第十四話『サムライ』


「さて」


 アリスは腰に手を当て、自身で形作った無骨な氷像を仰ぎながら呟いた。


「これからどうするか」


 問題の大男はこうして捕まえた。

 だが倒したわけではない。

 アリスが魔法を解除すれば、この大男は今すぐにでも動き出すことだろう。

 動くだけならまだしも、その手に持つ大斧を振るい、手当たり次第に殺しにかかるだろう。氷漬けにしたアリスはもちろんのこと、パスが結ばれているはずのアリスの主人も。


 それはさすがに困る。外の世界に来て早々パートナーを失うわけには行かない。

 それに何より、自分の所為で誰かが死ぬなど、寝覚めが悪いにもほどがある。

 だからこそ、この大男はここで処理しなくてはならない。


 一応アリス自身にも手立てがないわけではない。この大男を倒す手立てがあるにはある。

 あるにはあるのだが、それはさすがに骨が折れる。通常の方法でどうしようもないと言うのであれば仕方ないが、できることならばその方法は避けたい。

 だからこそ、あのまだ右も左も知らない人間に契約者を探せと言ったのだ。そっちの方がずっと手軽で、確実だから。


 だが如何せん、待つというものは退屈なものだ。

 好奇心のままに進んできたアリスにとって、この状況は少々耐え難い。

 そもそもの話、あの人間は無事なのだろうか?

 人間相手だから心配ないと高を括っていたが、よくよく考えてみればこの異常な大男の主だ。相手の人間も此奴のような筋肉モリモリのゴリラ男だったらならばどうだろうか。あの人間も細っこいわけではないが、だからと言って逞しさにはやや欠けるといった印象だ。

 よもやボコボコにやられてはいないだろうか。

 そう考えると途端に不安になってくる。

 やはり探しに行った方がいいだろうか。

 大男から目を離すのは少々不安が残るが、背に腹は代えられない。


「仕方あるまい……、行くか」


 そうと決まれば善は急げだ。さっさと行って助けてやろう。

 まったく。世話の焼ける――、


 そう、目を離した瞬間だった。


「っ――――!?」


 氷が砕ける音と同時に、アリスの体は自由を奪われる。

 咄嗟に日傘を構えるが、驚くべき力に左肩を捉えられ、傘を手放してしまう。


「ぐっ……、貴様……っ」


 それはアリスの半身を覆ってしまうほど巨大な掌。

 その掌はアリスを鷲掴みにし、徐々に徐々にその力を強めていく。


「Grrrr……」


 まるで蒸気でも漏れ出ているかのように、自由の利く右半身の口から白亜の息吹を零す。

 動作の遅いエンジンを、温めるかのごとく……。



「くっ――――、にん……、げ……」



   ***



「呆れた」


 そんな声が聞こえて、黒衣は顔を上げる。


「杏……、……先輩」


 油断していたためか、つい杏を呼び捨てで呼んでしまう。一瞬変化した逆ハの字の眉を見て、黒衣はなんとか持ちこたえ言い直す。


「まさかはっ倒しちゃうなんてね。それも、借り物とはいえ魔法を使ってる相手を」


 干からびたカエルのように手足をだらしなく伸ばした男を見て、杏は心からのため息を吐く。


「まったく……。驚きを通り越して呆れてしまうわよ」

「そうは言われても。ていうか、遅くないですか先輩」

「仕方ないでしょ。まさかこんな白昼堂々――それも、教室棟のど真ん中で襲ってくるなんて。まさかあたしも思ってなかったのよ……」


 若干拗ねたように杏は顔を赤くして否定する。

 確かに、今まで報告されていた怪奇現象は全て図書館塔内での目撃情報ばかりで、他の場所での事例は皆無だ。だからこそ黒衣もアリスも、杏でさえも油断していたのだ。まさか、未だ生徒が大勢残る教室で襲ってくるとは。そんな非常識なことが起こりうるとは。まさに理性を失った獣の所業ということなのだろうか。


「それにしても……」


 と、赤らんだ顔を元の冷たい顔へと戻した杏が、伸びた男の顔を前のめりに覗き込む。


「まさかこの子が犯人とはね」


 その言葉に、黒衣は顔を驚きに変える。


「知ってるんですか……、先輩?」

「ええ、まぁね。だってこの子、うちの所属だし」


 さらに意外な答えに、黒衣は目を大きく見開く。


「所属――ってことはつまり、図書委員ってことですか?」

「ええ、そう」


 あっさりと、杏は答える。


「なんで、そんなヤツが……」


 確かに、この男は図書委員の事情にやたらと詳しかった。その上杏に対しても劣等感のようなものを抱いていたフシがあった。

 だがまさか、身内の犯行だったとは。


「教職員推薦枠で選ばれた子だったんだけど、うちは基本あたし自ら選んだ実力重視の子ばかりだから。成績だけで選ばれたこの子は居づらかったんでしょうね。実力つけて跳ね返してほしかったんだけど、まさかこんなことしでかすなんて」


 うまくはいかないものね、と杏は少し寂しそうに付け加える。

 ソリが合わないとは言え、大切な後輩がこのようなことに手を出し、あまつさえ身内である他の生徒を傷付けたのだ。その代表である杏は少なからず思うところがあるのだろう。


「さ。さっさと縛っちゃいましょ」

「……はい?」


 そんなことを言ってくる。


「縛るのよ。動けないように、ロープで」

「え、いや、でも……。コイツ、大切な後輩なんじゃ……」

「それはそれ、これはこれよ。後輩とは言え、この子が他の子を傷付けたことに違いはない。情状酌量の余地なんてありはしないの」


 う、っわ~~~~……。

 なんとなく、引いてしまう。

 いや、こっちも滅茶苦茶ぶん殴ったんだけどさ。


「それに、ね」

「それに?」

「この子は本を傷付けた」

「え」

「あたしの大切な本を傷付けたの。図書委員でありながら。こそこそとあたしに隠れるような真似までして」

「はい」

「それだけで十分過ぎる罪だわ。極刑にしないだけまだマシって思ってもらわなくちゃ」

「そっスね」

「それじゃ黒衣くん。お願いね」


 ニッコリと。笑顔で言ってくる。


「ヨロコンデー」

 いそいそと、黒衣は考えることを放棄して杏からロープを受け取り(何故ロープがすぐ出てくるのかも気にせずに)、男を縛る。

 ぐるぐると。ぐるぐると。

 巻かれた縄のように回した男の目を見て、黒衣は少しかわいそうに思えてきた。



『――――に、にん……、げ……』



「……アリス?」


 男の縄を縛り終えた黒衣の耳に、パートナーであるアリスの声が聞こえたような、そんな気がした。


「どうかした?」

「いや……。今、アリスの声が聞こえてきたような気が……」


 もしかしてアリスが追い付いたのかと思ったが、そんな様子も依然ない。

 いや。そもそも聞こえたというよりは、頭の中に直接響いたような、そんな感じだ。


「ん~~……。それってもしかして、念話じゃない?」

「念話?」

 ってなんだ?


「近くにいなくても特定の相手と話すことのできる魔術。契約でつながった人間と【妖精】なら簡単にできるわ」

「テレパシーみたいなもんか」


「それで、アリスは何て?」

「いや。それがよくわかんなくて……」


 ただどこか苦しそうな、そんな感じの――。


「もしかしてアイツ……」


 思い起こすのは、昨晩の光景。

 赤い目を煌々と光らせる巨大な影と、血溜まりに沈む自分の姿。

 もしそこにいるのが自分ではなく、別の誰かなら。

 そこにあるのが血で赤く染まる黄金色の髪ならば――。


「っ――――。先輩、俺――」



「ま。大丈夫でしょ」



 思い詰めていた黒衣に、杏は思いもよらぬほどあっけらかんと、気の抜けた声で言い放つ。


「だ、大丈夫って、そんな簡単に――」

「普通の【妖精】ならそうでしょうね」

「……普通の?」


 それはまるで、アリスは普通の【妖精】ではないと言っているような。


「ええ、そうよ。なんたって、アリスは【姫】なんだから」

「ひ、姫?」


 そういえば、さっきもアリスのことをお姫さまとか呼んでいたような。


「それに、一応保険はかけておいたしね」


 意味ありげに、杏は言葉を溜めて。



「【姫】には【騎士】が付き物でしょ?」



 と、片目を閉じて呟いた。



   ***



「…………?」


 気が付くと、苦しかったはずの呼吸は楽になっていた。

 一瞬ダメだったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 事実、開かれた視界の前には未だ大男がその巨木のような腕をこちらへと伸ばしていた。

 ただ違うのは、その腕にさきほどまでの万力はなく。ただアリスを掴んでいるだけだということ。


「G……」


 この状況に疑問符を浮かべているのはアリスだけではないらしく、今の今まで優位に立っていたはずの大男も困惑の唸りを漏らしている。

 ――と、大男の体が不意によろけた。

 瞬間、異変が起こる。

 まるで出来損ないの人形のように、何の抵抗もなく大男の腕がその体を離れていた。



「秘剣『鬼斬り』」



 木の葉のような静けさで、そんな声がアリスの鼓膜を打った。

 次の瞬間、男の肩口から思い出したかのような大量の血液が吹き出し、アリスの首に張り付いていた腕の先もぼとりと地面へ落ちる。


「見事なものだな」


 再び聞こえてきた声のその主に、アリスは不満げに口を開く。


「それは嫌みか、サムライか」


 背後から歩いてきたのは、さきほどアリスと剣劇を交わした紅白の侍。杏のパートナーである【妖精】の男だ。


「いや。率直な感想だ。この獰猛な獣にも等しい益荒男を君のような少女が諫めてしまうとは。【妖精】であるとは言え、驚嘆に値する。いやはや、凄まじいものだ」


 右手には抜き身の刀を持ち、侍はゆらりゆらりと歩いて来る。まるで散歩の途中だとでも言わんばかりに。


「諫めたとは言ってくれる。事実、それが出来ずにわたしは危うく死にかけた」

「謙遜するな、不可思議の娘よ。力にせよ魔法にせよ、この巨漢を組み伏せられる者はそう多くはなかろう」

「ならば、その巨漢の腕を溶けたチーズのように斬り落としたお前のわざは、それ以上ということか?」

「それは買い被りだ。私の場合は、単に相性の問題だ」

「相性?」

「ああ。私の刀は少々特殊でね。魔性の類い――こと『鬼』などには滅法強くなる」


「G……、GAAAAAAAA!!!」


 途端、大男は残り半分の氷を力尽くで打ち破り、残った腕を前にして再びアリスへと迫らんと――、


「『微風そよかぜ』」


 だが大男の腕は、アリスへと辿り着く前に片一方の腕と同様に半ばから斬り落ちる。


「このようにね」


 気が付けば、いつの間にか侍は男の背面へと周り、つかつかと歩きながらそんなことを言ってくる。


「G、GAAAA!!」


 さすがの大男も侍がおかしいと感じたらしく、標的をアリスから侍へと切り替え襲いかかる。


「俺か。だが気を付けろ」


 それも、既に手遅れ。


「そこはよく滑る」


 言われた通り、大男は侍を前にして体勢を大きく崩す。

 だがそれは、決して足を滑らせたわけではない。


 なぜなら、今の大男には滑らせる足などないのだから。


「GAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」


 咆哮。それは一向に獲物を捕らえられない苛立ちからか。それとも四肢を失ったことによる嘆きからか。

 四肢のなくなった大男はそれでもなお動きを止めず、捕らえること叶わなくなった獲物を獣のごとき赤い眼光で睨み付ける。


「すまない、物の怪よ。お前も世に語られる英傑だったろうに」


 そんな獣に、侍は刃を向ける。


「せめても、おれの刀で逝け」


 ス――、と侍は刀を薙いだ。

 音すらもしないその動き。

 だがそれだけで、大男の切り株が如き首はごとりという鈍い音と共に、地面へと転がった。

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