第六話『住人たち』


「おかしいだろ! どう考えてもおかしいだろ!」


 茜色の夕闇に照らされる長い廊下を、自称『本の妖精』は声を張り上げながらぷかぷかと進んでいた。

 その声色はさきほどまでの厳かな雰囲気など一切感じられず、そこにあるのは憤慨の色一色。

 

「んなこと言われてもなぁ……」


 対するは、先導する形で廊下を進む黒衣。その声色は一見困惑しているようで、実のところただただ「面倒くさい」という、いつも通りの感情が込められたやる気のないもので。

 そんな対照的な二人(?)は何故か同じ道程を共に歩んでいた。

 理由としては、黒衣はこの場所の出口を探すため。


 最初は本の妖精に気をとられて気付いていなかったが、今いる場所は図書館塔――ではない。

 図書館塔に似た、何処かである。


 左右には本棚が壁のように連なっており、辺り一帯の空間を囲うようにして延々と天井へと伸びている。その天井もえらく高いらしく、光が差し込んでいるのに天辺は暗くて見えないという頭のおかしくなりそうな光景が広がっていた。

 本棚を見るに、図書館塔のような場所には見える。

 しかし、そこは明らかに図書館塔とは異なっている。

 たしかに、延々と続く廊下も、どこまでも伸びる天井も、高い高い本棚も、一見するとどちらも図書館塔の特徴ではある。だがこの場所の廊下も天井も本棚も、そのどれにも果てがない。終わりが見えないのだ。

 昼間見たときはこんなではなかった。だが今は違う。廊下の果ても、天井の有り様も、暗闇の渦にでも呑まれたかのようにその全容が見えないでいた。

 おかしいのは廊下や天井、本棚だけではない。上階へと続くはずの螺旋階段は、目で追っているといつの間にか降りになっているし。本来きれいに並べられているはずの本は、種類も年代も大きさも、おまけに言語すらもバラバラに並べられている。極めつけは視界の上。吹き抜けとなっている図書館塔の中空にはいくつもの本棚が無造作に浮いているのだ。それも一つや二つではなく、広い空間に数十という単位で。

 不気味。ただただ不気味な空間だった。


 どう考えても、黒衣の知る図書館塔ではない。

 どこかはわからないが、黒衣は図書館塔に似た場所へと来てしまっていたのだ。


 何にしても、ここが得体の知れない場所であることは確かめるまでもなく事実で。迷い込んでしまったのなら出るしかない。

 ということで、黒衣はとりあえず当てもなく出口を探しているのだった。


 では何故『本の妖精』はついてきているのかというと、


「だいたい、人間だというのに叶えたい願いの一つもないというのはどういうことだ。お前はそれでも人間か? これだから最近の若者は活力が足りんというのだ」


 そんな、老人のような罵倒を繰り返していた。


「はぁ……。だからさぁ、言っただろ。願いを叶えてくれるって言うんなら、このわけのわからん場所から出してくれるか、または出口の場所を教えてくれるだけでいいって。さっきから何度そう言って――」

「馬鹿者が。そのような些事に妖精の願いを使えと言うのか」

「えー」


 そんなことを言ってくる。


「お前には物の価値というものがわからんのか。どんな願いでもたった一つだけ叶えてやろう言っているのだ。どんな願いでもだ。だというのにお前は、それを「ここから出る」などとつまらんことに使おうとするとは。そんなのものがまかり通るわけがないだろう」

「はぁ……。なんで俺が間違ってるみたいに言われてんだよ。っていうか、何でお前は俺について来てるんだ? 俺の願いは叶えたくない。だったらそれで終わりでいいだろう」

「ふん。決まっていよう。お前がいつ何時心変わりしてもいいよう、このわたし自らついてきてやっているのではないか。感謝されこそすれ、文句を言われてる筋合いはないはずだが?」

「さいですか」


 要するに、この本はそんなチャチなことに願いを使わずに、もっとすごいことに使わないと納得しない。だから俺の願いは却下。どころか、すごい願いを言うまでついてきてやる、と。


 まったくもって面倒な話である。


「ふむ。それに、だ」

「何だよ」

「お前といると、なかなか楽しめそうだからな」

「…………さいですか」


 そう言う『本の妖精』の声は少し弾んでいるようで。この本に表情があるのならばきっと、今笑っているのだろうとそんな気さえしてくる。



「きゅう?」



「へ?」

「む?」


 急に響いた妙な声に、二人はそれぞれ違う声で反応を示す。

 それは二人が立つ僅か数メートル先。既に幾度目になるかもわからない薄暗い廊下の交差点にいた。

 黒衣の目線の遙か下。地上五十センチほどの高さで直立する、ずんぐりとした体躯の白い生き物。特徴的な長い耳はぴょこぴょこと動き、赤色のビー玉のような瞳は黒衣の顔を映し出し輝いている、そんな生き物。

 つまるところ――、


「ウサギ?」


 で、ある。


「なんでこんなところにウサギが?」


 突如現れた奇妙な来訪者に、黒衣は首を傾げながら手を伸ばす。

 スンスンと、警戒する仕草でウサギは黒衣の伸ばした手を嗅いでくる。

 その姿は、黒衣の知るとおりのウサギそのもの。


「ふむ。ウサギはわかるのだな。外の本は話をせぬが、ウサギは外もここも変わらないと見える」


 黒衣の様子を見て、本の妖精はそんな感想を述べる。


「まぁそうだな。本が飛んだり喋ったりするよりは普通だな。普通はこんな屋内にはいないもんだが」

「ふむ。そういうものか」


 ウサギは特に何もしてこない黒衣に対して安心したのか、じゃれつくように黒衣の手に頭を擦り付けてくる。

「お。案外人懐っこいヤツだな」

「ふむ。外のウサギはあまり人に懐かないのか?」

「いや、どーだろ。俺もあんまり詳しくはないけど、こんな擦り寄ってくることは稀なんじゃないか?」

「ふむ。そういうものか。だが、そんなに気安くしていてもいいのか?」

「ん? どういうことだ?」


 本の妖精に視線を合わせることなく答える黒衣に、

「いや、ウサギは基本――」

 ――瞬間、


「きゅ――」


 銀色の閃光が、目の前を走る。

 喧嘩時代の賜物か、すんでのところで躱した黒衣は、降ろした腰が地面を打つ感覚と同時にそれを見た。


 それはナイフ。茜色の薄明かりを反射させる銀色の小刀だった。それも現実でも滅多にお目にかかることのない本格的な軍用ナイフ。

 そんな攻撃的な代物を手に持つのは、さきほどまで愛くるしい瞳でじゃれついていた癒やしの権化、ウサギだった。


「きゅっ」


 ウサギは自身の一撃が躱されたと見るや否や、舌打ちのような音を鳴らして後方へと一歩飛び跳ねる。


「――凶暴だぞ、っと……」


 そんな本の妖精の台詞は、ウサギの行動が一通り終了してからゆっくりと黒衣の耳へと届けられた。


「いや、遅ぇよ! 今完全に死にかけたぞ俺!」

「仕方なかろう! 私もいきなり過ぎて驚いているのだ! というかそもそもお前がのこのこと近づくのが悪いのだろうが! 不用心にもほどがあろう!」

「ウサギがいきなりあんなもん振り回してくるなんて誰も思わねぇだろ!」

「当たり前のことだろ!」

「んな当たり前聞いたことねぇよ!」


 あーだこーだと、突如降り注いだ命の危機に対して言い争いを始める黒衣と本の妖精を他所に。


「「「「「きゅう」」」」」


 つい今し方聞いたような鳴き声が、複数に木霊して聞こえてきた。

 否、木霊ではない。

 実際に、複数に増えている。

 ウサギが、増えているのだ。


 一難去らずにしてまた一難。

 いきなり増えたウサギの数はざっと見ておよそ二十。

 それだけならまだ良いのだが、そのどれもがさきほどのウサギと同様、それぞれの手に武器を持ち、こちらに赤色の瞳を向けてきている。こころなしか、睨まれているような気も、しないでもない……。

 おそらく最初のウサギだろう。一番前で本格的な戦闘態勢でナイフを構えるウサギの足がじりじりと、前に、体重がかけられている。


「な、なぁ、本の妖精さん」

「ああ」

「これって多分……」

「おそらく……」

「やばいよな」

「だな」


 次の瞬間、その場にいるウサギが一斉に動き出し、黒衣と本の妖精へと押し迫る。

 無論、その手に握る武器を振り上げて。

 脱兎のごとく。というのは、あまりにも皮肉が効きすぎている気がする。だがしかし、まさに言葉通りに二人は後ろに向かって走り出す。


「お、おいっ、自称『本の妖精』!」

「自称などではない、本物だ! で、何だっ、こんなときに!」

「お前、妖精ってんならコイツらなんとかできねぇのかよ!」

「馬鹿者っ。妖精だからと何でもできるわけがないだろう。絵本の読み過ぎだ」

「なんだよそれっ。全然役にたたねぇじゃねぇか! それのどこが、妖精なんだよ!」

「そこは妖精関係ないではないか! だいたいお前たち人間はいつもそうだ。妖精や魔法が何でもできる万能器具だと勘違いしている。そんな便利なものがあるわけがなかろうが!」

「おいっ! 今万能じゃないって言ったか? それって最初に言ってたことと話が違うじゃねぇか!」

「あれは特別だ! それとも何か? それがお前の『願い』なのか?」

「ああもうこの際それでもいいような気がしてきた」

「ふんっ。それこそ却下だ。あんな畜生ごときをどうにかするのに、何故たった一度の『願い』を使わねばならんのか」

「あれぇ! 何で俺の願いの主導権が俺にないんだぁ!」


 そんな風に言い争いながら元来た道を走っていると、正面から別のウサギの群れが現れる。


「くそっ、こっちだ!」


 ちょうど差し掛かった交差点を曲がり、別の道と走り進む。

 すると再び、正面からウサギが現れる。


「こっちもダメか」

「いや待て。正面のウサギ共、他の連中と違って数が少ない。あれなら突破できるぞ!」


 確かに、今正面から走ってくるウサギは四、五匹程度。とはいえ、


「突破できるってお前、相手は小動物つっても武器持ってるんだぞ。んな簡単に――」

「ええいごちゃごちゃと。いいからお前は黙って走れ!」

「んな無茶苦茶な――」


     

『    ハンプティ・ダンプティ塀の上

     ハンプティ・ダンプティ落っこちた

     みんながどんなに騒いでも

     もう元には戻らない          』



 それは、突如鳴り響いた幻想の詩。

 見れば、隣を浮遊する本から淡い光が零れ落ち、耽溺するほどの調が空間を震わせる。

 出逢ったときにも見たそれは、夢幻の顕現。


「弾けよ、【不発・爆裂卵】っ!」


 次の瞬間、こちらへと向かってくるウサギたちの上空に何かが生じる。

 それは大きな何か。丸い球のようで少し違う、球を縦に伸ばしたような、どこかで見かけたことのある形。

 それは卵だった。しかし見たこともない巨大な大きさの卵が、前方から迫るウサギの一段目掛けて落ちてくる。


「「「「「きゅうーーーーーーーー?!」」」」」


 思わぬ不意打ちを頭上に受けたウサギたちは、一瞬にして隊列を乱され、その隙を黒衣と本の妖精はすり抜けていく。


「うむ。うまくいったぞ」

「おお。意外とやるじゃねぇか!」

「意外とは余計だ、愚か者」


 そうこう言い合う二人をウサギの大軍は依然と追いかけてくるが、その差は詰まることなく、やがて――。


「見ろ、あれ!」

「出口だ!」


 前方に見えてきたのは長い長い廊下の終わり。茜色の光が差し込む一枚の扉だった。

「飛び込め!」


 バンッ――と、勢いよく扉を開き飛び込んだその先には、


 黄金と見紛う茜色に包まれた、自分の見たことのない空間が広がっていた。


「っ――。なん、だよ……、ここは……」


 黒衣は空を見上げる。

 飛び出したその場所に、黒衣は見覚えがあった。

 そこは学校の渡り廊下。校舎と図書館塔をつなぐ、屋外を走る廊下だ。二十メートル先に見える扉も、胸の高さほどある壁も、どれも黒衣が図書館塔へやってくるときに通ったものと同じに見える。

 ただ違うのは、そこから見える二つの景色。

 一つは下。階下ごとに設置されているこの渡り廊下は縦に連なるようにして取り付けられている。上を見れば上の階の廊下が、下を見れば下の階の廊下が見える。違うのは、それが延々と続いていること。三つしかないはずの渡り廊下は、上を見れば上にどこまでも、下を見れば下にどこまでも。延々にどこまでも、見えなくなるほどに、渡り廊下は続いていた。

 もう一つは空。さきほどから変わることなく降り注ぐ茜色の夕明かり。だが、それには既に太陽はない。どころか星も、月も、雲も、夜空もない。そこはただの黄金。太陽などそれにはなく、そこにはただただ光り続ける黄金の空があるだけ。その空から降り注ぐ光が大地を茜色に染め、あたかも夕暮れのような錯覚を黒衣に与えていたのだ。


 ぞくりと、黒衣は背筋を震わせる。

 そこは黒衣の知る場所ではなかった。どころか、黒衣の知る世界かすら怪しい。

 馴染みのある後者も、いつもそこにある空も、どれも黒衣の知るそれとは違っていた。似てはいるが、はっきりと違っている。

 そこはまさに異世界。あるはずのものがなく、ないはずのものが存在する不可思議世界。

 考えまいとしていた黒衣の脳に、黄金色の空は無情にもその事実を突きつける。


『ここはお前の世界ではない』、と。


「おいっ! 何をぼうっとしている!」


 本の妖精に呼ばれて黒衣は我に返る。

 見れば、黒衣と本の妖精が開け放った扉から百匹近くまでその数を増やしたウサギが押し迫っていた。


「す、すまない」

「いいから、さっさと逃げ――」


 そこで、本の妖精は言葉を切る。

 事態が再び変化したからだ。

 黒衣と本の妖精が進む渡り廊下の先。校舎側の扉が開かれ、新たなウサギの一群が雪崩れ込んでくる。


「挟まれた……っ」


 呻くように、本の妖精は現状を突きつける。

 前門のウサギ、後門にもウサギ。進路も退路もウサギによって塞がれた黒衣と本の妖精は身動きと取ることができず、その場に立ち尽くす。


「なぁ妖精さん。さっきのやつでこいつらなんとかできねぇ?」

「無理だ。あれは完全な状態ならまだしも、今の力では足止めにもならん」

「ですよねー」


 危機的状況の常とはいえ、その事実はやはり受け入れがたい。


「もしかしてこれは、詰んだ?」

「くっ……」


 悔しそうに漏らした本の妖精の声が、今の状況の絶望さを物語っていた。


「きゅうっ」


 立ち尽くす二人に、前方の一団から一匹のウサギが可愛らしい声を漏らして現れる。

 他のウサギとは違い、くすんだ色の毛にベレー帽を被った、一見風格のあるウサギだ。おそらく、このウサギたちの隊長格なのだろう。


「きゅうっ」

 隊長格のウサギは再び一声鳴くと、黒衣と本の妖精に向けて手を掲げる。

 ジャキ。

 すると取り囲んでいたウサギたちが一斉に手に持つ銃を構える。その銃のどれもが、殺傷性の高い小型機関銃だ。


「く……」

 黒衣は思わず後退るが、逃げ場などもはやどこにもなく、仕方なく両手を挙げる。


 静寂が知らない世界を包み込む。

 一触即発。

 いや。既に触れずとも結果は決しているか。

 黒衣も本の妖精も、一言も喋らず、呼吸すらもできないほどに押し黙り、ただただ結果の到来を待つのみ。

 そして、隊長格のウサギがその短い腕を振り下ろし、処刑の合図を始め――、


 ――――ズシン


 ようとしたそのとき、そんな重厚な音が辺りに響く。

 それは地鳴りだった。

 ふと最初に考えたのは、地震という日本人なら当然の疑問。

 だが、違う。


 ――――ズシン


 二度目の地鳴りが響く。今度はさっきよりも大きい。

 そして、


 ――ズシン


 三度、


 ――ズシン


 四度、


 ――ズシン、――ズシン、――ズシン、――ズシン、


 次から次へと、地鳴りはその数を増し、また間隔が狭まっているように感じられる。そしてその大きさも。

 黒衣は思った。これはまるで、足音のようだと。


「きゅっ!」

 ウサギたちも異常を察したらしく、隊長格のウサギが短く鳴くと、ウサギたちは蜘蛛の子を散らすように散り散りに散開していく。

 さっきまでウサギたちで埋め尽くされていた渡り廊下はあっという間に黒衣と本の妖精だけが残され。


「おい、妖精」

「……なんだ、人間」

「一つ質問いいか」

「……言ってみろ」


 地鳴りは時間とともに激しさを増し、そして――、


「こいつは何だ?」


 新たな来訪者が、現れる。


「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」


 それは、優に三メートルを超える巨体を持った、一体の巨人だった。

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