記憶

過去の話。


幼い頃、ディエルの心は一度壊れた。


周りと暮らすことは当然、同じ空間にいることも許されない生活。

自分以外人の気配がない、山奥で暮らしていた日々。

誰とも関わらず、ただひたすら魔獣を屠る毎日。ただ生きることだけを考えなければ、死んでしまう環境。

幼い少年の心を壊すには十分すぎる条件だ。


否 ── 元から心なんてものはなかったかもしれない。両親には物心着く前に捨てられた。だが、それでも悲しい、寂しい、などの感情はまだ持ち合わせていた。あの時までは。


ある日、ディエルは人を殺めた。

なんのことはない。少しばかりの探究心から、ディエルの住む山を探索しに来たのだろう。

だが、その人物はディエルを見た瞬間に悪魔と蔑み、手にしていた剣で切りかかって来たのだ。

ディエルは自分の中で、何かが弾けるのを感じた。

そして、冷徹な視線で人間、、を観察し、駆除した。この時、ディエルは9歳。この時既に、罪悪感などは存在しておらず、自分が危険な目にあったから、その要因を消した。

この時、ディエルは思った。


──ああ、人間は脆い。


普段ディエルが屠っている魔獣たちの方が、よっぽど強く逞しい。あれだけの群れをなし、街を築き、国を治めている人間は、酷く弱いものなのだと。


それから、何人もの人間が山に訪れるようになった。

その度に、ディエルは敵意を向けられ、剣や魔法で攻撃を受けた。

その度に、ディエルは人を駆除、、した。

魔獣なんかより、よっぽど手早く殺すことができる。

人を殺すたびに、ディエルの心には楔が打ち込まれていったようだった。


そんな日々を繰り返し、殺した人数が2桁にいこうとしていた時だった。

100を超える人間が、ディエルの住む山にやってきたのだ。

どうやら殺して来た人間たちが帰ってこないのを不審に思い、捜索隊が出されたようだ。


だが、そんなたくさんの人間たちも同じだった。ディエルの姿を見た途端、あいつが犯人だ。悪魔だ。などの罵声を浴びせ、切りかかってきたのだ。

その圧倒的な数の暴力に、ディエルは対処しきれずに、何度か傷を受けてしまったのだ。

そして、立っているのもやっとの状態になった時、ディエルは自分の中で何かが目覚めるのを感じ、そして次の瞬間、意識を失った。





どれくらい経った頃だろう。ディエルは目を覚ました。そして、目の前に広がる光景に、言葉を失う。


── 串刺しになった人間たちが、眼前に連なっていた。


さらに、人間たちは身体の一部が欠損している。

ディエルには、こんなことをした記憶がない。意識を失ったと思ったら、眼前には大量の死骸が串刺しになっていた。

自分がやった記憶はない。だが、自分以外誰も生き残っていない。

自分がやったのだ。



ディエルは悟った。もう、この場所に居ることはできない。

これだけの数の人間を殺してしまっては、再び自分を殺す集団が来ることだろう。


殺した実感はない。だが、自分が殺したということは、何故かすんなり理解することができた。意識が飛んだ後、なにが起こったのかはわからない。

しかし、ディエルはすぐにその場から離れることだけを考えていた。



他人の生死などどうでもいい。自らが生存してさえいれば、それが全て。



この考えは、串刺しの光景を目の当たりにしても揺らぐことはなかったのだ。

次なる住処を求め、歩き続ける。今度は誰にも見つからない、誰も来ることのできないような場所へ……。

そんな理想の場所を求め、山や川を越えて歩いた。



結果は、辿り着くことができなかった。道中、ディエルは魔獣に奇襲をかけられ、深い傷を負ったのだ。なんとかその魔獣は倒したものの、片足を砕かれ、指を何本か失った。

ディエルは倒れこみ、その場に身を縮こまらせた。このまま眠っては、魔獣の餌になって終わり。わかってはいるのだが、次第に意識が混濁し、なにも考えられなくなる。

そして、意識を失う直前……身体が暖かくなるのを感じた。




「………」

「どうしたんですか?」


リビング。診察を終えたニーナを膝に乗せながら、レアが先ほどから黙りこくっているディエルに声をかけた。


「いや、少し考えごと」

「そうですか。なんだかすごい思いつめた表情をしていたので」


レアはニーナに視線を落とす。今は銀の王子を読んでいるようだ。

ディエルは夕陽を眺めながら、再び記憶の中に沈んでいった。




いくらかの時間が経った時、ディエルは目を覚ました。気を失う前に感じた暖かさはもう感じない。

しかし、駄目かと思った傷が完全に癒えている。ディエルは掌を数回握り、指が動くことを確認。魔獣に喰われた指も、完全に再生していた。



一体なにがあったのかはわからない。だが、自然とこのような現象が起きるはずがないのも事実。

つまり、見知らぬ誰かが自分に回復魔法……それも、強力な回復魔法をかけてくれたのだろう。


それを認めた瞬間、名状しがたい感覚がディエルを貫いた。

とても、心が軽くなるような、不思議な感覚。



── ああ、助けられるのは……こんなにも心地いいものなのか


見知らぬ誰かに命を救ってもらったことが、本当に嬉しかったのだ。

生まれて初めて、見知らぬ誰かに対して、感謝の念を抱いた。



そして、この出来事を境に、ディエルは色のある心を、少しずつ取り戻していくのだ ── 。


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