第三話『妖精の噂』


「妖精?」


 あれから三十分。黒衣と満月の二人は本の整理を行っていた。

 八重は今日中にまとめてしまわなければならない書類があるとかで、二人に返却された本の整理だけを任せ、早々に事務所の方へと引き籠もってしまった。

 残された二人は仕方なしと互い肩を竦め作業に取り掛かるが、返却済み窓口に積み上げられた千はくだらない膨大な数の本の山を前にして、さっそくも心が折れていた。

 そして早くも作業に飽きてしまった二人は、作業効率など度外視で雑談を始めていた。


 話題は、図書委員の人手不足について。


「ああ。そういう噂らしい」


 満月は手に持った本のタイトルを興味なさげに眺めながら、事無しげにそう答える。


「そんなもんが人手不足の原因だってのか? 天下の図書委員さまが? 冗談だろ?」

「まあそれが普通の反応だわな。だが、どうやら冗談ってわけでも、ただの噂ってわけでもないらしい」

 興味あるか? とでも言いたげに目元をにやつかせる満月に対し黒衣は、

「妖精、ねぇ……」

 と、どこか煮え切らないようにそう呟いた。


「なんだ? 興味ないのか?」

「興味ないこともないけどさ、そんないきなり妖精がどうのこうのって言われても、何が何やら」

「まぁそりゃそうだろうな。ただまぁ、妖精ってのはただ単に最近流行ってる図書館を舞台にした怪談話に妖精が出てくるから言われてるってだけで、別に本当に妖精が出たってわけじゃねぇ」

「そうなのか?」

「ああ。本当に出たのは、幽霊だって話だ」

「それってあんまり変わんなくないか?」

「まぁな。ちなみに、他には妖怪だとか宇宙人だとかって話もあるが」

「もうわかんねぇな、それ」

 肩を竦ませる黒衣に、満月は楽しそうにヘラヘラと笑う。


「悪い悪い。まぁ要は、そういうオカルト的なことが原因ってわけだ」

 満月はそこで言葉を区切り、

「ポルターガイストって聞いたことあるだろ?」

 と、そう口にする。


 ポルターガイスト現象。

 日本語で『騒々しい幽霊』と訳される心霊現象の一種で、誰もいないのにひとりでに物体が移動・浮遊するといった現象だ。対象となる物体は小さな物が主だが、報告されている事例の中には子供一人が宙に投げ出された、などという話もある。誰もいないのに音が鳴り響く『ラップ現象』もこの現象の一種とも言われている。

「俺が聞いた話じゃ本が突然浮いたりだとか、地震でもないのに本棚が揺れ出したりだとか。突飛な話だと、本が話しかけてきたなんてのもある」

「それはさすがに言い過ぎだろ」


 最後のを除けば、満月の語るその事例はおおよそポルターガイスト現象の事例と酷似するものがある。

 だがやはりというかなんというか、聞けば聞くほど信憑性のかけらもない話ばかりである。学校の七不思議とか言われた方がまだ信じられるくらいだ。


「ってことは何か。図書委員の連中はそんな与太話を信じて、自分たちの仕事サボってるって言うのか?」


 それこそ信じられない話だ。

 仮にも彼らは、この学園の優等生に分類される学生たちなのだから。


「いいや。信じたってよりも、まさにその図書委員自身がこのデタラメな噂話を流している張本人なんだよ」

「どういうことだ?」

「つまりだ。その怪奇現象を見たって言ってる連中ってのが、件の図書委員さまなんだよ」

「はぁ?」


 それは黒衣の予想に反して意外な答えだった。

 てっきり黒衣は、馬鹿な連中が悪ふざけでそんな根も葉もない噂を流しているものだと考えていたからだ。

 だが、それはそれで納得のいく答えでもある。


「まぁでも、そうなるのか。この図書館塔に一番長くいるのは当然ここの管理を任されている図書委員の連中だ。仮にその噂が事実だとしたら、一番遭遇率の高いのは必然的に図書委員の人間ってことだもんな」

「ま、そういうことだな。実際、この件で怪我をしたってのも図書委員の人間らしいしな」

「……怪我人がでてるのか?」

「つっても、突然動いた本棚にビビって転んだだけって話だけどな」

「そういうことか」

 驚いて損した。説明したとおり、ポルターガイスト現象の中には子供が一人宙に投げ出されたという話もある。ポルターガイストとされる現象が全てそういった人間に直接被害が及ぶようなものではないが、それでも得体の知れない現象であることに変わりはない。表沙汰になっていないだけで、中には甚大な被害に至った事例があってもおかしくはない。そもそもこんな馬鹿な話で怪我人が出たなど、笑い話にすらならない。


 だが一つ疑問がある。


「じゃあ、何でここを開けてるんだ?」

「ん?」

「いやさ、本当かどうかはともかくとしても、一応怪我人も出てるんだろ? 最悪図書館塔閉鎖、なんて話になってもおかしくはないんじゃないか? 実際人手もたりてないわけだしな」


 驚いて転んだ程度ではあるが、それでも怪我人は怪我人だ。原因不明の事態がおっこっている以上、何らかの処置をとるのは当然のことだろう。

 しかし満月は、黒衣の当然の疑問に、あたかも当然とでも言うように答えを返す。


「それは単純な話だ。同じ図書委員でも、全員がその話を信じてるわけじゃないってことだ」

 まぁ、そりゃそうだろうけども。

「そんで、その否定派筆頭なのが、エリート集団の図書委員会を束ねる長、図書委員会の会長さまってわけだ」

「あー、なるほどな」

 トップが信じてないんじゃ対策なんてするわけがない。

「ま、そういうことだ」


 話終えたことに満足したのか、満月は一度大きく伸びをすると、すくっと立ち上がり仕事へと戻る。


「まぁ俺としては、妖精や幽霊なんかよりも、その会長さまの方が万倍は怖いけどな」

 手にした本を遊ばせながら、満月は意味深にそう呟く。


「意外だな。お前が何かを怖いなんていうのは」

「そうか? まぁそうかもな。でもまぁ、お前も会ってみりゃわかる。ありゃ相当なもんだ」

「相当って……、図書委員会の会長だろ?」

「確かにそうだが……ま、こういうのは直に見てみるのが一番だな」

 そう言って満月は説明を諦めてしまう。

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。まあだが、一つだけ教えといてやる。その会長さまを恐れるあまりついたあだ名」

 あだ名?

「人呼んで『本の鬼』」

「なんだそりゃ」

 

 わけがわからん。


「ま、知らぬが仏ってね」


 それだけを言って、満月は話を打ち切り仕事を続ける。

 まったく、なんのことやら。



   *



「疲れた」

 そう言ってふたりは、座するソファに沈み込む。


「まさか、図書委員の仕事がこんなにキツかったなんてな」

「ああ。正直、インドアだと思って舐めてたわ」


 どちらかと言えば体育会系な二人にとってもここの作業は予想以上に厳しかったらしく、いつも雑然たる佇まいの二人は、いつも以上に酷い有様となっていた。


「あはは……。さすがに普段はここまでじゃないんですけど、今日はちょっといろいろと立て込んでるんで……」

「ああ。それが幽霊の話か」


 どこか口を濁す八重の言わんとするところを理解して、黒衣は口にする。


「なんでも、幽霊か何かが暴れて怪我人まででたらしいな」

「あ……、はい。なんか、そうらしい……ん、ですけど、私はまだ直接は見ていなくて。だから、あんまり信じてないんですけど、見たって子もたくさんいますし、付属の怪我しちゃった子までいますから……。それでみんな怖がってしまって、ここに立ち寄れない子もいるみたい……なんです」


 八重もこの件で相当ショックを受けているらしく、いつもの歯切れの良さが口調から消えている。

 というか、どこかこの話題について話すことを躊躇っているように感じられる。

 気の所為、だろうか?

 

「先生の中にも不安に思っている人もいるみたいで、事態が収まるまでここを閉鎖するって話まで出てるみたいで……」


 図書館塔閉鎖。あまり学園の事情に明るい方ではない黒衣でも、それがこの学園にとって如何に大事かわからないわけではない。


「その、委員長ってのは何て言ってんだよ。さすがにこんな事態をただ放っておくわけはないだろ」

「委員長は根が強い人ですから、どうせ誰かの質の悪い悪戯だろうから自分が言って成敗する、と。だからあまり大騒ぎするなと。今日も先生たちと話してるみたいです」


 幽霊を成敗と来たか。なかなか面白い先輩のようだ。と同時に、それなりに心強くもある。


「それに……」

 またも何かを言いかけて、口籠もる。

 どうも様子がおかしい。いつもの八重ならば、ちょっとしたことなど気にせず口にするというのに。特に黒衣に対しては、長い付き合いだけあって他の誰よりも気が知れている。何かを躊躇うなんてことあると思えないのだが。

 今の八重はいつもの堂々とした態度はそこになく、どこか、年相応に女の子のように見えてくる。


「で、残りの仕事はどうするよ園咲」


 と、そこで満月が話をシフトする。

 こういうところに気が利くのは、素直に感心してしまう。


「あ……、はい。今日中に終わらせなくちゃいけない仕事は全部終えましたから、今日のところはもう大丈夫です。わたしも、これから部活に顔を出さなきゃですし」

「そうか。なら、俺たちはどうするよ黒衣」


 黒衣は思案する。ここにこのまま残っていても、八重がいないのでは仕方ない。


「そうだな。それじゃ、俺たちは帰りますか」

「だな」


 そうと決まると、三人は荷物を持ってさっさと出口へ向かう。


「でさー」

 途中、そんな声が三人の耳に届いてくる。

「あの子がその妖精見たんだってー」

「ホントー? 嘘じゃーん」

「ホントだってー。奥の暗くなってる本棚。あそこにいたんだってさー」

「ぜったいウソ。いるわけないぢゃんそんなの。『本の妖精』なんて」

 

 どうやら、数人の女生徒が図書館内ということも気にせずおしゃべりに耽っているらしい。


「『本の妖精』?」


 聞き慣れない単語に、黒衣は引っかかりを覚えて復唱する。


「それってもしかしてあれか? さっき満月が話してた……」

「ああ。ご推察の通り。今話題沸騰中の幽霊騒ぎの、一応元ネタの一つだ」

 ほう。

「簡単に言えば、どんな願いでも叶えてくれる本の話だ。誰もいない図書館に現れる喋る本。本は自分を妖精だと名乗り、どんな願いでも叶えてやると持ちかけてくる。だが、願いを叶えてもらった人間は代わりに本の中に閉じ込められて、自分が妖精にすげ替えられてしまう。って話だ」


 つまり、よくある感じのバッドエンドものな話らしい。願いを叶えてもらえるが、対価として自分が妖精になってしまう。後味の悪い、よくある話だ。


「ま、大方最近のポルターガイスト騒ぎの犯人がこの『本の妖精で』、それを面白可笑しく探しにやってきて事件に巻き込まれてる、ってとこだろ」


 なるほどな。実に馬鹿馬鹿しい話だ。信じる方も信じる方だが、こんなしょーもない話にビビってるやつもいるという事実に驚きだ。

 そんなもの、あるはずがないというのに……。


「別に、隠していたわけじゃないんです」

「八重……?」


 何の気なしに話を聞いていた黒衣と満月を余所に、八重は出入り口に向いていた足も止め、急にそんなことを言い出した。


「……馬鹿げた噂ですし、全然関係のない話ですし、意味なんて本当は何もないような、そんな、くだらない……」


 黒衣の呼びかけにも応じず一方的に話し続けるその後ろ姿は、いつも毅然と振る舞う八重らしくなく。どころか震えてすらいるように見えて、わなわなと揺れ動くその肩はいつもよりも小さく感じられる。

 しかし黒衣は、その背中に覚えがある。


「で、でも……、もしかしたら」


 四年前のあの夏の日。


「クロは、嫌なんじゃないかって」


 俺が帰ってきた、すぐあと。


『またどっか行っちゃうの!』


 ああ、なるほど。そういうことか。


「八重」

 黒衣の呼びかけに、ビクリと、八重は肩を震わす。

「クロ……」

「俺は別に、そんなことは気にしてねぇよ。もう、昔のことだ」


 黒衣は小さく、八重の背中へ語りかける。


「アレは俺の見た夢で、俺が間違ってたんだ。だから、お前が気にすることなんて、何も――」

「ううん、違うの……。違うのクロ」


 八重は相変わらず背中を向けたまま、しかし目元を拭うような仕草をして、答える。


「クロは何も、間違ってなんていなかった。クロは、何も悪くないよ」


 否定する八重の口調はいつものものではなく、昔聞いた幼馴染みのそれで。

 だから余計に、あの夏の日のことを思い出してしまう。

 だからこそ、黒衣は語調を強くして言う。


「いいや。みんなの方が正しい。正しかったんだ。だから、もう……」

「でも! でも、それでもまだ、クロは信じてるんでしょ? さゆ――」


「八重っ」


 急に出した大声に、館内の視線は黒衣と八重に注がれる。

 黒衣と八重は慌てて頭を下げ、急いで館内を後にする。

 外はすでに茜色に染まっており、異常な暑さも僅かながら緩和されたほどよい空気に変わっていた。


「悪い。大声出して」

「いえ……、ごめんなさい……。わたしも、思わず、その……」


 一旦落ち着いたおかげか、八重の口調はすっかり元に戻っている。

 なんとなく惜しい気もするが、とりあえず今はどうでもいいことだ。


「とにかくだ。この話はもう終わったことなんだ。それも、随分と昔に、な。だからお前が変に気にするとこなんて、もう何もないんだよ」

「クロ……」


 八重はそれだけ呟いて、お互い黙り込んでしまう。。

 正直、やりにくい。いつもは何をしてても口やかましく言ってくる八重が、今は普通の女の子のようにしおらしい。こんなことはあの時以来一度もなかっただけに、どう対応していいやらわからない。

 だから黒衣はくしゃくしゃと頭を掻きながら、困ったように口を開く。


「……それに、お前にはやらなきゃいけないことがあるだろ」

「え?」

「部活、行くんだろ」

「あ……。そう、でしたね」


 八重は本気で忘れていたのか、ハッとしたように顔を上げる。


「別にアイツの分まで、なんてことは言わないけどさ。頑張るって決めたんなら、余計なことなんて気にしないで頑張って来い」


「はい……、はい。そう、ですよね。ごめん、なさい……」

「謝んな」

「ご、ごめんなさ――」


 三度目の謝罪を口にしそうになって、だが何故か途中から「ふふふ」という笑い声が漏れ聞こえる。


「なんだよ」

「いえ、なんでもありません」


 そう言って上げた八重の顔は、すっかりいつもの笑顔に戻っていて。さっきまでの陰鬱な雰囲気はすっかりとなくなっていた。


「なんでもないですけど、ありがとうございます」

「おう、そうか。それならよかったよ」

「満月くんも、ありがとうございます」

「おう」


 何も言わずに黒衣の後ろに立っていた満月は、何も気にしていないとでも言うように肩を竦めて返事する。

 と、八重は急に体育館の方へと掛けていき、渡り廊下の真ん中で立ち止まる。と、


「クロっ! わたし、頑張るから」


 と叫んでくる。


「おう。知ってるよ」

「だから、明日の試合、絶対見に来てくださいね」


 それだけ言うと、八重はそのまま走り去っていく。

 あとには、茜色の余韻だけが残されていた。


「青春だねえ。なあ、クロ?」

「うるせぇ、満月。そんなんじゃねぇ」


 茶化すように言ってくる満月だが、言われてようやく気恥ずかしさを覚えた黒衣は、誤魔化すように否定する。

 

「……事情、聞かないのかよ」

「聞いてほしいんなら聞くが?」

「じゃあ言わねぇ」

「可愛くねぇなぁ」

「お前は俺に何を求めてるんだよ」

「俺が求めてるのは、常に可愛い女の子だけだ」

「残念ながら、俺は男に興味はない」

「奇遇だな。俺もだ」


 本当にこの悪友は、不良のくせに妙なところで気を使ってきやがる。

 だからこそ、ずっと付き合えているのかもしれないが。


「また今度、気持ちの整理がついたら話す」

「ああ。気長に待っとくとするよ」


 そんな親友に感謝しながら、


「よしっ。んじゃいっちょ、頑張りますか」


 と、頬を鳴らす。


「気合いを入れてるところ悪いが、そっちは図書館塔だぞ。昇降口はこっち」


 クイッと、黒衣が進もうとする反対方向を満月は指し示す。


「そんなもんはわかってる」

「そうかよ。……お前は、本当にお人好しだな」

「人のこと言えんのかよ」

「違いない」


 けらけらと楽しげに、二人は笑う。

 面倒なのは当然好きではないが、悪い気分はしない。


「一応、応援しちまったからな。出来る限りのことはやってやるさ」


 さきほどよりもやる気を見せる黒衣と満月は、軽快な足取りでさきほど後にしたばかりの図書館塔へと歩いて行った。

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