その肉体だけで十分過ぎるほどの脅威。まさに化け物と呼ぶに相応しい存在よ」


 ああそうだとも。あれを化け物と呼ばずして、何をそう呼ぶのか。

 あれはそれほどの存在だ。


「【狼】に【鬼】。そのほとんどが童話の中で悪役として登場し、こちらの世界でも悪事を働く【妖精】よ。そう言った【妖精】たちを、あたしたちは【悪役ヴィラン】と、そう呼んでいるわ」


 悪役、か。なるほど。それはわかりやすいことだ。


「そして、それらに対抗することのできる存在が【英雄ヒーロー】。人間との共存を第一に考え、【悪役】を率先して退治する存在」


 英雄に悪役。それはまさに創作ファンタジーだ。


「そして、その【英雄】と呼ばれる【妖精】のほとんどが【騎士ナイト】か【プリンセス】と呼ばれる【妖精】。どの童話においても主人公格の人物であり、強力な力を有する最高クラスの【妖精】よ」


 【騎士】に【姫】ね。ありきたりではあるが、わかりやすくもある。


「【騎士】は文字通り剣を扱う【妖精】よ。剣というより、武器を扱うクラスかしら。主に童話の王子さまとかがこれに該当するわね」


 それで騎士か。つまり、主人公の【妖精】だ。


「そして【姫】はその名の通り、童話のお姫様に該当するクラス。【騎士】のような戦闘技術も、【獣種】のような身体能力も持ち合わせてはないけど、【姫】にはその逸話になぞらえた【魔法】を扱うことができるの」


 魔法……、魔法か。


「言っている通り、【魔法】はモノにもよるけど、そのほとんどが強力な力なの。威力云々もそうだけど、【魔法】はを持っている。物理法則を無視し、時には概念にすら干渉しうる。それが【魔法】」


 魔法。ゲームみたいに炎やら水やらを出すなどという単純なものではないらしい。がさっき雷を出していたからそういうものだと思っていたが。


「そして、その【姫】に該当する【妖精】の一人が――」

「……アリス、ですか」

「ええ。そうよ」


 黒衣の答えを、アリスは肯定する。

 確かに、今思い返してみれば、この先輩はアリスのことを執拗に『お姫様』と呼んでいた。あれはアリスの態度を揶揄してのことだとばかり思っていたが、ただそれだけではなかったということだ。


「彼らはその全てが【登場人物キャラクター】。絶対数は決して多くはないけど、たった一体で数百の【妖精】と同等の力を有する、まさに一騎当千の力を持つ【妖精】たちよ。そして、彼らが物語の主人公たるゆえか、そのほとんどが規律を重んじ、悪を許さないという側面を持ち合わせている。だからこそ、あたしたち人間の味方となってくれることが多いの」

「なるほ……ど。それで、合点がいきました」

「……? 何のことかしら?」

「先輩が俺たちと組んだ理由、ですよ」

「理由?」


 突然語り出す黒衣に、杏は怪訝な表情を浮かべる。


「先輩が俺たちに近づいたのは、俺が目的なんじゃなくてアリス、なんでしょう?」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「簡単なことですよ。先輩は最初っから、アリスのこと知っていた」

「あら、それだけで?」

「先輩なら『本の妖精』の噂は当然知っていたでしょう。普通ならただの都市伝説と切り捨てられる、取るに足らない噂話だ。だけど違う。【妖精】の存在を認知している先輩なら話は別だ。おそらく、なんらかの【妖精】がこちらへやってきたことは気付いていたはずだ」


 杏は口を閉ざし、黒衣の言葉を待つ。


「そして昨晩、【妖精】の捜索に向かった。でも既に手遅れだった。なぜなら、俺がその【妖精】と共に行動していたからだ。そして異変が起きた。時間が過去に巻き戻った。多分そのとき、あの空間にいた先輩も時間の巻き戻りに巻き込まれた。だから俺とアリスにいち早く勘付き、接触してきた」


 そこまで言って黒衣はちらりと、杏へ視線を向ける。

 合っていますか、と言わんばかりに。


「……はぁ。ええ、そうよ」


 黒衣の視線に応えるように、杏はため息交じりに白状する。


「予言があったのよ」

「予言?」

「ええ。そういう力を持った【妖精】がいるの。で、近いうち強い力を持った【妖精】が現れるって。だから探してたのよ。その強い力を持つっていう【妖精】を、ね」

「何でまた」

「そりゃあ、そうでしょ? もし悪しき考えの人間が契約を結びでもしたらどうするのよ。もし契約に成功してしまえば、その人間には何らかの【魔法】を手にすることになる。魔法ってのは、言わば一つの奇跡。限定的ではあるけど、物理法則をねじ曲げた現象を引き起こすことができる。そんな力をただの人間に渡せるわけないじゃない。その人間が善人だとしても。最悪、人の命を巻き込むことになる。


 その話を聞いて、黒衣は自分の傍で気を失って横たわる男へと視線を向ける。

 そうだ。杏の言っているのはまさにこのことだ。事実、この男はあの大男を自分の憂さ晴らしに利用していた。人一人など片手で捻り潰せるだろうあの力で、だ。

 目的の矮小さの所為もあってか、被害は最小限度に留められていたが、もしその目的が憂さ晴らしなどというくだらないことではなく、誰かの命を奪うというものであったならば……。

 それを考えるだけで、黒衣は背筋を凍らせる。


 今回怪我をした女の子のことを黒衣は知らない。

 だが、もしその子が自分の知っている子だったなら。

 もしその子が怪我では済まないほどの事態に陥っていたなら。

 もしその子が――――。

 そう考えるだけで、黒衣の鼓動は早くなる。

 おそらく、杏が言いたいのはそういうことなのだろう。


「で、黒衣くんはどうするの?」

「……どうするって?」

「あたしはアナタを騙していた。あたしがアナタに近づいたのは全部打算で、アナタを助ける気も救う気もなかった。あたしが欲しかったのはあの子――アリスの力だけ。もちろん、アナタを使えばうまくあの大男を釣れるんじゃと考えたけど、それはただのついで。うまくいけば美味しいってだけの、その程度の考えでしかない。そんな打算だらけのあたしを、黒衣くん。アナタはどうするの?」


 淡々と、淡々と杏は話す。

 それはさっき屋上で見た杏の姿と重なるが、決して同じではない。

 後ろめたさもある。謝罪の気持ちも本当なのだろう。

 ただ、その瞳は真っ直ぐで。屋上で見たような、人を食った巫山戯た態度も雰囲気も、自分で言っているような打算的な考えも、そこには感じなかった。

 その瞳に宿るのはおそらく――信念。

 そう呼ぶべきものなのだろう。

 黒衣が杏と出逢ってからまだ一日と経っていない。そんな僅か数時間程度の付き合いでも理解できることなど、たかが知れているだろう。

 それでも理解できることはある。

 その瞳の強さ。そこにある感情が何なのか、何に対するものなのかはわからない。

 それでも理解できる。その瞳に宿る強さこそが、人が信念と呼ぶべきものなのだということは。

 それはアイツの瞳にも見た。

 自分には存在しない、眩しすぎるもの。

 そんな風に何かを強く思える人間を。

 黒衣は、羨ましく思う。

 だからこそ、黒衣は答える――。


「え、別にどうもしませんけど」


 ……………………。


「……はい?」


 黒衣の答えが予想外だったのだろうか。杏は思わず気の抜けた声を出してしまう。


「……黒衣くん。もう一度言うけど、あたしはアナタを騙そうとしたのよ。いいえ、現に騙してた。アナタを利用しようとしていたの。なのにどうもしないって……」


 困惑の色に揺れる杏を、黒衣は困ったように頭をかいて答える。


「そう言われてもですね……。それで俺が何か損したとかでもないですし。囮作戦は俺も納得した上でのことですし。それに、先輩は別に騙してなんかないですよ?」

「どういうこと?」

「確かに、ちゃんと全てを話してくれたわけじゃないけど、それでも先輩は俺に話してくれた。非情に徹するなら俺を組み伏せれば済むところを、ちゃんと」

「それは……買いかぶりすぎよ。あたしはそんなにいい人間じゃないわ」

「それでも、俺は嬉しかったんですよ。こんなわけのわらかない状況でも、一人じゃなかったって」

「…………」

「だから先輩。あんまり自分を悪く言わないでください。少なくとも、俺は先輩がいてれくたおかげで救われたんですから」


 それはただの本心だ。突然死を経験し、時間が戻るという怪現象にさらされる中、自分と同じ人間が事情を理解してくれている。それは嵐の海から見える灯台の如く、暗闇を照らす道標みちしるべとなって俺を導いてくれた。それがどれほど心強いことか。それにどれほど救われたことか。

 きっと、杏にはわからないだろう。

 だからこそ、黒衣は言う。


「ありがとうございます、先輩」


「――――――――」


 杏は目を丸くして、黒衣を見つめる。

 だが少しすると、頭を押さえてうつむいてしまう。


「あ、あれ? どうかしましたか、先輩?」


 一応フォローのつもりで言ったつもりだったのだが。

 だが杏は、悩ましげにため息を吐いて、顔を上げる。


「…………はぁああ。いいえ。……いいえ。別に、どうもしないわよ。なんか、少し悩んでたアタシがバカみたい」

「はい?」


 わけもわからず黒衣は疑問符を浮かべる。

 そんな黒衣を見て、杏は表情を呆れ顔へと変える。


「これは、あの子も苦労するわね」

「?」

「ああ、もう。そういうのはいいから。はい、この話は終わり! さっさと二人と合流するわよ」

「???」


 急に態度を変えた杏に急かされながら、黒衣はわけもわからず先を急ぐ。

 ただ、杏の表情が少し和らいだことだけは、こんな黒衣でも理解できた。

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