第八話『反撃。そして』
「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
自身の背丈ほどもある大斧を振りかざし、大男は雄叫びと共に螺旋階段を駆け上っていく。
その先を行くのは、
「もっと早く走らぬか! アレが見えていないわけではあるまい!」
「見てる暇なんてあると思ってんのか、こっんのクソ妖精が!」
無駄口をたたきながら走る珍妙な二人組。片や一人はただの人間。特に取り柄もない、年端のいかぬ一介の男子高校生に過ぎず。片や一人は空飛ぶ書物。一人と数えるのも怪しい、ただの口聞く本である。
そんなよくわからぬ二人は今、同じ目的のためこの長い長い螺旋階段をひたすらに登っていた。
その目的は、生き延びるため――。
「いいから黙って走れ! アレに追いつかれればどうなるか、言わねばわからぬか!」
「ああっ?? どうなるってんだよ! 是非とも聞きたいねぇ!」
「それはあれだ。トマトのように赤い汁を辺りに撒き散らしながら――」
「ち、ちょっと待て。いきなりグロ系の話はやめろ! 俺はそっち方面の話は苦手なんだよ!」
「お前が言えと言ったのではないか!」
「誰がそんな生々しいの要求したよ! もっとこう、マイルドな表現ってあるだろ!」
「ではあれだな。挽肉を作るが如くぐちゃぐちゃに潰れ――」
「同じじゃねぇか! どこらへんがマイルドになってんだよ!」
「肉系の方が好き嫌いも少なかろうが!」
「ああ、そうですか!」
和気藹々。まるで旧知の中であるかのように仲良く無駄話を繰り広げながら走っていると、
「GAAAA!!」
打開しない現状に苛つきを覚えたのか、大男は拳を壁へとたたきつける。
「おいっ!」
「わかってる!」
一見無意味にも見える一撃。だが、その一撃は階段状に壁のように並ぶ本棚を震わせる。振動は連鎖し、次から次へと本棚を倒壊させていく。無論それは、数十メートル先を走る二人の場所も例外ではなく。
本棚は二人を踏み潰さんと押し迫る。
「止まるな、そのまま進め!」
「くっっっっっっっっ――、そ!」
本の波を破るようにして、黒衣は本棚の間をくぐり抜ける。
「し、死ぬかと思っ――」
幾度目かの窮地に、黒衣は息をつく。だが――、
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
「ですよねーー!」
それも束の間、大男の方も倒壊した本棚を文字通り突き破って抜けてくる。
「おい! 例の場所はまだか!」
「あともう少しのはずだ」
というのも、本来の図書館塔は高さ四階しかないのだが、この奇妙な図書館塔はどう見ても十階を超えている。さらにまだまだ階段に終わりが見えない。
「本当にあるのか?」
「ああ。どう変質していようと、ここが図書館塔だってんならあるはずだ」
あってもらわなければ困る。この継ぎ接ぎだらけの穴だらけの作戦は、そこに賭けているのだ。
「――伏せろ!」
本の妖精の叫びに、黒衣は無条件でその身を伏せる。
その直後、まるで切り株でも切り裂いたかのような音が数十メートル先から聞こえてくる。
いいや、切り株なんてものではない。生きていれば樹齢千年はあろうかという巨大な柱を、大男は投げた大斧によって真っ二つに切り倒したのだ。ちょうど、黒衣の胴のあった高さを、一刀両断に。
「あっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぶねぇええ!!」
まさに間一髪。本の妖精の声がなければ間違いなく死んでいただろう。
「今のは運が良かったが、そう何度も躱しきれるものではないぞ。おい、目的地はまだ――」
「ああ」
黒衣はうっすらと笑みを浮かべ、
「着いた」
そう、うなずいた。
*
「Grrrr……」
蒸気と見紛うほどの熱が篭もる息を吐き出し、大男は丸太のような足を止める。
一体何回まで登ったのだろうか。そんな意識があるのかも怪しい赤い獣のような目を、緩慢な動作で周りに向ける。もしも大男に知能があったのならば、すぐそこの看板に『15F』と記されていることに気が付いたかもしれない。
無論、本来の図書館塔に十五階などという階層も、このような看板もありはしない。だがここは不可思議が存在する異空間。このようなことがあってもおかしくはない。そう、この場所を知る者ならば考えるだろう。
ドン――
どこか遠くでそんな音がして、男はそちらへと視線を向ける。
だが、ここからでは特に何か怪しいものは見つからない。さきほどから同じ、ただただ静かな図書館があるのみだ。しかし――、
「おーーい!」
視界の端に、標的たる少年の姿を見つける。
あたかも、こっちに来いとでも言いたげに、より目立つよう大手を振って。
「おーいウスノロ。ほら、こっちだ! さっさと追いついてみろ!」
と、おしりをペンペンと走り去って行く。
「GRRRRRRRRR……」
怒り、という感情があるかはわからない。だが、今の大男の姿を見た者がいたならば、それを怒りの様相と捉えていたかもしれない。もしくは、楽しそうに笑っているようにも。
ただこれだけは言えるだろう。
今の大男を目にした者は全て等しく、
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
殺意というものを、感じることができただろう。
*
「ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
宇佐美黒衣は走っていた。
なんとも情けない絶叫を発しながら、走っていた。
必死に。死に物狂いで。
というのも――、
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
狂気に塗られた雄叫びを上げる大男が、大斧を力の限りぶん回して走ってきているからだ。
「し、死ぬ、死、死ぃいい――――!!」
自分でも何を言っているのかわからずに、黒衣は走り続ける。深淵の如き大穴をぱっくりと開けた吹き抜けの、その淵を。
「く……、そっ! ま、まだからよ……、アイツ……」
泣き言を漏らしながらも、その足を止めることなく黒衣は走る。走り続けねば死んでしまうとわかっているから。
そして無情にも、そんなことは追いかける相手にとって関係などなく。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
その圧倒的な歩幅の違いもあって、すぐに追いつかれてしまう。
大男は大斧を振りかぶり、風を凪ぐ勢いで黒衣に振り下ろす。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
しかし黒衣は一筋縄ではいかない。すんでのところで横に飛び、死に物狂いでこれを躱す。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ――」
そうしてまた、追いかけっこを再開させる。
*
静かだ。
いや、静かすぎる。
そんな静寂に覆われた暗い廊下を、大男はゆっくりと歩いている。
さきほどまでの荒々しさがその身にないのは、獲物――つまり黒衣を見失ったからだ。
大男は一歩一歩、警戒するように歩みを進める。狂気に呑まれた野獣を思わせるさきほどまでとは打って変わって、今の大男の姿は狩人そのもの。
「……?」
と、そこで大男は歩みを止める。
前方に、何かを認めたからだ。
大男は赤い瞳を細める。
そこに映ったのは、人間。大男が獲物とする、人間の少年だ。
「う……、ふ……」
震えているのか、その視線はさっきから定まらず、時折塞いだ口から声が漏れている。
か弱き獲物。
今目の前にいる少年は、さきほどまで勇猛果敢に逃げていた少年とは思えないほど、恐怖に怯え震えていた。 もしこの大男に理性が残っていたのなら、このか弱き人間に手心の一つでも加えたのかもしれない。もしくは、その憐れさから見逃したのかも。
だが今の大男には、そんな余計な感情は残っていない。
理性と呼べるものも、知性と呼べるものも、もしかしたらまだあるのかもしれない。だがそんなことは関係ない。
命令されたことをただ忠実に従う。それが今の大男に課されたたった一つの行動原理。
「Grrrr……」
雄叫びは上げない。
そんなものが必要な相手ではないと、そう判断できるから。
だから大男はただ静かに歩み、そこにある少年の姿へと斧を振り下ろす。
ただそれだけ。たったのそれだけで、か弱い人間は死ぬのだから。
――パリン
ふと大男は、違うと感じた。
これは人間を殺したときの感触ではないと。
では自分が殺したのは何なのか。
否、何を『壊』したのか。
答えは簡単だ。
だがその答えを、今の大男が理解できたのだろうか。
それはわからないが、少なくとも大男は目にしたはずだ。
大男が斧を振り下ろし、叩き割ったものの破片に――、
少年の笑みが、にんまりと写っていたことに。
瞬間、それは起こった。
ドドドドド――
いくつもの交差するその音が、次第に大きくなり、そして――、
大男の巨体をも優に超える巨大な本棚が、いくつも大男へと殺到する。
*
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
大男は知るよしもなかったろう。
図書館塔には、それぞれの階によって異なった本棚の並びをしていることを。
そしてその一つに、いくつもの螺旋を描く並びをした階があることを。
そしてそれを、図書委員の幼馴染みに何度も聞かされていた少年がいたことを。
その少年が、いくつかの本棚に手を加え、とある一点へ収束させようとしていたことを。
まるでドミノ倒しの如く、小さな本棚が、天井いっぱいの本棚を押し倒すよう仕掛けをしていたことを!
大男は、知るよしもなかっただろう。
「今だ!」
黒衣は叫ぶ。
大男が叩き割った『姿見』の、反対側の場所から。
「応さ!」
そしてその合図に、本の妖精が天高くから答えを返す。
『 ハンプティ・ダンプティ塀の上
ハンプティ・ダンプティ落っこちた
みんながどんなに騒いでも
もうもとには戻らない 』
神秘に包まれた詩声は広い空間を木霊し、そして、
「潰れろ! 【不発・
大男が本棚に押しつぶされた場所へと巨大卵が雪崩れ込む。
巨大卵はその重量で本棚を砕き割り、辺りを更地へと変えていく。
「人間!」
「妖精か。うまくいったな」
「ああ。よもやお前に、このような策があろうとはな」
「少しは見直したか?」
「たわけ。このくらいのことが出来んようでは、私の『願い』を受けるには勿体ないというものだ」
「ああ、そうかよ」
二人は笑いを零す。だが、
ゴゴゴゴ……
と、地の底から湧き上がるような地響きが、辺り一体を揺らす。
「早く行くぞ。ここはもう――」
本の妖精がそう言いかけたとき、
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
大男が、今まで以上の形相で雄叫びを上げる。
「くっ、ここまでやってまだ動けるのかよ!」
「ふむ。さすがは化け物。神話で語られる牛頭の怪物もかくやという堅強さよ」
奥歯を噛む黒衣に対し、本の妖精はどこか余裕に見える。
「だが終わりだ。
……弾けろ、【
どこかで、指を鳴らした音がした。
その音に続いて、強烈な爆発音が熱波と共にやってくる。
火気厳禁。そんな言葉の意味もなく、倒れ潰れた本棚の山は赤く燃えさかる。
そして、
「落ちていろ、化け物」
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA…………」
妖精の一声を最後に、その場所は地面ごと奈落へと落ちていく。
本も本棚も、地面も炎も大男さえも、何もかもを巻き込んで。
耳をつんざく大男の雄叫びも次第に小さくなり、闇の中へと消えていった。
*
「はぁ~~~~。死ぬかと思ったぁ~~」
周りの本棚を巻き込んで落ちた床穴をのぞき込みながら、黒衣は力が抜けたように腰を下ろす。
「情けのない声を出しおって。それでも男かお前は」
あれだけのことがあったというのに、情け容赦の一切ない一言を本の妖精は言ってくる。
「さすがに休ませてくれ。あんなバケモンの相手なんぞ、普通の人間には荷が重過ぎるんだよ……」
「まったく、これだから最近の若いもんは」
「なんでいきなりそんな年寄りムーブなんだよ。ってそうか。お前は一応妖精で、その上古そうな見た目してるもんな。実は中身はジジイだったりとかで――べふっ!」
「誰がジジイか、痴れ者が! わたしのような高貴な本に、年齢の概念などない!」
なにか、古くさいアイドルみたいなことを言ってきた。
「そうなのか? ていうか、結局のとこお前って『本』なの? 『妖精』なの? どっちなんだ?」
「はぁ……。わたしは、『本の妖精』だと何度も――」
他愛のない会話。
危険は過ぎ去り、二人の間には束の間の安心と、信頼にも似た何かが芽生え始めていた。
あれほどの脅威から脱したのだ。それも無理からぬことなのかもしれない。
だからなのだろうか――、
二人同時に、油断してしまったのは。
「にげ――」
先に気付いたのは本の妖精だった。
穴の方へと向いていたからなのか、それとも別の何かが原因なのか、それはわからない。
「え――」
次に気付いたのは黒衣。
本の妖精の反応を見るよりも早く、背後に現れた影に気が付いてのことだった。
だが、そんな差異など意味がないほど、既に事態は手遅れだった。
黒衣が振り向くよりも速く。
本の妖精が呪文を唱えるよりも速く。
それは――、そいつは――、
大男は、大斧を振り下ろした。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
*
ああ、天井が見える。
見慣れない、遠く暗い天井だ。
周りに誰もいないのか、それとも俺の耳がいかれてしまったのか、何の音も聞こえない。
その上体も動かない。
何か重いものでも乗っているのか、ひどく窮屈に感じる。
と――、どうやら左腕は動くようだ。
感覚があまりないせいで、動かしている実感がいまいちわかないのが気持ち悪い。
とりあえず目を擦る。視界がぼやけて仕方ない。
――ねちょり。
そんな擬音を肌で感じる。
どうやら血が出ているらしい。
どっから出ているのか、どれくらいの量なのか、もうその判断もつかない。
――じゃり。
今度聞こえたのは、瓦礫を踏む足音。
「Grrrr……」
狂犬が威嚇するかのような吐息を漏らしながら、大男はそこにいた。
三メートルはあろうかという巨大な体躯に、木の幹のような太い腕。俺の体なんて木の棒のようにへし折られてしまうような、そんな凶悪な腕。
おまけに手にはその巨体ほどに大きな大斧が、ギラギラと鈍く握られている。
俺をこんな目に遭わせた張本人。
で、多分、今から俺を殺す殺人犯、だな。
ああ。正直、死にたくなんかこれっぽっちもないけど、もうどうしようもない。
動く左腕だけでコイツを撃退できるなんて、とても思えない。
だから、せめて苦しまないよう、しっかり目を閉じ――、
「おい、人間」
今度は右手。
もう感覚すらない右手のほうから、声はした。
「諦めるのか?」
声はそう、俺に問う。
「諦めるなにも、もうどうにもできねえ。体動かない」
「だからといって、諦めてよいのか?」
俺の答えに、声は同じ問いを返す。
「お前には、何もやり残したことはないのか?」
「やり残したこと……」
『 おにいちゃん 』
「さゆ……き……」
「もしお前にまだ未練があるというのなら、願え」
「願う……?」
「そうだ。願いを、お前が生きるための理由を言え。さすれば、わたしがその願いを叶えてやる」
「お前が、俺の……?」
巨漢はゆっくりと、その巨木のような腕を振り上げる。
俺の命を刈り取るための、一撃を振るうべく。
「ああ。無論、ただではないがな」
声は笑ったように、そう言った。
「さあどうする! ここで静かに死を待つか、それとも醜く生きて願いを請うか!」
巨漢は緩慢な動きで、しかし死を齎すには十分すぎる速さで、大斧を振り下ろす。
「さぁ、選べ!!」
「……は」
音のない空間に、吐息が漏れ出たような嗤いが、木霊する。
「……そんなもん、最初から答えは一つみたいなもんじゃねぇか」
声は掠れ、声量もなく、口の端からは血が漏れる。
それでも確かに、喉から声を絞り出す。
「いいぜ、結んでやる。対価でもなんでも持って行きやがれ!
その代わり、俺の願いは叶えてもらうぞ、本の妖精!」
その瞬間、少年の右手から光が溢れる。
少年が右手で握りしめる一冊の本の、その隙間から。
光に押されるようにして本は開き、ペラペラと頁をめくる。
光は広がり、辺り一帯の空間は光に包まれ。
視界は白へと変わり、全てを覆う。
そして意識は遠のき、
少年は死んだ。
*
カチリ。
どこかで、そんな音がした。
唐突に動き出したそれは、再び止まることなく、何事もなかったかのようにそのまま動き出す。
カチ、カチ、カチ、カチ、と。
今はまだ誰も気付かぬその音を、紅い瞳だけは確かに感じ取る。
カチ、カチ、カチ、カチ、と。
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