第七話『大男』


「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」


 灰色の瓦礫が降り注ぎ、埃が煙のように舞い立つ中、それは突如現れた。

 上の階の渡り廊下を文字通り砕き割り、重苦しい着地音と共にら割れたそれは、一見すると一人の人間。

 だが、それを人と認めるには少々抵抗がある。

 なぜならそれは、優に三メートルを超える巨人だったからだ。

 頭と思しき部分は僅かに残った天井を軽々と超えるほど高く、だらりと垂れ下げた腕はまるで千年を生きた巨木のような太さだ。身体なんて隆起した筋肉が岩山のようにしか見えない。

 そして極めつけは手に持ったそれ。自身の山のような身体すらも覆い隠してしまえそうなほどに大きな大斧だ。恐竜でも狩りに来たのかと問いただしたくほどそれは、異常の中のさらなる異常。

 しかしそのどれもが現実なのだと、黒衣はその巨漢の頭部で鈍く光る赤褐色の瞳で気付かされてしまう。


「おいおい……。ホントなんなんだよここは……。こんなのまでいるのか」


 笑うようにして、黒衣は言う。だがその顔は、決して笑えてなどいない。


「おい、人間。どうするのだ?」

「どーするもこーするも、流石に逃げるしかないだろ、これは」

「ああ、それはわかっている。だが油断するな、奴は――」


 瞬間――、巨躯が姿を消す。

 そして、


「っ――――」

 黒衣の目の前へと、現れる。

 自身すらも超える大きさの大斧を、天高く振り上げて――。


 ドッッッッッ……、ゴォオオオオオオオオオオオオオオオ……!!!!


 雷が落ちたかのような怒号を受けながら、黒衣の身体は大きく吹き飛ばされる。

 間一髪。まさに髪の毛一本の隙間すら危うい距離で、黒衣はなんとか巨漢の振り下ろした大斧を回避した。しかしその衝撃は凄まじく、押し戻される形で図書館塔側へと吹き飛ばされてしまう。


「う……ぐっ――」


 いや。吹き飛ばされたくらいで済んでよかったのだろう。もしもあの一撃を受けていたらどうなっていたのか、想像するまでもなく理解できる。真っ二つ、なんて生易しいもので済むはずがない。

 黒衣はそう前向きに考えながら、ようやく勢いの止まった身体を持ち上げる。

 瓦礫や本棚にいくつもぶつかった所為で全身に打撲を受けてしまっていたが、幸いなことにどこも折れている様子はない。痛みは当然あるが、動かせる。


「不幸中の幸い、ってとこか……」

「生きているか、人間」

「どーにか」

「ふむ。それならいい。早くここから離脱するぞ。今なら奴の上げた土煙でこちらの姿は見えないはずだ。さっさとここから離れて――」


 ドッ――


「!」「!」


 突如響き渡る別の破砕音。黒衣は驚きそちらの方を見てみれば、そこには他の本棚を巻き込みながらその身をバラバラに散らしていく本棚の姿が。


「な、なんだ、本棚か……」

「ふ……、何を本棚相手に驚いている。少々腰が引けすぎではないか?」

「お、お前だってビビってただろうが」

「このわたしがあんなもの相手に驚くわけが――」


 ドッ――


 二人が言い争う間にも、


 ドッ――、ドッ――、ドッ――、


 次から次へと、本棚が降り注ぐ。

 止まることなど、一切知らず。


「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」


「に……」

「逃げろ」


 言って再び逃げ出すや否や、二人のいた場所が本棚によって破砕する。

 恐ろしいことに、あの大男は手近にある本棚を手当たり次第に吹き飛ばしてきているらしい。どこにいるとも知れないはずの、二人に向かって。


「くっ。奴め、容赦なしか!」


 そもそも容赦などという言葉があの化け物の中にあるのかも怪しいところだ。


「お、おい! アイツは一体なんなんだ? 人間なのか?」

「よくは知らんが、人間でないことは確かだろう。どちらかと言えば、わたしたちの同類――だと思う」

「曖昧だなーおいっ」

「仕方なかろう! わたしも、あまり詳しくは知らんのだ! おそらくは、最近他の妖精共が噂していた奴なのだろう。この辺りを荒らし回っているという大男。あれほどの暴れようだえ。当然、外の世界にも影響が出ていよう」

「? どういうことだ?」

「貴様も薄々は気付いていたのだろう。ここは外の――貴様ら人間たちの世界とは異なる世界だ。狭間――夢と認知の世界とでも言えばいいのか。ともかく、ここは貴様らの世界を模した場所だ」

「ああ、それはなんとなく理解している」

「確かにここは外とは違う世界だ。だが、全く関係がないわけではない。この世界と人間の世界は、言わば表と裏。鏡に映ったもう一つの世界というわけだ」

「鏡の、世界……」

「もうわかっただろう。鏡に映ったものは当然本物ではない。だが、本物でなくとも影響は出る。本物が変化すれば鏡も変わるように、鏡の中で変化が起こればそれは本物の世界にも影響が生じる」

「ということは、こっちで起こったことそのまま向こうでも起こるってことかよ」

「そこまでは言わん。言わんが、何らかの影響は生じる。ここ最近、外の世界で何か異変はなかったか? 常とは違う、何かが」

「っ、ポルターガイスト……!」

「ふむ。おそらく、それだろうな」


 黒衣の答えに、本の妖精は首肯する。

 それは考えもしなかった答えだ。いつの間にか迷い込んでしまったこの不可思議の世界。その場所が、まさか話に聞いていた異常事態の原因だったとは。

 そしておそらく、その原因の全てがあの大男にあるとするならば……。


「……なんだ、簡単なことじゃねぇか」

「なんだ、人間」

「つまりアレだ。結局のとこ、アイツが原因なんだろ? 図書館塔の怪事件、怪我人が出たってのも、その所為で図書委員が怖がって、人手が足りなくて俺たちが駆り出されたのも。全部アイツの所為ってことなんだろ?」

「あ、ああ。そういうことになるのだろうな」


 唐突に妙な雰囲気を醸し出し始めた黒衣に、本の妖精は困惑気味に相づちを打つ。


「面倒事が嫌いな俺が暇だからってわざわざ重労働を課せられたのも、クソ暑い中家にも帰れなかったのも、うちのクラスの冷房が壊れたのも、人生退屈なのも、全部!」

「お、おい。後半確実に関係なくなってきているぞ」

「ああそうだ。つまり、つまりだ――、


 あの野郎の所為で、八重が苦労させられてるってことだ」


「人間……」

「確かに、今日泣かせちまったのは俺が原因かもしれない。でも、今のアイツに負担掛けてる原因の、その一端は間違いなくあの野郎にあるってことだろ?」


 図書館塔のポルターガイスト。その原因があの大男にあるというのなら。


「つまり、アイツをなんとかすればいいってことだろ?」


 簡単なことだ。簡単なこと。

 それだけで、泣かせてしまった幼馴染みを、少しだけでも救うことができる。


「なっ!? 何を馬鹿なことを言っている! お前も見たはずだ。アレは普通の人間などではない。さっきわたしたちが相手にしていたウサギ共とも違う。アレは正真正銘の化け物だ。ただの人間が一人でどうこうできる相手ではない!」


 本の妖精が言うのは当然の正論。対峙した者ならば否応なく理解できる、あれは理の外にいる存在だ。例え黒衣がケンカ慣れしていようが、それは結局のところ人間の範囲でのこと。人間の枠を遙かに超えた存在相手に、そんな常識が通用するはずがない。まして黒衣は、さっきの大男の一撃を見えていなかった。回避できたのは場数の多さから来る、悪運とでも呼ぶべきものでしかない。そんな手も足も出ない人外相手に、どうして勝つことができようか。


「わかってる。そんなことはわかってんだよ」

「わかっているわけがなかろう! 本当に理解しているというのなら、そんな答えが出てくるわけがない」

「妖精……。お前、いい奴だな」

「な……にを、言って――」


 目などあろうはずもない本の瞳が丸くなったように黒衣は感じる。


「会ったばっかの俺をこんなに心配してくれている。妖精、お前は良い奴だ」

「そ――、そんなこと、今は言っている場合では――」


「だから、力を貸してほしい」


 そこで、本の妖精は押し黙る。


「俺一人じゃあんな奴には勝てない。そんなのわかってる」


 黒衣は人間で、相手は本棚を軽々吹き飛ばし、渡り廊下を叩き潰して現れる怪物だ。勝てる道理などどこにもない。


「それでも、俺はあの野郎をなんとかしたい。困ってるみんなのために、なんてかっこいい理由じゃない。ただ一人、泣かせてしまった幼馴染みが少しでも救われるんなら……、俺はやりたい」


 だからこそ、協力してほしいと。幼馴染みを――たった一人の女の子を僅かに助けにためだけに、破壊の権化のような怪物を退治したいと。

 馬鹿げている。言っていることはお伽噺に出てくる英雄のそれだが、黒衣は英雄でもなければ童話の登場人物でもなんでもない、ただのどこにでもいる高校生だ。ちょっとケンカと勉強が出来る程度の男子高校生に、嵐のようなあの大男を倒せるわけがない。

 夢のような世界にいるからと言って、寝言はちゃんと寝てから言ってほしいものだ。

 だが……、


「面白い」


 本の妖精からまず出てきたは、否定でも怒りでもなく、関心を示す一言。


「手伝って、くれるのか?」

「御託は良い。ただ、わたしはお前に興味が沸いたのだ。わたしの辞書に載る人間とは少々異なるお前に」


 今までいろいろと話してきた本の妖精だが、ここに来てようやく本音を話してくれたような、そんな気がした。だからこそ、


「聞かせろ。何か、策があるのだろう?」


 口のない本が、始めて笑ったように黒衣は見えた。

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