記憶
過去の話。
幼い頃、ディエルの心は一度壊れた。
周りと暮らすことは当然、同じ空間にいることも許されない生活。
自分以外人の気配がない、山奥で暮らしていた日々。
誰とも関わらず、ただひたすら魔獣を屠る毎日。ただ生きることだけを考えなければ、死んでしまう環境。
幼い少年の心を壊すには十分すぎる条件だ。
否 ── 元から心なんてものはなかったかもしれない。両親には物心着く前に捨てられた。だが、それでも悲しい、寂しい、などの感情はまだ持ち合わせていた。あの時までは。
ある日、ディエルは人を殺めた。
なんのことはない。少しばかりの探究心から、ディエルの住む山を探索しに来たのだろう。
だが、その人物はディエルを見た瞬間に悪魔と蔑み、手にしていた剣で切りかかって来たのだ。
ディエルは自分の中で、何かが弾けるのを感じた。
そして、冷徹な視線で
この時、ディエルは思った。
──ああ、人間は脆い。
普段ディエルが屠っている魔獣たちの方が、よっぽど強く逞しい。あれだけの群れをなし、街を築き、国を治めている人間は、酷く弱いものなのだと。
それから、何人もの人間が山に訪れるようになった。
その度に、ディエルは敵意を向けられ、剣や魔法で攻撃を受けた。
その度に、ディエルは人を
魔獣なんかより、よっぽど手早く殺すことができる。
人を殺すたびに、ディエルの心には楔が打ち込まれていったようだった。
そんな日々を繰り返し、殺した人数が2桁にいこうとしていた時だった。
100を超える人間が、ディエルの住む山にやってきたのだ。
どうやら殺して来た人間たちが帰ってこないのを不審に思い、捜索隊が出されたようだ。
だが、そんなたくさんの人間たちも同じだった。ディエルの姿を見た途端、あいつが犯人だ。悪魔だ。などの罵声を浴びせ、切りかかってきたのだ。
その圧倒的な数の暴力に、ディエルは対処しきれずに、何度か傷を受けてしまったのだ。
そして、立っているのもやっとの状態になった時、ディエルは自分の中で何かが目覚めるのを感じ、そして次の瞬間、意識を失った。
どれくらい経った頃だろう。ディエルは目を覚ました。そして、目の前に広がる光景に、言葉を失う。
── 串刺しになった人間たちが、眼前に連なっていた。
さらに、人間たちは身体の一部が欠損している。
ディエルには、こんなことをした記憶がない。意識を失ったと思ったら、眼前には大量の死骸が串刺しになっていた。
自分がやった記憶はない。だが、自分以外誰も生き残っていない。
自分がやったのだ。
ディエルは悟った。もう、この場所に居ることはできない。
これだけの数の人間を殺してしまっては、再び自分を殺す集団が来ることだろう。
殺した実感はない。だが、自分が殺したということは、何故かすんなり理解することができた。意識が飛んだ後、なにが起こったのかはわからない。
しかし、ディエルはすぐにその場から離れることだけを考えていた。
他人の生死などどうでもいい。自らが生存してさえいれば、それが全て。
この考えは、串刺しの光景を目の当たりにしても揺らぐことはなかったのだ。
次なる住処を求め、歩き続ける。今度は誰にも見つからない、誰も来ることのできないような場所へ……。
そんな理想の場所を求め、山や川を越えて歩いた。
結果は、辿り着くことができなかった。道中、ディエルは魔獣に奇襲をかけられ、深い傷を負ったのだ。なんとかその魔獣は倒したものの、片足を砕かれ、指を何本か失った。
ディエルは倒れこみ、その場に身を縮こまらせた。このまま眠っては、魔獣の餌になって終わり。わかってはいるのだが、次第に意識が混濁し、なにも考えられなくなる。
そして、意識を失う直前……身体が暖かくなるのを感じた。
◇
「………」
「どうしたんですか?」
リビング。診察を終えたニーナを膝に乗せながら、レアが先ほどから黙りこくっているディエルに声をかけた。
「いや、少し考えごと」
「そうですか。なんだかすごい思いつめた表情をしていたので」
レアはニーナに視線を落とす。今は銀の王子を読んでいるようだ。
ディエルは夕陽を眺めながら、再び記憶の中に沈んでいった。
◇
いくらかの時間が経った時、ディエルは目を覚ました。気を失う前に感じた暖かさはもう感じない。
しかし、駄目かと思った傷が完全に癒えている。ディエルは掌を数回握り、指が動くことを確認。魔獣に喰われた指も、完全に再生していた。
一体なにがあったのかはわからない。だが、自然とこのような現象が起きるはずがないのも事実。
つまり、見知らぬ誰かが自分に回復魔法……それも、強力な回復魔法をかけてくれたのだろう。
それを認めた瞬間、名状しがたい感覚がディエルを貫いた。
とても、心が軽くなるような、不思議な感覚。
── ああ、助けられるのは……こんなにも心地いいものなのか
見知らぬ誰かに命を救ってもらったことが、本当に嬉しかったのだ。
生まれて初めて、見知らぬ誰かに対して、感謝の念を抱いた。
そして、この出来事を境に、ディエルは色のある心を、少しずつ取り戻していくのだ ── 。
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