第十三話『ざまぁみろ』
「と言ってもだな」
黒衣は走っていた。
この延々と続く廊下を走るのは何かデジャヴな感じもするが、今と昨日では既に状況は大きく異なっている。
昨日は追われ逃げるだけという立場だったが、今回は自分が追う立場だ。
だが追っているのはあの恐怖の大男ではない。あの大男は今も遙か後方でアリスが足止めをしているはずだ。
黒衣が今追っているのは、おそらくこの空間にいると想われる大男の契約者。大男は黒衣の目の前に現れた。おそらく杏が言っていた通り、黒衣とのパスに引きずられたのだ。だが現れたのは杏が計画していた夜の【逢魔時】ではなく、真っ昼間の、それも生徒がまだ残る学校内だった。【妖精】は自力で【逢魔時】を出ることができない。外の世界には【
だが大男は外の世界へ現れた。
それはつまり、魔力の供給源となる人間の契約者が大男に存在するという証明だ。
ならば、あんな化け物を相手取るよりも人間の方をどうにかした方が手っ取り早い。
まぁ、だからと言って――、
「どこをどう探せばいいんだよ」
人間の方が簡単に姿を現すとは限らない。
ましてやこのだだっ広い空間。杏が言うには異世界へと通じる通路らしいが、昨日今日巻き込まれたばかりの黒衣からしてみれば、この【逢魔時】も十分異世界だ。
その証拠に、アリスと別れてから進み続けて既に
一本道のはずなのに今自分がどこにいるのかもわからなくなってしまう。
「っていうか、そもそも本当に契約者とやらは来てんのか?」
そして今更そんな疑問に気付いてしまう。
突然襲われまともな判断ができていなかったとはいえ、これは少々早計だったのでは?
「あ~~~~~~~~っもう! 一体どうすりゃ――」
「ひぃっ!?」
黒衣が叫び声を上げた突端、か細い悲鳴が暗い廊下を木霊する。
見れば廊下の柱に隠れるようにして、小太りの男が一人黒衣の方へ怯えた視線を送っていた。
黒衣と同じデザインの学ラン。どうやら本校の生徒らしいその男は、黒衣と視線が合うとさらに震えを増し、逃げ場を探そうとキョロキョロ視線を泳がせる。
「あー……」
意外にも早く見つかってしまったことに黒衣は少々拍子抜けしてしまう。
物語ならここから如何な方法を用いて見つけ出すかという場面だというのに。
だが呆れてもいられない。逃げられても困るのは黒衣の方だ。そもそも面倒事が嫌いな
「あのさ。もしかしてアンタがあのデッカイのの契約者ってやつか?」
「ひっ」
「……」
不良時代のこともあり、他人から怖がられるのはある程度慣れてはいるが、そう無闇矢鱈に怖がられるのはやはりいい気はしない。何より、今はそんな場合でもないないのだ。
「お、お前……」
黒衣はなるべく笑顔を作りながら話しかけようと努力していると、小太りの男が柱の影から這い出してくる。この場所に対しての恐怖か、それとも黒衣を警戒してのことか、その体は小刻みに震えている。
「お前、知ってるぞ。う、宇佐美黒衣だろ。素行不良のクズのくせに、ぼ、僕よりも成績の良いやつ」
「あ?」
「ひぃぃ!!」
思わず語気を強めてしまったが、どうやらコイツは黒衣のことを知っているらしい。成績まで知っているとなると、おそらく同学年の生徒なのだろう。
まぁ、黒衣は同学年の中では比較的有名な部類だろう。一応中等部時代は不良生徒で通っていたことだし、そのことで教師陣からも多少目を付けられてもいる。
だがこの口ぶりは……。
「そ、そうやって……、お前らはすぐにそうやって暴力で解決しようとする……。クズのくせに。僕よりも下のくせに……」
何やらブツブツと語り出したが、今はそれどころではない。
「あー、あのさ。そういうのはどうでもいいからさ、とりあえずキミが契約者の人間かどうかだけでも教えてくれないか? もし違うなら何か心当たりとか知って――」
「へ、へへ……。契約者……。契約者、ね……」
「ん?」
意味深に、小太りの生徒は笑い出す。
「何か知ってる、って口ぶりだな」
「……っ、あ、ああそうさ。みんな僕がやった。みんな僕のことをバカにするから。この前のテストでたまたま僕より点数が良かったからって調子に乗りやがって。だ、だから懲らしめてやったんだ!」
「…………」
「最初はちょっと脅かすだけだったんだ。でも、あいつらそれでも僕のことバカにしやがるから。だから思い知らせてやったんだ。僕をバカにするとどうなるか。そしたら見ろ。あいつら、怖くて家に引き籠もっちまった。ざまあないぜ。僕をバカにするからこうなるんだ!」
「おい」
「次はあの会長の番だ。あの女、女のくせにいい気になりやがって……。ちょっと見てくれがいいだけで周りからちやほやされて……。大人たちは何もわかっちゃいないんだ。ああいう女が裏で何やってるか。きっと色目使って教師に取り入ってるに違いない。出なけりゃ、この僕より成績がいいなんてあるわけが――」
「おい!」
「ひっ……。な、なんだよ……」
「先輩のことについてあることないこと言ってんのにも腹立つけどさ。結局のとこ、お前があの大男の契約者ってことでいいんだよな?」
「……あ、ああそうさ。僕さ。アイツは僕がけしかけた! 僕の力だ! 僕がやった。やってやっ――」
「女生徒が一人」
「……え」
「怪我をしたって話だ」
「あ、ああ。そう、みたいだな。だからなんだよ。そんなこと、あいつらが僕をバカにしたことに比べれば――」
「ああそうだな」
黒衣の意外な肯定に、小太りの生徒は面食らって口をつぐむ。
「お前がどうかは知らんが、俺にとってもどーでもいい話だ。別に大怪我したわけでもなし、少し転んだ程度で誰も彼も騒ぎ過ぎだ」
そうだろ? と言って首をひねる黒衣に、男はビクリと肩を震わせる。
「正直な話、自分を殺したこととかさ、どうでもいいんだよ。そりゃ嫌だよ? 殺されるなんてさ。痛かったことは確かだし、二回目なんて御免被りたいよな」
ましてやあんな大男の一撃だ。痛いで済むわけがないし、実際済まなかったわけだ。もしかしたらそれがこの先何回も続くかもしれない。そんなこと、とてもじゃないが耐えられない。
「でもな」
でも。
「そんなことはとりあえずどうでもいいんだ」
今気にしているのは、そんなことじゃない。
「八重はな、……アイツは誰かが怪我をしたって聞いて、まるで自分のことのように悲しんでた。図書委員の仲間が怖がっているのを本気で心配してたんだよ。自分にどんな辛いことがあっても笑ってるアイツが! 今回の騒ぎで、俺なんかのために泣いたんだ」
今自分がどんなに辛いのか気にもせず、黒衣を元気付けようとして。でも委員会のことも心配で。両方とも心配だから仕事を手伝えなんて不器用な真似をして。自分のことでさえ手一杯だっていうのに。
「俺はアイツのために何をしてやればいいのかわからなかった。俺にできることなんて何もない。何も持っていない自分にほとほと愛想が尽きていたところだ」
自分にできることなんて限られていて。やってきたことなんて何もない。できるのはただ暴れることくらい。
「でも、見つけた」
簡単なことだった。
「とりあえず目の前のお前を殴れば、図書館塔の問題はなくなるんだろ?」
「ひっ!」
小太りの生徒は黒衣の言っていることの意味を理解し、後退る。
「や、やえ? ああ、
「黙れ」
「ひっ」
後退る男を追い詰めるように、黒衣は一歩前へと歩み寄る。
「く、来るなぁ~~~~!!」
男は叫ぶ。だが黒衣は歩みを止めない。
ようやく、してやれることを見つけたのだから。
何かできることを見つけたのだから。
「うっ……」
一向に歩みを止めない黒衣を見て、男は懐からある物を取り出す。
それは……、
「本?」
一冊の、古ぼけた小さな本。
しっかりと装飾されたハードカバーの本を取り出した男は、それを乱雑に開く。
「そ、それ以上僕に近づくなよ。もし近づいてみろ。近づいたらどうなるか――」
男はそう言うが、当然黒衣は歩みを止めない。
「ひ、ひぃいいい……! 来るな来るな来るな……、い、【
バリッ――
そんな効果音と共に、白雷が黒衣を襲う。
「ぐ――――」
突然本より出でた雷は黒衣へと走り、制服ごと左腕を焦がす。
「で、できた……。僕にもできた……。は、はは……、はははは! どうだ見たか! 僕に逆らうからこうなるんだ! もう僕に怖いものなんてないんだ!」
男は本を掲げ、自分の功績を誇らしげに讃える。
だからこそ気付いていない。
黒衣が未だ、歩みを止めてなどいないことに。
男に近づいた黒衣はそのまま男の胸ぐらを掴み挙げ、引き寄せた勢いのまま殴りつけようと拳を握る。
「う、わ、い、【雷】ょ――」
黒衣から逃れたい、その一心で男は再び雷を放つ。咄嗟の行動が功を奏したのか、今度の雷には先のような指向性はなく、辺り一帯に撒き散らす放電。どこにいようと逃げ場のない範囲攻撃。
流石の黒衣も堪らないと感じたか、男の胸ぐらは解放される。
「へ、へへ……。ざまあみろ」
男の本から放たれているのは正真正銘の雷だ。
【妖精】の力の一端であるこの雷。それを納めたこの本は、持つ者全てに遠雷を操る力を与える代物。まともに当たれば即死は免れない。掠っただけでも火傷は必死だ。男のこの自身もうなずけるというもの。
だが、男はまだ知らない。
黒衣に宿る能力――【魔法】が、天才と呼ばれる杏をも翻弄したことを。
だからこそ気付けない。
黒衣が変わらず、そこにいることに。
「――っふ」
ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる男に対し、黒衣の容赦のない一撃。
「ぐ……、が」
男はたまらず尻餅をつく。
だがそれはまだ序の口。牽制のジャブでしかない。
「これはとりあえず、殺された分のお返しだ」
「ぅ、ぐ……、い、いかづ――」
「だがな、次の一発はこの程度じゃすまねぇぞ」
男は呪文を唱える。たったそれだけで神雷を呼び寄せる、まさに魔法の力。
だがやはり男は気付かない。
男がたった四文字の呪文を呟くよりも早く、黒衣の行動は完了していることに。
だがそれも無理からぬこと。なぜなら、その【魔法】はそれを可能とするものなのだから。
「なぜならこれは、アイツの分の痛みだからだ!」
その言葉が、男に聞こえていたのかはわからない。
なぜなら、その一撃が男の耳に届く頃には、既に黒衣の拳は男の顔面へと突き刺さっていたからだ。
何が起こったのかも、どうなったのかも男に知る由などない。
ただわかるのは、男の体は無様に横たわり、そしてただ一人、黒衣だけが立っているということ。
「はぁ……、はぁ……。お前こそざまぁみろだ」
男の言葉を引用した言霊が、誰もいなくなった廊下に木霊する。
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